当日(1)

 新聞に掲載された一つの記事が王都を一変させてから、一週間が経過しようとしていた。当初、王国政府は無用な混乱を避けるために該当記事を否定したが、すぐさま新聞に続報が掲載されると、政府が隠蔽したと批判が膨らむことになった。これにより、混乱は更に増大していき、やがて、王都の各地で暴動が起きるようになっていた。


 そして現在、当初の否定以来沈黙を続けている政府に対して、説明を求める市民が王城前に集まってきていた。いつ城門から王城内に雪崩れ込んでもおかしくない興奮した市民と、城門を塞ぐ衛兵が睨み合い、一触即発の状態が続いている。

 それらの騒がしさは王城内にも響き渡っていた。政府を批判する声や脅迫染みた声だけでなく、一人の人物に対する口に出すことも憚られる罵倒も中には混ざっている。


 いつものように廊下の途中に立ちつくし、窓の外を眺めるヴィンセントは、それらの声に苦笑いを浮かべていた。


「こんな昼間から、良くあんなに騒げるよな。もう酒でも入ってるのかね?」

「今回のことは内容もそうですが、王国側の対応が悪かったと言うほかありませんね」

「おいおい、厳しいな、お前は。政府が下手に認めてみろ。全部の悪意が集中することになってたかもしれないんだぞ?」


 ブラゴはヴィンセントの隣に立ち、同じように窓の外を眺めた。場所的な問題から城門前は見えず、そこに集まっている市民を見ることはできないが、騒音から想像するに見えていないことがこの場合は好ましいと思えた。


「恐らくだが、パロールちゃん達が何かをしていたのって、これに関することだよな?」

「時期的なことも考えると、間違いなくそうでしょうね」

「お前はそれに関して何か知っていたか?」

「貴方と同じで何も知りませんよ。当人から聞いたわけでもないですし」

「だよな」


 そこで、窓の外を眺めるヴィンセントの目が一瞬だけ鋭くなったように見えた。


「じゃあ、どうしてあんな記事が載ったんだろうな?誰が情報を流したんだ?」

「やはり、それは気になりますよね」

「当たり前だろ?王城内でも一部の人間しか知らなかったんだぞ?そんな情報がどうやったら、新聞に載るか気になるだろう」

「普通に考えると、その一部の人間の誰かが情報を流した、というところですが、そうだとしたら理由が分からない」

「だが、それ以外の人間が情報を流すとしたら、どうやって情報を得たのか分からない」


 ヴィンセントはともすれば楽しげに見える笑みを浮かべていた。ブラゴはこの笑顔を何度か見たことがあるが、そういう時は浮気がばれて逃げ回っている時や、サボっていたことが上の人間にばれた時など、自分にとって都合の悪い時ばかりである。


「きな臭い話になってきたな~」


 ヴィンセントはもう一度、笑みを浮かべてから、窓の外から廊下に視線を戻していた。


「そういえば」


 ブラゴがそう呟いたのは、ヴィンセントのきな臭いという言葉がきっかけだった。それがさっきヴィンセントの言っていた悪意が集中するという話と合わさり、ブラゴの記憶を刺激して忘れていた話を思い出させた。


「きな臭い噂を一つ聞いたのですが」

「きな臭い噂?」


 ヴィンセントは思い当たる節がないようで、ブラゴを怪訝げに見てきた。ブラゴは小さくうなずき、少し前に聞いたばかりの話を口に出す。


「魔王誕生のに関する噂です」



   ☆   ★   ☆   ★



 王都を包み込む混乱により、あらゆる予定は狂うことになった。それは私事であったり、公事であったりするのだが、その中の一つにハイネセンの予定も交ざっていた。

 つまり、王妃移送計画である。当初、王城正面から王妃であることがばれないように連れ出し、王都の外に移動する計画だったが、今回の混乱によって王城正面から出て人目につかないことが不可能になり、計画全体の変更を余儀なくされたのだ。


 そこから、ハイネセンは新たな計画を立てて、王妃の移送を完了させたかったのだが、今回の混乱の拡大により、そちら側の対処にも手を回さなければいけなくなり、新たな計画を立てることができないままに一週間が経とうとしていた。


 しかし、市民に何の説明もしないままにいられるのも限界であり、アマナの出産の時も近づいている中で、手を拱いている時間はない。ハイネセンはすぐにヨーデルとエミリーを呼び出し、新たな計画を立てた。

 そのために重要な役割を負うことになったのはハイネセンだった。


 正面からアマナを連れ出すことが不可能なら、裏から連れ出すしか方法はない。通用門の方なら城門前ほどの人はおらず、人目につかずに連れ出すこともできるかもしれない。

 しかし、この混乱の中ではいくら王城の裏とはいえ、人が全くいないわけではない。それらの人々にアマナの存在が見つかれば、そこから騒ぎが広がり、瞬く間にアマナは取り囲まれることになるだろう。そうなると、王都から連れ出すことが不可能になるどころか、暴動の一つの原因になるかもしれない。

 そうならないためには、裏にいる市民を移動させる理由が必要になる。それらの人々の注意を引く餌がなければいけない。


 その餌となるのがハイネセンだった。長らく沈黙を続けてきた王国が説明をすると言って、ハイネセンが城門前に集まった人々の前に出ることで、それらの注意は全てハイネセンに向くことになる。

 それはアマナを連れ出すだけの十分な時間となるはずだ。


 そのための行動を起こす日を今日と定め、ハイネセンは宰相室にて、ヨーデルとエミリーの二人と一緒に、計画の最終確認を行っていた。具体的にはハイネセンの行動から、裏からアマナを連れ出す方法までを詳細に確認した。

 今の王都の状況を考えるにこれが失敗すると次はない。ここで失敗することは許されない。その気持ちがハイネセン達を引き締め、確認は数度に亘って行われた。


 そして、最終確認を終え、これから計画を決行するための準備を行おうとしたところで、宰相室の扉がノックされた。内容が内容なので、衛兵にすら宰相室にしばらく近づかないように言っていたことから、その音にハイネセン達は酷く驚くことになる。


「だ、誰だ…?」


 早鐘を打つ心臓を落ちつかせながら、ハイネセンは深呼吸するように深く静かな声を出した。


「グスタフです。ここに司令官はいらっしゃるでしょうか?」


 ハイネセンがグスタフの来訪により驚きの目をヨーデルに向ける。すると、ヨーデルも同じように驚きの表情を向けており、二人が揃って驚いている状況に耐え切れなくなったようにエミリーがくつくつと笑い出した。

 グスタフは現在の騎士団をまとめる騎士団長を務めている男だ。ヴィンセントと同時期に騎士になったのだが、その性格はヴィンセントよりもブラゴの方が近く、非常に真面目な人物である。


「どういうことですか?」


 ハイネセンが声を潜めて聞くと、ヨーデルはかぶりを振った。


「分かりません。そもそも、私がここに来ていることを教えていませんから」

「では、適当に誤魔化して追い返しましょうか?」

「いえ、もしかしたら、目撃されていたのかもしれません。そうなると余計に怪しまれることになります」

「見られてまずいものがあるわけでもないのだから、中に入れるくらいはいいんじゃないですか?」


 エミリーが悩む二人に呆れ果てたような顔をしながら、そう提案してきた。確かにグスタフの意図が分からない以上は下手に追い返すことはできない。何かを隠していることを悟られ、怪しまれることで計画に支障が出ないとも限らない。


「入れ」


 ハイネセンが扉に向かって声をかけると、グスタフが神妙な面持ちで部屋に入ってきた。部屋の中にヨーデルの姿を見つけるなり、軽く頭を下げている。


「用件は何だ?」

「司令官に兵士の指揮をお願い致したく存じます」

「すまないが、今は……」

「王妃殿下に関するお話ですよね?」


 咄嗟の出来事にヨーデルはすぐ対応していたが、ハイネセンとエミリーは対応することが難しく、あからさまに驚きが表情に出ていた。グスタフはそれで答えを悟ったに違いない。それ以上の言葉を必要としていないようだった。


「どうして、そのことを?」


 既に隠すことは不可能であると悟ったことで、ハイネセンは開き直って聞くことにした。グスタフは眉すら動かさずに淡々と返答してくる。


「あくまで想像でしかありませんでしたが、この部屋に入った段階で確信しました」


 そこでハイネセンは隣に立っている人物の顔を見ることになった。

 ヨーデルが宰相室にいることに違和感はないが、エミリーは違う。医師であるエミリーが宰相室を訪れることは基本的になく、あるとすれば医師として重要な役割を負うことになる場合だけだ。

 そして、現在の状況の中ではそれも想像に容易いことである。ハイネセンは今の今まで、そのことに気づいていなかった。


「現在、王都全体に広がっている混乱は、兵士にも同じように広がっています。それら混乱の中にいる兵士をまとめることができるのは司令官だけなのです」


 グスタフはヨーデルに向かって深々と頭を下げた。


「どうか、お願い致します。兵士の指揮を執ってください」

「しかし、私には他に役目が……」

「それは私が行います」


 先ほどと反して、今度はヨーデルだけがその一言に驚きを隠すことができていなかった。グスタフの言葉の意味を考え、グスタフが何を理解しているのか考えているに違いない。

 しかし、それらのことをグスタフも分かっているようだった。ヨーデルが聞くよりも先に、頭を上げたグスタフが話し始める。


「司令官が我々に説明されないところを見るに、恐らく、王妃殿下の護衛を任されたのだと思います。それも、ただの護衛ではなく、命を懸けた、もしくは既に命を失うことが決まっているような護衛ではないでしょうか?」

「そこまで分かっていて、何故?」

「そこまで分かっているからこそです。司令官以外に今の兵士をまとめられるお方はおりません。ここで司令官がお亡くなりになれば、その時は今以上の混乱が王城を襲うことになるかもしれないのです。それを防ぐためには、司令官には生きていただかないといけないのです」


 ヨーデルは優しい男である。平和な世の中において、軍をまとめる人間として最適と言えるほどに、厳しさとは無縁の男である。それはともすれば甘さとも取れるのだが、その甘さをハイネセンは評価しているところがあった。


 しかし、その甘さが人を殺すこともある。ヨーデルはグスタフを殺したくないようだが、ここで自分を殺すことを選べば、グスタフの言っているようにそれ以上の人々が死ぬ混乱に繋がるかもしれない。不安定に陥った今の状況では、どのような可能性も否定できないのだ。

 それを考えると、ヨーデルの背中を押すのはハイネセンの役目であるような気がした。


「ここはグスタフの言う通りなのではないでしょうか?」

「宰相閣下、しかし…」

「貴方には貴方にしかできないことがある。それぞれの役割をそれぞれが果たさなければ、成せていたことも成せなくなるかもしれない。王妃殿下の護衛と兵士の指揮、今回の貴方の役割はどちらでしょうか?」


 ヨーデルは未だ悩み続けているようだった。眉間に深く入った皺はヨーデルの抱えた悩みの深さを表しているようだ。

 しばらく悩み、やがてヨーデルはグスタフに目を向ける。その目は酷く悲しげだが、確かな覚悟を決めたものだった。


「分かった。任せよう」

「ありがとうございます」


 グスタフはそう言いながらヨーデルに頭を下げた後、ハイネセンに向かっても深々と頭を下げてきた。

 これにより、アマナとエミリーの護衛をグスタフが務めることに決定し、ハイネセンは再び最終確認をすることになった。王妃移送計画を実行する数時間前の出来事である。

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