当日(2)

 十三時頃のことである。王城前に集う人々に対して声明が出された。それは一時間後の十四時頃に、王城にてハイネセンが今回の騒動に関する説明を行うというもので、声明自体に説明は含まれていなかった。

 これによって、騒ぎが深まる可能性をハイネセンは危惧していたようだが、実際のところは直接的な説明が行われることに多くの市民が納得したようで、寧ろ騒ぎは落ちつきを見せていた。

 ハイネセンはそのことに一度は安心したようだったが、十四時が迫るにつれて不安が増していったようで、護衛を務めることになったヨーデルに何度か「お願いします」と言っていた。あまりに回数が多いからか、最後の方はヨーデルも苦笑いを浮かべていた。


 それから十四時頃になって、ハイネセンが死地に向かうような面持ちで城門付近に現れる。護衛は先ほども述べた通りヨーデルと、数人の衛兵だ。

 それらを連れ、現れたハイネセンを出迎えた市民の数は、それまで王城前に集まっていた市民のそれより遥かに多かった。どうやら、ハイネセンが説明するという話が広まり、他の場所にいた市民の多くも集まってきたようだ。

 ハイネセンがそれらの市民の前に立ち、落ちつかせるように深呼吸を一つしてから、今回の騒動に関する説明を始める。


 その声が通用門の方にまで届いた時、アマナとエミリーを連れたグスタフが用意されていた馬車に乗り込もうとしていた。通用門付近にいた衛兵はハイネセンの護衛に回され、その代わりを別の衛兵が務めるとグスタフから説明を受け、既にその場を離れている。


 通用門付近にいた市民も城門の方に回っており、完全に人通りがないことを確認したところで、グスタフがアマナとエミリーを馬車に誘導していく。

 一度、馬車に乗り込んでしまえば王都の外に行くこと自体は難しくない。この騒動で王都から逃げ出す貴族も多く、馬車が王都の中を走っていること自体は珍しくないからだ。


 市民もそうだが、衛兵にも見つかるわけにはいかないので、まずはアマナから馬車に乗り込んでいく。身重のアマナを気遣いながら、エミリーが乗り込む手伝いをしている。

 この時のグスタフは馬車の周囲に意識を向け、誰かが近づいてきたら、すぐに動けるように警戒していた。


 アマナが馬車に乗り込んだところで、エミリーが乗り込もうとする。その途中でエミリーの動きが止まったのは、エミリーの身体の問題でも、アマナに何かが起こったわけでもない。

 御者台に座っていた御者が振り返り、アマナとエミリーにからである。


「王妃殿下ですよね?」


 その一声に驚き、アマナは言葉が出ないようだった。何せ、このような状況で御者を務める男が暢気にアマナに話しかけてくるとは思っていなかったのだ。それはエミリーも同じことであり、アマナと同じように一瞬の沈黙を作ってしまった。

 それでも、御者は気にしていないようで、すぐの次の言葉を向けてきた。


「貴方に子供を生まれては困るのです」


 この一言でエミリーはすぐに危険を察知した。


「王妃殿下!!」


 エミリーの一声に反応して、御者がアマナに向かって手を伸ばしてきていた。その手の中には鋭い煌めきが見て取れ、エミリーはそれがであることにすぐ気づいた。

 危ないという意識よりも先にエミリーがアマナに手を伸ばす。


 次の瞬間、エミリーの視界の中でアマナと剣が重なって見えた。



   ☆   ★   ☆   ★



 王都を包み込む混乱の数々は確実にパロールを責めていた。王国を批判する声はパロールを批判する声に聞こえ、その中に交ざっているパロールに対する誹謗中傷はパロールの心を抉った。

 それらの声は自室にいても微かに届き、そこから出ることができなくなった。一歩でも自室から出た瞬間、無防備に全ての声に晒され、全身に穴が開くような痛みを覚える気がして、パロールは酷く怖かったのだ。


 何かをするわけでもなく、ただ自室に引きこもり、自分の行った占術に対する後悔だけを積み上げていく。

 この混乱の原因は魔王であると、新聞に記事が載ったことを知った時点で、ラングが言ってくれたが、パロールはそう思っていなかった。


 そもそも、パロールが占術を行わなければ全ての混乱は起こらなかったのである。絶望に身を晒すことなく、何か悪いことが起きても知らないままに死ぬことができた。

 そこにパロールは絶望を落としたのだ。王都に混乱を引き起こし、数々の暴動を起こさせたのだ。

 本来は傷つく予定のなかった人々を傷つけた。そのことがパロールの心にまで、深い傷を作っていた。


「どうして…?」


 溜め息をつくように何度も同じ言葉が漏れていく。心の中で行われる自問自答の欠片が声となって零れているようだ。

 その声の何度目かを掻き消すように、部屋の中にノックの音が響いた。パロールは微かに顔を上げ、少し考えてから立ち上がる。


 この一週間ほど、パロールはほとんど部屋に引きこもっているが、その間に何度かラングが訪ねてきた。今回もそれであるだろうと思い、パロールは扉を開く。

 しかし、想定とは違い、そこにはラングの姿がなく、代わりに一人の衛兵が立っていた。想定していた姿と違うことにパロールは驚き、目と口を大きく開けてしまう。


「失礼します。パロール様ですね?」


 そのように確認されて、パロールはようやく我に返り、俯きながら数度うなずく。


「ヨーデル司令官の指示で、数人の方に安全な別室に移動してもらっているのですが、パロール様もそこに含まれていまして」

「移動ですか?どうして?」

「今回の騒ぎに関わった方は確実な安全が確保されるまで、お守りすることに決まったようなのです」


 パロールはその話を全く聞いていなかったが、特に疑う理由もなかったので、すぐに受け入れた。


「分かりました。移動します」

「それでは、私が案内しますので付いてきてください。その前に何か持っていくものとかありませんか?」


 衛兵にそう聞かれて、パロールは部屋の中に視線を戻した。この一週間ほど何もしていないので、そこに何か必要なものは置かれていない。ただ、いつかの研究の残りが中途半端なまま置かれているくらいだ。

 衛兵に視線を戻して、パロールはかぶりを振る。


「特にはないです」

「そうですか。ちなみに、部屋にはお一人ですか?」

「はい、そうです」


 パロールがそう答えたところで、不意に衛兵が浮かべていた笑みを消した。そのことにパロールが疑問を懐くよりも先に、衛兵の手が腰元に伸びる。

 その手がパロールの前に再び戻ってきた時、そこにはが握られていた。



   ☆   ★   ☆   ★



 魔王の力を封じる方法を探す合同研究の失敗により、そのために集めた資料の数々は既に無駄なものとなっていた。いつまでも、それを置いておくこともできず、ラングはガゼルやエルと一緒にその資料の片づけを始めていた。

 そこにはパロールの姿がなく、片づけを進めながら、話題はパロールのことになる。


「ラングさんって、パロールちゃんの部屋に行ってるんだよね?どんな様子なの?」

「自室に引きこもっていますね。どうやら、インク占いのことを責めているようです」

「パロールが原因でもないだろう」

「そう言ったけど、そうは思えないみたいだったよ」


 ガゼルやエルもパロールの性格は理解している。特にこの数ヶ月は一緒に研究を進めてきたのだから、その理解も深まってきている。


 パロールは簡単に責任を転嫁できないのだ。一度自分を責めたら、最後まで責めることしかできない。たとえ、それで自分を責め殺すことになっても、そうすることしかできないほどに不器用なのだ。

 だから、ラングも下手にこれ以上、何かを言おうとしなかった。特に今は状況も重なり、パロールが聞く耳を持たないことくらいは分かっている。


「まあ、今は何を言っても聞かないだろう。そっとしておこう」


 ガゼルの言葉にラングも賛成だった。賛成というよりも、それ以外にできることはない。エルもそのことは分かっているようで、小さくうなずいていた。


「エル」


 不意にガゼルに名前を呼ばれてエルが振り返ると、その前に十冊ほどの書物がどんと置かれていた。エルは目を丸くして、書物の一冊を手に取っている。


「これが何?」

「運べ。全部、テレンスの書庫にあった奴だ」

「え?俺が?」

「お前に言っているんだから、お前がに決まっているだろう?」

「いやいや!?何で当たり前みたいに俺が運ぶことになってるの!?師匠が運べばいいだろう!?」

「お前が一番若いんだから、お前が運べ」

「どんな理屈だよ!?」


 エルがごねにごねると、ガゼルは面倒臭そうに溜め息をついてから、自分の腰を軽く小突き出す。


「ああ~、身体が痛いな~。重いものとか運べないな~」

「わざとらしいんだよ!!第一、この前は年寄り扱いしたら怒ったじゃないか!?年寄り扱いされたいのか、されたくないのか、はっきりしろよ!!」

「臨機応変に対応せよ」

「できない上司みたいなこと言い出した!?」


 ガゼルとエルが師弟で書物の押しつけ合いをしている間に、ラングが書物を手に取った。この様子では、片づけられるものも一生片づかないと思ったのだ。

 それに気づいたエルが驚いた顔でラングを見てくる。


「ちょっとラングさん。持たなくていいよ。師匠にやらせるから」

「いや、でも、このままだと片づきませんから」

「ほら、お前が持っていかないから」

「何で俺に全責任を押しつけてるんだよ!?」


 再び睨み合い始めたガゼルとエルを見て、ラングは微笑ましい気持ちになる。王都は混乱に包まれ、パロールは塞ぎ込んでしまったが、この空気に触れることで、きっと元気が出るに違いないと思えた。


 それから、ガゼルとのやり取りが不毛であることにようやく気づいたのか、エルもラングと一緒に書物を運び始めた。数冊の書物を持って、自室とテレンスの書庫を往復する。


「あ~、重い。何でこんなに借りたんだろう?必要なくなった本は先に返しておけば良かった…」


 エルの零した愚痴を聞き、ラングも同じことを思って苦笑いを浮かべる。


 テレンスの書庫につくと、持ち出す前と同じ状態になるように気をつけながら、書物を並べていく。テレンスは書物の整理も好きだから、そのようなことを気にしないと思うのだが、だからといって、適当に並べられるほどにラングは無神経な性格をしていなかった。


 そして、書物を並べ終えてから、ガゼルの待つ部屋に戻ったところで、ラングが窓の外に何かを見つけた。思わず立ち止まり、窓の外を指差して、子供のように声を出す。


「あれは何だろう?」


 ラングの一言にエルが反応し、ラングの指差す何かを見つけたようで、窓に近づいてから目を凝らしている。


「何かが近づいてきているね」

「確認しよう」


 ガゼルがエルの隣に立って、その視線の先にある何かを望遠魔術で見ようとする。手の中に術式を作り出し、そこにある何かを確認した瞬間、ラングが見ていて分かるほどに分かりやすく、その表情を変えた。


「あれは…」


 そう呟いた声と共に、ガゼルは額に汗を浮かべていた。

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