7ヶ月前~1週間前(6)

 数週間ほど前から、ハイネセンの来訪が引き金となって、アステラの表情が曇ることが多々あった。それはハイネセンの来訪により齎されるかもしれない、非常なる決断に怯えているからだろう。ハイネセンの来訪が別の用件によるものであることが分かった瞬間、その表情は糸が弛むように柔らかくなってから、取り繕うように国王としての威厳を表情に作り出していた。


 そして、その時もアステラはハイネセンの来訪によって、その表情を曇らせていた。いつもであれば、ここからハイネセンがアステラの考えていた話とは違う話をして、その表情を弛ませるところだが、今日はそういかない。

 ハイネセンは既に決めていた覚悟を糧に、今回の来訪の理由を表す最適な言葉を口に出す。


「魔王の力を封じる方法ですが、見つかりませんでした」


 既に決定したこととして語られる言葉に、アステラとアマナは動揺を隠せていなかった。立場的に不用意に感情を出すことは好ましくない二人だが、この時だけはハイネセンも目を瞑った。

 アステラにとって最愛の人の、アマナにとって自分自身の命がなくなるかもしれないという話だ。それを動揺するなという方が無理な話である。


 しかし、アステラは国王であり、アマナはその王妃である。二人の動揺はすぐに表情の奥底に隠された。すぐにハイネセンの言葉の先にある事柄を理解し、アマナが軽くうなずいてみせた。


「分かりました。王都を離れる準備をしましょう」


 自分が死ぬかもしれないというのに、アマナは気丈にそう言った。それは王妃として、生まれてくる子供の母親として、精一杯の強がりだったに違いない。

 事実、アマナの手は軽く震えていた。その震えを止めるために、アマナはもう片方の手で自分の手を押さえようとしているが、その手も震えていて、結局震えは隠せていない。


 それに気づいたアステラがアマナの手に自らの手を重ねた。少し驚いた顔をして、アマナがアステラに目を向けると、アステラは毛布のように、柔らかに包み込むような笑みを浮かべていた。

 その笑顔と重ねられた手の温もりに、アマナの恐怖も少しは和らいだようで、アマナの表情も少し柔らかくなったように見えた。その表情にハイネセンも少しだけだが、心の中の蟠りのようなものが和らぐ。


「それでは、これから私の方で準備を整えたいと思います」

「ああ、頼んだ」


 アステラの一言に頭を下げ、ハイネセンは部屋を出る。それから、しばらくの間だけ、この部屋の近くに人が近づかないように手配した。

 だから、そこからのアステラとアマナの様子を知る者は当人達しかいない。



   ☆   ★   ☆   ★



 アステラとアマナへの報告を済ませたハイネセンは次の行動として、ヨーデルとエミリーを自室に呼び出した。

 エミリーはアマナの出産に立ち会う産婆として、アマナと行動を共にしてもらう必要があった。それは魔王が誕生した際に、アマナと一緒に命を失うことになるかもしれない役割だ。

 エアリエル王国軍の現最高司令官であるヨーデルには、アマナを王都の外に連れ出す際の護衛を頼む必要があった。アマナを守護するに値する力量を持ち、秘密を守ることのできる人物となると限られてくる。更にアマナやエミリーと同じく、魔王が誕生した際には命を失うことになるかもしれない役割だ。


 それらの役割を頼むために、ハイネセンは二人を宰相室に呼び出したところで、ここまでの経緯を説明し始めた。


「数ヶ月前のことです。国家魔術師のパロールが占いによって、いくつかの未来を予測しました。それらはあくまで占いだったのですが、その一つである王妃殿下のご懐妊が的中したことにより話が変わります」

「ちょっと待ってください、宰相閣下。急に何の話ですか?」


 部屋に呼び出され、想像もしていなかった話を聞かされ始めたことにより、エミリーは困惑している様子だった。ヨーデルは表情にこそ出さないが、不可思議に思っているに違いない。


「順を追って説明するので聞いてください。問題は他の結果です。それは生まれてくる子供の詳細に関するものでした。子供の性別と、その子供の性質を予測したものだったのです」

「性質、とは?」

「その子供は魔王だと言うのです」


 そこでエミリーだけでなく、ヨーデルも表情を変えた。流石に魔王という名前を聞けば、動揺を隠すことは難しくなるようだ。ハイネセンからすると、その変化も想定していたものだったので、気にせずに話を続ける。


「問題はこの魔王の脅威なのですが、四人の国家魔術師による調査の結果、誕生した際に都市を滅ぼすほどの暴走を起こすことが判明しました」

「それはつまり、生まれてくる子供が魔王だった場合、この王都は滅びると?」

「そういうことになります」


 既にヨーデルは動揺を表情の下に隠していた。もしかしたら、ここまでの説明を聞いただけで、ハイネセンの話そうとしていることについて、ある程度の予測が立ったのかもしれない。

 ヨーデルと違って、エミリーの動揺は更に深まっているようだ。その表情を見るに、動揺を隠すという行動すら忘れているに違いない。


「それを防ぐために、四人の国家魔術師により魔王の力を封じる方法が検討されました」

「それが噂になっていた例の話ですね?」

「はい、そうです」

「しかし、失敗したと?」

「やはり、ヨーデル殿は既に気づかれているようですね」


 ヨーデルはその言葉を肯定することも否定することもなかった。ただ黙ることで、ハイネセンに続きを話すように促しているようだ。


「この王国に残された唯一の手段は、王妃殿下をこの王都から連れ出すことだけになりました。そうすることで、仮に魔王が生まれても、この王都は滅びることなく済む、と」


 そこまで説明したことで、エミリーの方も自分が呼び出された理由を悟ったようだった。ハイネセンが続きを話し出すよりも先に、エミリーの方から切り出される。


「分かった。それで王妃殿下と死ぬことになるかもしれないけど、産婆を引き受けて欲しいってことですね?」

「そういうことになります」

「王妃殿下はこのことを?」

「はい。既にお話ししました」

「それなら、私は引き受けますよ。どうせ、老いた身だ。王家の赤子を取り上げるだけでなく、この王都を守って死ねるって言うなら本望ですよ」


 エミリーは少女のように屈託のない笑みを浮かべて、胸を張っていた。その強さにハイネセンは救われる思いだった。


「私も護衛でしたら引き受けますよ。騎士を退いた身ですが、王室を守護することは私の生涯の仕事だと思っています。王妃殿下を護衛するのは、当たり前のことです」


 ヨーデルの揺るぎない信念に触れ、ハイネセンはともすれば涙を流しそうだった。このような人達と、このような人達に慕われるアマナを失うかもしれないと思うと、非常に残念で仕方ない。自分が死んで助かるというのなら、今すぐにも命を差し出すというのに、それができないことが歯痒い。


 少しの間だけ涙を堪えてから、ハイネセンはアマナを連れ出す方法をヨーデルと一緒に考えようとしていた。王城の正面から、こっそりと連れ出す予定だが、万が一にも見つかれば、子供が生まれることを祝福している市民に囲まれ、アマナを王都の外に連れ出すことは難しくなるかもしれない。

 できるだけ、安全にアマナを連れ出すために、最適な方法や順路をヨーデルと一緒に見つけ出そうとハイネセンは考えていた。


 しかし、その前に宰相室を訪れる人がいた。数度のノックが慌ただしく続き、ハイネセンが促すと同時に飛び込んでくる。

 それは王城に勤務する衛兵の一人だった。


「どうしたんだ?」


 重要な話をしようとしていたハイネセンからすると、非常にタイミングが悪いこともあり、少しばかり機嫌を悪くして、そのように聞くと、衛兵は荒れた息を整えてから、非常に慌てた口調でこう言った。


「新聞に殿が載りまして、王都中に動揺が広がっております」


 それはハイネセンにとっても、一切想定していない非常事態の知らせだった。

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