8ヶ月前(3)

 王妃懐妊に対する祝福は王城内の隅々まで浸透していた。それはパロールを責め立てているようで、王城内を歩けば歩くほどに、パロールは居心地が悪くなっていた。

 このまま、この王城内を歩いていると、身体の芯まで暗くなってしまう。そんな気がして、パロールはだんだんと怖ろしくなる。根まで腐ってしまっては回復することがない。

 パロールの足は逃げるように通用門の方に向かっていた。この責め立ててくる祝福が届かないところに行きたいと心は強く願っている。


 しかし、その願いは叶いそうになかった。通用門を抜け、王都の街まで出たところで、パロールは王妃懐妊の一報を聞き、祝福している王都の人々を見ることになったのだ。

 考えてみれば、王城内に広まっている王妃懐妊の一報が王都にまで広まっていることは、酷く当たり前のことだった。その当たり前が分からないパロールではないが、この時はそんなところまで考えられていなかったのだ。


 行き交う人々が希望に満ちた楽しげな話をしている。生まれてくる子供がどのような子供であるのか、それによって王国がどうなるのか、話の内容に差異はあるが、どの話も明るい将来を想像したものであることに変わりはない。

 それらの話が耳に届く度、パロールの頭の中を三行の文字が過っていった。特に三行目に記された魔王の文字が色濃く残る。

 あくまで占いであると呪文のように呟いてから、パロールは王都の街の中を歩き出す。少しでも、この鬱屈した気分が晴れるように願いながら、足を進める。


 しかし、湧いてくる不安は簡単に振り払えないほどに、パロールの心に絡みついていた。王都の街中から聞こえてくる祝福の数々が少しずつ、毒のようにパロールの心を更に鬱屈したものに変えていく。

 苦しい。息が苦しい。いっそのこと、何もかもをぶちまけて、全てから本当に責め立てられた方が楽だ。そう思えるくらいに、パロールの心は沈み込んでいた。


 吐き気を催すほどの不安に襲われながら、やがてパロールは幻聴を聞く。


「パロールちゃん」


 そうやって自分を呼ぶ声に襲われ、パロールは耳を塞ごうとした。そうしないと、その声がパロールを責め立ててくるような気がして、心の底から怖くなったのだ。

 しかし、その前にパロールの肩が掴まれた。もう一度、自分の名前を呼ぶ声がして、パロールはようやく振り返る。


「パロールちゃん?」


 不思議そうな顔をして、パロールの顔を覗き込もうとしているケンジーがそこにいた。


「ケンジーさん?」

「大丈夫?何度も名前を呼んだんだけど、聞こえてなかったみたいだね?」

「ごめんなさい。少し考えごとをしていて」

「いいけど、あまり考えながら歩いていると危ないよ」


 優しく注意をしながら、ケンジーの表情が明るい笑顔に変わったところで、パロールの直感が警告してきた。これは非常に嫌な予感がする。


「そうだ、聞いたよ。王妃殿下がご懐妊されたそうじゃないか」


 その言葉を聞いた瞬間、パロールはうまく笑えているのか分からなくなった。できるだけの笑顔を浮かべようとしてみるが、顔の筋肉が強張っているようでうまく行かない。


「ええ、そうですね」

「おめでたいね。最近は街でも、その話題で持ち切りだよ」

「みたいですね」


 パロールの頭はあまり働かず、返答とようやく呼べる程度の返答を生み出すのが精一杯だった。それ以上に頭の中で反芻されるのが、ケンジーが何気なく口に出した一言だ。


「おめでたいね」


 その一言がパロールの心に酷く引っかかった。


『本当におめでたいの?』


 その言葉が口から出そうになって、パロールは慌てて飲み込む。


『生まれてくる子供は魔王かもしれないのに、それって本当におめでたいことなの?魔王って分かっても、みんなは同じように祝福できるの?』


 そうやって思えば思うほどに、パロールの頭の中で嫌な予感が生まれていく。生まれてくる子供が魔王だった時に、ここにいる人達がするかもしれない行動の数々が頭の中を過っていく。


 未知なる存在である魔王について、分からないから怖いという理由で、ここにいる人達はどのような行動も取れるに違いない。それがどんなに非人道的な行為でも、躊躇うことなどしないだろう。

 そうなった時、この王都はもう二度と元の王都には戻らない。何せ、根まで腐ってしまっては回復することがないのだから。


 そのことがとても怖ろしく、理容室に戻るケンジーの別れの挨拶も聞こえないほどに、パロールは自分の行った占術の結果を考えてしまっていた。

 結局、鬱屈した気分は深まるばかりで晴れる気配がなかった。



   ☆   ★   ☆   ★



 ガゼルの呼びかけにラングは応じていたが、その様子は見て分かるほどにおかしかった。やはり、何かを隠しているに違いないとエルでも思えるほどなのだから、ガゼルが分からないはずがない。

 そう思うのだが、ガゼルはその様子のおかしさを追及する気配がないままに、本題にいきなり入るようだった。


「さっきパロールと逢ったんだが、どうにも様子がおかしいんだ。お前は何か知っていないか?」

「パロールの様子が変?」


 そう聞き返しながらも、ラングの表情に大きな変化は見えない。パロールの様子がおかしいことくらいは普通だと冷たく考えているのか、そもそも知っていて驚いていないのか分からないが、普段のラングから考えられる反応ではないことは確かだ。


「ちょっと覚えがないな。研究に悩んでいるとかじゃないのかな?」

「そうか。ところで、お前は何をしてたんだ?」

「少し用事で宰相閣下のところに行っていただけだよ」

「用事?」

「ちょっと次の研究に関することだよ。大したことじゃない」


 あまり大きな用事ではないと念を押すように言ってくる姿を見て、エルは違和感を覚えた。ラングは明らかに何かを隠している。そのことだけは確信できる。

 しかし、ガゼルはそれ以上を追及する気配がなかった。


「そうか、分かった。呼び止めて悪かったな」

「じゃあ、すまないが先を急ぐので、失礼するよ」


 ラングは解放されるなり、すぐにその場を立ち去ってしまう。エルは一応、その姿を黙って見送ってから、ガゼルに目を向けた。


「どうして、もっと追及しないんだよ?明らかに何かを隠してたよね?」

「あのラングが隠すくらいだ。何か理由があるのだろう。あれ以上聞いても、絶対に話すことはない」

「そういうこと?」

「それより、宰相閣下のところに向かおう」

「え?何で?」

「ラングの用事は明らかに何かある様子だった。それを聞き出せれば、何を隠しているのか分かることだ」


 確かに話す素振りを見せないラングから話を聞くよりも、話す可能性のあるハイネセンから話を聞いた方が可能性は高いのかもしれない。

 しかし、ハイネセンも話すとはかぎらない以上は、何かが絶対に分かるとは言い切れない。何より、隠していることを絶対に知らないといけないわけではない。


「一応、やめるっていう手もあるけど」

「パロールの様子とラングが隠していることを考えても、お前はそう思うのか?」

「前言撤回」


 エルはすぐさま、そう答えていた。はっきりと言ってしまえば非常に気になる。それは好奇心もそうだが、それ以上に隠されていることが重大なことのような気がして、不安も伴っているからだ。


「じゃあ、行こうか」

「ああ」


 エルとガゼルはハイネセンの部屋に向かって歩き出す。その途中になって、ラングは何を急いでいたのだろうかと、少しだけエルは考えた。



   ☆   ★   ☆   ★



 廊下を小走りで移動しながら、ラングはさっきの会話を思い出していた。うまく誤魔化せたとは思えない。表情を作るだけの余裕はなかったし、返答だって真面とは言えなかった。ガゼルがただ必要以上に追及してこなかったから、何も露呈しなかっただけであり、本来であるなら、隠しているものの正体まで晒すことになっていたはずだ。

 ガゼルが追及してこなかった理由は分からないが、今はそれを考える余裕がない。それよりも急いでパロールを追いかけないと、取り返しのつかない事態になるかもしれない。


 通用門まで移動して、王都の街に出ようとしたところで、ラングはとぼとぼと歩いてくるパロールの姿を見つけた。


「パロール」


 ラングの呼び声に反応して、顔を上げたパロールの表情は、酷く暗いものだった。王妃懐妊の一報が街まで広まっていることは知っている。パロールのその暗い表情を見ているだけで、王都の街でパロールが見てきたものは想像できた。


「師匠…」

「そんな顔をしないでいい。大丈夫だから。まだ一つ目が当たっただけで、他の二つも当たっているとはかぎらないよ。何より、ただの占いでそんなに深刻になることもない」

「そうですよね。そうなんです。それは分かっているんです」


 パロールの声はとても小さく、とても弱々しかった。頭では理解できていても、気持ちとして受け止めることができないのだろう。

 何も確定していないという慰めの言葉は、同時に肯定の言葉のようにも思えてしまうのだろう。何も確定していないのだから、それらが当たっていても不思議ではないと考えてしまうに違いない。


「パロールの占いのことを話してきたよ。宰相閣下も同じことを仰っていた。ただの占いで人々を混乱させる必要はないから、口外しないように言われたよ」

「そうですよね。ただの占いなのだから、何も深く考える必要なんてないですよね」


 自分に言い聞かせるように小さくうなずきながらも、パロールの表情は変わる気配がなかった。結局、ラングの言葉ではパロールを本当に安心させることはできないのかもしれない。


 どうしようもないこともそうだが、どうしようもないことを受け入れている自分に、ラングは少しばかりの怒りを懐いていた。もう少し、何かができれば良かったのかもしれない。そう思っても、ラングには何をしたらいいのか分からない。

 その隣で、パロールが密かに決心していた。それもラングには分からないことだった。

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