8ヶ月前(2)

 王政国家に於ける主権者はその国の支配者である。王国においては国王、帝国においては皇帝が支配者であり、それらの支配者が国政を執り行っている。

 しかし、それら支配者もただの人間である以上は限界がある。複雑な国政の全てを把握し、最善を選んでいくことは難しい。

 その時に補佐する役目を負っているのが宰相である。


 パロールの占術のことを代わりに話すと言ったラングはその足で、エアリエル王国の宰相であるハイネセンのいる部屋を訪れていた。ラングが扉をノックし、ラングであることを名乗ると、ハイネセンが中に入るように促してくる。


 扉を開いた先にあるテーブルにつき、ハイネセンは難しい顔をしていた。少し小太りの丸い顔には、複雑な皺が寄っている。

 それはテーブルの上に置かれた数々の書類ではなく、ラングに向けられているようだった。


「どうしたのですか?ラング殿がわざわざ訪ねてくるなんて」

「実は少しお話ししたいことがありまして」


 ラングがそう切り出すと、ハイネセンの表情は更に険しくなる。ラングが宰相室を訪れるという滅多にないことに、何かしらの不穏さを感じているようだ。


「王妃殿下のご懐妊により、急な職務が溜まっていますので、少しであれば聞きますが?」

「その王妃殿下のご懐妊も関わる話なのです」


 その一言が最終的な引き金となったようで、いよいよハイネセンが溜め息をついた。明るい話題を暗く話すラングを見て、話が不穏であると確信したようだ。


「どうぞ、話してください」

「これを見てください」


 ラングはハイネセンの目の前に一枚の紙を置く。そこには、パロールの行ったインク占いの結果が書かれている。

 ハイネセンはその紙を手に取り、怪訝げに眉を顰めた。


「これは何ですか?」

「数ヶ月前にパロールが行ったインク占いの結果です。あくまで占いなので、そこに書かれていることを基本的に気にする必要はないのですが……」

「一つ目が的中してしまった」

「そういうことです」

「これはまさか…」


 パロールのインク占いに関する研究の際には、ハイネセンもその結果の確認に関わっている。インク占いの的中率が格段に上がる方法があることを知っており、そのことが頭を過ったのだとラングはすぐに分かった。

 ラングは肯定の意思を示すために首を縦に振る。それを見たハイネセンの表情が険しくなるのも必然だった。


「二つ目、三つ目も的中している可能性が高いのですね」


 そう言いながら、ハイネセンは三行目に書かれた魔王の文字を指でなぞる。


「この魔王はあの竜と並んで語られる魔王ですか?」

「はい。その魔王だと思います」

「エアリエル王国が関わったから、竜に対する知識はある程度ありますが、この魔王について私はあまり知りません。わざわざ警戒しなければいけないような存在なのですか?」

「具体的なところは一度調べてみないと分かりませんが、魔王の存在よりも魔王がエアリエル王国の王室に生まれるかもしれないという点が一番の問題だと思っています」


 ラングの考えていることをすぐに察したか、ラングと話しながらその可能性まで考えていたのか分からないが、ハイネセンは驚いたり、疑問に思う素振りを見せたりせず、ただ黙ってうなずいてから口を開いた。


「他国から見た時のエアリエル王国の印象は大きく変わるでしょう。それでどのような摩擦が生まれるか、想像するに難くありません」

「ですので、報告しておいた方が良いかと思いまして…」

「では、ラング殿。一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 その瞬間、急にハイネセンの声色が変わったことにラングは驚いた。ラングを見つめる目も、非常に鋭いものに変わっている。


「魔王が生まれてくるとして、私達にできる対処とは何ですか?」

「対処ですか?」

「魔王が生まれてきては問題になるのなら、その対処は一つしかありませんよね?」


 そこに至って、ようやくラングは自分の行動の無意味さに気づいた。ハイネセンが言おうとしていることは報告した先に待っている最悪の未来だ。


 魔王が実際に生まれてくるかどうか分からないが、仮に生まれてきたとして、そこに対処法は存在しない。あるとすれば、魔王が生まれてこないようにすること。

 それはつまり、まだ腹の中にいる赤子を殺すということだ。それは王族であるかどうかなど関係なく、倫理的に許されない行動である。


「何より、これが占いである以上は、この結果も不確定なものです。その不確定な情報により、生まれてくる予定だった新たな王族を殺したとなると、エアリエル王国の立場はどちらにしても悪くなります。それは魔王が生まれてくる未来と変わらないことでしょう」

「申し訳ありません。このような報告をして」

「いえ、ラング殿が謝られることではありません。聞いておいた方が良かったことではありますから。ただ問題なのは、それに対する政府の対応策がない点です。後は占いが外れることを祈るばかりですね」

「そうですね。そうなってくれると嬉しいのですが」

「それから、ラング殿。このことは口外しないようにお願いします。あくまで占いであることと明確な対処法がないことから、広まってしまうと騒ぎになるのは目に見えていますから」

「大丈夫です。分かっています」

「それでは以上でよろしいでしょうか?」

「はい。お忙しい中、申し訳ありませんでした」


 ラングはハイネセンに向かって頭を下げる。それから、部屋を出ようとしたところで、一つだけ気になることに気づいた。


「最後に一つだけよろしいですか?」

「何ですか?」

「このことは陛下と王妃殿下にお話になられるのですか?」

「王妃殿下の体調もありますから、現時点でお話しする予定はありません」

「つまり、王妃殿下は仮に生まれる子が魔王であったとしても、知らずにご出産されるということですか?」

「そうならないように時期を見て私の方からお話しします」

「どうやら、宰相閣下のお仕事を増やしてしまったようですね」

「元から多いので、今更一つくらいは気にしませんよ。それより、パロールの方を気にかけてあげてください。彼女が一番辛いはずです」

「はい。分かりました」


 ラングが部屋を後にし、扉が閉じようとした直前に、部屋の中からハイネセンの溜め息が聞こえてきた。その音を聞きながら、ラングはハイネセンの下した決断のことを考える。


 ハイネセンの言っていたことは分からないでもない。確かに対処法がない時点で、公表しても混乱を招く結果になるだけだ。その部分は納得している。


 しかし、本当にそれでいいのだろうか。対処法がないことを理由に、未知なる魔王の力を放置してしまっていいのだろうか。もっと自分にできることがあるのではないだろうか。


 宰相室から離れるように廊下を歩きながら、ラングの頭の中では同じ考えが堂々巡りしていた。結局、考える程度のことで変わるような話ではない。そのことは分かっているのだが、分かっているからこそ、思考は堂々巡りしている。


 首が疲れたのか、頭が疲れたのか、ラングの意識が堂々巡りする思考から逃れるように、一瞬だけ窓の外に目を向けた。王城の裏に位置する通用門がそこから見える。

 そこに向かって歩いている背中が目に飛び込んできた。ラングの記憶が確かなら、その背中は良く覚えのあるものだ。


「パロール…?」


 ラングがついつい、そう呟いてしまうほどに、そこを歩いているパロールの背中は力なげに縮こまっているように見えた。通用門を通って王城を出ようとしているが、本当に出してしまっていいのか不安に思うほどに、その背中は弱々しい。


 あのパロールを一人にしていてはいけない気がして、ラングはパロールを追いかけるために、通用門の方に向かおうと思った。再び廊下を歩き出そうとする。


「ラング」


 そう名前を呼ぶ声が背後から聞こえ、動き出そうとしていたラングの足は自然と止まる。振り返ってみると、そこにはガゼルとエルが立っている。


「少しいいか?」


 そう聞いてきたガゼルの声は、いつもよりも少し低く聞こえた。

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