最終日(15)

 ベルの隣で躓き、転びそうになっていたその人物は、地面に身体をぶつける直前になって、大きく前に踏み出していた。その先には今にも歩き出そうとしていたアスマがいて、その距離を詰めながら、大きく片手を振るっている。

 その動きに逸早く気づいたのがベルだった。ベルは咄嗟にアスマの身体を自分の方に引っ張る。歩き出そうとしていたアスマは大きくバランスを崩して、ほとんど転ぶような形でベルの方に近づいてくる。


 そして、振るわれた手がアスマの胸の前を横切った。その手はアスマの胸元に触れていないが、アスマの胸元に横切った跡を残していく。アスマの着ていた服を横一文字に


「えっ…!?」


 アスマの口から驚きの声が漏れた時、ようやく周囲の人達も事態を飲み込めたようだった。その視線はアスマの前を横切った手に集まり、そこに握られたを認識する。

 ナイフを握ったその人物は、アスマが無事だったことを確認し、悔しそうに舌打ちをしていた。自らに集まった視線に警戒しながら、未だアスマを狙っている瞳に、事態を知っていた人達は必然的に真実に辿りつくことになった。


「どうして…?」


 そう呟いたのはギルバートだった。ただし、そう呟いたところで答えは返ってこない。


 ナイフを持ったは主人であるギルバートに何も答えない。


 代わりにタリアは動き出していた。その寸前に動き出していたウィリアムの動きに合わせる形でアスマに向かって走っていく。ウィリアムはタリアを拘束するために動き出したようだったが、残念なことにウィリアムとタリアの距離より、タリアとアスマの距離の方が近かった。ウィリアムが咄嗟に叫ぶ。


「お逃げください!?」


 その言葉をアスマは聞いていたはずだが、一切動く気配がなかった。恐らく、アスマの脳で処理できないくらいの出来事が起こり、咄嗟に動くことができなくなっているのだ。タリアが自分を殺そうとしている事実はアスマにとっても衝撃だったはずだから、そのことはすぐに分かった。

 タリアのナイフは無情にアスマに向かっていた。それを途中から止めることはできそうにない。そう悟ったはずのウィリアムも、諦めるという選択肢を選べるわけもなく、そこから更に加速していた。それでも、タリアには届かない。


 やがて、タリアの身体がアスマの身体にぶつかった。少なくとも、傍から見るとそう見えたに違いない。


 ゆっくりと離れていくタリアは赤く染まったナイフを手に持っていた。その表情は強張り、自分がさっきまで触れていたその人物の顔を見つめている。そこまで見ることはできたが、その先を見るよりも先に、の視線は空を見ていた。


「ベル!?」


 アスマの叫び声が耳に響いた。その声を聞きながら、ベルは自分の腹部に手を伸ばし、そこが濡れていることを確認する。そこから感じる鋭い痛みはベルの意識を奪うように身体を襲い続けている。


 。そのことを実感しながら、ベルは一度意識を手放していった。



   ☆   ★   ☆   ★



 ウィリアムがタリアの身体を拘束することは容易だった。力の差もそうだが、想像以上に抵抗が少なかったからだ。その手からナイフを奪うとウィリアムは周囲に目を向け、近くに立っていたキャロルとスージーを指差す。


「そこの二人。アスラ殿下とアスマ殿下をお守りしろ」


 ウィリアムからの命令に二人はすぐにうなずき、キャロルがアスラに、スージーがアスマのところに向かっていく。

 その姿を確認してから、ウィリアムは一度ギルバートを見ていた。さっきの反応から可能性は少なく、タリアの正体はウィリアムも知っているもので間違いないはずだが、一応はギルバートがタリアに指示した可能性があったからだ。


 しかし、それはやはり考え過ぎだったようで、ギルバートは動揺した顔のまま、慌ててベルに近づいていた。腹部から血を流しながら、仰向けで倒れているベルに、必死に声をかけつづけるアスマと一緒になって、ギルバートも声をかけ始めている。


「ベル!?ベル!?」

「ベルさん!?」

「ベルさん!?」


 そこに駆け寄ったスージーも加わっていた。それらの声を聞いたことで、ベルはゆっくりと瞼を開き、自分に声をかけてくるアスマの手を掴んでいる。


「うるさい…そんなに叫ぶな…」

「ベル…?」

「お前はだろうが」


 アスマに向かってそう言ってから、ベルはギルバートとスージーに目を向けていた。ギルバートとスージーは酷く驚いた目をベルに向けている。


「二人共、私は大丈夫だから…」

「大丈夫って…こんなに傷が深くて、血が出ていて、大丈夫なわけが…!?」


 叫ぼうとしたギルバートの口を押さえて、ベルは苦しそうな笑顔を作った。その間に起きている変化に、ギルバートやスージーも気づいたようだ。


「えっ…!?傷が…!?」

…!?」

「だから、大丈夫なんだ…どんな傷でも…私は死なない…んだ…私はだから…」


 ベルのどこか悲しげで、とても苦しそうな笑顔を見て、ギルバートやスージーは安堵と困惑の混じった表情をしていた。その様子を見てなのか、不意にウィリアムの手の中で拘束しているタリアが力を抜いた気がした。


「……かった…」


 タリアが何かを呟く声は聞こえてきたが、何と呟いたかウィリアムは聞き取ることができなかった。



   ☆   ★   ☆   ★



 エアリエル王国の南部にという村がある。そこは世界的にも有名な小人ばかりが住む村だった。ベルことベルフィーユもその村に住んでいた。その村で結婚し、子供を産み、他の小人と同じ人生を歩んでいた。

 その人生にある日、唐突にが訪れた。そのきっかけはがリリパットを訪れたことだ。その男が行ったにベルは巻き込まれてしまった。


 その結果、ベルの身体は変わり果ててしまった。どれだけの致命傷を負おうが、どれだけベルの意識が遠退こうが、死する前に傷を治してしまう圧倒的な回復力と、そこから来る不死身性を持ったになってしまっていた。


 小人でもない、人間でもない、他の生物の何とも違う身体に、ベルは絶望した。誰とも一緒にいられないと思い、ベルは村を出て、一人で生きていくことを選んだ。

 そして、ベルはを見つけた時、ようやく居場所を見つけられた気がした。と出逢うことで、自分が誰かと一緒にいてもいいと思えたのだ。


 そんなことを思い出したのは、腹部にできた傷がベルの脳に死する幻影を見せたからだと、ベルは思った。走馬灯のように思い出したのは、リリパットを出てから王都にやってくるまでの出来事のことだ。あの頃はベルにとって、語ることも嫌になるほどの暗い時間だった。

 本当にアスマと出逢って良かったと改めて思ってしまい、ベルは密かに赤面する。腹部の傷も粗方塞がり、痛みこそまだあるが血はもう流れていない状態になっていた。


「不死身…?」


 ギルバートやスージーが自分を驚いた顔で見る姿を見て、ベルはどんな表情をしたらいいのか分からなかった。ゆっくりと立ち上がりながら、苦笑いだけ浮かべる。もしかしたら、と嫌な予感が頭から消えなかった。

 もしかしたら、化け物と罵られるかもしれない。それはベルが何度も聞いたことのある言葉だから。ベルの頭から離れてくれない言葉だから。


「よ、良かった…」


 だから、そう聞こえてきた時、ベルは驚きを隠せなかった。本当に心の底から安堵した顔をしているギルバートとスージーを見て、ベルは油断したら泣きそうになっていた。アスマやシドラス達が受け入れてくれた事例はあるが、未だそれはベルの慣れた話ではない。こうして目の前で見てしまうと、昂ってくる感情を抑えるのに精一杯だった。

 ふとアスラの近くに立っているキャロルが目に入った。ベルを見つめるキャロルも、同じだけの心配をしてくれていたのか、薄らと目元に浮かべていた涙を拭っている。


 その隣に立っていたアスラがタリアに近づいていったのは、その時だった。ウィリアムに拘束されたタリアは自由に身体を動かせずに、ただ自分に近づいてくるアスラを見つめている。


「この状況でこの質問もどうかと思いますが、重要なことなので聞いておきます。貴女はですか?」


 アスラのその質問にタリアは目を逸らしてから、ゆっくりと。その姿にギルバートが最も衝撃を受けているようだった。

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