最終日(16)

 タリアという名前がギルバートから与えられるまで、少女は芦屋あしやれいという名前で生きてきた。アスマ達の住む世界とは違う世界にある日本という国でのことだ。日本人なら誰でも知っているほどに有名な飲食チェーン店に勤める父親と、近所にあるライバル店に当たる飲食店でパートタイマーとして働いている母親の元で育てられていた。

 小さい頃のタリアはとてもな子供だった。髪が短かったこともあり、良く男の子と間違われていたくらいだ。四つ年上の兄と一緒に良く遊んでいて、両親に怒られることも多かったが、この頃はタリアにとって、とても楽しい日々だった。


 その日常に変化が訪れることになったのが、タリアがまだ中学生の頃のことだ。タリアは中学三年生で、四つ年上の兄のりょうは大学生になったばかりだった。


 きっかけは両親の旅行だった。タイミング良く二人共休みを取れたとかで、旅行に行くことになったのだが、タリアは受験を控えており、諒も一人暮らしを始め、勉強やアルバイトで忙しかったため、夫婦水入らずの旅行になったのだ。旅行に出かける両親を見送った時のことをタリアは今でも鮮明に覚えている。


 タリアが両親の姿を見たのは、それがだった。次に逢った時、両親は両親と分からない姿をしていた。旅行先から帰るために駅に向かうバスに乗っていたそうだ。旅館の近くから山道を下りて、駅に向かう途中で、そのバスが乗用車と接触しそうになった。どうやら、乗用車が速度違反をしていたらしい。バスの運転手はそれを避けようと咄嗟にハンドルを動かし、バスは横転した。横転したバスはガードレールを突き破り、その先の崖を数メートル転がり、そこに生えていた樹木を折ったところで停止した。この段階ではまだ生存者が多かったと言われているが、問題はこの時、バスの燃料が漏れていたことだ。しばらくして、中から誰かが這い出そうとしたところで、バスは大きな音を立てて爆発した。


 タリアは話を聞いた時、涙が出てこなかった。その後、両親の遺体と対面しても、涙が溢れることはなかった。どれもあまりに現実離れしていて、実感できなかったからだ。両親が死んだと言われても、両親と分からない両親の遺体と対面しても、タリアの中で両親が死んだという事実は現実のものと思えなかった。

 そのことが現実になったのは、諒と逢った時だった。警察から連絡が言ったそうで、両親と分からない遺体と対面しに来た諒が泣いていないタリアを見て、今にも泣き出しそうになっている姿にタリアは不思議と涙を流していた。諒の涙に触れたことで、タリアはようやく両親の死を実感したのだ。


 それから、様々な手続きを終え、問題はタリアをどうするのかという話になった。タリアの両親には兄弟――つまりはタリアから見た伯父や伯母だけでなく、祖父母もいたが、その誰がタリアを引き取るのかという話になった時、結論が出る気配が一切なかったのだ。それはタリアを押しつけ合っていたからではない。問題は亡くなった両親の残した遺産だった。タリアを引き取れば、タリアが相続する遺産も漏れなくついてくる。そうなった時、タリアを誰が引き取るかで大きな争いになっていたのだ。

 タリアはその頃のことをあまり思い出さないようにしている。自分が人ではなく、物として見られている気がしていて、ずっと嫌な感覚として残っているからだ。


 やがて、その不毛な議論に決着をつけたのが諒だった。諒は当時通っていた大学をやめてでも、タリアを育てると宣言したのだ。もちろん、強く反対されたが、諒は意見を変えることがなく、何よりタリアが諒と暮らすことを選んだので、それ以上の話し合いは行われなかった。


 そこから、タリアと諒の兄妹二人の生活が始まった。タリアが両親と住んでいた家から離れ、近くのアパートに引っ越し、諒はその近くにもある大手コンビニエンスストアで正社員として働き出した。両親の残した遺産があったので、生活費には困らなかったが、諒の学費までは工面できるほどではなかったので、諒は宣言通りに大学をやめていた。当時、タリアは自分もアルバイトをしたり、学校を志望の学校から公立高校に変えたりすることで、諒も大学に行けるようにすると諒に言ったのだが、諒はタリアに苦労させたくないと思っていたのか、タリアの提案を飲むことはなかった。


 この頃のタリアは昔ほどに明るい少女ではなかった。両親を失ったこともあるが、それ以上に諒に無駄な負担をかけたくないという思いが強く、日常生活でも大人しくいることが多くなっていた。それこそ、自分が友達と遊びに行ってしまうと、諒に家事を負担させることになるからと、友達と遊ぶことすらやめていたくらいだ。

 ただし、この頃の生活自体は嫌いではなかった。諒は大変そうで時に心配することもあったが、絶対に自分を妹として大切に扱ってくれていることがとても嬉しかった。それはきっと、自分を遺産のおまけのように思っている親族との話し合いを経験していたからだ。諒との時間は家族との時間という気がして、とても好きだった。


 その生活にも慣れて、無事に高校卒業が近づいてきたタリアだったが、そこで再び問題が立ち塞がった。大学受験だ。タリアは大学に行くことなく、就職することを考えていたが、諒はタリアを大学に行かせたいようだった。自分は途中までしか通えなかったが、タリアが望むのなら通わせてあげたいと強く思っていたようだ。タリアが卒業したら就職すると言った時、タリアと諒で長い話し合いが設けられることになった。

 実際、タリアは通いたいと思っていた大学があった。ただし、それは仕事に繋がるような興味ではないので、タリアは口に出す気が全くなかった。


 しかし、諒の追及によって最終的にタリアはその思いを告げることになった。諒はその思いを聞くなり、タリアにその大学に通えるように勉強をしておくように言ってくる。タリアとしては諒に無理をさせたくないと思っていたので、その言葉を無視しようとしたが、今度は何度も説得してくる諒に最終的にタリアの方が折れる形でタリアは大学に通うことになった。

 この頃から諒は働く量を密かに増やしていたらしい。タリアは全く知らなかったが、確かに何度も疲れ切った諒の姿を見たことを覚えている。その度に心配して、タリアは大学を諦めると言っていたのだが、諒が聞くことはなかった。


 そのことをタリアは諒の我が儘のように思っていたが、後々酷く後悔することになった。


 タリアが志望していた大学に入学して一年も経たない頃のことだ。タリアの元に連絡が入った。その連絡を受けた瞬間、何故か両親が死んだことを聞いた時のことを思い出し、タリアは酷く嫌な予感に襲われた。

 ゆっくりと電話に出て、向こうから聞こえてくる声が耳に入ってから、タリアはその先に自分が何をしていたのか良く覚えていない。気づいた時にはにいて、の前に立っていた。


 原因はだったそうだ。働いていたコンビニにも黙って、こっそりと働いていた日雇いのアルバイトの場で倒れ、すぐさま病院に運ばれたらしい。

 幸いなことに命は取り留めたが、ただ意識は戻らなかった。医者曰く、いつ意識が戻るか分からないという状態だそうだ。


 タリアはその諒の姿を見て、驚くほどにすぐ涙が零れていた。両親の時よりもすぐに悲しみが心を包み込んでいた。また家族を失うのかという怖さに、立つことも難しくなって、膝から崩れて泣きじゃくる。その日はただ、そうして泣いていたことしか覚えていないくらいに、タリアはただただ泣き喚いていた。


 その日からタリアは諒の介護をするようになっていた。もちろん、諒が通えと言った大学をやめることはできないので、大学に通いながらの生活だ。酷く大変な日々だったが、それでも諒のためなら目覚める時まで頑張るつもりでタリアは毎日、大学と病院を行き来する生活を続けていた。


 そして、それがに繋がることになる。タリアと諒は兄妹だった。どこまで行っても兄妹で似て欲しくないところまで似ていた。取り分け一度決めたら無茶をしてでもやり通すところは良く似てしまっていた。


 大学から病院に向かう途中のことだ。タリアはその途中の道路をただ歩いていた。この時のタリアは連日の諒の介護と、大学での勉強からかなり疲弊していた。歩道を歩く足取りも、心なしかとしたものになっているくらいだ。それでも、タリアに病院に行かないという考えはないので、その足取りのまま病院に向かっていた。

 とても小さな小石だった。歩道の端に落ちていた、本当に小さな小石にタリアの足がぶつかり、ふらふらとした足取りのタリアはそのまま、大きくよろめいてしまった。ただよろめいただけなら良かったが、その時、よろめいた方向が悪かった。


 タリアはに踏み出していた。そこに通りがかった乗用車が一台。急に視界に現れたタリアに驚きながらも、咄嗟に止まることはできなかったようだ。


 気づいた時、タリアは。身体の一切が動かなくて、視界をただ赤い何かが満たしていくところだけが分かった。そこから先は覚えていない。いつのまにかタリアの意識は消えていた。

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