最終日(14)
大通りでの騒ぎは未だ続いていたが、ベルはその中から抜け出して王城に戻ってきていた。ライトの捕らえた男をシドラスとライトが王城に連れていくというので、ベルもそれに同行する形で戻ってきたのだ。
ベルは王城で話を聞きつけたらしいアスマと合流する。アスマはライトのフリをしていたので、アスラやウィリアムも一緒にいることは分かっていたが、そこにギルバートとタリアがついてきたことにベルは驚いた。
「ギルバート卿も一緒にいたのか」
「ええ。たった今、事情を聞いて驚いたところだったんですよ」
「まあ、まさか王子がそんなところで虎のマスクを被っているとは思わないよな」
「ですね。あと、ベルさんも取っていいと思いますよ」
「あっ…」
ベルが今の今まで被っていることを忘れていた虎のマスクをようやく脱ぎ捨てた。急に開放的になった視界と、想像以上に汗ばんでいた肌を撫でる風の涼しさに、ベルはちょっとした衝撃を受ける。
「先ほど、ヴィンセントさんが先に捕らえた二人と繋がっていた一人の死亡を確認したそうです。これで終わるといいのですが…」
ベルが密かに涼んでいた隣で、アスラがぽつりと呟いた。未だ残っている不安が一切隠せずに表情に出ている。その表情にかけられる言葉をベルは見つけられないでいた。簡単で優しい言葉なら、いくらでも思いつくがその程度の言葉が解消される不安は最初から不安とは言えない。アスラの心の不安を解消するのに、気休め程度の言葉が役立つはずがない。
ベルだけでなく、ギルバートやウィリアムも、恐らく同じことを思っているのであろう隣で、その考えを真っ向から否定する行動に出た男がいた。アスマだ。
「大丈夫だよ。俺はここにいるし、みんな頼れるし大丈夫。だから、アスラ。こんなに楽しいお祭りの最中なのに、そんな顔をしていたらダメだよ」
アスマにそう言われてしまえば、アスラも心配することは野暮というものだ。何より、アスマのことを敬愛しているアスラからすると、そうして気にしてもらえたことが十分に嬉しいに違いない。実際、アスラの表情からは綺麗に不安が消え、満面の笑みを浮かべていた。その変化にベル達は苦笑せざるを得ない。どれだけベル達が考えても分からない答えをあっさりとアスマは導き出したのだ。アスマにしか導き出せない答えだとしても、そこにアスマの凄さがあると実感させられる。
不意にベルが気になっていたことを思い出した。シドラスとライトが連れてきた男を見ているが、ずっと話に聞いていた問題の人物は知らないままだ。
「そういえば、別の世界から来た女の存在はどうなったんだ?」
「先に捕らえられていた魔術師が女性らしいので、その人がそうなのではないでしょうか?」
「ああ、そうなのか」
ベルが知らなかった情報を知ったところで、その場にキャロルとスージーがやってきた。二人はどうやらアスマに用事があるようだ。
「殿下のお召し物をご用意しました。お部屋でお着替えください」
「ああ、うん。ありがとう」
キャロルとスージーに連れられて、アスマが歩き出そうとする。
そこで不意に、ベルの隣で誰かが転びそうになった。そのことに逸早く気づいたベルが手を伸ばし、その身体を受け止めようとする。
そこに異変が起きたのは、その直後のことだった。
☆ ★ ☆ ★
誰よりも早く、その接近に気づいたのがエルだった。途端に表情を曇らせたことに、近くにいたパロールも気がついている。
「どうしたんですか?」
「悪魔だ…」
ぽつりと呟いたエルの視線の先をパロールも追ったようで、こちらに近づいてくるブラゴの姿を見つけて苦笑いを浮かべていた。エルは何も気づいていないが、この時のパロールはまた始まると呆れていた。
「こんな広い場所で取り調べか?」
エル達のところに近づいてくるなり、ブラゴはそう言ってきた。エルの近くにはパロールだけでなく、ラングも座っていて、その前にはエル達が捕まえた魔術師の少女が座っていた。淡いピンク色のドレスを着た少女で、どうやら、この数日間祭りに関わっていたことだけは分かった。一緒に祭りを回ったという双子のメイドがいただけでなく、パロールやラングも昨日見たことを思い出したのだ。
ただし、それ以外は何も分かっていなかった。周囲の情報から分かったことばかりで、本人は一切口を割らないのだ。
「うるさいな…」
「その、セリスさんに取り調べをお任せしようと思ったのですが、それまで部屋に入れなくて…」
「ああ、そうでしたか。他の騎士は見つからず?」
「はい」
「それは失礼しました。私が先に連れていきましょう」
「お願いします」
パロールがラングに声をかけたことで、ラングもようやくブラゴが来ていることに気づいたようだった。立ち上がり、ブラゴに向かって頭を下げながら挨拶している。
「何か聞き出せましたか?」
「いえ、残念ながら。何も話す気がなさそうですね」
「そうですか。私がセリスの代わりに部屋に連れていきますよ」
「すみません。お願いします」
少女を連れていこうとしたブラゴだったが、その前に気になっていたことがあったのか、少女を立ち上がらせたところで動きを止めた。ブラゴは少女の顔をじっと見つめ始め、見つめられた少女は困ったように視線を逸らしている。
「おい。何やってるんだよ?」
エルがブラゴの行動に怪訝な目を向けたところで、ブラゴはようやく口を開いた。
「お前が別の世界から来た女か?」
「違うよ」
その返答がエルの口から出たことに、ブラゴは驚きと一緒に不満の籠もった目をエルに向けてきた。口にこそ出さないが、何故分かると表情で多弁に語っている。
「捕まえる前に確認したんだよ。明らかに知らない反応だった。その子は違う」
「そうなると、例の女はどこにいる?」
「さあね。顔も分からないのに…」
そう言ったところで、エルは今の今まで忘れていたことに気づいた。昨日から話自体は聞いていたはずなのに、エルは未だに確認していない。
「そうだ。似顔絵。あれはどうなったんだ?」
「ああ。あれなら、衛兵が持っている。枚数が限られるから、王都を見回っている衛兵に優先的に手渡したんだ」
「お前は見たのか?」
「見たが……少し気になることがある」
「あぁ?」
「あそこに描かれている女をどこかで見た気がする。ただ思い出せない。恐らく、何かが違うから、同一人物だと認識できないのだと思うのだが、何が違うか分からない」
「お前は何だ?俺にクイズを出したいのか?」
「そういう認識でも構わない。そもそも、思いつかないのが、滅多に逢わない女の可能性もあるからな。ただ知り合いにいる可能性が高いとは思った。俺はここ以外で人とあまり逢わないからだ」
「要するに、俺にそいつが誰か考えて欲しいってことか?」
「そういうことだ」
「言われるまでもないね」
パロールとラングの苦笑いに見守られながら、エルはブラゴに苦々しさを全面に押し出した表情を見せていた。それから、ブラゴが少女を連れていくところを見守ることもなく、その場から立ち去る。頭の中ではブラゴが言ってきた言葉がグルグルと回り、少し気分を悪くしながら、似顔絵を持った衛兵を探すのだった。
☆ ★ ☆ ★
ライトと一緒にアスマの命を狙った男を連行してきたシドラスだったが、肝心の男の取り調べの方はライトに任せることにして、アスマのところに向かっていた。ライトがいなくてもウィリアムが護衛しているアスラと違って、アスマはシドラスがいないと護衛がいないことになる。その間に何か起きてしまっては大変なので、シドラスは取り調べよりも護衛を優先する必要があった。
アスマは大通りに面した王城前か、アスマの部屋にいるはずなので、取り敢えずは王城前に向かうことにして、シドラスは廊下を歩いていく。途中ですれ違うメイド達は酷く騒がしそうにしていたが、それは祭りの間に良くあることだった。特にこの最終日は怪我人や服を汚した人が多く現れ、王城もその対応を手助けしているので、メイドが多く駆り出されているのだ。
その騒がしさの中ですれ違う衛兵がシドラスに挨拶をしてきた。シドラスも挨拶を返しながら、その隣を通り抜けようとしたところで、衛兵が手に何かを持っていることに気づく。
「それは…?」
「これですか?何でも重要人物の似顔絵とかで、この人物を見つけたら、即座に捕らえて王城に連行するように言われました」
衛兵のその台詞から、シドラスはアサゴの協力で、別の世界から来た女の似顔絵を作成したことを思い出した。昨日はいろいろなことが重なり、今日もいろいろと仕事があったので忘れていたが、アスマを狙う人物の顔は確認しておかなければいけなかった。
そのことを思い出し、シドラスは衛兵にその似顔絵を見せてもらうことにした。
「見せてもらってもよろしいですか?」
「ええ、もちろん」
衛兵から手渡された似顔絵に目を落とし、シドラスはそこに描かれた顔を見てみる。胸部から上が描かれた絵は女の顔やアサゴの言っていたドレスの一部が分かるようになっている。肌の質感やドレスの素材まで分かりそうなほどに、詳細に描かれた絵を眺めていると、シドラスは不思議な感覚を覚えるようになっていた。
「この人は…見たことがある…?」
シドラスは咄嗟にそう思ったが、それをどこで見たかと言われると、思い出すことがとても難しかった。明らかにシドラスの記憶の中にはあるのだが、その記憶がどの扉の奥にあるのかというところまで思い出せないでいる感覚に、シドラスは気持ち悪さを覚える。
(どういうことだ?見たことがあるはずなのに誰か思い出せない?まさか、雰囲気が違う?普段はどういう雰囲気だ?)
シドラスは必死に思い出そうとしたが、すぐに思い出す気配はなかった。ただし、だんだんと分かってくる感覚は、その絵のどこかが違っているというものだ。その女を一度見たが、何かが違っているから一致しない。そんな感覚に襲われている。
しかし、そこから感覚の正体を掴むことがなかなかできず、シドラスはしばらく廊下で立ちつくすことになった。
☆ ★ ☆ ★
取調室で男から話を聞き出そうとするライトだったが、男は口を割る気配がなかった。男と見つめ合う趣味はないが、自然と見つめ合う瞬間が生まれることに、ライトは辟易し始めている。そろそろ話し始めて欲しいところだが、男にそれを望んでも望み通りに口を割ってくれるとは思えない。
やはり、あの人に任せるかとライトが考え始めたところで、一人の衛兵が部屋を訪れた。ライトに話があるようで、ライトが軽く部屋の中に意識を集中させながら、部屋の外に出たところで耳打ちしてくる。
「以上をご報告します」
「了解」
伝えられたことを頭に入れながら、ライトが部屋の中に戻ると、さっきと同じ状態の男がライトを出迎えた。その姿にライトはすぐさま聞いたばかりの情報を使って、男を揺さ振ろうと思った。順番に聞いていっても話すとは思えない上に、順番に聞いていくような無駄な時間を過ごしたくなかったのだ。
「一つ聞きたいんだが」
ライトがそう口に出しても、男はやはり反応しない。多少の揺さ振りで、そのような様子の男が動き始めるのか分からなかったが、ライトは試さない手がなかった。たとえ揺さ振りに乗ってこなくても、一つ可能性が潰れるのなら、今は十分な成果だ。そう思うことにして、続きを口に出す。
「狼の獣人を知っているか?」
そして、その問いは予想以上の成果を出した。それまで微動だにしなかった男の眉がピクリと動いた。それは明らかにライトの言葉に反応した動きだ。その動きをライトは見逃さなかった。ここがウィークポイントだとすぐに察する。
「その狼の獣人が死んだ」
だん、と突然立ち上がった男が強くテーブルを叩いた。その行動に驚きながらも、ライトはすぐさま男を座らせるように押さえつける。既に枷で封じられた手足は必要最低限の動きをするので精一杯のはずなので、男もそれ以上の抵抗は見せなかった。
「お前らの仲間か?」
ライトの問いに男が答える様子はなかった。ただ目を瞑り、小さな声で何かを呟いている。その呟きを聞き取ろうとライトが耳を傾けたところで、男が何かを飲み込んだように一言言った。
「もう…終わったのか…」
「どういう意味だ?」
「約束してくれ…」
「急に何だ?」
「俺が今から全てを話す。だから、捕まったもう一人の女に乱暴なことはするな。あと、死んだという狼の獣人に墓を一つあげて欲しい。小さなものでいい。ただ安らかに眠れる場所を作ってあげて欲しい」
「……まあ、何だ。それくらいのことは言われないでもする国だ。その辺りは安心しろ」
「そうか…なら、良かった…」
男はまだ小さく俯きながら、何かを必死に堪えているようだった。そこに下手な言葉を投げかけてはいけない気がして、ライトがしばらく待っていると、やがて男が顔を上げ、さっきまでと同じ表情でライトを見た。
「それで何から話して欲しいんだ…?」
「本当に話す気になったのか?」
「言っただろう?全てを話すと」
「なら、まず…というよりも、何よりも一つ聞きたいのが、依頼主のことだが、それは一緒に捕まった女じゃないのか?」
「違う。彼女は俺達の仲間だ。依頼主は別にいる」
「その依頼主も女か?ドレスを着た?」
「確かに女だが、ドレスは着ていない。いつも着ているのはドレスじゃなく、バトラーが着ているような服だ」
その一言を聞いた瞬間、ライトの頭の中で一人の人物の顔が浮かんだ。次の質問を男に聞くことも、男を見張っておかなければいけないことも忘れて、ライトは部屋を飛び出す。そこでぶつかりそうになった一人の衛兵に、慌てて男の監視を頼んで、ライトは急いでアスマ達のところに向かっていた。
別の世界から来た女は既に近くにいた。その事実を伝えるために、ライトは懸命に走っていた。
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