最終日(13)
竜王祭の最終日で何が行われていようと、路地は静かなままだった。遠くから聞こえてくる騒ぎの声をキナはいつもと同じ椅子に座ったまま聞く。その声はとても楽しそうに聞こえて、何が行われているか知らないキナまで、楽しい気持ちになるようだった。
不意にその楽しい声の中から、何かが逸れたような気がした。少しして、それが路地に誰かが来たのだと気づいたが、それもキナには関係のないこと――と思っていたら、その誰かが近づいてきた。少し疲れたように呼吸は荒々しいのだが、その息は何かに隠れているように聞こえる。口の前を覆う何かがあるような雰囲気だ。
「ちょっと、ごめんね」
若い男の声でそう言われた。キナが声のした方に顔を向け、何かを言うわけでもなく、表情で語るように促す。
「ちょっと疲れちゃって、その隣に座りたいんだけど、いいかな?」
男の頼みにキナは少しだけ迷ってから、うなずくことにする。
「ええ、いいわよ」
「じゃあ、お邪魔しまーす」
そう言って男がキナの隣に座ってきた。頭から何かを被っていたようで、座ると同時に椅子の上に何かを脱いでいる。苦しそうだった呼吸も解放されたようで、大きく吐き出される息は少しだけ嬉しそうに聞こえた。
「いやー、楽しいけど、ちょっと疲れたなぁ。ちょっと思っていたよりも汚れるし」
男は微かに衣の擦れる音を立てていた。キナは祭りの概要を知らないので、その言葉にどう返したらいいのか分からない。
だから、思ったことをそのまま口にしてみることにした。
「貴方は何を被っていたの?」
「ん?ドラゴンだよ」
男が隣で動いた気配がした。恐らく、椅子の上に脱いだ物を手に取ったのだろう。そう思ったが、実際にそうであるか分からない上に、男の言うところのドラゴンが何なのかも分からない。
キナが理解していないことに気づいたのか、キナの視線に気づいたのか分からないが、男はキナの目のことに気づいたみたいだった。
「もしかして、君は目が見えないの?」
そんな風にストレートに聞かれて、キナは笑ってしまいそうになる。みんなは遠慮してなのか、いつも遠回しに聞いてくるところをしっかりと言い切った人は初めてだった。キナは特に気にしていないので、そのことを悪く思わなかったが、人によっては無神経と思うのだろうと想像がついた。
「ええ、そうよ」
「そうか。じゃあ、今日のお祭りとか良く分からないんだね」
「そうね。何をしているのか知らないわ」
キナの言葉に流石の男も少しだけ黙っていた。気にしてしまったのだろうかとキナが思ったところで、キナの考えを否定するように男の言葉が飛んでくる。
「いつから見えないの?」
「生まれた時から、ずっとよ」
「なら、何も見たことがないんだね」
「そうね」
「目が見えたら…とか、考えたことないの?」
「う~ん…そうね。もちろん、あるけど…でも、今はないわね。考えても仕方がないことを考えて、暗い気持ちになりたくないもの」
「そうか…ごめんね。暗くなること聞いちゃったね」
「あら。謝ってくるとは思ってなかったわ」
「ん?どういう意味?」
「そういう意味よ」
男の姿が見えなくても、男が首を傾げていることくらいは分かった。キナはついに我慢できずに、くつくつと笑い出してしまう。その笑いに困惑する男の顔まで、キナは想像できた。
「貴方はどうして王都に?」
「ん?あれ?王都の人じゃないって言ったっけ?」
「お祭りに初めて参加したような感想を言っていたから」
「ああ、そうか。確かにそうだよ。俺はね。旅をしているんだ」
「旅?」
「そう。ずっと狭い世界しか知らなかったから、外の大きな世界を知りたくなったんだ」
「どうだった?驚くようなものはあった?」
「驚くものしかなかったよ。俺は何も知らなかったんだって痛感したね。だって、置いてある食べ物を取ったら怒られるんだよ。お金が必要なんて知らなかったよ」
「それは…何というか…そうね。あれね」
キナは頑張って言葉を選んだ結果、何も言えなかった。思ったことを飲み込むために小さく咳をして、誤魔化そうとしている間に、男の息が近くにあることに気づいた。どうやら、キナの顔の前に男の顔が近づいてきているみたいだ。
「どうしたの?」
「ん?いや、ちょっと見てただけだよ。ねえ、もし目が見えるようになったら、見たいものってある?」
「見たいもの…?」
男の問いにキナは考えてみて、すぐに何人かの顔が浮かんだ。顔が浮かんだといっても、正確な顔を知っているわけではないので、あくまでキナの中で区別するためのアイコンとしての顔だ。それらの本当の顔を知りたいとキナは思う。
「ちゃんと顔を見たい人がいるわ。お母さんとか、お父さんとか、それ以外にも、ここに逢いに来てくれる人がいて、その人の顔を見てみたいわ」
「そうか。親の顔も知らないのか。それは見たいよね。うん!!」
そう言いながら、男がキナから離れた。何かを探っているようで、がさがさと物音が聞こえてくる。
「何をしているの?」
「ん?ちょっとお礼をね」
「お礼?」
「そう。この椅子の隣を貸してくれたお礼だよ。少し目を瞑って」
キナが男の言われる通りに瞼を閉じると、その上に男の手が当てられたのが分かった。その手がゆっくりと温もりを持っていく。
「何…?」
「そのまま開かないでね」
次第に男の手から感じる温もりは熱いと思うほどになり、キナが逃げようとした寸前、その手が不意に発光した。そこで男の手から、強烈な温もりは消えて、男が手をゆっくりと離すと、キナに目を開くように言ってきた。
キナはゆっくりと瞼を開く。その様子を男は笑顔で見守っていた。
☆ ★ ☆ ★
ハンクは自らが負った傷の深さを理解していた。これはどう足掻いても治ることがない。その事実に少しばかりの申し訳なさを覚えていた。捕まった二人には悪いが、ハンクはもう助けに行けない。
不意に頭の中に浮かんでくるのは、本当に昔の記憶だった。ハンクがまだセリアン王国で軍人をしていた頃の記憶だ。あの頃のハンクはいろんな意味で若かった。自分の努力一つで何かを大きく変えられると思っていた。
しかし、現実は違っていた。ハンクがどれほど手を尽くしても、セリアン王国は簡単に滅びた。ハンクは外の世界に放り出され、生きていくための新たな道を探さなければいけなくなった。その時、ハンクは自分が獣人であることを強く憎んだ。この世界は獣人には優しくなかったのだ。ただハンクが獣人であるという理由だけで、コミュニティーから除外されることが多かった。
だから、ハンクは自分で居場所を作ることに決めた。ロス・ロボスという名の居場所を。
そこでハンクは自分と同じように世界から弾き出された人々を集め、除け者だけで生きていけるようになろうとしていた。そこに転がってきたのが今回の依頼だ。願ってもない依頼が舞い込んできたことに、ハンクは大きく喜んだ。
しかし、結果はこの様だ。自分達で生きていくどころか、叩き潰されて終わった。どれだけ行っても、自分達に居場所がないと思い知らせるように。そのことがハンクは悔しかった。
不意に王都で逢ったグインのことを思い出した。グインは自分とは大きく違っていた。世界から除け者にされた自分と違って、グインはこの地に馴染んでいた。思えば、昔からグインはそうだった。自分と違って、人々が勝手にグインの周りに集まっていく。グインはいつも何かの中心にいた。
ハンクはいつもそこから外れた場所に立っていた。気づけば、何かの集まりの外側から、その内側を覗いている。そのことにグインが気づくと、いつもグインはハンクに手を伸ばしてきた。その内側に引っ張り込もうとしてきた。
グインのそういうところが嫌いだった。何度も、何度も、自分に伸ばされたグインの手を見る度に、ハンクはその手を切り落としたくなった。ハンクがその手を弾いても、グインの手が伸びてくることに酷く苛立った。
「ハンク…?」
不意に声をかけられ、ハンクの意識が現実に戻ってきた。周囲に目を向けると、いつもの長椅子に座ったキナの姿が見える。ハンクに顔は向いているが、既に意識が失われつつあるハンクの目では、その表情を見ることができなかった。
「よう…キナ…隣、いいか…?」
キナが小さくうなずいたように見え、ハンクはいつものようにその隣に座った。ハンクの身体はいつもより重く、長椅子が大きく軋んでいる。既にハンクの意識は朦朧とし始めていた。
「昔の…」
気づけば、ハンクはそうやって語り始めていた。自分自身でどうして語り始めたのか分からなかったが、不思議と口は止まらない。
「昔の知り合いと逢ったんだ…」
「友達?」
「友達じゃない。俺はずっとあいつのことが嫌いだったんだ。俺と違って人の中心に立っていて、いつも逸れた俺に手を伸ばしてくる。その姿が嫌いだった」
「それはきっと羨ましかったのよ」
「羨ましい…?俺が…?」
「そう。きっとハンクは寂しくて、自分と違うその人が羨ましくて仕方がなかったのよ。自分が持っていないものを持っていることに嫉妬して、嫌いって思ってしまったのよ」
「そんなはずがない…俺があいつを羨ましいと思うことなんてない…」
そう否定しながら、ハンクの身体はゆっくりと倒れそうになっていた。既に姿勢を維持することも難しくなっているようだ。キナの方に倒れてはいけないと思い、ハンクは片腕を椅子に突いて、必死に身体を支える。
その手の上にキナの手が重なってきた。ハンクはそのことに驚くと同時に、その手から感じられる温もりに、今の今まで感じていた苦痛の全てが消え去るほどの落ちつきを覚えていた。
「ああ…そうか…」
ハンクはその温もりに触れたことで思い出した。どれだけ嫌いなグインの手でも、その手を掴んだ時は自然と落ちついたのだ。
「俺は…あの温もりが…羨ましかったのか……」
そう思った時に、ハンクは自然とロス・ロボスの構成員の顔を思い出していた。ロス・ロボスの構成員との思い出は、思い出す度にハンクの中に同じだけの温もりを与えてくれる。その温もりに触れたことで、今更ながらにハンクは気づいてしまった。堪え切れない小さな笑いが込み上げてくる。
「そうか……俺は…もう……」
そう呟きながら、小さく笑ったハンクの息がゆっくりと消えていく。その中でキナがハンクの手を強く握った。
「ねえ、ハンク…ハンクの手って凄く大きいね…」
キナの言葉にハンクは何も答えない。
「ねえ、ハンク…ハンクの手って凄くフワフワしているのね…」
キナが何を言ってもハンクは何も言わない。ハンクは動くことすらしない。
「ねえ、ハンク…どうして、何も答えてくれないの…?どうして…」
キナがハンクの方を向いた。ハンクは小さな笑みを浮かべたまま、一切動く気配がない。
「どうして、そんなに血を流しているの…?ハンク…?答えてよ…」
キナがハンクの身体に触れる。フワフワとした毛の下にあるはずの温もりがキナの手に伝わってこない。ゆっくりとどこかに温度が逃げていくようだ。
「ねえ、聞いて…私、目が見えるようになったんだよ…ハンクの顔がやっと見れるようになったんだよ…なのに…どうして…?」
キナの声はハンクの耳に届いていなかった。キナの目から零れた涙がハンクの手に落ちて、その手を濡らしても、ハンクは指一本動かさない。
キナはその場でしばらく泣き続けていた。どれだけ言っても、何も反応しないハンクの身体に抱きつきながら、キナはずっと泣いていた。その場に衛兵を連れたヴィンセントが現れるのは、その少し先のことである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます