最終日(12)

 今までの竜王祭は国王の護衛があるため、ヴィンセントは一度もちゃんと参加したことがない。アスマの案で始まった最終日の催しも、楽しそうだと見守るばかりでヴィンセントは一度も参加できなかった。年齢も年齢なので、盛大に騒ぎたいという欲があるわけでもないが、自分だけ楽しい空間に入れないという疎外感が心底嫌いなのだ。

 その思いが強かったため、今年はその中に少しでも交ざられると知った時に、ヴィンセントは年甲斐もなく高揚していた。様々な色のカラーボールを投げ合っている市民に交ざって、自分もカラーボールの一つくらいは投げたいと思い、カラーボールを手にしたくらいだ。


 しかし、そのカラーボールを投げる前に、ヴィンセントは参加のためのマスクを持っていないことに気づいた。王国的には虎のマスクだが、この際はどちらでもいいからマスクを手に入れないと、ヴィンセントは手にしたカラーボールを投げる権利すら持っていないことになる。


 そうして、ヴィンセントのマスク探しの旅は始まった――のだが、これが想像以上に大変な旅だった。


 竜王祭の準備期間中から最終日まで、王都の様々な店で虎かドラゴンのマスクが購入できる。王国が王都全体の店に販売を委託しているもので、基本的に何かしらの物を売っている店であれば、そのどちらかのマスクが購入できるようになっている。実際、ヴィンセントは王都の様々な店でマスクを見たのだが、そのどれもがドラゴンのマスクだった。

 どちらでもいいからマスクを手に入れないと、とは思ったが、実際にどちらでもいいわけではない。王国の人間として、ドラゴンのマスクをつけることはあまり印象が良くない。ヴィンセントがただ変わり者程度に思われるのならいいが、騎士全体の王子に対する忠誠心が疑われるような事態になったら大問題だ。王国政府にそのような人間がいないとは分かっているが、今は外国からも人が来るような時期なので、その中にそう言った考えを持つ人がいても不思議ではない。


 ヴィンセントが参加するためには虎のマスクを手に入れなければいけない。そう思って、更に王都中の店を回ってみるが、どの店も綺麗に虎のマスクが売り切れている。これは後に分かることなのだが、王国関係者は虎のマスクを決まってつけているため、市場に流通する量がドラゴンのマスクと比べると少なくなっているのだ。それを知らないヴィンセントは何度も違う店を覗いては、そこに虎のマスクがないことを何度も確認することになる。


 やがて、そろそろボールを投げる力もなくなりそうなくらいに疲れてきたところで、ヴィンセントはマスク探しの旅の強制終了を告げられることになった。エルやライトの活躍でアスマを狙っていた輩が捕まり、その仲間と思しき人物の居場所が判明したと言うのだ。ヴィンセントはその場所に向かうように言われ、まだ虎のマスクを見つけていないというのに仕事に引き戻される。年齢も年齢なので、駄々を捏ねることはなかったが、子供だったら絶対に駄々を捏ねていたとヴィンセントは思いながら、手に持っていたカラーボールを仕舞い、判明したというもう一人の仲間に逢いに行く。


 そこからの攻防が既に起きていたのだが、そのことをヴィンセントが走馬灯のように思い出したのは、目の前で飛び散る赤い液体を目にしたからだ。狼はそれらを身体に浴びながら、満足そうに小さく笑っていた。ヴィンセントに背を向けて、剣を仕舞い、部屋の中に置かれた荷物を手にしようとしている。


 それをヴィンセントは見ていた。

 どうやら、苦し紛れの上体逸らしが功を奏したようで、狼の振り上げた剣はヴィンセントの肉まで届かず、肌を傷つける程度の移動で終わっていた。普段なら、狼もそのことに気がつき、追撃を仕掛けてきたところだろうが、何の因果か狼の剣はヴィンセントの肌以外にも、胸元に仕舞ったカラーボールを斬りつけてしまったのだ。その内側に詰まっていた赤い液体がばら撒かれ、ヴィンセントと狼の身体を赤く染めたことで、狼はヴィンセントを斬ったと勘違いしたようだ。


 急激に身体の中で膨れ上がる安堵感に、ヴィンセントは強張った笑いを浮かべていた。一瞬だが、確実に死んだと思い、もう少し遊んでおけば良かったと後悔していたところだ。まだ遊べるという事実に湧いてくる喜びは言葉にできないほどだった。


 ヴィンセントの目の前で、荷物を手に取った狼が振り返ろうとしていた。ヴィンセントに背を向けた無防備な状態も、こちらを振り向いたら終わってしまう。この狼がここまで無防備な姿を晒すのも、この時が最後のはずだ。一度油断した事実があれば、必要以上に警戒を強めて、もう二度と隙を見せなくなる。

 もしもヴィンセントが狼に一撃を与えられるのなら、このタイミングだけだろう。そう思ったヴィンセントはすぐさま剣を構えて、狼との距離を詰めていた。


 この時のヴィンセントは少しだけ祭りのことを考えていた。祭りを楽しみたいとか、自分もカラーボールを投げたかったとか、そんな不純な思いではなく、誰かが血を流した竜王祭をアスマは喜ばないかもしれないと思ったのだ。

 その考えがヴィンセントの身体に染み渡り、ヴィンセントは無意識の裡に狼の急所以外を狙おうとしていた。そのために動きを変え、少しばかりの間を作ってしまう。


 そこで狼が振り返ろうとした。その寸前に違和感に気づいたような声を漏らしたことから、もしかしたら、ヴィンセントの動き出す音を聞いたのか、もしくはヴィンセントの倒れ込む音が聞こえてこなかったことを不思議に思ったのだろう。その瞳がヴィンセントを捉えた時、ヴィンセントが狼に一撃を与えることは難しくなってしまう。


 一瞬の思考がその瞬間に割り込んだ。ヴィンセントは狼が振り返るよりも速く剣を振り下ろし、狼はヴィンセントの行動に気づかないままに、その一撃を身に受けていた。


「なっ…!?」


 狼の口から驚いたような声が漏れてくる。その声を聞きながら、振るった剣からの感触にヴィンセントは少し後悔をしていた。


 ヴィンセントの一撃はあまりに手応えがあり過ぎた。たとえ、その寸前に懐いた考えからヴィンセントが急所を狙っていないとしても、その一撃は狼の命に届くほどに深かった。それは狼の負った傷から吹き出した血液の量からも分かり、と呼ぶに相応しいものだった。

 直前の自分の考えと反する結果に、ヴィンセントは不甲斐なさを感じる。狼が振り返ると思った瞬間に焦り、強く踏み込み過ぎていたようだ。本来なら、命を奪わない程度に動きを止められたはずなのに、それは不必要な殺生だった。


 ヴィンセントが懐いた後悔を噛み締めながら、心の中でアスマに対する謝罪の言葉を口にしようとしたところで、遠退きかけていた狼の瞳が力を取り戻した。後悔からアスマのことを思い出していたヴィンセントはそのことに気づかず、狼の身体が不意に動き出した時、その動きに反応することができなかった。


 狼の腕がヴィンセントの身体にぶつかりながら、大きく薙ぎ払った。完全に油断していたヴィンセントの身体に遠慮なくぶつかり、痛みを超えた衝撃からヴィンセントは目を白黒させる。まさか狼が腕を振るったとはすぐに思わず、一瞬、急に牛が突っ込んできたと本気で思った。


 ヴィンセントの身体が壁にぶつかり、狼と大きく距離が離れたところで、狼が部屋の外に飛び出した。そこでようやくヴィンセントは狼が生きていたことに気づき、慌てて追いかけようとするが、不意打ちの衝撃が凄まじく、身体の自由が利かない。


(しまった…完全に油断した…)


 今度は狼を逃がしたことに後悔しながら、ヴィンセントがゆっくりと身体を動かす。少しずつだが、身体の自由が戻っていっている。


(傷は確実に致命傷だった…あれを治療できるとは思えないが…本人も治療できるとは思っていない場合、何をするか分からない…早く追いかけないと…)


 そう思いながらも、少しずつしか回復しない身体に苛立ちを覚えながら、ヴィンセントは部屋を後にするのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る