二日目(10)

 今でこそ現代最高の魔術師との呼び声も高いエルだが、その出生は何の変哲もないごく一般的な家庭だった。親もその親も、どれだけ家系を辿っていても魔術師の一切現れない家系に、突如生まれた子供がエルだった。

 とはいえ、初めから現代最高の魔術師だったわけではなく、始まりはただ一つの術式を作り出しただけだった。それも一式魔術としての効果が確認できないくらいに弱々しい術式だ。


 それでも、エルの両親にとっては自分達の息子が起こした小さな奇跡に思えたようだった。魔術師の一切いない家系に生まれてきた魔術の素養を持った子供ということもあり、仮定によっては母親の不貞行為も疑われる状況だったが、エルの両親にそのような考えはなかったようで、特別な才能を持った子供としてエルを大切に育て始めていた。

 柔らかなブランケットに包まれた優しさの世界でエルはすくすくと育ち、人としても魔術師としても少しずつ大きくなっていた。


 そして、エルは気づけば六歳を迎えていた。この頃には始まりと違い、魔術も目に見えて効果の分かる一式魔術くらいなら難なく使えるようになっていた。ただ魔術師としての修業をしたわけではないので、強力な二式魔術の類は一切使えなかった。


 しかし、この頃のエルはそれだけで満足するような性格に育っていなかった。優しさに保護され育ったこともあってか、エルは自らの力量に絶大な自信を持ち、独学での魔術習得も可能だと思い込んでいた。


 この独学で魔術を覚えることは、後にパロールが実際に行っているのだが、パロールとエルでは大きな条件が違っていた。


 それが魔術師としての素養だ。パロールはラングと出逢った時の出来事をきっかけに魔術に興味を持ち、独学で覚え始めたのに対して、エルは元から魔術を扱える才能があって、それを強めるために魔術を覚え始めた。それはつまり、同じだけ踏み込んでも、起こす影響が大きく変わってくるということだ。

 パロールの一歩では、まだエルの始まりのような効果も分からない一式魔術を生み出す程度に終わるが、エルはそれ以上先まで足が届いてしまう。


 自らの才能を信じ切ったエルは二式魔術の会得を目標に、独学での魔術研究を開始した。まだ六歳のエルの貪欲な好奇心が生み出した結果なのだが、それが決定的なを生むことになった。


 その日は日光に当たると良い香りが漂いそうなほどに暑かった。外の暑さとは無縁の涼しい家の中で、エルは自分が考えた組み合わせで二式魔術を発動させようとしていた。ほとんど知識はないに等しいが、この時のエルは自分の才能を信じ切っているので、不可能という考えはない。


 そして、二式魔術に魔力を送り込んだ瞬間、眩い光がエルを包み込んだ。そのあまりの眩しさにエルは目を開くことができず、光が消えるまで何が起きているのか分からなかった。

 しばらくして光が消えたところで、エルは何が起きたのか確認するために周囲に目を向けたが、そこには何もなかった。

 そのことでエルは何も起こらなかったが、何かが起きそうなところまで迫ったと思い、仕事に行く前の父親と家事途中の母親に報告しようとした。


 そこでエルは自分の両親が倒れている姿と直面することになった。

 これは後に分かったことなのだが、エルの作り出した二式魔術は注ぎ込まれた魔力そのものを放出する魔術だった。それは多量の魔力を有している魔術師にすると、ただ光っただけに見える現象だが、魔力に対する抵抗の薄い人間からすると毒になる。魔力に対する抵抗は魔力量に比例するので、エルにとってはただの光でも、エルの両親からすると毒でしかなかった。


 自分達の吐いた血の海に倒れ込んだ両親の姿を見て、エルは何もすることができなかった。この時、エルは魔術が万能ではないことを理解し、自分に対する絶大な自信が間違いであったことに気づいた。

 幸いなことに両親の命は助かったが、この出来事はエルとその両親との間に大きな亀裂を生み出した。エルは両親を傷つけたことを悔やみ、両親はエルを愛しい息子と手放しで思えなくなっていた。化け物や怪物と言葉にこそしなかったが、その思いがエルの両親の中に生まれたのだろうとエルは思っている。

 実際、それは間違いではなかった。エルの魔力は家系からは考えられないほどに増え続け、魔術師としても珍しいほどになっていた。それが事故から一年が経った七歳の頃のことだ。


 やがて、エルが家の中で息苦しさを覚え始めた頃、一人の男がエルの噂を聞きつけて訪ねてきた。既に国家魔術師として一定の功績を挙げていたガゼルだ。


 ガゼルはエルの両親にエルを引き取る話をしていた。エルの魔術師としての才能を見込んだこともあるが、何よりエルが魔力を適切に扱えるようにならなければならないと言い、ガゼルはエルの両親を説得したと言う。

 エルの両親がその考えを飲み込んだのか、ただ化け物にしか思えなくなっていた息子を手放したかったのか分からないが、エルはガゼルに引き取られることになった。


 その時に逢ったのが、先にガゼルのところで育てられていたフーである。フーはどうやら、どこかの貴族が愛人との間に作った子供らしいのだが、その貴族に見放され、貴族の家系の影響で魔術師としての素養が高かったために、愛人だった母親にも忌み嫌われた結果捨てられ、浮浪児として路上で生活している時にガゼルに拾われたらしかった。

 そのためか、金持ちや一般的な家庭がとにかく嫌いで、最初はエルのことも認めようとしなかったが、ガゼルの下で一緒に魔術を学んでいる中で、だんだんとエルと打ち解けていった。


 そして、その日々の中でエルは魔術師としての素養の高さを見せていくことになるのだが、そこで同時に判明したのが、後にエルの特徴として近しい人に認識されることになるエルのだ。


 それはフーと一緒にガゼルの課題である魔術を発動させようとしている中でのことだ。今から思うと簡単な二式魔術だが、まだ子供のエルとフーにはそれが難しく、悪戦苦闘しながら必死に術式を組み合わせている中で、フーが鼻血を出した。

 これは魔力消耗による体温の上昇が原因で、まだ若い魔術師なら多々あることなのだが、これを見たエルは思いも寄らない反応を起こした。


 エルはしたのだ。フーの鼻血を視界に捉えた瞬間に意識を失っていたのだ。


 その後、ガゼルやフーが協力して調べた結果、エルは血液を見ると失神することが判明した。恐らく、両親を魔術で傷つけた記憶がトラウマになり、血液を見ることによってフラッシュバックしてしまっているのだ。


 この弱点が原因となり、エルは戦闘で使用され、他人を傷つける可能性のある魔術の研究の一切ができなくなった。何より、エル自身がそのような魔術を始めとする他者を傷つけることをこの頃から露骨に嫌うようになっていた。

 この非攻撃性への性格の変化が後にブラゴを嫌悪する理由に繋がっていくのだが、それはまた別の話だ。


 その後、現代最高の魔術師と呼ばれることになるエルだが、そう呼ばれるようになっても、この弱点に変化はなかった。他者を傷つけることを忌み嫌い、エルが戦闘で用いることのできる魔術は他者を拘束し、制圧できるものばかりになっていた。


 それでも、魔術師としての素養はやはり高く、拘束のために用いられる魔術は基本的に準備が必要な三式魔術ばかりでありながら、それらをエルは戦闘の中で瞬時に使用することができていた。

 エルの素養の高さを表す話として良く語られているのが、仮にエルが攻撃的な魔術を覚えていたら、どれほどの魔術師になっていたのだろうかという想像に対して、歩く魔導兵器や第三の脅威という名前で呼ばれることになっていたと多くの魔術師が答えたというものだ。


 それほどまでに高い素養と拘束に特化した強力な魔術、何より、知人であれば常識だが、それほど広くエルの弱点が広まっているわけではないこともあって、エルは重大な弱点を持ちながらも、それが大きな問題を引き起こしたことはなかった。


 そのため、エルはほんの少しだけだが、油断しているところがあった。それも敵が血液の出ない存在であれば尚更だ。


 だから、その時のエルは何も考えることなく、飛び散る破片を目で追い、シドラスを見てしまっていた。その数秒後にシドラスの頬に傷がつくなど、夢にも思わなかった。

 エルの意識は間もなく、ことになる。

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