二日目(9)
迫る一体のゴーレムを相手に、シドラスは奮闘していた。必死に剣を振るい、ゴーレムがアスマに近づかないようにしているが、岩石の肌に獣人をも超える巨体は人の相手としては十分過ぎる。シドラス一人の力で止められるものでもなく、ゴーレムはアスマに近づこうとしていた。
それを止めたのがエルだった。平均的な魔術師が発動までに最低でも数十分の時間を要する三式魔術を一呼吸の間に発動させ、ゴーレムを拘束するための白い光の紐を作り出していた。地面から伸びた白い紐がゴーレムの身体にまとわりつき、ゴーレムの歩みを止めることに成功する。
その光景をアスマとベルはただ見守っている形になっていたのだが、アスマは自分も戦うと何度もシドラスに訴えていた。
しかし、シドラスはそれを頑なに認めなかった。
そもそも、シドラスに認める気などなかった。
確かにアスマは日頃から、シドラスと一緒に剣の稽古をしており、魔王としての力もある。戦力として考えると、ゴーレムの一体くらいは簡単に蹴散らすことができるだろう。
しかし、だからこそ、アスマは簡単に戦ってはいけない。魔王としての力は他国から見れば十分な脅威であり、その力が振るわれたとなると、他国はエアリエル王国に対する警戒を更に強めることになる。
場合によっては、アスマの王子としての立場も絡められ、他国の侵略の理由を与えることになりかねない。それだけは何としてでも避けなければいけないことだった。
「俺も戦うよ!!」
そう叫ぶアスマの声にシドラスは何度もかぶりを振る。
「絶対に殿下は手を出してはいけません!!お願いします!!」
意地悪や見栄の類ではないことはアスマでも分かるはずだ。それでも、アスマは何かせずにいられないと思っているとシドラスも分かっている。
しかし、ここでの安直な行動は後々の最悪な結果を招くことになる。シドラスはアスマがどのような気持ちでも、今回は認めることができない。
その立場をベルは分かってくれたようで、何度目かのアスマの発言の後に、ベルがアスマを止めていた。
「あの状況のシドラスがあそこまで言うからには何か理由があるのだろう?」
「それは分かってるけど…」
「分かってるなら、酌んでやれ。それも王子の務めだろ?」
「そ…そうなのかな…?」
そう呟くアスマはあまり納得していない顔だったが、ベルの助言も分かるところがあったのか、それ以上の無茶は慎んでいた。
シドラスは少しホッとしながら、ゴーレムの動きに目を向ける。エルの作り出した白い紐に搦められ、ゴーレムは身動きを取れなくなっているが、その岩石の肌を剣で傷つけることは難しい。このままエルが動きを止め続けられるのならいいが、三式魔術による魔力の消耗は激しいはずなので、いつか限界が来てしまうはずだ。
問題はその時にゴーレムの動きが止まっているかどうかだ。魔術師が外部から今も魔力を供給しているのか、先に一定量の魔力を与えられ、その魔力が枯渇するまで動き続けるのか分からないので、エルの魔力が枯渇するまでゴーレムを拘束するというのは、現実的な解決法とは言えない。
ここは四肢を切り落とすなりして、ゴーレム自体の動きを止めることが先決だ。そう思ったところで問題は一周する。ゴーレムの岩石の肌を剣で傷つけることは難しいという問題だ。
シドラスは剣を握ったまま、逃げるという選択肢を考え始めていた。ゴーレムの動きを止めることが難しいのなら、ゴーレムの動きが止まるまで、その脅威から逃げ続ければいい。ゴーレムの狙いがアスマなら、それだけでアスマを狙った何者かの思惑は打ち破ることができるだろう。
しかし、それにも問題はある。ゴーレムが竜の模型から出現した時のことだ。ゴーレムの腕はアスマではなく、近くにいた市民を狙って伸びていた。それは結果的に地面を砕いただけに終わったが、この先も狙わないとは限らない。
仮にシドラスがアスマ達を連れて逃げた結果、市民に怪我人が出ては本末転倒だ。騎士であるシドラスにとって、アスマも守らなければいけない対象だが、それは市民も同じことなのだ。
シドラスが悩みの渦に嵌まり始めた頃、シドラスの頭から煙が出始めたのか、エルが魔術を発動させたまま、シドラスに言ってきた。
「シドラス君、関節だよ」
「関節…?」
「ゴーレムは人の鎧と一緒だよ。全身が全て硬いわけじゃないんだ。動くために絶対に柔らかくないといけない部分は存在していて、それが関節だよ」
「関節…」
シドラスは剣を握ったまま、ゴーレムに目を向けた。エルが魔術を調整して、白い紐の間隔を開けることで、シドラスが関節を狙えるようにしてくれている。
ここまでお膳立てされて、動かないシドラスではなかった。剣を握る手に力を込めて、ゴーレムとの距離を詰めていく。狙いはエルの協力で無防備に開いたゴーレムの関節だ。そこを切り裂いて、ゴーレムの四肢を落とせば、ゴーレムの動きを止めることができる。
ゴーレムの足下に近づいたシドラスはその膝裏を狙って、勢い良く剣を振るった。まずは左足で、次は右足だ。シドラスの思考はそこまで進んでいる。
しかし、シドラスのその思考は一気に引き戻されることになった。金属のぶつかる甲高い音に、視界で散らばる銀色の欠片。何より手元の軽さが気になった。
すぐにエルの声が聞こえてくる。
「おいおい…そんな意地悪しないでよ…」
シドラスは握っていた剣に目を向けた。その刀身はボロボロに砕け落ち、欠片が地面に転がっている。ゴーレムに目を向けると、ゴーレムの膝裏は硬い岩石の肌に覆われていた。
「どういうことですか…?」
「関節を塞いだんだよ。足を少し縮めることでね。君の剣が当たる直前に塞がったから、君の剣が間に挟まれたんだ。それで砕けた。普通はあんな芸当できないんだけどね。厄介なゴーレムを作ったのか、買ったのか…」
シドラスは腰元に手を伸ばした。普段の戦闘から何らかの理由で剣が使用できなくなる可能性も考えて、二本所持しているのだが、その二本目を使うことになるのは初めてだった。この二本目まで同じように折れると、シドラスの武器がなくなるという事実がシドラスにプレッシャーを与える。
次は絶対に失敗できない。そう思いながらシドラスが剣を抜いたところで、ゴーレムの足が再び伸びる。その唐突な動きにエルが少し困惑して、白い紐の長さや強度を調整しようとしていた。
その瞬間のことだった。ゴーレムは再び関節を塞ぐように足を縮めた。それも左足だけでなく、右足、更には両腕まで同じように縮めている。
それらはゴーレムの大きさを急に変えるのに十分であり、エルは咄嗟の対応が難しかったようだ。白い紐は微かに緩み、その緩みの隙間からゴーレムが四肢を伸ばした。ゴーレムを拘束していた白い紐はゴーレムの身体に張りつくだけで、ゴーレムの動きを止める役割を果たせていない。
結果的にゴーレムは再び動き出していた。エルが無駄となった魔術を消し、新たな三式魔術を発動させようとしている。その隙を狙ってゴーレムが拳を振るおうとしているので、シドラスは腕を切りつけよと剣を振るったが、ゴーレムの身体は傷つかない上に、ゴーレムの拳を止めることでさえ難しかった。
エルにゴーレムの拳が迫る直前に、エルの魔術は発動し、地面から現れた黒い布がゴーレムを覆っていく。
「今度はさっきよりもしっかりと拘束できるはずだよ」
「ですが、関節を狙うことは…」
「難しいだろうね。それに俺の魔力消費も激しいから、あんまり拘束できないんだよね」
「どうするんですか…!?」
「待って。地面に埋め込んでみる」
エルがそう言った瞬間に、黒い布がゴーレムを包んだまま、地面に沈み始めた。このままゴーレムを埋めることができれば、確かにゴーレムの動きは止められる。
シドラスはそう思ったが、ゴーレムの抵抗はそれを許さなかった。地面を掴んだのだろう腕は地面を容易く砕き、黒い布と地面の間に隙間を作っている。その隙間からゴーレムの腕が伸びてきて、シドラスやエルに迫ってきた。
「ああ、そうか。あいつら地面を砕くんだったね。この手段は意味がない」
エルが気づいたことから諦めの言葉を呟いたところで、シドラスが迫ってきたゴーレムの腕を受け止める。その力はとても強く、やはり人間が相手できる存在ではないと知らしめてくるようだ。
「エル様の魔術で関節を締め上げることはできないのですか?」
「そこまで攻撃性の強い魔術にしてないんだよ。拘束はできるけど、素材は優しいから締め上げられるほどじゃないの」
苦笑するエルの姿にシドラスがどうするか考え始めた瞬間のことだった。黒い布に包まれたままのゴーレムが地面を強く叩き、その一部を砕いた。それによって砕けた欠片が舞い上がり、シドラスに向かってくる。シドラスはそれを軽く薙ぎ払おうとしたのだが、その中にシドラスの想定していない欠片が交ざっていた。
シドラスの一本目の剣の欠片だ。地面の欠片と一緒に薙ぎ払おうとしたシドラスがその欠片に気づかずに、鋭く光った銀色の欠片で頬を傷つけることになる。小さな痛みと一緒に血が浮き出てきて、そのことに気づいたシドラスは自らの大きな失敗に気づいた。
「しまった…」
そう呟いた瞬間には遅く、飛んでくる欠片に目を向けていたエルの視界に、シドラスの顔が入ることになる。シドラスの頬を伝った血液が地面にぽたりと落ちて、小さな赤い点を描いていた。
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