二日目(11)

 シドラスの失態から事態の急変までは一瞬だった。シドラスの頬から流れた血液がエルの視界に入った瞬間にエルが地面に倒れ込み、その直後にゴーレムを包んでいた黒い布が消え去った。解放されたゴーレムは動き出し、自らの失態に動揺するシドラスの前に迫ってくる。


「シドラス!?」


 アスマの声にシドラスはハッとした。アスマがベルの制止を振り切り、シドラスに駆け寄ろうとしている姿を見て、シドラスは自らの役目を思い出す。

 正直なところ、シドラス一人でゴーレムを相手にすることは非常に難しい。拘束されている状態ならまだしも、自由に動き回れるゴーレムを行動不能にすることは不可能に近いことだ。


 それでも、シドラスにはアスマの護衛としての役目がある。不可能ということを理由に、その役目を放棄することはできない。

 ただそれだけの思いでシドラスは剣を握っていた。アスマがシドラスの元までやってきて、ゴーレムを相手に戦い始めないように、シドラスはゴーレムの前に立ち塞がる。


 もちろん、ゴーレムはシドラス一人で止められる存在ではない。良くて足止めくらいが限界だろう。そんなことはシドラスも分かり切っていることで、今更言われるようなことではない。

 それでも、シドラスがゴーレムの前に立ち塞がったのは、その役目を全うするための一つの覚悟を決めていたからだ。


 シドラスが振り返って、アスマやベルに目を向ける。アスマは今にも走り出そうとしているが、それをベルが必死に止めている状況だ。シドラスはそのことに感謝の言葉を言わなければいけないと心の中で密かに思う。それもこれも、ゴーレムを相手に生き延びたらの話だが。

 シドラスはまっすぐにアスマの顔を見ていた。その視線だけでアスマは察したのかもしれない。こういう時のアスマの頭は普段の様子から考えられないほどに働くことをシドラスは知っている。


「殿下達はお逃げください」

「シドラス…!?冗談だよね…!?」

「敵の狙いは殿下の可能性が高いのです。その殿下がいつまでも、この危険な場所にいてはいけませんよ」

「でも、エルがいなくなって、シドラス一人で戦うなんて、無茶だよ!?」

「殿下…お願いします。どうか、お逃げください。これ以上、私は殿下に何も言えません」


 シドラスの覚悟をアスマがどのように受け取ったのか、そもそも受け取ってくれたのか分からなかったが、ベルはシドラスの覚悟を酌んでくれたようだった。アスマの手を取り、ベルが動き出そうとしている。


「ちょっ…!?ベル…!?」

「行くぞ。シドラスの気持ちを酌んでやれ」

「でも、シドラス一人で戦える相手じゃないよ!?」

「それくらいシドラスだって分かっているはずだ。それなのに、お前に逃げろって言ったんだぞ?それがどういうことか分かるか?それだけお前を戦わせられないってことだろ?」

「でも…!?」


 アスマは何度もシドラスの方を振り返っていたが、立ち上がったベルに手を引かれると、素直に歩き出したようだった。二人は大通りを離れて、路地に姿を消していく。その姿を見送れたことで、シドラスはホッとしていた。

 これでシドラスは時間稼ぎをするだけで良くなった。ゴーレムを倒すなどという夢物語を考える必要はない。そう思えた瞬間の気持ちの落ちつきようと言ったら、ゴーレムを目の前にしているとは思えないほどだった。


 ゴーレムはアスマを追いかけたいように見えたが、シドラスはそれを許すわけにはいかなかった。ゴーレムの行く手を阻むように立ち塞がり、ゴーレムに向かって剣を構える。剣を握る手には自然と力が入っていた。

 ゴーレムがシドラスを敵と判断したのか、邪魔な物の一つと判断したのか分からなかったが、アスマを追いかける前にシドラスを攻撃の対象と定めたことは振り上げられた腕から分かった。

 そこから、鞭を振るうようにゴーレムの腕は振り下ろされる。岩石の肌に重量が重なり、ゴーレムの腕は強く地面に減り込んでいた。


 シドラスはゴーレムの腕が自分を叩き潰すよりも先に横に避け、ゴーレムの腕を躱すことには成功していたが、そこから攻撃に転ずることは難しかった。伸び切ったゴーレムの腕は関節を器用に隠し、胴体に近づこうものなら、もう片方の腕を振るわれる。

 何より、倒れたエルを守りながら戦わなければいけず、それがシドラスの行動を大きく制限していた。

 エルを安全な場所に移動させながら、ゴーレムの進路を阻害する。そこに攻撃を加えることはシドラスと雖も不可能に近かった。


 やがて、シドラスはゴーレムの動きを捌くことすら難しくなってくる。ゴーレムは魔力が尽きない限り動き続けるが、シドラスはそうではない。エルを守るための行動も、ゴーレムの行く手を阻む行動も、シドラスの体力は着実に削られている。シドラスの動きが悪くなるのも必然的だった。

 少しずつシドラスの方がゴーレムに行く手を阻まれるようになっていた。仮にエルを見捨てればもう少しの時間稼ぎが可能だが、シドラスにそのような決断を下せるはずもない。何とか打開策を見つけなければ、エルと一緒にシドラスはここで果てることになる。


 そう思い始めた瞬間に、シドラスの体勢が大きく崩れた。シドラスはさっきまでと同じように動いていたつもりだったが、既に場がさっきまでとは違っていることに気づかなかったのだ。

 数度のゴーレムの攻撃により、地面は形を少しずつ変えており、そこに疲労が重なることで、シドラスは新たに生まれた些細な段差に躓くことになったのだ。


 倒れ込む中でゴーレムが腕を上げる姿を見る。シドラスは自分の死を悟ると同時に、安全な場所まで運び切れなかったエルと、逃走させるという選択肢しか選べなかったアスマに対して、心の中で謝罪していた。


(本当に申し訳ありません)


 その呟きの直後、ゴーレムの腕が落ちてきた。シドラスの視界は一気に暗くなった。



   ☆   ★   ☆   ★



 シドラスの視界が暗くなってからしばらく、シドラスの呼吸は未だ続いていた。シドラスはゴーレムの腕で叩き潰されたのかと思っていたが、今も思っているということはそうではないようだ。視界が暗くなったのも、何かの影がシドラスの上に現れたかららしい。

 そう思いながら顔を上げたところで、シドラスはゴーレムの腕を受け止める人物の姿を見た。その姿にシドラスは目を丸くし、小さな声を漏らす。


…?」

「身を屈めていろ。すぐ終わる」


 そう言うなり、ブラゴは両腕で受け止めていたゴーレムの腕を大きく払い上げた。地面を陥没させるほどの重量をしているはずなのだが、その動きは被った布を払いのけたように軽やかだ。

 そこから、ブラゴは握っていた剣を構え、払い上げたゴーレムの腕を更に切りつけた。その一撃で岩石の肌に傷がつくことはなかったが、更に大きく払い上げられたことで、ゴーレムは大きく体勢を崩している。


「それだけ体勢が崩れれば、自分の弱点のことまで頭が回らないだろう?」


 シドラスが瞬きをしている間に、ブラゴはゴーレムの足下まで移動していた。そこで体勢を崩したゴーレムの膝裏に一発、左右合わせて二発の斬撃を食らわせていた。それらの攻撃によって、足を使えなくなったゴーレムはついに地面に倒れ込む。


 そうなると後は簡単で、ブラゴは野菜を切るように腕を切り落とし、ゴーレムを行動不能に追いやっていた。その動きの素早さや鮮やかさはあまりに見事で、シドラスはゴーレムが動けなくなってからも、しばらく言葉が出てこなかった。


「何をしている?さっさと立て」


 近づいてきたブラゴにそう命令され、シドラスはハッとした。竜の模型から現れたゴーレムは全部で四体いた。今の一体を倒しても、まだ三体も残っている。

 そう思いながら、周囲に目を向けたところで、シドラスは信じられない光景を見た。


「な…!?あれは…!?」


 破片となった竜の模型の近くで、目の前のゴーレムと同じ状態になったゴーレムが三体倒れている。まだ魔力が尽きていないようで、手足を必死に動かそうとしている姿はどこか可哀相にも思えてくる。


「もう終わった」


 当たり前のように答えるブラゴに、シドラスは自らの上司の化け物さを改めて実感することになった。


(助かった…)


 言葉になりそうだったその感想を胸の内に収めて、シドラスが立ち上がったところで、ブラゴが倒れたままのエルを指差した。


「立ったなら、その馬鹿を支えていろ。ここから芝居の時間だ」

「え…?」


 シドラスがブラゴの真意を聞き出すよりも先に、ブラゴは大きく息を吸って、周囲に目を向ける。そこには逃げ遅れた人や、野次馬根性でシドラス達を見ていた市民が未だ結構な数残っている。


「我が剣を以て王国に降りかかる邪は祓われた!!」


 その一言により、シドラスはブラゴがこれらゴーレムまで祭りの演出の一つにしようとしていることに気づいた。確かに祭りの演出となることで安心する人々は一定数いるかもしれないが、それで納得しない人の方が多いに違いない。多くの人は、普段の祭りとかけ離れた演出に疑問を持つことだろう。


「流石に祭りの演出にするのは無理があるのでは…!?」


 シドラスが小声で言ってみると、ブラゴはいつもと変わらない冷静な目を向けてきた。


「それくらいは分かっている。欲しいのは、これが異常事態ではないという大義名分だ。平和な祭りの最中に荒事が起こったとなると、他国に対する心証が悪くなる。それは外交上大きな問題となりかねない」


 ブラゴの考えているところも分かるが、祭りの演出とすることが難しいもう一つの理由があった。シドラスはそのことをブラゴに伝えようとしたのだが、それよりも先にブラゴがエルを指差してくる。


「ゴーレムはそいつが操っていたことにさせる」

「え…?エル様が…!?」

「血液恐怖症のことは知らなくとも、そいつが平和主義者であることくらいは王都の人間なら誰でも知っているはずだ。そのような人物が操っていたゴーレムとなると、どれだけ危険な動きに見えても、きっと計算された行動だったのだろうと納得させることができる」

「そ、そんなにうまく行きますかね…?」


 流石に無理があるのではないかとシドラスは思ったが、無理があると言って事態が収まるわけでもないので、仕方なくブラゴの指示に従うことにした。できるだけシドラスが支えていると分からないようにエルを立ち上がらせる。エルは未だ気を失っているので非常に重たかったのが、何とか離れて見るだけなら疲れているだけに見えなくもない状態で立たせることができていた。


 それから、シドラスはブラゴに台詞の全てを任せることになったのだが、本当に事態が無事に解決するのか不安で仕方なかった。シドラスが何度想像しても、この強引な手段で人々が信じる様子が浮かんでこないからだ。


 しかし、現実は稀有なもので、人々はシドラスが想像していたよりも、ブラゴの話を信じていたようだった。どうやら、ブラゴやエルに対する信頼感がそうさせているらしい。

 これによって、シドラスが想像していたよりも、あっさりと事態は収束に向かい始めていた。


 ただし、その中でシドラスは一つだけ気がかりを抱えていた。

 それが逃げるように言ったアスマやベルのことである。二人が消えていった路地を見つめ、シドラスは二人のことを考える。

 無事に逃げているのだろうかと思うと、今すぐに追いかけたい気持ちが生まれてくるのだが、ゴーレムを回収するまで人が近づかないようにしなければいけないと言われたシドラスに、二人を追いかける余裕はなかった。

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