一日目(8)
遡ること二日前のことである。ベルはアスマの財布の恩人と知り合った。
アサゴという青年で、ベルやアスマと一緒にパンテラでティータイムを過ごしたのだが、その後、仕事があるからと帰るアサゴをアスマが呼び止めた。
どうやら、アスマは新聞の記事の謎について気になり続けているようで、新聞記者というアサゴに何か分かったら教えてくれるように頼みたいようだった。
何か分かったら王城に来るように言っているが、アスマはそれだけでは足りないようで、アサゴの住所を聞いていた。
アサゴもアスマの素性は把握しているので、警戒心を一切見せることなく、住所を簡単に教えていたのだが、そのことが原因で竜王祭の最中にアサゴはアスマ達の強襲を受けることになっていた。
出版社で王子の威光を振りかざし、アーサーの情報を聞き出そうとしたアスマだったが、アーサーはかなり秘密主義のようで、出版社は一切口を割ることがなかったのだ。
そこで、記事の方からアーサーに迫ろうと考えたアスマがアサゴ経由で新聞社と繋がろうと考えて、アサゴの家までやってきたのである。
しかし、その前に一つだけ問題が発生していた。
アスマがアサゴのところに向かうと言い出した時、ベルとベネオラは既にアサゴと面識があったので、すぐに受け入れたのだが、シドラスはどうにも疑念があるようだった。
そもそも、新聞記者は様々な記事を新聞に載せることが仕事なのである。
シドラス曰く、十七年前のアスマの誕生時にも問題を大きくしたのは新聞だったようで、新聞記者という職業の人物を信用できないらしい。
アサゴの性格を考えるに、問題を拡大させるような記事を載せることはないと思うが、シドラスに説明したところでシドラスが納得するとも思えないので、ベルは結局放置しておくことにした。
その結果、アサゴの家の前に来ても、シドラスは険しい表情をしたままである。
「あの、シドラスさん?」
「何ですか?」
「そんなに警戒しないでいいと思いますよ?」
「いえ、ベネオラさんは気づかなかっただけで、その記者が殿下の記事を書こうと狙っていた可能性は消えていませんから」
「考え過ぎだと思いますよ?」
シドラス専用の色眼鏡を持っているベネオラでも、流石に今のシドラスは行き過ぎだと感じているようで、終始苦笑していた。
ベルもシドラスの警戒心は病的だと思っている節があるが、シドラスの仕事の性質上、それを否定することもできないので困っているところがある。
特に今回の場合のような警戒心が不必要だと分かり切っている場合においては、ただ回り道をさせられている気分になって、正直不快だ。
「殿下、注意してくださいね。急に写真を撮られるかもしれません」
「そんな記者がいたら、ある意味テロリストより怖いな」
シドラスの警戒心にベルとベネオラが戸惑っている中で、アスマ一人だけ気にしていない―――というよりも、気にするだけの余裕がないようだった。
アーサーが新聞記事の暗号に関わっている可能性に気づいた瞬間から、アスマは興奮が抑え切れない状態だった。
出版社に向かう時のような闘牛状態になり、今にもアサゴの家に突入しそうなところをベルが必死に落ちつかせたのだ。
そうしないと、今頃はアサゴの家の壁に人型の穴が開いていたに違いない。扉の一つでもつければ第二の玄関になるかもしれないが、同じポーズを取らないと出られない人型の扉など、アサゴは望んでいないだろう。
落ちついたアスマは扉を軽くノックしていた。本当の強襲のようにドンドンと拳で扉を叩いて、中のアサゴを恐怖のどん底に陥れるのかもしれないと思っていたベルからすると、その普通のノックが絶賛しなければいけない行為のように感じてしまう。
数度のノックの後にアサゴが顔を覗かせた。
留守番を任された子供のように、酷く怯えた表情をしていたが、そこに立っているのがアスマ達と分かって、一瞬だけ表情を綻ばせた。
しかし、それもほんの一瞬のことで、すぐに何かに気づいたようにハッとしてから、アスマを少し緊張した顔で見ている。
何かを恐れていたのだが、アスマと気づいてホッとして、すぐに王子だと思い出し、緊張し始めた。そのようなところだろうかとベルは想像する。
「どうされたのでしょうか?」
そう聞きながら、アサゴの目がシドラスとぶつかって、急に表情を強張らせていた。シドラスの顔を見なくても、その表情を見ているだけで想像できるくらいの強張り方だ。
「ちょっとアサゴ君に協力して欲しいことがあって」
「協力?」
突然の話に困惑するアサゴを置いて、アスマはポケットに夢中になり始めた。
ポケットと遊び始めたアスマにアサゴの困惑は加速しているようだが、ベルはアスマが何をしているのか分かるので、特に口を挟まないでおく。
「これ」
そう言ってアスマがアサゴに見せたのは、二日前にもアサゴに見せた新聞の切り抜きだった。
ベルが切り抜いた記事で、探偵シャーロック展を訪れたことにより、作家アーサーが関わっているのではないかと考えられるようになった謎の記号が描かれている。
突如、突きつけられた新聞の切り抜きに、アサゴの困惑は頂点に達したようだった。
大きく歪ませた表情には、でかでかと困惑という文字が書かれているようにも見える。
「その記事が何か?」
「この記事が出版社でアサゴ君なんだよ!?」
「穴埋め問題、間違えたみたいになっているな」
アスマの言いたいことを把握しているベルでも理解できなかったのだから、アサゴに理解できるわけもなく、アサゴはただただきょとんとしていた。
アスマはベルの注意を受け、自分の中で言いたいことをまとめてから、アサゴと再び向き合う。
「さっき探偵シャーロック展に行ってきたんだよ」
その発言にアサゴがビクンと身体を動かしたのは、二日前にベルが睨みつけたからかもしれない。
「そこで、この記事に描かれている記号と同じ物を見つけたんだよ!!アーサー先生の原稿に!!」
そう言われてアサゴは一瞬眉間に皺を寄せ、首を傾げて考え込み始めたかと思うと、すぐに間抜けに口をぽかんと開けて、言葉を漏らした。
「あ…」
「気づいた!?そういうことだよね!?」
「え…?あ…いや…」
「それで新聞社からアーサー先生に記事のことをついでに聞こうと思うんだけど、そのために新聞記者だっていうアサゴ君の力を借りたいんだ」
「あ…いや…その…」
明らかにファンとしての意識が先行しているとだだ漏れのアスマだったが、その熱意のほどだけは確かで、アサゴは気圧されているように見えた。
しどろもどろに答えることしかできず、そのことがシドラスの疑念を加速させたようで、シドラスの表情は更に険しいものになっている。
そろそろ、シドラスがアサゴを詰問し始めるのではないかとベルが懸念し始めた瞬間、シドラスがアスマ達の間に身体を割り込ませてきた。
「申し訳ありませんが、少しよろしいでしょうか?」
「え?あ、僕ですか?」
「そうです。お伺いしたいのですが、貴方はどちらの新聞社にお勤めでしょうか?」
「どちらの新聞社…?」
「おい、シドラス。どういう質問だ?」
「では、ベルさんは答えられますか?この人はどの新聞社に勤めている記者ですか?」
「いや、それは知らないが」
「そこ、おかしいですよ。ベルさんも殿下も危機感が低過ぎます。一口に新聞と言っても、政治新聞からゴシップ記事ばかりのどうしようもないものまで様々なんです。そのどこの記者かによって、振る舞いを変えなければいけない立場に殿下はいるのです」
「でも、こいつのイメージなんて、既に地に落ちているだろ?」
「何を言っているんですか!?王都ではそうでも、他国に対してのイメージは未だに最強の魔王のままですよ!!」
「あれ?おかしいな~?何か俺の悪口を言われている気がするよ?」
シドラスの心配も行き過ぎと思われる領域に達していたが、既に行き過ぎてしまっているので、ベルやベネオラの声は聞こえないようで、何を言ったところで聞いている様子がなかった。
それどころか、口ごもるばかりのアサゴの様子に疑いを強めている。
「すみませんが、少し確認してもよろしいでしょうか?」
「え?何をですか?」
シドラスがアサゴを真正面から見つめ始めたことで、ベルは次にシドラスの取る行動が分かってしまった。
咄嗟に手を伸ばして、シドラスの動きを止めようとする。
「ちょっと待て!?それは犯ざ…!?」
ベルが言い切るよりも先にシドラスはするりと動いて、アサゴの脇を通り抜けていった。
軟体動物のような滑らかな動きに、通り抜けられたアサゴもそうだが、先に行動を読んでいたベルもついていくことができなかった。
気づいた時には家の中にシドラスが入り込んでおり、ベルは二日前の泥棒はシドラスだったのではないかと疑うほどに鮮やかな手つきで、アサゴの部屋の中に散乱していた様子の紙を手に取っている。
それを見た瞬間に、アサゴは一瞬で青褪めて、口をパクパクと動かし始めた。まっすぐに伸ばされた手はシドラスを止めるためだったのだろうが、シドラスに近づくための足が動いていないので、宙を泳ぐばかりでシドラスには触れてもいない。
「これは…」
そう呟いたシドラスがどこか驚いた顔をして、こちらに目を向けてきた。
何をそんなに驚いているのかとベルが不思議に思いながら、シドラスの視線を追ってみると、アサゴの顔に行きついた。
どうやら、シドラスが驚いているのは、アサゴに関することらしい。
「どうしたんだ?」
「どうしたの?」
ベルとアスマが口を揃えて聞くと、未だ驚いたままのシドラスが一言ぽつりと呟いた。
「貴方がアーサーなのですか?」
『はい?』
ベルとアスマに加えて、今度はベネオラも声を揃えてから、全員の視線がアサゴに集まった。
アサゴは戸惑いや照れ臭さを捏ねて固めた表情をして、ゆっくりと首を縦に振った。
「ええっ!?」
誰よりも大きなアスマの叫び声が祭りの喧騒を引き裂いたのは言うまでもない。
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