前々日(5)

 フーから購入した球体型の魔術を持ち、王城内を歩くエルは疲弊し切っていた。フーに監視用の魔術を頼む際に登録タイプと注文したのだが、これが疲弊し切った原因だ。


 そもそも登録タイプとは、人が通ることで反応する監視用の魔術が必要以上に反応しないように、事前に反応しないでいい相手を登録するタイプのことだ。

 その登録方法は多岐に渡り、中には魔術師の記憶を利用することで、反応しない相手を登録することのできるタイプもあったりするのだが、フーから購入した監視用の魔術は、そんなにいいものではなかった。

 それどころか、登録タイプの中でも最も手間のかかる、一人一人の基本情報と毛髪等の身体の一部が必要なタイプだったのだ。


 そのため、登録に膨大な時間がかかってしまい、魔術を使って効率を上げても、全ての人を登録するのに一日ほど必要になってしまった。

 その間、エルは一切休むことができていないので、ラングとの魔術学の勉強を終えたアスマのように、燃えカスとなってしまっている。


 とぼとぼとした足取りで、球体型の監視用の魔術だけを手に持って、エルは幽霊らしき人影の目撃されたあの場所に向かう。その道中でメイドや衛兵とすれ違うが、普段なら声をかけてくる相手でも、エルに声をかけてくる人はいなかった。それくらいに気を遣うほど、エルの様子は傍から見た時に酷いらしい。


 やがて、エルは目的の幽霊らしき人影が目撃された場所に到着する。そこでエルはそれまで全身を支配していた疲労を忘れるほどの感情に襲われることになった。

 その感情の原因となったのは、その場所に先にいた人物である。


「あ、悪魔…!?」


 エルが思わずそう呟いた時、エルの頭は怒りや嫌悪感で支配されていた。


「何だ、お前か」


 エルの呟きに平然とそう答えたのは、エルにとってと言えるブラゴだった。過去に何かしらの因縁があったわけではないのだが、エルはブラゴをに嫌っていたのだ。

 それもこれも、エルの抱えている絶対的なが原因だ。それがブラゴを嫌う理由に繋がっている。


「お前にお前とか言われたくないんだよ!?」


 エルはブラゴを指差して、必死に抗議の意思を態度で示していた。エルにとって、ブラゴと対等に位置することは嫌なことの一つなのだ。


「悪魔は悪魔らしく下手に出ろよ!!」

「どんな偏見だ?それに私の記憶が確かなら、お前の方が悪魔と呼ぶに相応しい力を持っていたはずだが?」

「力がどうとかじゃないんだよ!!人を平気で斬れる奴が人間なわけないだろうが!!」


 その叫びと共に少しずつだが落ちつきを取り戻し始めたところで、エルは自分達の険悪さに困惑した表情で立ち尽くしている人物の存在にようやく気づいた。苦笑と呼ぶには笑みの薄い、困惑のお手本のような顔をしたその人物はエルにも見覚えがある。


「貴方は確か、パンテラに良くいる…」

「大工のラファエロです」


 表情を変えることなく、ラファエロがエルに会釈してくる。


「何でラファエロさんがいるの?」

「昨日、ヴィンセントさんから、この場所の壁が崩れているという報告があってな。その修復のためにお呼びした」

「ああ、そういういこと…ん?お前は?」

「ラファエロさんの道案内だ」

「騎士団長のお前が?」

「ああ、そうだが。それが?」

「暇人」

「そのままお前に突き返そう」


 再び言い争いが始まりそうなエルとブラゴの様子を見て、ラファエロの困惑は深まっているようだった。その表情は流石のエルもブラゴに対する怒りを忘れるほどに可哀相なものである。


「取り敢えず、ラファエロさんに説明しろよ」

「お前が来なければ、とっくに始めていた」

「何だ、と……いや、何でもない。早くやれ」


 エルはブラゴに対する怒りを堪えるように、強く拳を握り締めていた。そのことにラファエロは気づいているようで、エルの両手を見て、困惑した表情に笑いを足している。


「それではすみませんが、お願いしてもよろしいでしょうか?」

「はい。場所は?」

「そこですね。その壁の上部にあります」


 ブラゴが指差した方向に目を向け、ラファエロは崩れを確認しているようだ。身長よりも高いところに崩れは位置し、視認はできるが触れることは難しい場所だ。


 ラファエロはその崩れを確認したところで、その場所に触れるために近くに置いてあった梯子を手に取った。エルの記憶が確かなら、その場所に梯子は置いていなかったので、ラファエロが念のために持ってきた物なのだろう。


「登ってもいいですか?」

「はい。問題ありません」


 ブラゴに確認してから、ラファエロは壁に梯子を立てかけて、崩れに近づくように梯子を登っていく。その場所は一階の廊下しかなく、その上は屋根になっていて、乗ることができるはずだ。

 そう思っていると、ラファエロが梯子の上で振り返り、ブラゴの方を見てきた。


「この上に登っても大丈夫ですかね?」

「はい。大丈夫です」

「それじゃあ、失礼しますね」


 そう言いながら、ラファエロが屋根の上に登っていく。屋根の上に大工道具を広げながら、崩れた跡を目の前で見ようとしているようだ。

 その様子を下から眺めるエルは、俯瞰的に自分の様子を想像して、ふと我に返った。


(俺は何で、こいつと並んで見てるんだ?)


 エルがこの場所にやってきた目的は、球体型の監視用の魔術を設置するためである。ラファエロが壁の崩れを修復するところを見るためではない。

 そのはずなのに、エルは魔術を設置することなく、ラファエロが壁を修復するところを眺めている。それもエルにとって、何者よりも嫌いなブラゴと仲良く並んで。


 その事実に気づいた瞬間、エルは貴重な人生の一部を溝に捨てたような気分になった。数分前の自分に止めを刺した方が有意義な人生を送ったと誇れるほどに、この時間は無駄だと感じる。


 さっさと魔術を設置してこの場を離れなければ、酷く後悔することになると思い始めたところで、エルは魔術を地面に埋め込むための穴を掘り始めた。もちろん、手で掘るのは疲れるので、地面を刳り貫く魔術を持ってきている。紙に術式が描かれているタイプで、これを地面に貼って、魔力を注ぐことで穴が掘れるはずだ。

 そう思って、エルが紙を貼ったところで、ブラゴが怪訝げに見てきた。


「悪戯か?」

「そんなわけないだろうが!!」

「お前とライトとアスマ殿下は悪戯が好きだと認識しているが?」

「それは間違ってないところがムカつくんだよ!!」


 作り出した穴の中に球体を埋め、魔力供給を止める術式の描かれた紙を剥がそうとする。そこでエルはと気づいて、屋根の上で作業中のラファエロに目を向ける。


 この紙を剥がすことで、監視用の魔術は作動し始め、この場所に部外者が立ち入った時に反応するようになるのだが、エルが一日頑張って登録した人の中にラファエロはいないので、ここで紙を剥がした段階で、魔術が反応してしまうことになる。

 現在の人の出入りの激しい王城で、もしもこの魔術が作動したら、それは一つの騒ぎになってしまう。ややこしいこと、この上ない。


 この場所に関しては人通りがあまり多くないので、王城に住む人だけ登録しておけば問題ないとエルは思っていたのだが、想定していなかったことが原因になって、魔術を設置することが難しくなってしまった。


 エルはブラゴを一瞥してから、もう一度、魔術に視線を戻して、自分が取れる行動をいくつか考える。その中でエルの思うマシな選択がどれなのか冷静に選ぼうとする。

 そこでエルが決断を下し、ブラゴに後のことを任せようとしたところで、壁の崩れを見ていたラファエロが顔を覗かせた。


「壁自体は問題なく直せそうです」

「それではお願いしてもよろしいですか?」

「はい。ただ最初に伺った話と少し違っていて、老朽化が原因ではないようですよ」

「どういうことですか?」

「これは最近できた傷ですね。というよりも、という印象でしょうか」


 ラファエロのその発言にエルはブラゴよりも強く反応してしまう。それはエルの調べていることに答えを齎すかもしれない情報だった。


「ラファエロさん、その傷はどの方向に削ったか分かる?」

「えっと、恐らく、こっちからそっちにですね」


 ラファエロが自分の身体から下にいるエル達に向かって手を動かす。傷は上から下に向かって削られているようだ。

 そこまで分かれば、エルの頭の中で全ての出来事が繋がるのに時間はかからなかった。


「幽霊の正体はそれか…」

「幽霊?何を言っているんだ?」

「メイドが見たって言ってたんだよ。正確には、急に消えた人影なんだけどな。その絡繰りが分からなかったんだが、その傷が最近できた傷なら話は変わってくる」

「上に登った」

「正解言うな」


 壁に引っ掛けることのできる何かを持ち、屋根部分に引っ掛け、身体を持ち上げるように引っ張ることで、その上に登った。そうすることで、人影を目撃したスージーの視界から一瞬で消えた説明がつく。

 そしてそれは同時に、その場所にいた人物が王城内に住む人ではない可能性が高まったことも意味している。


「それは侵入者がいたことにならないか?」


 すぐにそのことを理解したらしいブラゴが険しい表情でエルに聞いてきた。普段の関係性など無視して、緊急事態にすぐさま対応しようと考えているようだ。


「最初から、その可能性はあったことだ。だから、そいつを仕掛けたんだよ」


 エルが地面に埋め込んだ球体を指差す。夜間に誰かが歩いていたという時点で、それが侵入者である可能性は大なり小なり存在していた。その可能性が当たっていた時のために、エルは一応の用意として、フーのところで監視用の魔術を買ったのだ。


「正解だったみたい」

「そのようだな」


 そこでブラゴは何かを考え込み始めた様子だった。エルはそろそろ立ち去ろうかと考え、ブラゴに残された作業を頼もうかと思っているのだが、その様子に頼むこともできない。


「その侵入者は今朝の窃盗犯と同一犯なのか…?」


 ブラゴは自分の考えをまとめるように小さく呟いていた。


「そいつは違う。あの泥棒はだ」


 その独り言のような呟きにエルがそう答えたことで、ブラゴはとても驚いた顔をしていた。


「どうして、そう言い切れる?」

「盗まれた物が分かりやすく金目の物で、尚且つ、ある一定以下のサイズの物しかないと聞いた。そいつは何が金目の物か判断できる目があまりないこと、持ち運べる量に制限があることを意味している」

「それだけで?」

「それに、今の夜間の警備は普段の王城と変わらない。侵入するなら、警備の緩くなっている昼間だが、昼間に侵入しても犯行は難しく、今回の犯行が夜間に行われているなら、そこまで王城内に潜む必要がある。そうなった時、お前なら夜まで見つからずに隠れられる場所が思いつくか?俺は思いつかない。しかし、子供なら…」

「そういうことか。子供なら隠れられる場所は広がり、大人の目の届かないところに隠れることもできる」

「聞いた話からの推理でしかないが、可能性は高いと思うぞ」

「なら、そのまま侵入者の方も推理してみないか?」

「情報が少な過ぎる。魔術師でも、アスマ殿下みたいに特殊な身体能力を持っているわけでもない、ある程度の長さの武器か道具を持った性別不明の人物、としか言いようがない」

「魔術師や特殊な身体能力を持っているわけでもないというのは、どこから分かった?」

「魔術は前に調べたが、痕跡が一切なかった。身体能力は殿下だったら、道具に頼らず跳躍だけでこの壁は登れるだろう?道具を使っている時点で、ここを登った人物はお前とかと同じで、身体を鍛えただってことだ」

「それが程度に思えるのは、少しを見過ぎたな」

「ああ、俺も言ってて思った」


 エルとブラゴが話し込んでいる間、ラファエロは屋根の上で行儀良く待っているようだった。そのことに気づいたブラゴが壁の修復を開始するように頼んでいる。

 それが終わって、ブラゴが暇になったところで、ようやくエルは立ち去るためにブラゴに残された作業を伝えることにした。


「おい、悪魔」

「急に何だ?」

「ラファエロさんがここから離れたら、そいつを剥がしておけ」

「何故、私が?」

「俺はこれ以上、お前と一緒にいたくないんだよ。いいか?ラファエロさんがいなくなった後だぞ?そうしないとかなり面倒なことになるからな?」


 エルからの一方的な頼みに、ブラゴは面倒な顔をしていたが、それを断る気もないようだった。それは恐らく、頼まれた内容が簡単なことだからだろう。


「ちゃんと剥がせよ?」

「分かった。剥がすだけでいいんだな?」

「ああ、そうだ。そうしたら、泥棒と違って、侵入者の方は見つかるかもしれない」

「そうか。そうなると助かる」


 ブラゴが素直にそう言ったところで、エルは言葉を失ってしまった。どう反応したらいいか分からないので、そのまま立ち去ることにする。


 ブラゴの方は了承したのだから大丈夫だと思うが、可能性の高まった侵入者の方は厄介だと考えていた。この祭り前の面倒な時期に面倒なことが分かってしまったと頭を抱えたくなる。

 特に厄介なのが、侵入者の目的が一切思いつかないことだ。この時期に王城に侵入して何をするのかとエルも考えてみるが、思いつくことは何もない。


 そもそも、エアリエル王国に関する出来事の中には、エルにも理解できないことがいくつかあった。それも結構な大事の中に潜む解明されていない出来事だ。

 今回の一件も、それに関わることなのかと考えてみるが、そうだとしたら簡単には分からないことのはずだ。


 結局、エルは頭を働かせるだけ働かせて、何も分からないということしか分からない。

 そのことに疲れを感じ始めたところで、一日を監視用の魔術に費やしたことを思い出し、エルは自室のベッドでゆっくり眠ろうと考え始めるのだった。

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