前々日(2)
使用人の居住棟に侵入した泥棒を探す上で、現場の指揮を任されたのが、騎士のセリスだった。王国騎士団に三人しかいない女性騎士の一人で、スートの貴族に数えられるクラブの一族出身の貴族でもある。
非常に真面目な性格は様々な人物からの評価が高く、人をまとめる能力に長けていることもあって、ブラゴに次いで騎士や衛兵をまとめることが多い人物だ。
今回の一件を任されたのも、それらの評価が関わっている部分は多かった。人をまとめられて、メイドの居住部屋を調べる必要があるので女性が好ましいとなると、それはセリス以外に考えられない。
しかし、今回はそのセリスを以てしても、今回の泥棒を見つけることは難しいようだった。調査開始の直後から逃走ルートの特定を進めていたが、それすらも分からない状態が続いている。
分かっていることは犯行が夜間に行われたことくらいだ。
それ以外には盗まれている物がアクセサリーや財布などの小物で、尚且つ、一目で金になると分かる物ばかりで、少し大きい金目の物や見る人が見ると価値が高いと分かる物などは盗まれていないことも分かっているが、それらで犯人が特定できるとは思えない。
結局、居住棟の様子から分かることで、犯人の特定に繋がることは何一つないようだった。少なくとも、セリスはその痕跡を見つけることができなかった。
セリスによる調査のため、立ち入りを禁止された居住棟の前には、自分達の盗まれた物が帰ってくるのか心配そうにしている使用人達が集まっている。
その中には、仕事を放棄することを本来は咎める立場であるルミナも交ざっている。ルミナも何かを盗まれたというよりも、この状況では仕事が手につかないことを理解しているというところだろう。
やがて、セリスは使用人達に説明をするためにその場に現れた。そこで深々と頭を下げて、使用人達を慌てさせる。
「申し訳ありません。私達は今回の窃盗犯を見つけることが難しいようです」
調査の結果判明した、その使用人達にとって残酷な事実をセリスは口に出す。そのことに使用人達は慌てていたことも忘れて、酷く動揺したようだった。
ベルのように全財産を盗まれた者はいないと思うが、それでも大切な物が盗まれている事実は変わりない。
それが戻ってこないという現実は受け入れがたいもののはずだ。それはベルも良く知っていることだった。
そして、それはセリスも良く分かっていることのようだった。使用人達から批判の声が飛び出す前に、セリスは今回の一件に関する王国側の対応を説明し始めた。
「今回の一件は完全にこちら側の警備不備が招いたことなので、被害の一切は王国が補償させていただきます」
この一言に使用人達は少し安堵したようだった。
それは全財産を失ったベルも同じことだ。メイドとして働いているが、給与を貰っているわけではないので、ここで補償されなければ、しばらくの間、無一文で暮らすことになるところだったのだ。
「ただし、大変申し訳ないのですが、アクセサリーの類は全く同じ物を用意することが難しいので、同等の金銭で補償させていただく形になります。一応、王都全体の店に通達を出して、似たアクセサリーがないかは聞きますが、確実に区別がつくかどうか分からない点や王都の外で売られる可能性もあるので、確実に戻るとは保証できません」
このセリスの説明に一部の使用人達は不満そうな顔をしていた。金銭で補償されたところで、そのアクセサリーが戻ってこないのなら、きっと意味がない人はたくさんいる。
それはベルも経験したことだから良く分かった。
しかし、そこに不満を懐いても、セリスの言っていることが正しいことも事実だ。文句は我が儘にしかならないことを分からない人はその場にいなかったようで、不満が言葉として漏れることはなかった。
「はい!!」
パン。手を叩く音と一緒にルミナが声を出して、使用人達の目がそちらを向いた。
「セリス様からの説明で少しは安心したと思います。ですので、そろそろ仕事に入りましょう。このままでは結局、減給されますよ」
ルミナの減給発言が効いたわけでもないだろうが、使用人達は少しずつ仕事に戻り始めた。セリスも引き続き捜査を進めるようで、再び居住棟の中に入っていく。
ベルもその流れに乗って仕事に入ろうと思ったところで、ルミナに話があったことを思い出した。居住棟に入っていくセリスを引き止め、居住棟がどれくらいで開放されるか聞いているルミナを待ってから、ベルは声をかける。
「メイド長」
「何ですか、ベルさん?」
「祭りの間のことなのですが、休みを貰うことはできますか?アスマが一緒に回りたいと言っていまして」
ベルが軽く下手に出ながら頼み込むと、ルミナは少しぽかんとしていた。その表情にベルも同じようにぽかんとしてしまう。まるでルミナはベルが何を言っているのか分からないようだ。
「ええ、それはもちろん、そのつもりですが…」
「え?そのつもり?」
「ですから、ベルさんはアスマ殿下とご一緒されるのだろうと思って、その予定で調整しています。まさか、それを今、ベルさんから言われるとは思っていませんでしたが…」
「それでは、私は休んでもよろしいのですか?」
「もちろん。寧ろ、竜王祭期間中は殿下とご一緒されることがベルさんの仕事だと私の方では認識しています」
想定していたよりもあっさりと休みが取れてしまったことにベルは唖然としていた。あまりにあっさりとし過ぎていて、ルミナが去って、仕事に入るために歩き出しても、実感が湧いてこないほどだ。
(あっさりと休みが取れた。本当に休んでもいいんだよな?あっさりし過ぎて、不安になる)
そう思いながら、ベルはアスマのことを思い出していた。アスマはきっと気にしていることだろうから、後で教えてやらないといけないと思う。
「そういえば、アスマは休みを勝ち取れたのか?」
不意に湧いてきた疑問を口に出してから、ベルはかぶりを振った。あのシドラスの性格を考えるに、それはありえないことだと思い直す。
(今頃、アスマも諦めていることだろう)
ベルは納得するように小さくうなずきながら、メイドの集まる控え室に入っていった。
☆ ★ ☆ ★
使用人の居住棟近くのこと。居住棟にこっそりと近づく影があった。
それは今朝、この居住棟に入った泥棒―――ではなく、その泥棒を探す情熱に囚われたアスマだった。
本来なら、シドラスとの剣の稽古の最中だが、トイレに行くと言ってその場を離れ、トイレには向かわずにこの居住棟にやってきていたのだ。
アスマの目的はもちろん、泥棒を捕まえることであり、そのために泥棒を特定する痕跡を見つけることだ。もちろん、セリスがそれをできていない時点で、簡単なことではないのだが、アスマは全知全能の探偵になった気でいるので、不可能だとは微塵も思っていない。
アスマは居住棟の外から、こそこそとその中に入る方法を探し始める。アスマが泥棒を見つけるためには、誰にも気づかれずに中に入って、誰にも気づかれない痕跡を探さなければいけない。もちろん、そんなことは不可能なのだが、アスマは全知全能の探偵になっているので、不可能だとは微塵も思っていない。
居住棟の窓に近づき、その中をこっそりと探ってから、アスマは侵入するために窓に触れる。うまく開かないかと思って、少し動かしてみるが、鍵が閉まっているようで、窓は開く気配がない。
ここは無理かと思って、アスマが移動しようとしたところで、窓が急に音を立てて動き出し、アスマの身体は自然と止まった。
「何をしているのですか、殿下?」
さっきまで鍵が閉まっていたはずの窓が開き、そこからセリスが顔を出していた。屈んでこっそりと移動しようとしているアスマに、とても冷たい目を向けている。
「何をしているのですか、殿下?」
「いやー、ちょっと調べ物を」
「何を調べているのですか?」
「その~、俺が泥棒を捕まえようかなって思って」
「必要ありません」
「いや、でも、俺も何かの役に…」
「立てません。殿下は邪魔という言葉を良く知るべきです」
「何でシドラスと同じことを言うの!?」
「とにかく、殿下はしばらくこの居住棟に近づかないでください。殿下がいると邪魔になりますから。分かりましたね?」
「いや、でも…」
「分かりましたね?」
セリスの放つ無言の圧力に、アスマはゆっくりと首を縦に振ることしか許されなかった。無情な音を立て窓が閉まり、アスマは居住棟の外に取り残される。
これにて、全知全能の探偵アスマの活躍は終わった―――のだが、アスマが簡単に諦めるわけがなかった。
セリスに見つからない場所を見つけて、居住棟の中に潜入してやろうとアスマは考え、引き続き居住棟の周囲を歩き始める。
こっそりと居住棟の入口が見える場所まで移動して、そこから入口の様子を探ってみる。入口には衛兵が立っていて、完全に封鎖されているようだ。
廊下の陰から覗きながら、アスマは他に入れる場所を想像して、その場所に移動しようと動き出す。
その瞬間、アスマは誰かとぶつかった。よろめくアスマに対して、ぶつかった相手は派手に転んで、アスマは慌てて謝る。
「ご、ごめん!?大丈夫!?」
「いえいえ、こちらこそ、急いでいて気づかず」
そう言いながら、アスマが伸ばした手を掴んで、顔を上げたその人物はテレンスだった。
「あ、テレンス。ごめんね、大丈夫?」
「殿下でしたか。私は大丈夫です。殿下の方こそ大丈夫でしたか?」
「俺は大分丈夫にできているから大丈夫だよ」
テレンスは額に汗を掻き、酷く慌てている様子だった。アスマの手を掴んで立ち上がってから、すぐに立ち去ろうとしている。
「大丈夫?祭りの準備ってそんなに大変なの?」
「え?あ、ああ、まあ、そんなところです。申し訳ありません。急ぎますので」
「ああ、うん、頑張ってね~」
アスマは足早に立ち去るテレンスに向かって、手を振って見送っている。
「頑張ってね~、ではありません。何をやっているのですか、殿下?」
手を振るアスマの背後から、急にその声は現れた。アスマは恐怖に彩られた顔で、ゆっくりと背後を振り返る。
そこには、顔に怒りを描いたシドラスが立っていた。
「殿下?」
「ご、ごめんなさい」
「分かっているならいいです。行きますよ」
シドラスはアスマの首根っこを掴まえて、中庭に向かって引っ張っていく。
「いや、あれだよ?ちょっと泥棒を探そうとしていただけだからね?」
「分かっていますよ。サボっていたんですよね?」
「分かってないよね!?泥棒を捕まえるために動いていたんだって!!」
「それをサボりって言うんですよ。それぞれが自分の役目に沿って動いているんです。今の殿下の役目は剣の稽古をすることだと言ったはずですよ?」
「いや、でも…」
「デモもクーデターもありません。皆が祭りの準備で忙しいこの時期にサボっているのは殿下くらいなものですよ。恥ずかしくないのですか?」
「ん…今の状況の方が恥ずかしいです」
そう呟いたアスマは引き摺られる様子をメイド達にくつくつと笑われている状態だった。
「ちょうどいい罰です。次に逃げ出したら、私ではなく馬が引っ張りますからね」
「それって罪人にする奴じゃない?」
この後、アスマは剣の稽古の最中に、実際にトイレに行きたくなるのだが、シドラスは許してくれず、稽古が終わるか漏らすかの極限状態になるのは、また別の話だ。
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