前々々日(11)

 アスマが二杯目のコーヒーを空にして、ベルが追加で頼んだプリンを食べ終えたところで、店の外が俄に騒がしくなってきた。既にラファエロとオーランドが帰った後で、店内に残っている客はアスマとベルしかおらず、グインとベネオラを含む四人で外の騒がしさに不思議そうな顔をしている。


「何?お祭り始まった?」

「前々々日だぞ?早過ぎるだろ?」

「前祝い的な」

「前々々祝いだぞ?早過ぎるだろ?」

「ていうか、女の人の声しかしなくない?」


 ベネオラの指摘通り、外から聞こえてくるのは、女性の黄色い声ばかりだった。その声と盛り上がりは大通りを有名な俳優が歩いているようだ。

 ベルはそんな風に考えたところで、実際にそうなのではないかと思った。今は竜王祭の前なのだから、普段は起きないことが起きても不思議ではない。


 そう思って、その説を口に出してみたのだが、アスマとベネオラにはきょとんとされた。


「有名な役者?」

「そうなりますかね?」

「分からない。ならないと思うよ。それなりに有名な人なら良く歩いているし」

「アスマ君でならないしね」

「グイン。私がおかしいのか?これは私がおかしいのか?」

「まあ、そうだな。おかしいというか、ベルさんの常識は王都の外の話で、王都ではちょっと違うんだよ」

「そうか。王都がちょっと違うんだな。私がおかしいわけじゃないんだな」

「まあ、そういうことにしておこうか。ベルさんの精神を守るために」


 ベルが大きく目を見開いて、グインに必死に訴えたかけたところで、外の騒がしさが更に大きさを増して、パンテラの前で停止した。

 アスマ達四人が顔を見合わせて、互いに首を傾げ合っている間に、店の扉が開かれたことを知らせるベルが鳴る。


「あ、いらっしゃいませ」


 ベネオラが扉に向かって声をかけたところで、その場所に立っていたのはライトだった。ニンマリと笑みを浮かべて、アスマ達に向かって片手を上げながら、軽く挨拶してくる。


「やあ、殿下。ご機嫌麗しゅう」

「ご、ご機嫌ウルルルシュー?」

「やあ、ベル婆。ご機嫌麗しゅう」

「どうした?拾い食いは良くないぞ?」

「ベル婆?開幕言うことじゃないと思うよ?」


 ベルの言い方にライトは困惑したように笑ってから、はたと何かに気づいたように表情を変えた。どこか驚いた目でベルをまじまじと見てきて、ベルはさっき食べたプリンが頬についているのかと少し恥ずかしく思いながら、自分の頬に触れてみる。


 しかし、頬にプリンがついている感覚はなく、ライトが何を驚いた目で見ているのかとベルが疑問に思ったところで、ライトが距離を詰めてきた。


「ベル婆、普通なの?特に何も思うことなく?」

「何だ?何がだ?急に近いとは思っているぞ?」

「いや、そういうことじゃなく、こうドキドキするとか、そういうのはないの?」

「誰が更年期だ!?」


 ベルの鉄拳が炸裂した。


「言ってねぇー!?」


 理不尽な拳の襲来にライトは面食らった表情で、痛みが留まっているであろう頬を手で摩っている。拳を握ったまま息を荒げるベル、困った笑みを浮かべているベネオラ、呆れた様子で傍観しているグイン、その中でアスマは腹を抱えて笑っている。

 ライトは痛がりながら、店の中をゆっくりと見回して、ベネオラに目を止める。


「ベル婆だけじゃなく、もしかして、ベネオラちゃんも普通?」

「えーと…何がですか?」

「こうドキドキするとかない?」

「誰が更年期だ!?」


 ベルの鉄拳が炸裂した。


「何で!?」


 アスマが床でじたばたと暴れながら、腹の皮が捩れないように両手で押さえている。ベネオラはそんなアスマがぶつからないように、さっとテーブルや椅子を動かしている。


「これがウケるという奴か。結構、気持ちいいな」

「俺は痛いけどね!!」


 ライトは頬を押さえたまま全力で叫んでから、途端にベルをじっと見つめて、急に表情を緩める。そこには僅かな暗さが混ざったように、ベルには見えた。


「どうした?そんなに痛かったのか?すまん。流石にやり過ぎたみたいだ」

「あ、いや、別にそういうことじゃないけど」


 ライトは慌てて両手を振るって否定してから、胸元に伸びた紐を引っ張って、その先についていた小瓶を手に取った。中には自然界で見たことないレベルのピンク色をした液体が入っている。絵具のようだが、絵具でもここまでのピンク色は知らないくらいだ。


「何だ、それ?」

「ん?いや、別にベル婆が気にすることじゃないよ」


 そう言ってから、ライトはアスマと小瓶を見比べて、腹を抱えているアスマの腕の上に小瓶を置いた。アスマの笑いはゆっくりと引いていき、落ちついた腕の上の小瓶にアスマは目を向けている。


「何、これ?」

「殿下への誕生日プレゼントです。取り敢えず、効果のほどは試しておいたんで、大事な瞬間に使ってください」

「大事な瞬間って何?お祭りの時とか?」

「ああ~…守りたい女が現れた時?」

「良く分かんないけど分かったよ」

「どっちだよ。というか、それ、絶対にロクでもないものだろ?」

「酷いな、ベル婆。俺がわざわざ効果を試してまで、殿下のために買ってきた物だよ?」

「どうせ、自分で使おうと思ったけど、思っていた効果が出なかったから、体のいい押しつけプレゼントとかだろ?」

「ななな、何を言っているのか、かな…?そそ、そんなことな、ないよ…?」

「これがポルターガイストという奴か」


 ライトは動揺という文字を顔面に張りつけたまま、ベルから顔を背けていた。ベルは無理矢理顔を合わせてやろうと思って、ライトの前に移動してみるが、ライトは綺麗に身体を回転させて、ベルの白眼視から逃れようとしている。


「図星か…やっぱり、ロクでもないプレゼントだったな」

「じゃあ、逆に聞くけど、ベル婆がいいって思うプレゼントは何?」

「私か?」


 ライトからの突然の振りに、ベルは意外と悩むことになった。から、長らく人との接触を避けていたベルからすると、誰かからプレゼントを貰うこと自体が想像できないことで、その内容となると更に想像できなくなる。


 自分が貰った時に喜ぶ物。今考えてみて欲しい物。そうやって、ベルが考えてみたところで、苦し紛れの一つの答えが導き出される。


「王子を折檻する権利…」

「ベル?怖いよ、ベル?」

「ベル婆のもロクでもない」

「いや、自分が貰うとなると思いつかないだけで、人にあげるとなると違うからな」

「じゃあ、殿下の誕生日プレゼントとか決まってるの?」

「それは…」


 そこまで言って、ベルは口を噤んだ。好奇心の塊そのものを目に宿して、アスマがベルの続きを聞きたそうに見ているが、ベルはアスマの望むことを言わない。


「秘密だ」


 ベルがそれだけしか言わなかったことに、アスマは酷く不満げな様子だった。

 しかし、この時のベルはアスマにプレゼントを渡す時を竜王祭期間中と決めていたので、アスマがどれだけ不満そうでも話すことはなかった。アスマへのプレゼントは既に準備して、部屋に置いていた。



   ☆   ★   ☆   ★



 アスマ達が帰ってから、およそ一時間後にパンテラは閉店時間を迎えていた。グインはベネオラと協力して、閉店のための片づけを進めていく。テーブルを全て綺麗に拭き、食器の類を片づけてから、グインは看板を仕舞うために店の外に出る。

 そこで帰ったはずのオーランドが声をかけてきた。


「良かった。ちょうどマスターに逢いに来たんだ」

「オーランドさん?俺に用ですか?」

「ああ、ちょっとあれから、マスターに聞きたいことができて」

「聞きたいこと?」


 グインはてっきり店に関する質問があるのかと思い、そのことに対する答えをいくつか用意していたのだが、オーランドからの質問は予想を裏切るものだった。


「マスターの知り合いにがいたよな?」

「え?狼の獣人?」


 そう言われて、グインは軍人をやっていた頃の同僚の顔を思い出す。そういえば、今日そのような話をオーランドも店にいる時にして、その時も同じように顔を思い出していた。


「確かにいましたね。ハンクって奴が」

「そいつかどうか分からないんだけど、んだよ。狼の獣人を」


 突然、オーランドから聞かされた話にグインはとても驚くことになった。セリアン王国を出てから様々な人達と逢ってきたが、同じ獣人は久しく見ていなかった。それも知り合いの可能性がある獣人となると尚更だ。


 それに、その可能性のある獣人がハンクというところもグインは気になった。ハンクはグインと同じ軍人であり、セリアン王国を出る際に別れてから、その生死すら分からない状態で二十年近くの時間が経っていた。


 もしも、その狼の獣人がハンクならハンクは生きていたということになる。生きて、この王都にやってきたということになる。

 本当にハンクが王都にいるのなら、グインは一度逢いたいと思った。セリアン王国で最後に話した時のことがグインは未だに気になっているし、それからどうしていたのか聞きたいと思ったからだ。

 できることなら、今のグインの姿を見て、ベネオラと逢ってもらって、獣人でも自由に生きられる場所があったことをハンクにも見せたいと思った。


「その人、今どこにいるか分かりますか?」

「いや、本当に少し見かけただけだから、場所とかは分からないんだよ」

「そうですか。ありがとうございました。少し探してみます」

「いやいや、もし本当にマスターの知り合いだったら、どんな話をしたとか教えてよ。獣人同士の話って、ちょっと気になるし」

「そんな特別なことは話しませんよ。本当にあいつなら、何も特別なことのない、凄く普通のことが話せるといいなって思います」


 グインはそう話しながら、ハンクと最後に話した時のハンクの顔を思い出していた。自分にするハンクの表情は、まるで本物の獣のようだった。


 これが竜王祭本番の三日前の出来事である。

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