前々々日(7)

 ラングとの魔術学の勉強を終えると、ようやくアスマは自由の身となった。後は夕餉の時間まで、アスマは好きなことができる。

 そうなった時にアスマが真っ先に向かったのが、ベルのところだった。


 ベルはネガやポジと一緒にメイドの仕事の最中で、アスマが自由の身となっても慌ただしくしていた。アスマがやってきても、ベルは気づいている様子がない。

 結局、ベルより先にネガとポジが気づくことになった。二人は揃ってアスマの姿を見つけて、打ち合わせをしていたように揃って手を上げる。


『アスマ殿下。こんにちはー』


 二人の揃った声を聞いて、ベルがようやくアスマに気がつく。


「何だ、アスマいたのか」

「俺ってそんなに存在感ない?」

「殿下は存在感マシマシだよ」

「存在感モレモレだよ」

「マシマシはいいけど、モレモレは何かヤダ」

「大盛りの方の盛れているってことじゃないか?」

「え?お漏らしの漏れている方じゃないの?」

「それは教えないー」

「絶対お漏らしの方だ」


 アスマが仕事中のベルを訪ねてくるのは、既に日課になっていたので、ネガやポジがアスマを珍しがることも、アスマに緊張する様子もなかった。それどころか、既に態度は砕け切っている。


「今日も行くのか?」

「今日もデート?」

「デートデート?」

「その茶化し方はもう飽きたな」

『え~』


 ネガとポジの残念そうな声を聞きながら、ベルはくつくつと笑っている。ネガとポジは首を捻って考え込んでいる。


「前はベルさん照れてたのに」

「前はベルさん赤くなってたのに」

「まあ、デートどころか、誰かと親しくすることがなかったからな。アスマもそうだが、二人との会話にもいろいろとあったんだよ」

「ネガに照れてた?」

「ポジに赤くなってた?」

「そんなとこ」


「そろそろ、俺も答えていい?」


 ベルがネガとポジと話し始めたことで、完全に蚊帳の外になっていたアスマが恐る恐る手を上げた。とてもじゃないが王子の様子ではない。


「答えたいのか?」

「殿下寂しい?」

「殿下話したい?」

「え?先にそれに答えないといけないの?」


 ベル達三人は嬉々とした様子で、アスマを弄ってきていた。とてもじゃないが王子の扱いではない。


「冗談はこれくらいにして、今日も行くのか?」

「もちろん」


 アスマとベルはほぼ毎日のように通う店があった。王都の街の中にあるカフェで、アスマがベルと逢う以前から通っている店だ。

 本来は立場的に勝手に王城の外に出ることを許されていないアスマだが、あまりに言うことを聞かないため、日が昇っている間だけ黙認されている。


「そうか」


 そう言いながら、ベルはネガとポジを見ていた。

 この時間はまだベルの仕事が残っているのだが、アスマが迎えに来ることは、他のメイドやメイド長であるルミナも知っている。最初の方こそ、勝手に連れ出したアスマはルミナに怒られていたが、今では黙認されている形だ。

 ネガやポジもそれはもちろん知っていたので、ベルが自分達を見たところで手を出していた。


「はい、ベルさんもらうよ」

「ベルさん受け取るよ」


 そう言って、二人はベルの手から掃除道具を奪い取って、アスマに向かってベルの背を押している。


「いってら~」

「ら~」


 二人合わせて三人分の掃除道具を持ったまま、ネガとポジが揃って手を振っている。それを見たベルは小さく微笑んで、軽く手を振っていた。


「ああ、行ってくる」


 ベルがアスマを見たところで、アスマは笑ってうなずいた。これからの時間がアスマはとても好きで、ベルを連れて廊下を歩き出してからも、アスマの笑みは消えそうになかった。


「何をニコニコしてるんだ?」

「何でもなーい」


 笑ったまま軽く答えるアスマを見て、ベルも零すように小さく笑っていた。



   ☆   ★   ☆   ★



 王城を出て王都の人混みの中を歩き出したところで、ベルが今朝のことを思い出していた。ポケットに手を突っ込んで、そこに仕舞った新聞の切り抜きを取り出す。


「アスマ。プレゼントだ」

「え?誕生日プレゼント?」

「あー、いや、それは違う」

「じゃあ、何プレゼント?」

「んー…サプライズプレゼント…?」

「ベルがサプライズプレゼント!?」

「あ~、もういいから見てみろ!!」


 だんだんと恥ずかしくなってきたベルが誤魔化すように、新聞の切り抜きをアスマの腹に叩き込んだ。アスマは完璧な不意打ちとなった一撃を受けて、膝から崩れ落ちている。


「ベル~…酷いよ~…」

「お前がいろいろ追及してくるのが悪い!!」


 そう言いながらも、痛がるアスマの様子に流石に心配になって、ベルは様子を窺うようにアスマの顔を覗き込もうとする。


 そこで笑うアスマと目が合った。ニンマリとした笑みに、ベルは恥ずかしさと一緒に怒りが湧いてきて、感情と一緒に拳をもう一度叩き込んだ。

 アスマは二度目の衝撃に耐えられず、今度は頭まで地面につけている。


 うずくまるアスマと顔を真っ赤にして拳を握るベルの姿に、道行く人々の視線を集めたが、うずくまっているのがアスマだと気づいた瞬間、興味を失ったように離れていった。

 王都の人々にとって、アスマは日常にいる人物であり、多少うずくまっていても気にしないようである。とてもじゃないが王子とは思えない。


「言うことは?」


 うずくまるアスマを見下ろしたまま、ベルが眉間に皺を寄せながら、腕を組んでいる。子供を窘める母親のような姿だ。


「ごめんなさい…」

「よろしい」


 本当に親子のようなやり取りをしたところで、アスマがベルの拳に握られていた新聞の切り抜きを受け取った。アスマはプレゼントという言葉から、もっとちゃんとした物を想像していたようで、それが新聞の切り抜きであったことにガッカリしている。


「え…?何これ…?」

「その記事を見てみろ」

「んーと…何かの記号?」

「規則性がある。恐らく、文字だ」

「文字?どこの国の文字?」

「それは分からないが、ネガとポジは暗号って言っていた」

「え!?暗号!?」


 ベルから暗号と聞いた瞬間に、アスマは目をキラキラと輝かせ始めた。そのあまりに想像通りの反応に、ベルは怒りも恥ずかしさも忘れて、苦笑が漏れてしまう。


「何の暗号!?殺し屋とか泥棒とか!?」

「普通、そういう発想になるのか?」


 ネガとポジの顔を思い出しながら、ベルは首を傾げた。それはベルにない発想だった。


「殺し屋とか泥棒がそんな簡単にいるわけないだろう?それに、それが暗号って決まったわけじゃない」

「いやいや、そう思うとこれは暗号に見えてきたよ。うん、暗号だよ、これは」

「何を根拠に…」

「探偵アスマが言うんだから間違いないよ」


 そう言って気取った態度で新聞の切り抜きを眺めながら、アスマがベルを見てくる。


「ジョン君はどう思わないのかい?」

「誰がジョンだ。明らかに配役ミスだろうが」


 ジョンは探偵シャーロックシリーズに登場する助手の名前だが、その助手は男だ。ベルをジョンと呼ぶには違和感しかない。


「でも、これってどんな暗号なんだろ?こう読めそうで読めないね」

「いや、読めそうなところが全くないんだが」


 新聞の切り抜きを手にしたまま、ついには歩くことをやめてしまったアスマを見て、ベルは渡すタイミングを失敗したかと思い始めていた。目的地に到着するまで待ってから渡すべきだった。

 ベルがそんな後悔をし始めたところで、アスマとベルの知っている顔がその場所を通りがかった。ベルは気づいたのだが、アスマは新聞の切り抜きに夢中で気づかなかったようで、向こうから声をかけられるまで顔を上げなかった。


「奇遇ですね、アスマ殿下」

「ん?あっ!?ギルバート!!」


 二人の前方から近づいてきたのは、ギルバートと言う男だった。スートの貴族と呼ばれるエアリエル王国の経済に影響を及ぼすほどの力を持った貴族の一つで、主に武器の流通を扱っているスペードの一族の現当主だ。

 武器の流通を扱ってはいるが、一族の中で最も性格の大人しい人物が当主を務めるというスペードの一族に決まり通り、その性格はとても落ちついており、アスマとも気が合っているようだった。


 ギルバートの隣には、バトラーの服を着た女が立っていた。タリアと呼ばれるギルバートの従者で、ギルバートが二年前に路地で倒れているところを見つけて拾ってきたらしい。

 ギルバートの良き従者として働いているが、ギルバートは少し年の離れた妹のように思っていると語っていた。


「こんなところで何してるの?」

「殿下、それはこちらの台詞ですよ」

「パンテラに行くところだよ」


 パンテラとはアスマ行きつけのカフェの名前だ。王都の大通りの途中にあって、白と緑を基調とした外装をしている。


「ギルバートは?」

「私は仕事中ですよ。これから、取引先に向かうところです」

「そうなんだね。ギルバートは祭りの時も仕事?」

「何とも言えないところですね。当日、予期せぬ出来事がないかぎりは、普通に回れると思うんですけど」

「忙しいかもしれないんだね」

「そうですね。今は何とも」

「ギルバート卿は武器を扱っているんだよな?祭りの時も忙しくなるのか?」

「予期せぬ出来事って言うのは、そういうことですよ。可能性がないとも言えないので、待機しておかないといけないんですよ」

「ああ、そういうことなのか」


 今も仕事の途中であると言うのなら、あまり引き止めては悪いとベルは思ったし、アスマも思ったようで、それ以上引き止めることをせずにアスマは別れの挨拶を交わそうとしていた。


「それじゃあ、俺達はそろそろ行くね」

「あっ、そうだ。明日、王城に殿下への誕生日プレゼントをお持ちしますね」

「え!?誕生日プレゼント!?何!?」

「それはその時のお楽しみということでお願いします」

「ギルバート様、そろそろ」

「ああ、うん。そうだね。それでは殿下。失礼します」


 ギルバートが頭を下げて、急かすタリアと一緒にその場を去っても、アスマはギルバートの残した言葉に夢中のようだった。


「誕生日プレゼントか~。何だろ~」


 そんな風に心ここにあらずと言う雰囲気で、ギルバートの用意した誕生日プレゼントを想像しているようだ。歩き出すようになったことは良かったが、新聞の切り抜きは忘れたように見ることをやめてしまい、ベルはそのことに何故か気分が悪くなった。


「ベルは何だと思う~?」

「知るか」

「何か、機嫌悪くない?」

「悪くない」


 ベルは明らかに怒ったように答えてしまったが、自分がどうしてそう答えたのか理由が分からず、困惑するアスマと同じくらい心の中で困惑していた。

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