前々々日(4)
廊下の途中で二人のメイドが立ち話に興じていた。掃除道具を傍らに置き、明らかにサボっている様子だ。二十歳前後くらいのメイドで、先輩と後輩の関係性のように見える。
廊下を歩きながら、その様子に気づいたのが、エルシャダイだった。魔術という特殊な技術を専門に扱う魔術師の中でも、特別に国に認可された国家魔術師の一人だ。その素質は歴代の国家魔術師の中でも随一のものであり、現代最高の魔術師とも呼ばれている。
そんなエルだが、メイドの立ち話に気づいたところで、注意する気は湧いてこなかった。それよりも、一人が必死に説明している雰囲気に、話の内容の方が気になってくる。
二人は何を話しているのだろうかと思ったところで、メイドの一人がエルに気がついた。必死にされている説明を聞いている方のメイドだ。
「あっ、エル様。おはようございます」
そのメイドが軽く会釈をしたところで、必死に説明していたメイドもエルに気づき、同じように会釈をしてくる。
「ああ、おはよう」
エルはそれに向かって軽く手を上げ、簡単な挨拶を済ませる。
「それで、どうしたの?何か話し込んでいるみたいだけど」
エルが聞いたところで、グイッと顔を近づけてきたのは、必死に何かを説明していた方のメイドだった。その表情は恐怖や焦りに彩られている。
「エル様!!聞いてください!!」
その剣幕にエルが面食らっているところで、もう一人のメイドが必死なメイドをエルから引き離した。
今、引き離したメイドはキャロルと言った。メイドになってからの年数はまだ浅いが、ネガやポジのように年下のメイドも増えたことで、先輩としての立場も多くなってきたこともあり、比較的落ちついた性格をしているメイドだ。
それに対して、引き離された方のメイドはスージーと言った。キャロルの二年ほど後輩であるだけなのだが、その落ちつきのなさは異常であり、更に年下のネガやポジと並んでも遜色がないほどである。
そして、それを以前ベルから指摘された際、褒め言葉として受け取って、ベルやキャロルを呆れさせた前科があるほどに、頭の方もあまりよろしくない。
そのためということもでないだろうが、スージーがあまりに落ちつきがないためか、キャロルの方が代わりにエルに教えてくれることになった。
「何でもこの子、幽霊を見たそうなんですよ」
「幽霊?」
あまり聞き慣れない言葉の登場に、エルの好奇心はムクムクと頭を出した。表情には笑みが自然と浮かんできている。
「何その非魔術的な話?凄く気になるんだけど」
「聞いてくれますか!?」
エルが興味を態度に出した瞬間、スージーがキャロルの作った空間を埋めるように、一瞬で距離を詰めてきた。その動きの速さに、一瞬命の危険すら感じたエルは、身を守るように咄嗟に片手を上げてしまう。
「おおう、凄い速さだね…」
「はい。そんなに詰めない。エル様が驚いているから」
キャロルが再び引き剥がしたところで、スージーはなくしかけた落ちつきを取り戻し、謝罪するようにエルに頭を下げている。
「取り乱しました。申し訳ありません」
「いや、いいよ。大丈夫だよ。それより、幽霊ってどんな話?」
エルがそう聞いたところで、そこまでの謝罪モードから一変して、スージーの表情は恐怖で彩られることになった。その表情を見ているだけで、エルはスージーの体験を想像できるほどだ。
「昨晩のことです。部屋に戻るために廊下を歩いていたんですが、そこで窓の外に人影を見たんです」
「人影?誰かいたってこと?」
「そうです。私、てっきりアスマ殿下かと思ったんです。以前にあったじゃないですか?殿下が夜中に王城を抜け出して問題になったことが」
「ああ、そんなこともあったね」
それは数年前のことである。部屋をこっそりと抜け出したアスマが王城の外に出て、王都の街まで行ったことがあった。
当時、騎士になったばかりのシドラスがたまたまアスマの部屋を訪れたことで、そのことが発覚し、夜通しアスマの捜索が行われた結果、最終的に王都の街中でアスマが連行される事態になった。
確かその時は夜の街を見たかったという何とも子供っぽい理由だったとエルは思い出す。
「殿下なら、ここでお止めしないといけないと思って、その人影に近づいていったんです。私は窓の外にいる人影に向かって、声をかけようとしました。その瞬間のことなんです!!」
急に声を荒げたスージーに驚き、エルの身体がビクンと震える。スージーの情緒は既に馬鹿になっているようだ。
「人影が消えたんです!?それはもう一瞬で、パッと!!すぐに窓の向こうを確認したんですけど、そこには誰もいなくて…あれはきっと幽霊に違いありません!!」
「人影が消えた…?」
スージーの話を聞くだけでは、その人影の正体が幽霊であるかは分からなかったが、話の内容自体には気になるところがあった。夜間に謎の人影が目撃され、その人影の行方が分からないとなると、それは幽霊よりも現実的な危機の可能性もある。
それこそ、アスマがこっそりと部屋を抜け出していたとか、国家魔術師の一人が魔術の研究をしていたとかならいいのだが、そうでない場合が大きな問題だ。
「きっと見間違いなんだって」
「そんなことありません!!ちゃんと見ました!!」
「寝惚けてたとか?」
「寧ろ、しっかりと起きました!!」
「それって、その前まで眠たかったってことじゃない?」
「それは…否定できませんけど…ちゃんと見たことには間違いありません」
キャロルとスージーの言い争いを聞きながら、エルはキャロルの言っている可能性についても考えていた。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。その可能性も考えられるが、その可能性に断定することは危ないとしか言いようがない。
これは一度、しっかりと調べておくべき案件なのかもしれないとエルは判断する。
「ちょっと調べてみるからさ。その目撃した場所を教えてくれる?」
「本当ですか!?ありがとうございます!!」
「この子の見間違いかもしれないんですから、そんなわざわざ…」
「いや、祭りも近いことだし、やっぱり不安は消しときたいでしょう?」
「はい!!その通りです!!」
スージーは自分のことだとすぐに思って、必死にエルの言葉にうなずいていたが、キャロルはエルの考えているところを何となく察したようで、とても納得した顔をしていた。
「ああ、そういうことですか。そうですよね。今は人の出入りも多いですし」
「そういうことなんだ」
「え?出入りが多い?どういうことですか?」
一人だけ理解ができていない様子のスージーだが、エルとキャロルは特に説明する気がなく、エルはさっさとスージーから幽霊の目撃場所だけを聞き出した。スージーは頭の上に疑問符を並べながら、エルに場所を教えている。
「それじゃあ、すぐに調べるから」
「はい…ところで、さっきの話って」
「はい。そろそろ、仕事するよ。終わらないと怒られるんだから」
キャロルが傍らに置かれた掃除道具をスージーに差し出すと、自分達の職務をようやく思い出したのか、スージーの表情が一変することになった。それは幽霊のことを思い出した時よりも、恐怖で彩られた表情だ。
「急いでやりましょう!!」
「はいはい、分かってるから。それでは失礼します」
キャロルがエルに頭を下げると、スージーも釣られるようにエルに頭を下げてきた。それから、二人は掃除道具を片手に自分達の担当場所に移動するようで、廊下を歩いていってしまう。
その姿を見送ってから、エルは幽霊のことを考えていた。実際に幽霊がいるか分からないが、実際にいれば知らない存在を知ることができるし、幽霊ではなく侵入者がいれば、危機を未然に防ぐことができる。
どちらにしても、調べるに越したことはないと思いながら、エルは自らの専門である魔術の可能性についても考えていた。幽霊という存在は未知なるものだが、それに近しい存在がいることは魔術と関わっていると良く知っている。
場合によっては魔術について調べる必要があるかもしれない。そうなると、国家魔術師の中でも特に魔術資料を有しているテレンスの書庫を頼る必要が出てくるかもしれない。
そんなことを考えながら、エルは目撃場所に向かうための準備を整えるために自室に帰っていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます