前々々日(3)
アスマと同じくらいの二人の少女が、ベルの前で新聞を広げてみせた。新聞の端と端を持って、ベルの視界を覆うようにしている。
二人の少女はベルと同じ服を身にまとっていた。それぞれ顔立ちはそっくりで、違いと言えば髪の色くらいのものだ。ベルから見て、左に立っている少女の髪は青く、右に立っている少女の髪は赤い。
それ以外は顔に身長、声や性格までそっくりな二人は双子のネガとポジだ。ベルから見て、左に立っている髪の青い少女がネガで、右に立っている髪の赤い少女がポジだ。二人は王城に仕えるメイドで、つまりはベルの同僚である。
「ねえねえ、ベルさん。これ見た?」
「これ見て見て」
二人は新聞を持たない方の手で、広げた新聞に指を伸ばしている。メイドの集まる控え室にやってきたところのことで、突然新聞に襲われた気分のベルは何を見たらいいのか分からず、ただただ困惑してしまう。
「えーと…」
取り敢えず、ネガとポジが食いつきそうな記事を探して、ベルの目は新聞の上を泳ぐ。
「ウルカヌス王国の王女が行方不明…?」
「違う、それじゃないよ」
「違う、そうじゃないよ」
「じゃあ、どれだ?どの記事のことを言っているのか全く分からないぞ」
ベルが匙を投げたところで、ネガとポジが不満そうに指を伸ばしてきて、一つの記事を左右から挟む形で指した。
『これ!!』
綺麗に揃った声に導かれて、ベルの目が指の先にある記事を向く。
「えーと…何だ、これ?」
ベルが首を傾げながら、そう呟いたのは、そこに描いてあることが良く分からなかったからだ。少しの写真と大量の文字が並ぶ新聞の記事の中で、その一角だけが異様だった。
「記号?」
見たことのない記号ばかりが並んだ記事を見つめながら、ベルが小さく零す。横を見てみると、新聞の陰からネガとポジが楽しそうな笑顔を覗かせている。
「良く見てよ、ベルさん」
「気づいてよ、ベルさん」
「何がだ?」
二人が何を伝えたいのか分からず、困惑しながらも記事に描かれた記号をじっと見つめていると、ベルはその記号の中にある法則性に気づくことができた。
「これは記号じゃなくて文字か?」
『そうだよ!!』
新聞をクシャッと潰しながら、ネガとポジがベルの前まで身を乗り出してきた。その突然の動きにベルが目を丸くしている間に、二人は新聞をクシャクシャにしてしまったことに気づいて、慌てて新聞を広げている。
「そ、その文字がどうしたんだ?」
目を丸くしたままベルが聞くと、丁寧に新聞を伸ばしていたネガとポジがバッと顔を上げた。キラキラと輝いた目でベルを見てくる。
「これって暗号じゃないかな!?」
「暗号だよね!?」
「暗号?」
ベルは皺だらけになった新聞に目を落としてみる。その一角にあるその記事には、やはりベルの知らない記号が並んでいる。ただし、そこには規則性があって、文字と思わないこともない。
しかし、だからといって、これを暗号というには、些か飛躍し過ぎている気がした。
そもそも、ベルは世界中の言語を知っているわけではない。知らない言語の方が多く、文字だって知らないものの方が多い。ここに描かれている記号が文字だとしても、ベルの知らない言葉の可能性の方がずっと高い。
既に目を輝かせているネガとポジには悪いが、暗号であるとベルが言うことはできそうになかった。
それなのに、ネガとポジの想像は飛躍する。
「きっと泥棒の秘密の暗号だよ」
「きっと殺し屋の秘密の暗号だよ」
「いやいや、そんな簡単に泥棒とか殺し屋がいるわけないだろう?本当に文字かも分からないし、そうだとしても、きっと私達の知らない言葉とかだよ」
「もおー、ベルさんはロマンがないなー」
「ロマンがないない」
「ロマンって…」
アスマみたいなことを言うと言いかけて、ベルは言葉を止めた。妙に意識しているようで、何だか気恥ずかしかったからだ。
「きっと暗号だよ」
「暗号だよね」
「暗号って…そんなの実際に使う奴いるのか?推理小説の中とかだけじゃないのか?」
「いるよ、多分」
「いるんだよ、多分」
「多分じゃないか」
現実的な対応ばかりのベルに、ネガとポジは不満だらけのようで、プンプンと全身で怒りを表現していた。その姿にベルは苦笑することしかできない。
「暗号だよ!!」
「暗号なんだよ!!」
「はいはい、分かった分かった。それは暗号だ。誰かから誰かに対する秘密のメッセージだ」
『だよね!?』
ベルが折れたことで、ネガとポジは心底嬉しそうに笑って、皺だらけの新聞を広げてから、そこに描かれている記号をもう一度眺め始めた。互いに指差して、この記号はあの文字の代わりとか、そんなことを話しながら、その記事の解読を試みている。
「そんなことより仕事の時間だぞ?」
「分かってるから、大丈夫」
「あと少しだけだから、大丈夫」
「何が大丈夫なのですか?」
その声は不意に現れた。ベルでもなく、ネガとポジでもない新たな女性の声の登場に、ネガとポジの背筋がビシッと伸びる。
ゆっくりとベルの方を向く顔は、獣に睨まれたように恐怖に包まれており、ベルの苦笑はより一層濃くなった。
ベルも同じように振り返ると、そこにはベル達と同じ服を着た、四十代くらいの女性が立っていた。ベル達を見下ろす表情は笑顔だが、口元や目元に現れた皺が怒りを如実に表している。
『メイド長…』
ネガとポジが揃って呟いた。
「何をしているのですか?」
「これから、掃除に行くところであります!!」
「掃除に行ってまいります!!」
ピシッと敬礼してから、ネガとポジが掃除道具を片手に控え室を飛び出す。その姿を見送ってから、二人にたった一言で恐怖を与えた張本人が盛大な溜め息をついた。
彼女の名前はルミナと言った。王城に仕えるメイドをまとめるメイド長であり、つまりはベル達の上司である。メイド長という立場にいるだけあって、その性格は生真面目そのもので、不真面目なネガやポジは露骨に苦手にしているようだ。
「メイドたるもの仕事はきっちりと熟さなければいけません」
そう呟いてから、ルミナの目がベルに向く。
「ベルさんもお願いしますよ」
「はい、分かりました」
苦笑交じりにそう答えてから、ベルはネガやポジと同じように掃除道具を持って、控え室を出ようとした。
そこで気になったのが、ネガとポジの置き土産である皺だらけの新聞だった。そこに載っている記事やネガとポジの様子を思い出し、ベルはアスマのことを考える。
ここ最近のことだが、アスマは推理小説にハマっていた。どうやら、アスラから勧められたようで、それを読んで以来、何か謎があると、アスマは自分のことを探偵と称して、その謎を解明しようとするのだ。
もちろん、謎の解明がアスマにできるわけがないのだが、そのハマり具合を見るからに、この記事に対しても興味を持つに違いないと思った。
ベルはしばらく逡巡してから、近くに置いてある鋏に手を伸ばす。この新聞の記事を切り抜いて、アスマに後で渡してあげれば、きっと喜ぶことだろうと思ったからだ。
新聞を切り抜き、ポケットに入れてから、ベルは少しだけ恥ずかしくなる。どうして、ここまでアスマのことを考えて、自分は行動しているのだろうと思ってしまう。
久しぶりに落ちつく家族のような存在に逢えて、きっと自分は舞い上がっているのだと思うことにするが、それも悪くない自分もいる。
ネガとポジとの関係もそうだ。二人にプンプンと怒られることも、ルミナに叱られることも悪くない。どれもベルにとって、何事にも代えがたい日常の一部である。
そんなことを思いながら、ベルは控え室を出る。今日もメイドとしての仕事が始まる。メイドたるものサボることなどできようがない。
よし、と心の中で呟いて、ベルは気持ちを切り替えるのだった。
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