……してはいけない

空閑漆

……してはいけない

 少し後ろから「おーい」と声をかけられたとしても、振り返ってはいけない。その声の主は僕を呼んだのではない。僕の前を歩く誰かに声をかけたのだ。

 僕が振り返り見ることで、声の主は「誰だよお前、呼んでねーし」と思うだろう。言葉に出すことはないが、そういう目で見ていることは確かだ。

 呼んだ奴に「今の奴、気持ち悪くね」などと言われるのがオチだろう。


 少し後ろから「もしもし」と声をかけられたとしても、振り返ってはいけない。その声の主は僕を呼んだのではない。電話先の誰かに声をかけたのだ。

 僕が振り返り見ることで、声の主は「電話しちゃ悪いかよ」と思うだろう。言葉に出すことはないが、そういう目で見ていることは確かだ。

 電話先の奴に「今知らない奴に睨まれた」などと言われるのがオチだろう。


 少し前から「ちょっと、すいません」と声をかけられたとしても、立ち止まってはいけない。その声の主は僕の好みなどに興味はない。一応仕事だから吊られやすそうな僕に声をかけたのだ。

 僕が足を止めることで、声の主は「鴨がかかりやがった」と思うだろう。言葉に出すことはないが、そういう目で見ていることは確かだ。

 店の奴に「値段高い奴勧めとけ」などと言われるのがオチだろう。


 大勢の輪の中で「これ、いいだろう?」と声をかけられたとしても、肯定してはいけない。その声の主は自分の好みにしか興味はない。一応友達だから気の弱そうな僕に声をかけたのだ。

 僕が頷くことで、声の主は「俺の趣味を押し付けよう」と思うだろう。言葉に出すことはないが、そういう目で見ていることは確かだ。

 他の仲間に「あいつに価値分かるんかよ」などと言われるのがオチだろう。


 大勢の輪の中で「一緒に言おうぜ。3、2、1」と声をかけられたとしても、口を開いてはいけない。その声の主は僕をめる事しか興味はない。一応友達だから根暗な僕に照準を合わせたのだ。

 僕が口を開くことで、声の主は「はまったな」と思うだろう。言葉に出すことはないが、そういう目で見ていることは確かだ。

 他の仲間に「あいつ揶揄からかうの面白くね」などと言われるのがオチだろう。


 家の中で「最近、どうなの?」と声をかけられたとしても、答えてはいけない。その声の主は家の事しか興味はない。一応大人だから成績の悪そうな僕に声をかけたのだ。

 僕が答えることで、声の主は「ここから勉強の話に繋げよう」と思うだろう。言葉に出すことはないが、そういう目で見ていることは確かだ。

 近所の大人に「あの子、勉強もしないで遊んでばかりなのよ」などと言われるのがオチだろう。


 家の中で「ちゃんとやってるのか」と声をかけられたとしても、答えてはいけない。その声の主は会社の事しか興味はない。一応大人だから態度の悪そうな僕に声をかけたのだ。

 僕が答えることで、声の主は「ここからどう繋げよう」と思うだろう。言葉に出すことはないが、そういう目で見ていることは確かだ。

 隣の母に「少しは、厳しく躾けてよ」などと言われるのがオチだろう。


 家の中で「にゃあ」と声をかけられたとしても、答えてはいけない。その声の主は遊ぶか寝ることにしか興味はない。一応起きてるから暇そうな僕に声をかけたのだ。

 僕が答えることで、声の主は「遊んでくれるの?」と思うだろう。言葉に出しても分からないが、そういう目で見ていることは確かだ。

 近所の猫に「昨日は、いつも以上に引っ掻いてやったぜ」などと言われるのがオチだろう。


 だから僕は全てを無視してやるんだ。その先には、平和な日常が待っている。

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……してはいけない 空閑漆 @urushi1

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