口が裂けても言わないで phase3

「エッカルトの旦那ぁ! 裏切ったってえのか!?」


 ハスキーボイスががなり立てる。対する騎士の声はいたって冷静だった。


「いかにも」


「お主、騎士道はどうした。拙者らのために寿命を分け与えてくれるすとら殿に報いるのが道理ではないのか」


 銀色の兜と刃が拮抗し、ぎちぎちと鳴る。


「義理人情だけではやってられぬと気づいたまでのことよ」


「そのために誇りまで捨てたか!」


「捨てるさ。我の体を取り戻せるのならな」


 エッカルトのその言葉に大悟たいごたちは違和感を覚える。答えは彼の背後から聞こえてきた。


「それで正解だよエッカルトくん! 俺の剣となり盾となっておくれ! そうすればきみも俺も幸せになれるのさ!」


 大仰に両手を広げたジャックは声高々に言う。

 大悟は爪の先が真っ白になるまで拳を握り込んだ。


「お前、エッカルトさんになにを吹き込んだ?」


「人聞きが悪いなあ。俺はただ彼をヘッドハンティングしただけだよ」


 頭だけにね! とジャックは笑う。大悟たちは笑えなかった。


「エッカルトくんの本来の体は俺の手の中にある。それを渡すのを条件に、俺の側についてもらっただけのことさ」


「盟約は守れよ、ジャック」


「もちろんさ」


 念押ししてくるエッカルトにジャックは肩をすくめる。


「騎士の道を外れたか! ならばもう容赦はせんぞ!」


 七兵衛しちべえストラは刀を大きく一閃させ、西洋甲冑の首を弾き飛ばした。コートが翻る。

 斬撃の勢いに任せて体を回転させ、今度は日本刀をまっすぐ突き出す。空気を切り裂いて進む刺突は、エッカルトの兜の隙間を確実に狙っていた。その一撃に呼応してジャックの影が波立ち、膨らむ。

 またもや金属同士のぶつかる硬質な音が響く。

 日本刀を受け止める、一本の剣があった。ストラがエッカルトの頭になったときに使う、彼自身の愛刀だ。その西洋剣を、きゃしゃな腕が握りしめている。ジャックの影の中から現れた、ストラや口裂け女とは別の、首のない女性の体がエッカルトの剣を持っていた。


「何奴!?」


 目を剥く七兵衛。答えず首なし女は日本刀を弾き、七兵衛とストラの境界線である首元を薙いできた。


「む、おっ!」


 七兵衛が後ろに跳んで剣をかわした隙に、首なし女はエッカルトの首を、自分の体にはめ込んだ。


「我本来の体ではないが、取り戻すまでの練習と思えばいいか」


 女の体を手に入れた鎧兜は剣を両手で持ち直し、正眼に構える。女の体は、武器の似合わないウェディングドレスを着ていた。


「誰の体だ」


 大悟が問うと、返事の代わりにジャックはなにかを放り投げてきた。


「悪いね。お届け物がもう一つあったのを忘れていたよ」


 飛んでくるそれを目にした瞬間、大悟の体が凍りつく。

 彼が目にしたものは、姉である鮎坂あゆさか彩朝あやさの生首だった。

 無言で姉の首をキャッチするも、どうすればいいのかわからない。

 戻さなくては。元の体に。

 空っぽになった頭で、それだけを考えた。


「姉ちゃん……?」


 目を閉じて眠っている姉の頬に、おそるおそる触れる。ひんやりした彩朝は目を覚まさなかった。


「すべてきみのせいなんだよ、ストラ」


 優しい声音でジャックは語りかけてきた。


「きみはその坊やに感情移入しすぎだ。おおかた、俺から首を取り戻したら彼がすぐに元の生活に帰れるように、この町に長居したんだろう。普段ならひと月もあれば拠点を移すはずなのに」


「知った風な口を利くな、邪鬼じゃくが!」


「おっと」


 斬りかかる七兵衛の前を純白のドレスが舞い、エッカルトが刀を剣で防ぐ。


「坊やの大事な家族の体を傷つけるのかい?」


「ぐ……! 卑怯者め」


 エッカルトの首はジャックを守る剣に、その下の彩朝の体は人質という盾になっていた。


「三ヶ月も同じところにいてくれれば、俺にも手の打ちようがある。邪魔だった社屋のゴーレムを機能停止させ、こうしてきみたちにとって無視できない者の体を手に入れることもできた」


 ジャックは心底愉快そうに目を細める。


「これでネクストラも倒産だ。きみの恩情は裏目に出たのさ、哀れなストラ」


「拙者――私、は」


 首を七兵衛にすげ替えてはじめて、ストラが自分の声で言葉を発した。


「私はただ、大悟の首を取り戻してやりたくなっただけなのだが……」


「それは欲張りというものだよ」


 がらん、と、ストラの手から日本刀が取り落とされる。


「残念だ、ストラ様。貴殿とはもっと美しい決着をつけたかった」


 それを見逃すエッカルトではない。ストラの首に西洋剣が高速で迫る。

 よりもなお速く、一筋の銀色が間に割り込んだ。

 剣と銀の棒が衝突し、盛大に火花が散る。


「一つだけ、はっきりしたことがある」


 大悟は彩朝の頭を抱きしめながら言う。カボチャ頭の口元に並ぶ牙の一本が伸びて、エッカルトの剣をしのいでいた。


「姉ちゃんの首を見せられて真っ白になった頭に、文字が刻まれたんだよ」


「大悟……?」


 呆然と振り返るストラを目の端に捉えながら、一歩、また一歩と大悟は歩きだす。頭頂の蝋燭に灯った炎は激しく燃えていた。


「ジャックを倒すのに手段を選ぶな、ってな!」


 カボチャ頭の両目からも紫の炎が噴き出した。


「嘘つき坊主を貫く針は、十二を過ぎた時の鐘!」


 大悟が叫ぶと同時、オーバーの牙がすべて伸び、無数の棘となってジャックに襲いかかる。


嘘八百針千本サーティーン・オ・クロック!」


 鈍く光る牙はストラを避け、四方八方からジャックに向かってくる。中間地点にあるソファーの一つがずたずたに裂け、中の上質な綿が飛び散った。


「ばかな! ストラ様以外がオーバーの鍵を開けるだと!?」


 驚きながらも何本もの牙を斬り、ジャックを守るエッカルト。


「俺様もびっくりだが、てめえらへの怒りが成したピッキングさあ! 食らいやがれ!」


 エッカルトの太刀の隙間を縫い、数本の牙がジャックの肩に突き刺さった。


「うっ!」


 牙の刺さった場所から、青い血が流れ出る。ジャックは引き抜こうとして牙に手を添え、そこでぴたりと動きを止めた。


「……ふふ、ふふふふふふ。そうか、そこにあったんだね?」


「! しまった!」


 ようやくストラの、厳密には七兵衛の瞳に光が戻る。すかさず日本刀を拾い直して振るうが、ジャックは刀の刃の部分をためらいなくつかんで止めた。手のひらから腕を伝って血がしたたり落ち、大理石の床に青い水たまりができる。

 体の傷にも構わずにジャックは暗い笑みをたたえ、肩を震わせた。


「つまりそのカボチャこそが長年探し続けていた俺の頭だったのか! 道理で黄泉や異次元を探してもないはずだ! ストラという灯台の下にあったんだね!」


 壊れたように笑い、ジャックは強引に牙をつかんで引っこ抜く。


「なるほど、俺の首をカボチャでコーティングし、偽装していたわけだ! となると、お互いに人質を取り合っていることになるな! これは困った! ならば今日はいったん帰って考え直すとしよう!」


 ジャックはぴょんと跳ね、ストラも大悟も飛び越えて口裂け女のところへ着地した。そしてエッカルトへ手を差し伸べる。


「おいで、ナイトメアリー!」


「は……? それは我のことか?」


 エッカルトは聞き返す。呼ばれた本人が一番とまどっていた。


「そうとも! きみは俺を守ってくれるナイト! そしてジャックの女房役といえばメアリーだ! エッカルトの名は捨てようじゃないか!」


「……承知した」


 エッカルト改めナイトメアリーは、きらびやかなドレスをまとった体で素早く動き、ストラと大悟の脇をすり抜けてジャックの下へ駆け寄る。


「にゃろ、逃がすかよう!」


 オーバーが舌打ちし、大悟が彩朝の首を片手に手を伸ばすも、姉の体はするりと逃げる。


「サチさん、お邪魔します」


「なん――」


 ジャックは口裂け女の上あごをつかみ、遠慮なく上に引っ張った。


「あががががが!」


 すると耳元まで裂けている口は大きく開き、人間が通れるほどの穴となる。ジャックはなんとそこへ自分の体を滑り込ませた。ナイトメアリーも続く。


「社長命令だ! やつをこのまま行かせるな!」


「言われなくとも!」


「待ちやがれこの野郎!」


 ストラが叫び、大悟が応え、オーバーの牙が追撃をしかけるも、ことごとく西洋剣でいなされる。


「社長命令とは言うけどさあ、ストラ。きみはちゃんと社長やれているのかい?」


「社長は社長だ!」


 吠えるように言い返す大悟を、ジャックは面白そうに見つめる。


「坊や、最近ストラから給料はもらっているかい? なにかと理由をつけて減給されていたりするんじゃないかな?」


 口裂け女の口の中から涼しげに顔だけ覗かせて、ジャックは突然そんなことを訊いてきた。


「なんでそれを――」


 大悟の返事を最後まで聞かず、ジャックはストラへ視線を投げた。


「やっぱりか。ストラ、きみの寿命は」


「言うな!」


 ストラは日本刀をジャックへと突き出した。空気を穿つその一撃はあっさりとナイトメアリーの剣に阻まれ、ジャックは続きを口にする。


「きみの寿命はそろそろ尽きそうなんだろう?」


「え……!?」


 思わず大悟がストラの方を向いた隙に、ジャックたちは真っ赤な洞穴に吸い込まれていった。


「ばいばい。次に会うときまでその命がもつといいけどね」


 最後に手だけ出してひらひらさせ、ジャックとナイトメアリーは口裂け女の口の中に飲み込まれた。


「ごくん」


 口裂け女、サチは限界までこじ開けられていた口をようやく閉じる。ジャックは彼女の口を、次元を超えて移動するための通路にしたのだ。


「あ、飲んじゃった……」


 サチの顔がさあっと青ざめる。こうなっては、ジャックがどこに行ったかわからない。もう、ジャックを追いかけようにも時すでに遅し。

 この場にいる全員の気まずさと無念と後悔と、そして静寂がネクストラの社内に広がっていく。

 気づけばクーラーもとうに切れており、少しずつ蒸し暑さがやってくる。それでもストラは汗をかけなかった。

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