口が裂けても言わないで phase2
「それで、彼女はなにか言っていたのかな?」
二階の応接室にて。ガムテープで手足を縛られ、ソファーの上で伸びている首なし女を見ながらストラは訊ねた。彼女は首なし女の寝かされている対面のソファーに座っており、
二階全体を使った応接室はだだっ広く、仮に首なし女が目を覚ました場合、存分に暴れられる。もちろんそんなことを許すストラではないが。
「はあ。なんか、私はきれいか? とか訊かれたけど……」
ストラの細い眉がぴくりと動いた。
「それに対してきみはなにか答えたか?」
「俺はなにも」
「鏡見て出直してこいって言ってやったぜ」
オーバーは誇らしげに答えた。鼻の部分の穴からむふー、と息を吐いている。
「なるほど。それであんなに暴れていたわけか」
「この女の人に心当たりが?」
自然な疑問をぶつけてくる大悟を振り返らずに、ストラは指を組んだ。
「おそらくこの人は口裂け女だ」
「あの都市伝説の? ああ、言われてみれば――って、口が裂けているかどうかわからないじゃん」
「頭を失くした口裂け女なんて、出来の悪いジョークだぜ」
鼻で笑うオーバーだったが、ストラに一瞥されて黙り込む。
「その通り。首のない口裂け女など、アイデンティティーの崩壊もいいところだ。今のままでは、彼女は存在意義を見失って、悪ければ消えてしまうだろうね」
「そんなにひどい状態なんですか!?」
「先日の首なしライダーを覚えているかな?」
ストラは腕を組んで背中越しに問いかける。大悟は静かにうなずいた。
「彼は首のない状態で動き続けていたから、無理が生じて消えてしまった。しかし、同時に『首なしライダー』となることで自身の存在を上書きし、あそこまで活動することができていたとも言えるのさ」
「今回は、その逆のケースだと……そういうわけですか」
「そう。もっとも、首なしライダーのときはきみたちがもう少し早く駆けつけていれば、寿命を分け与えて消滅を防げたかもしれなかったのだがねえ」
ストラは大げさにため息をつく。
「いや、俺たちを待たなくとも社長が一人で寿命を与えていればよかったんじゃ……」
「私が直接寿命を与えるには、ネクストラの社員になってもらう必要があるんだ。その点、きみのその頭の蝋燭を使えば、特別な手順を省いて寿命の受け渡しが可能となるんだよ」
「そんな理由があったんですね」
「理由なく減給する上司などいないよ。いるとしたらただのばかだ」
「まったくだな」
オーバーはうんうんと首を縦に振った。そのとき、「ううん……」と、どことなく艶めかしい声がした。
首なし口裂け女が身じろぎをしている。彼女はそのままソファーから落っこち、衝撃で目を覚ました。
「あ痛! なんなんすかここは! 私の手足を自由にしろ!」
開口一番ぎゃんぎゃんわめく口裂け女に対し、ストラはいたって冷静に話しかけた。
「その前になにか言うことがあるんじゃないかな?」
「えっと、そうだ! 私、きれいっすか?」
「……今はなんとも言えないのだが」
もっともなことを言ったストラは本題を切り出す。
「よくもわが社で暴れまわってくれたな」
「知るか! そっちこそ私の首を返せ!」
「残念ながら私はあなたの首を持っていないよ」
「嘘を言うな! ジャックって男が私の首がここにあるって言ってたんすよ!」
因縁の敵の名前を耳にして、ストラたちの間に流れる空気が張り詰める。
「それは――」
ストラが誤解を解こうとしたとき。
「ストラ様」
くぐもった声が入ってきた。見ると、銀色の西洋甲冑の首が宙に浮いている。
「なんすか、こいつは!?」
驚く口裂け女を無視し、騎士の首、エッカルトはよく通る声で知らせた。
「訪問者ですぞ。どうやら宅配便のようです」
「そう。ありがとう、エッカルトさん」
ストラは大悟に目配せする。受け取ってこい、ということらしい。
「え、社長が行った方がよくないですか?」
「こいつは宅配便が苦手なんだよ」
「はい?」
思わぬオーバーの情報に大悟は固まる。
「どんな首でも受け入れられるためか、ストラには指紋と汗腺がねえんだ。だから拇印を求められるのを嫌っているのさ」
「判子でいいじゃん」
「まだ用意できてねえっつってたなあ」
「いろいろ抜けてるんですねえ」
言いつつ、大悟は応接室のドアノブに手をかける。
「いいからさっさと受け取ってきてくれまいか。宅配の方を待たせるのは悪い」
「どう考えても指紋も判子も用意してない人に非があります」
ドアノブをひねり、大悟は部屋の外へ出て行く。
そこでふと、腑に落ちた。
ストラが夏でもマフラーとコートを着ているにもかかわらず汗一つかいていないのは、汗腺がないからか、と。
「すみませーん、お届け物でーす」
ネクストラの入り口で、宅配便の男は間延びした声で挨拶をした。脇には小さな段ボール箱を抱えている。
「こちらにサインお願いします」
「あ、サインか」
普通はそうだったと思い出した大悟は「
「ありがとうございましたー」
「はい、どうも」
帽子を取って会釈し、宅配便の男は去っていく。
大悟は荷物を眺める。段ボール箱の宛先には、確かにここの住所と「生首配送会社ネクストラ ストラ・メリーデコレイト様」と書かれていた。
「最近の宅配便はすごいなー」
差出人の欄が空白だったことも気になるが、ストラの知り合いだろうと思い、大悟は二階へ向かって階段を昇っていった。
「社長―、荷物受け取ってきましたよー」
「だから私の首はどこに隠したっていうんすか!」
応接室のドアを開けると、金切り声が耳に飛び込んできた。
見ると、首なし女が意識を取り戻してわめいている。手足は縛られたままなので、尺取虫さながらにもぞもぞとうねってストラに詰め寄っていた。
「まずあなたの詳しい事情を聞かせてもらわないことにはどうにもできないのだが?」
「私から首だけじゃなく個人情報も奪い取る気っすか!」
「まいった。話が嚙み合わん」
さしものストラも、手足首を封じられてもなお噛みついてくる執念には押され気味だ。
「社長、お取込み中ですがお荷物持ってきましたよ」
「ああ、ご苦労様。そこに置いてくれるとありがたい――」
応接室に入ってきた大悟に気づいたストラが箱を見た瞬間、言葉が止まる。
彼女の目はいっぱいに見開かれていた。直後、怒号が飛ぶ。
「貴様あ! どうやって入ってきた!」
「い、いや、普通に……」
「後ろに訊いている!」
突然叫ばれて戸惑う大悟のさらに後ろを、ストラは指差す。
「え?」
「へ?」
大悟とオーバーが振り返ると、そこに先ほどの宅配便の男が立っていた。
「どうもー、サプライズと絶望をお届けするジャック宅配便でーす」
男が自分の指で作ったピストルを自身のこめかみに当てる。
「ばあん」
指ピストルの引き金が引かれると男の頭が一回転し、一周した頃にはその顔は大悟の本来のものになっていた。大悟から奪った首を、我が物顔で着けている。
「ジャック!」
「はっ、ふざけたパフォーマンスだぜ」
怨敵の登場に驚く大悟と、鼻を鳴らすオーバー。急いでその場で半回転し、正面からジャックに向かい合う。そして相手を見据えたままバックステップでジャックとの距離を取った。大理石の床がきゅっと鳴った。
動揺か、挑発か、カボチャのてっぺんに刺さっている蝋燭に紫色の炎が灯り、かすかに揺れる。
「おや、坊や。ずいぶん愉快な首を付けてもらったじゃないか。お菓子をあげようか?」
「いらん! その首を返せ!」
噛みつく大悟はジャックを睨みつけるが、当のジャックは憎しみの視線をそよ風のごとく受け流す。
「ジャックさん! 本当にここに私の首があるんすよね!?」
首なし女もジャックに反応した。手足を縛られている身で器用にもソファーの上に立ち上がる。
「ジャックのことを知っているのか?」
「当然っす! 『魚のように舌を出す者』っすよね」
「ふむ」
ストラは顎に手を当てて考え込む。
「いや、魚は舌を出さないでしょ。三百円賭けてもいい」
「オッズが低いなあ、おい!」
大悟が話を汚し、オーバーがそれに突っ込む。はたから見ればセルフ漫才だ。
「なら私は、ジャックがここに入ってこられない方に大悟の給料三ヶ月分賭けてもいいよ」
「俺の寿命を勝手にベットしないでください!」
今度はストラがとぼけて大悟が抗議する。
「じゃあ私だってここに自分の首があるのに全財産賭けるっす!」
「やめとけ、破産したいのか!」
首なし女の大博打にオーバーが物申す。
「あれおかしいな! 主賓のはずの俺がなぜかスルーされているぞ!」
ジャックは大げさに片手で顔を覆う。その後、顔に当てていた手を伸ばし、びしっと大悟を指差した。
「しかし安心しておくれサチさん! あなたを路頭に迷わせたりはしない! 賭けはあなたの一人勝ちだ!」
正確には、指しているのは大悟本人ではなく、その手にあるものだった。
「あなたの首は、そこにある」
言うと同時、大悟の腕の中、先ほどジャックから受け取った荷物の箱が爆ぜた。ごろんと、箱の中に入っていたなにかが大悟の手の上に転がってくる。
それは、長い黒髪の女性の生首だった。
「うぇっ!?」
そこまではいい。いや、よくはないのだが、想定内ではあった。
けれども、彼女の口が耳元まで真っ赤に裂けているというのは、さすがにインパクトが強すぎた。
そういえば、彼女は口裂け女だとストラは言っていたか。だが、実際に見る心構えまでできていたわけではない。
「あぁぁぁぁあ!?」
手の中に舞い込んできた恐怖に、大悟の体が総毛立つ。不本意ながら生首なら見慣れているが、裂けた口にはてんで耐性がない。サプライズが過ぎる。
首を落としそうになるが、すんでのところでキャッチする。だからといってずっと持っていたくもないので、一つしかない首でお手玉をするようにせわしなく手を動かすことになった。ぽんぽんと口裂け女の首が跳ねる。
「私の首をもてあそぶなあ!」
「すいません!」
謝りつつ、救いを求めるがごとくストラに視線を向ける大悟。
「社長! どうしましょう、これ!」
「サチさんに返してあげればいいじゃないか。彼女は充分働いてくれたよ」
代わりに答えたのはジャックだった。彼はゆったりとした歩調で広い応接室内を歩き回る。それに合わせて、ストラも大悟も警戒して距離を取った。
「口裂け女は有名な都市伝説だよ。だけど、彼女の口の中が異次元に通じているという特徴は、あまり知られてはいないかな?」
「異次元?」
問い返す大悟に、ストラが言葉をかぶせる。
「! まさか!」
ストラは慌てて社長机のところへ駆け寄り、引き出しを開ける。引き出しの中を確認した彼女は唇を嚙み締め、きっとジャックを睨みつけた。
「貴様、トムさんを――」
ジャックは大悟の顔で邪悪に笑う。
「ああ。実に邪魔だったから、この建物には死んでもらったよ」
さわやかな口調で、あっさりと告げた。ネクストラ社内が一瞬、しんと静まり返る。こころなしか大理石の床の艶めきがくすみ、蛍光灯の灯りもいつもより薄暗くなったように感じられた。
「トムさんが死んだ? それってどういう……」
大悟は生首ジャグリングをやめ、両手で口裂け女の首を抱えたままストラの後ろに立ち、社長机の引き出しを覗き込む。引き出しの中には『meth』という文字だけが刻まれていた。いまいち状況を呑み込めていない新入社員をよそに、ストラの顔はますます険しくなる。
ジャックはぱん、と手を打ち鳴らした。
「ゴーレムの体のどこかには必ず『emeth』の文字がある。もちろんそれはこの社屋にも言えることさ。でもね、ゴーレムっていうのは総じて、『emeth』の最初の『e』の字だけ消してやれば、それだけで機能停止してしまうんだよ」
手品の種明かしでもするかのように、ジャックは楽しげに説明する。
「でもそれをするにはこの忌々しい社内に入らなければならない。だけど俺は入れない。おお、なんという悲劇か! しかし、そこにサチさんという救いの女神が現れたのさ」
「私……?」
急に自分のことを言われ、首なし口裂け女はきょとんとする。彼女に首から上があったなら、その目は丸くなっていたことだろう。
「つまり、お前は彼女の首を使って空間を超え、外にいながらトムさんの体内の『e』の字を消し、ネクストラのセキュリティを破ったということだな。やってくれたな……!」
ぎり、と歯ぎしりをするストラを見たジャックは得意げにうなずく。
「口裂け女の首で空間を超えるって、まさか……」
大悟は背中を伝う汗にくすぐられながら、夏に不似合いな寒気を感じた。
「そう、こいつは口裂け女の生首の口の中に手を突っ込み、手だけをわが社に侵入させてトムさんの命の文字を消したんだ。そして、セキュリティシステムを殺したあとに堂々と正面から入ってきたわけだ」
「……まじかよ」
ネクストラ社内の冷房が、よく効きすぎていた。
「そのためだけにこの嬢ちゃんの首を取ったってのか!?」
ストラの答えに、オーバーは声を荒げた。
「それがなにか?」
たった一言。そう、ジャックは告げる。なんでもないことのように。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよジャックさん」
声を上げたのは口裂け女だった。
「私の首を奪ったのは、ネクストラの社員の仕業だって、そう言ってませんでした?」
「もちろん嘘に決まっているじゃないか。あなたの首を取ったのは俺だよ」
「騙したんすね!」
「なにを信じるかはあなたの自由だろう?」
べえ、とジャックは舌を出した。大悟の顔で。魚のように。
「そんな……」
口裂け女がソファーの上で崩れ落ち、膝をついた。
それを見たジャックは、舌を出したまま口角を上げる。
その顔面に、紫の炎をまとった拳がめり込んだ。笑顔が歪み、そのままジャックの後頭部はネクストラの壁に叩き込まれ、衝撃と轟音が応接室、すなわち二階全体を揺らす。ジャックの頭部を中心に、壁に放射状に亀裂が刻まれる。ひびの隙間からは、燃え盛る紫の残り火が顔を覗かせていた。
「人の顔で、不細工に笑ってんじゃねーよ」
蝙蝠に似たスーツが、本物さながらにばさばさとはためく。
カボチャ頭の男は腕を引き抜き、炎の灯っている自分の拳にふっと息を吹きかけた。紫の火が消える。
「社長、お願いします」
そして、小脇に抱えていた口裂け女の生首を後ろに放り投げる。それをストラがキャッチし、口裂け女の体に両手でそっと差し込んだ。
「気持ち悪かったろう、こんなやつに口の中をまさぐられて。今からこいつをぶっ飛ばすから、ちいと待っててくれや」
オーバーが口裂け女の方も見ずに語りかける。その目はジャックだけを捉えていた。
カボチャ頭に生えた蝋燭からは、怒りを体現するかのように煌々と炎が噴き出している。
「落ち着きたまえ大悟、オーバー。誰が私より前に出ていいと言った」
弾丸のようにジャックへ突っ込んでいった大悟たちをストラはたしなめる。
彼女は以前に注意していた。オーバーはジャックに狙われる可能性が高いと。なるべくなら、ジャックとの戦いにおいて大悟たちを前線に送りたくないのだ。
「悪ぃがよ、ストラ」
この場に不釣り合いな、ばかみたいにオレンジに光るカボチャが答える。
「男ってのは背中で語るもんなのさ」
「そしてこいつとは、拳で語ってやりますよ」
オーバーの言葉を大悟が引き継いだ。
「信じられないな。これはきみの顔だぜ? どうなってもいいっていうのかな?」
壁に沈んでいた体を起こして、ジャックは顔を押さえながら立ち上がる。殴られた傷はすっかり治っていた。
「お前をぶん殴れるんなら安いもんだ。さっき賭けた三百円よりもずっとな」
減らず口を言う大悟を手で押しのけ、ストラが直々に前へ出る。
「あとは私の仕事だ」
サイドテールを引っ張り、自分の首を抜く。きゅぽん。かぶっていたハンチング帽が少女の首とともに宙を舞い、入れ替わりにむさ苦しい武士の首が飛んでくる。
「
武士の名を呼んだストラは、その首を受け入れた。七兵衛の首をはめたストラの右手に、鋭い光を放つ日本刀が出現する。
「これで終わりだ。
ストラが日本刀を上段に構え、そのままジャックの体と大悟の頭の境界線めがけて振り下ろす。
しかし、聞こえてきたのは肉と肉を断ち切る音ではなく、硬く冷たい金属音だった。
銀色に鈍く輝く西洋甲冑の首が、ジャックを守るように日本刀を受け止めていたのだ。
「……いったいなんのつもりか、えかると殿」
「口で説明せねばわからないか、サムライ。こういうことよ」
西洋甲冑、エッカルト・ベルクヴァインはくぐもった声で答えた。
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