第二章 口が裂けても言わないで

口が裂けても言わないで phase1

「私、きれいっすか?」


「ええと……」


 目の前の女性に問いかけられ、大悟は答えに窮した。

 彼が入社してから三ヶ月が経った、生首配送会社ネクストラ社内の一階のホールでの出来事だった。

 彼は今、蝙蝠のようなスーツに身を包んでいる。会社の制服らしいが、ハロウィン度に拍車がかかっているような気がしてならない。

 昨日は首なしライダーに首を届けたが間に合わず、そのせいで社長のストラから減給を食らってしまった。これ以上、下手に失敗はできない。

 しかし、大悟が今、返事に困っている理由はもっと単純だ。

 目の前にいる女性――間違いなくネクストラの客だろう――には、やはり首から上がなかったのだ。

 おおかたジャックに首を奪われたのだろうが、これではきれいかどうかなど訊ねられても答えようがない。

 声と体格から察するに、轟よりも年は上に見える。二十歳過ぎといったところか。白いコートと赤いハイヒールを身に着けている。七月なのにコート姿というのは、ストラに通ずるものがあった。

 来客の知らせがきて、昨日の失態を取り戻そうと応対を買って出たのも裏目に出た。頼みの綱のストラはちょうどおやつを買いに出ており、今は不在だ。

 接客のマニュアルでもあれば話は別かもしれないが、こんなイレギュラーな会社にそんなものがあるわけがない。


「ねえ、私、きれいっすか?」


 首なしの女性はなおも問いかけてくる。さすがに二度も無視するわけにもいかず、大悟はいよいよ答える――


「んなもんわかるかよ、鏡見て出直してこいや」


 前にオーバーが口を開いた。大悟の意に反したハスキーボイスが口から漏れ出る。


「なに言ってんだお前! 失礼だろうが!」


「じゃあお前はどう思ってんだよ」


「実際きれいだったらインパクトがあって面白いと思う」


「お前はお前でひどいな!」


 オーバーと腹話術よろしく口論していると、首のない女性はコートのポケットに手を突っ込む。


「だったら、これでどうっすか!?」


 彼女はポケットからハサミを取り出し、カボチャ頭めがけて突き出してきた。


「おっとお!」


 銀色に光るハサミの刃をオーバーは噛んで受け止める。牙と刃が高速でぶつかり、火花が散った。


「おきゃんだな」


 ハサミをくわえながらからかうオーバーに対し、大悟は内心で目を白黒させている。


「お客様、ひとまず落ち着いてください。先ほどの発言は失礼しました」


「うるさいっす! お前も私と同じになれ!」


 女はオーバーの口からハサミを強引に引き抜き、所かまわず振り回してきた。

 大悟は身をよじり、迫りくる銀の斬撃を紙一重で回避する。


「おっ、客っ、様っ!?」


「その口が憎いいい!」


「だぁからすみませんでしたって!」


「おてんばしていい年頃じゃねえだろうがよ、落ち着け」


「なんだと!?」


「お前は黙ってろオーバー!」


 茶々を入れるカボチャに不平を言いながらも大悟と首なし女の応酬は続く。ハサミが縦横無尽に舞い、銀の筋を描く。大悟はひたすら走り回り、ときには身をかがめて攻撃を避ける。

 しかし、その鬼ごっこにも終わりが訪れた。

 気づけば大悟の背後には壁があり、女はハサミを左右に巡らせて退路を断っていた。壁際に追い込まれた大悟は冷や汗を流す。


「しゃーねえなあ。愚か者の火鳴ウィル・オ・ウィスプでも一発ぶちかませば大人しくなるだろ」


「客を永眠させる気か! しかもここ社内だぞ!」


「じゃあこのまま素直に切られるか?」


「それも断る」


「贅沢は身を滅ぼすぜ?」


 大悟とオーバーが丁々発止を繰り広げている間にも、ハサミ女はじりじりと距離を詰めてくる。


「私、きれいっすか?」


 ハサミが蛍光灯の光を反射して妖しく光る。いよいよのっぴきならない状況に追い込まれ、大悟の口から紫煙がくゆる。


「背に腹は代えられねえから、肉を切らせて骨を断つぜ!」


「私の質問に答えろおおお!」


 首なし女のハサミが煌めき、オーバーが炎の発射準備を終えて口を開けたとき。

 一匹のたい焼きが、両者の目の前を通り過ぎていった。

 首なし女はハサミを振り下ろし、たい焼きは両断されて地に落ちる。粒あんが大理石の床に飛び散った。

 二人の注目が下のたい焼きに集まったところで、一つの影が間に割り込んでくる。

 影は高速で躍り、首なし女の手からハサミを叩き落とした。


「いけねえなあ、いけねえよ」


 大悟たちの視線が、乱入者の足元からだんだん上によじ登っていく。

 ブーツを履いた足。動いた余韻でふわりと膨らむトレンチコート。首に巻かれたマフラー。そして肝心の頭は、白髪を後ろにまとめ、片目に大きな傷跡のある老人のそれだった。


「社内は暴力と火気厳禁だぜ、若いの」


 老人の首を頭に着けたストラは、しわがれた声でそう言った。


「社長!」


「ストラ!」


 大悟とオーバーが目を輝かせる。実際に少し目から紫の火の粉がこぼれていた。


「なんすか、お前は」


 首なし女は打たれた方の手を押さえて問いかける。


「ニコルイ・ニコルフ。しがない老兵だよ」


 片目の老人は名乗ると同時、首なし女の背後に回り、片腕をひねりあげる。


「手荒な真似はしたくねえ。話し合いで穏便に済ませるか、さっさと帰るか。選びな嬢ちゃん」


 相手の動きを封じ、余裕綽々で笑う老人の目には澱んだ光が宿っていた。その眼差しが、彼のくぐってきた修羅場の数を物語っている。


「ふざけるな。私の首を取り返すまで引き下がれるものか……!」


 武器のハサミを取り落とし、体を拘束されてもなお、女の敵意が弱まることはなかった。


「なんてえじゃじゃ馬だ」


 ニコルフの腕の中でもがく力が大きくなる。妖女の執念が怪力へと変わる。


「カボチャ坊主! ぼさっと見とらんで、お前さんたちも手伝わんか! 俺がボケる前に!」


「妖怪みたいな呼び方すんじゃねえよ爺さん!」


「似たようなもんだろうが!」


「そうでした!」


 食い下がったのがオーバー、折れたのが大悟だった。妖怪カボチャ小僧は暴れる首なし女の肩をつかみ、動きを封じる。


「そのまま押さえとれ!」


 首なし女から手を離したニコルフは自分の頭をつかみ、上に引き抜こうとして――突然、力を抜いた。その目からは獰猛な光が失われ、口は半開きになっている。そして一言。


「パイナップルボムはおやつに入るかのお~」


「しまった! ニコニコさんがボケた!」


「手榴弾は食いもんじゃねえよじじい!」


 首なし女をなんとか押さえながら、大悟とオーバーは呆れる。

 ニコルイ・ニコルフ。通称ニコニコさん。幾多の修羅場と戦場をくぐり抜け、近接格闘と小銃を得意とする歴戦の傭兵。その荒々しい戦いぶりから「隻眼の猟虎りょうこ」と呼ばれていた。欠点:不定期にボケる。

 最恐の傭兵も、寄る年波には勝てなかった。


「しょうがない! 失礼します!」


 謝りながら、大悟はニコルフの顎を蹴り上げた。きゅぽん。敬老精神の欠片もない衝撃でニコルフの首が外れ、入れ替わりに飛んできた中年の男の首がストラの体に装着される。


「おや、私の出番ですかい?」


「だって、ああなったニコニコさんには会話が通じないんですよ! 出利葉いでりはさんの方がましです」


「まし、ですかい……そいつはどうも」


 出利葉という中年男は、首なし女を拘束する手は緩めずに器用に肩を落とした。


「あの爺さん、腕は確かなんだがなあ」


 オーバーも困ったようにつぶやいた。


「離せえ! 私の首はどこにあるんすか!」


 依然として取り押さえられたままの女は叫ぶ。


「ひとまず物騒なものは預かっておきやしょうか」


 出利葉は首なし女の手元に、片手で懐から取り出したハンカチをかぶせた。


「ほい」


 ハンカチを取ると、首なし女の手に握られていたはずのハサミは消えており、いつの間にか出利葉の右手に移動していた。


「返せ! 私のハサミも! 首も!」


 女はわめき、体の抵抗する動きも大きくなる。


「失礼、お嬢さん」


「んぐ……!」


 出利葉はそんな彼女の首の断面にハンカチを当てる。女はしばらくもがいたあと、急に力を失くしてくてっと床に倒れた。


「頭がなくても効くもんでさあ」


 大悟は若干引き気味に出利葉の手に握られているハンカチを指差す。


「それ、なにを染み込ませてるんですか?」


「企業秘密でお願いしやす」


「同じ社員なのに!?」


「それよか、相変わらずうめえ手品だな」


 オーバーが感心して声を漏らす。


「いやいや、そんなたいしたものじゃありやせんよ」


 こそばゆそうに出利葉はぼりぼりと頭をかく。ふけが社内に飛び散った。


「ともかくこれは没収だ。あとはストラさんに任せるとしやしょう」


 きゅぽん。出利葉がハサミをコートのポケットにしまい、自分の頭を抜くと、ふよふよとサイドテールを垂らしながら飛んできた少女の首が体に差し込まれた。ストラは床に転がっている首なし女を見下ろす。


「勝手に人の首を変えたのはこの際目をつぶるとして、きみたちが留守番さえも騒がしくしてしまうと証明してくれたこの女は誰かな?」


 どことなく恨めしげに言うストラに、大悟はあわてて両手を振る。


「こっちが聞きたいですよ! いきなり会社に入ってきてハサミをぶん回す人って、客としてカウントしていいんすか?」


「まあ、まともじゃねえわな」


 オーバーも後押しをするが、どの口で言っているのやら。

 ストラはふむ、と腕を組む。


「とはいえ、トムさんの防壁をすり抜けてきたんだ。悪意はないと見ていいはずだ」


「正気ですか。凶器を振り回す時点で悪意しか感じられないんすけど」


「なにか事情があるんだろうよ。話を聞くとしようか。けどその前に――」


 社長はすっと人差し指を立てた。


「目を覚ましたときにまた暴れられても面倒だ。今のうちに手足を縛って応接室の椅子に座らせておこう」


「もう完全に客への応対じゃないっすね」


 大悟は呆れながら、スーツの懐からガムテープを取り出した。


「まんざらでもねえのかよ。つーかなんでんなもん持ってんだよ」


 オーバーの指摘もどこ吹く風で、首なし女の手足をてきぱきと縛っていく。

 七月の社内は、ほどよく冷えたクーラーの空気が巡っていた。

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