第二・五章

カットしたいのはやつの首

「社長、サチさんのことなんですけど」


「ん、口藤くどうサチさんか。彼女がどうかしたのか?」


 ネクストラの二階の応接室。社内にこもる七月の気温に汗水垂らして大理石の床にモップをかけながら、大悟は話しかけた。いくら掃除をしても、どんなに磨いても、床も壁もぴかぴかにならず、どこか輝きを失くしてしまっている。


「なんであの人って、自分がきれいかどうかを訊いてくるんでしょうね」


「それが彼女の存在意義だからね。それに――」


「それに?」


 椅子に腰かけ新聞を読みながら言葉を切ったストラに、大悟はカボチャ頭を傾ける。

 蛍光灯の光も灰をかぶったように薄暗く、ばかみたいにぼんやりと光るオレンジのカボチャがいつもより自己主張する。


「ばっかてめえ、わかりきってることをストラに言わせんじゃねえよ」


 当のカボチャであるオーバーが会話に割り込んできた。ハスキーボイスが室内に反響する。


「ばかってなんだよバカボチャ」


「かーっ、首を失くしても口の減らない野郎だぜ」


「いいから教えろよ」


 もうネクストラでは見慣れた一人口喧嘩だが、大悟は早々に切り上げることにした。一銭の得にもならないことをだらだら続けてもしかたがない。


「いいか? 女ってのはなあ、常に自分がきれいかどうかを気にして生きてんのさ」


「そうなんですか社長」


「なぜ私に振る」


 ストラはこめかみを押さえながら新聞を机の上に置く。


「だって社長、女の子でしょ」


「これでもきみよりはるかに長い間生きているのだが?」


「きれいかどうか気にしながら?」


 指を組み、首借り少女は大きなため息をつく。


「私にとって美醜などどうでもいいことだよ。顔の作りも目鼻立ちも、首を変えてしまえば意味はないさ」


「でもスタイルいいですよね。すらっとしていて、身長も俺と同じぐらいでしょ」


「まあ、このぐらいないと収納できないからな」


「収納?」


「なんでもない、企業秘密だ」


「社員の俺にも!?」


 机の上で新聞紙を折り、完成した紙飛行機を大悟に向けて飛ばすストラ。

 カボチャ頭が火を噴き、紙飛行機を墜落させた。


「確かに背は高いがよ、出るとこが出てねえと男に間違われるぜ? やっぱ胸がないとなあ? だははははは!」


 陽気に笑うオーバーに、くしゃくしゃに丸められた新聞紙が飛んできてぶつかる。


「社長に対してセクハラとは見上げた根性だ。給料をカットしてあげようか?」


 その台詞を聞いたとたん、大悟とオーバーは固まった。わずかに遅れて、ストラも自身の失言に気づく。


「あー、いや、すまない。大悟、今のは忘れてくれ。大丈夫。ちゃんと払うから安心するといい」


「でも――」


 なおも食い下がる大悟に、手のひらを広げることで、この話題は終了だ、と暗に告げる。

 社内が若干気まずい雰囲気に包まれる。


「若いのう」


 その空気を一言で切って捨てた者がいた。

 白髪をオールバックでまとめ、片目に大きな傷跡のある老人の首が大悟とストラの間で浮いている。その隣には、くたびれた中年の男の首も飛んでいた。

 ストラは老人の方に目をやる。


「ニコニコさん。知っているとは思うけど、私はあなたよりもはるかに年上なのだが?」


「たとえ何百年、何千年と生きていようが、女子おなごは女子だ。違うか、ストラちゃんよ?」


 ニコニコさんと呼ばれた老人の首はしゃべる。


「若いもんはな、たった一つの的をしっかり見て、そいつのど真ん中にぶち当たるように突き進めばいいのよ。お前さんにとっての真ん中はなんだ?」


「……ジャックの、討伐」


 後ろめたそうに、しかし確固たる意志を含ませ、ストラは目的を、自身の存在意義を口に出して表明する。


「だろう? 俺らのことなんぞ気にするな。いくらでも給料をカットすればええ。社長はお前さんだ」


「私はごめんですよ。払うものはちゃんと払ってもらわないと」


 と、それまで黙っていた中年男の首が口を開いた。


「消えるなんてまっぴらごめんだ」


「もちろんだよ、出利葉いでりはさん」


 ストラはうなずく。出利葉という男の首は老人の首の方を向いた。


「ニコニコさん。この会社はあんた一人で回っているわけじゃないんだ。勝手に一人の意見を総意のように押し通らせてもらっちゃあ困りますぜ」


「すまんのう、最近耳が遠くてのおー」


「このじじい」


 とぼける老人に出利葉は呆れ顔だ。


「まあ、さっきのは耄碌したおいぼれの戯言とでも思っておいてくれや、ストラちゃん」


 ニコニコさんは名前にたがわず気持ちのいい笑顔を浮かべた。


「あの騎士の若造の件もある。あんたの気持ちは一つ一つじっくりと片付けていくがいいさ」


「でも、それじゃあ――」


 ストラがなにか言い返そうとするが、なかなか紡ぐ言葉が出てこない。

 これでは大事なことを煙に巻かれたようではないか。そう、今立ち込めている、この紫の煙のように――

 ん?


「社長、すいません! 火事です!」


「やっべえ! 消えろ! 消えろ!」


 焦げ臭い匂いがストラの鼻の奥をくすぐる。見れば、大悟が慌てながら床を靴で必死に踏みつけていた。オーバーも冷や汗を流している。

 ちょうど先ほど、紙飛行機が燃えて墜落したあたりに紫の炎が生えている。それを大悟がぶきっちょなタップダンスでも練習しているかのように何度も足で押さえていた。

 もうもうと上る紫煙がネクストラの中を蛇のようにうごめく。大蛇はゆらめき、天井のあたりで一つに溶け合って広がっていった。


「今は換気扇もスプリンクラーも機能しないというのに! 結構大事な話をしていたのだが!?」


「大事の前の火事です!」


「今が一大事なのだが!? とにかく窓を開けるんだ!」


 蝙蝠のようなスーツを脱いで火を消そうとしている大悟は、薄々感じていた。

 ああ、これはまた給料カットのいい口実を与えたな、と。

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