そして彼らはくびになる phase3

 応接室は二階にあった。あったというより、二階全体が丸々応接室となっていた。こうなると応接フロアと呼んだ方がしっくりくる。

 階段を下り、ストラと大悟は部屋の中へ入る。

 室内のソファーに腰を沈めているのは女性だった。若そうだが、細かい年齢まではわからない。

 女性は化粧で化ける、とかいう意味ではなく、ただ単に、彼女の首から上がないせいだった。


「あのぅ」


 正面のソファーにストラが座ってから、首のない女性はしゃべりだす。

 ちなみに大悟は部屋の入り口のドアの近くの壁に寄りかかっている。


「私、首を失くしたんです」


 それは見ればわかる。

「鍵を失くした」と同じイントネーションで言うものだから、本当に鍵でも失くしたのかと思ってしまった。しかし、そうではないことは彼女のない頭が物語っている。

 首のない女性にストラは訊ねる。


「いつから?」


「一昨日からです。首がないと私、私……バイトをくびになっちゃうんです!」


「奇遇ですね!」


 大悟は同調した。決して他人事でも、ましてや笑い事でもないのだ。

 涙が流れるわけではないが、轟が泣いていることは声で伝わってくる。涙声で訴える女性に、ストラは質問を重ねる。


「誰かに奪われた? それともいつの間にか失くしたのかな?」


 首をいつの間にか失くすとはどういう状況だろうかと大悟が考えていると、女性はあるキーワードを口にした。


「ジャックという男に取られました。彼は、首を返してほしければここを訪ねろと」


 ジャック。その名前を耳にして、ストラと、カボチャ頭の大悟に緊張が走る。


「やつに奪われたのなら、残念ながら私のリュックの中にあなたの首はないな」


 ストラは腕を組み、ソファーに深く座り直した。


「まずはあなたの素性を知りたいのだが」


「あ、申し遅れました。私、とどろきといいます」


 首なしの女性、轟は語る。


「私、昔から要領悪くて、仕事も転々として、やっと今の自分に合うバイトを見つけたんですけど……」


「そのアルバイトとは?」


「お化け屋敷です」


「なるほど」


 なにがなるほどなのか、ストラは妙に納得していた。


「昨日まで、私はお客さんを驚かせていました。でも、最後のお客――ジャックは、こっちがなにをやっても怖がらずに笑っていました。それで私の出番になって驚かそうとしたら、彼は私の頭をつかんで、そして、そのときも笑っていて……」


 轟はひざの上で両手を握る。その手は震えていた。首を取られた瞬間を思い出しているのだろう。


「お願いします。私の首を、取り戻してください」


 声も震えている。

 ストラは安心させるように柔らかく微笑んだ。


「その依頼、生首配送会社ネクストラが確かに承りました。お任せあれ」


 その後、唇を引き締める。


「あいつに奪われたというのなら話は早い。ジャックから取り返せばいいのだから。今から行こうか」


「ジャックの居場所が、そんなに簡単にわかるのか?」


 食いつく大悟に、ストラは視線を寄越す。


「そういえば、きみの名前はなんだったかな」


「えっ、このタイミングで?」


 カボチャが面倒くさそうに口をはさんだ。


「こんなやつ、名無しの権兵衛で充分だろ」


「じゃあお前はバカボチャだな」


「なんだとー!」


 カボチャ頭に呆れながら、大悟は名乗る。


「俺は鮎坂あゆさか大悟たいごだ」


「私は社長できみは社員。よく聞こえなかったので、もう一度言ってくれまいか。さあ」


「……鮎坂大悟です。社長様」


「それでよろしい。ジャックのいる場所はおそらく――」


 ストラは首の角度を戻し、言い切った。


「大悟、きみの家だよ」


 確かにジャックには会いたいが、できればその憶測は外れていてくれと、大悟はただ願うばかりだった。




「生首配送会社ネクストラ」をあとにして、大悟とストラは夜の住宅街を歩く。

 轟には会社で待つように言って、社内に置いてきた。ゴーレムのトムさんの中は安全だからだそうだ。聞けば、ゴーレムの体には特殊な防壁が施されており、悪意のある者はネクストラ社内に入れないようになっているらしい。たとえジャックが来ても侵入されることはないそうだ。


「うー、寒ぃなあ。火遊びしてもいいか?」


「却下だ」


「けちけちすんなよう」


 カボチャのぼやきをストラが切って捨てる。

 四月の風はまだ肌寒く、どことなく自分たちが歓迎されていないような気になる。

 てくてくと前を歩くストラに、巨大なリュックを軽々と担ぎながら大悟は話しかけた。


「あの、なんで俺んちにジャックがいるってわかるんですか?」


「やつがきみの首を取ったからだよ」


「はい?」


 言葉の意味をつかみあぐねていると、ストラは別の話題に切り替えた。


「そうだ、大悟。そのカボチャに名前を付けてあげようか」


「はあ、なにか意味が?」


「きみとそのカボチャの絆を強めておけば、消滅までのカウントダウンも緩むからね。本物の首と同じぐらい愛着を持ってやれ」


「えぇー……カボチャで充分じゃないの?」


 大悟は露骨にいやそうな声を出した。もちろんカボチャも黙っていない。


「ちょっと待てよ! こんな野郎に俺様の名前を決められてたまるか!」


「いやなら二人仲良く消えてなくなるか?」


「うぐ……」


 殺し文句を言われ、さすがにカボチャも押し黙る。

 その中で、大悟はカボチャ頭の口に手を当てて考え込んでいた。

 ふいに、一つの単語が頭から染み出てくる。


「じゃあ、オーバーで」


「オーバー?」


 カボチャはハスキーボイスで復唱する。


「ああ。なんとなくぱっと浮かんだんだ」


「オーバー。超越する者オーバー、ねえ。ふーん、まあ、いいんじゃねえのお? んーふふふ」


 気持ち悪いほど上機嫌になったカボチャ頭に、大悟は若干後ろめたさを覚える。

 まさか、いちいちオーバーリアクションをするから、などという安直な理由だったのは、黙っておこうと決めた。

 ふと、ストラが足を止める。


「ここがきみの家だな?」


 言って、月に照らされている一軒の家屋を見上げる。気づけば目的地に着いていたようだ。大悟もストラに倣って見る。見慣れた、けれども今はなぜか遠くに感じるわが家だった。中には家族の住んでいる、大事な家だ。

 住宅街の中に埋もれて建つ、赤い屋根の一軒家。ベージュ色の壁に、チョコレートを思わせる茶色いドアが張り付いている。

 ストラは鮎坂家を観察するように眺めたあとに口を開く。


「きみが開けるんだ」


「俺が?」


「きみの家だろうが」


 もっともだった。しかし、カボチャ頭で帰ってきた息子を、家族たちは受け入れてくれるだろうか。不安は募るばかりだ。


「だっはっはあ! 自分の家の門をくぐる勇気もないか? 俺様のいくじなしな体は!」


「誰がお前の体だ。近所迷惑だから騒ぐな」


 ごつ、と拳でカボチャ頭のこめかみのあたりを殴る。もちろん痛みは大悟にも伝わったが、カボチャ頭も「いってえ!」と声を上げ、素直に黙り込んだ。大悟以上に効き目はあったらしい。

 自宅に帰るだけだ。当たり前のことを自分に言い聞かせ、リュックを玄関横に置き、大悟はズボンのポケットから出した鍵をドアノブに差し込む。数時間しか経っていないにもかかわらず、家を出てコンビニに行ったのがずいぶん遠い昔のことに思えた。

 ゆっくりとドアを開けると、蝶番がいつもより軋んだ。


「……ただいま」


 いつもは省略する挨拶を口に出す。靴を脱ぎ、廊下を抜けて明かりの漏れるリビングへと進む。


「誰!?」


 リビングに顔を出すと、大悟の母親がパソコンのキーボードを叩く手を止めて、警戒心もあらわに声をかけてきた。


「母さん、俺だよ。大悟、大悟」


「嘘!」


 そりゃそうなるだろう。今、大悟の母親の目には、自分がカボチャの頭をした不審者としか映っていないはずだ。


「ちょっとわけがあってさ。今度友達とするサプライズパーティーのときに使うんだよ、このマスク」


 とっさに考えたにしては、いい言い訳だと思った。のだが。


「ふざけるのもいい加減にして! ぶつよ!?」


 どたどたと台所の方へ引っ込み、母親はフライパンを装備してやってきた。最近買ったばかりのテフロン加工のものではなく、使い古して焦げまみれのフライパンだ。母の節約精神はこんなときでも活きている。

 しかし、こうまで大悟を本人だと認めてくれないのはおかしい。少なくとも声は本物のはずなのだが。


「なにを騒いでいる、夜中だぞ」


 風呂上がりだろう、シャツとパンツだけの格好で、首からかけたタオルで頭を拭いている父親もリビングにやってきた。


「お父さん、新手の覆面強盗が! しかも大悟だって言い張ってるの!」


 覆面強盗。なるほど、一理ある。


「父さん、俺は本物の大悟だよ。今はちょっとマスクかぶって脱げなくなっただけで」


 大悟の父は眼鏡をかけ、遠慮なくこちらを見た。

 そして、判断は下される。


「そんなわけがないだろう! 大悟なら、もううちにいる!」


 うちにいる?

 その言葉の意味を推し量ろうとする大悟に向かって、父親は出来の悪い中国拳法のような構えを取った。


「父さん、通信空手は三日で飽きてやめたんじゃなかったの?」


「なぜそれを知っているっ!?」


 驚く父をよそに、もう一人の家族を探そうとすると、真相は向こうから訪れた。


「どうしたの、父さん母さん」


 上から足音と、不機嫌そうな声が降ってきた。


「姉ちゃん……」


 面倒くさげに頭をかきながらリビングの横の階段を下りてくるその女性は、大悟の姉、鮎坂彩朝あやさに他ならなかった。


「……誰? あんた」


 彩朝は眉根を寄せながら問う。

 だが、大悟の視線は彼女の後ろに釘付けになっていた。

 姉に続いてともに一階へ下りてくるそいつは、誰よりも大悟が見覚えのある顔をしている。

 カボチャではない、本物の鮎坂大悟の姿がそこにいた。


「お前ぇっ……!」


 確認するまでもない。本能でわかる。

 体が本来の頭を求めてうずく。

 ジャックが、大悟になりすまして家にいた。


「返せよ、俺の首ぃ!」


 土足なのにも構わず、叫び、大悟は自分の偽物に殴りかかる。

 拳がうなり、風を切る。

 カボチャ頭のせいか、体が軽い。ただし、頭は真っ赤になるほど熱い。怒りが炎となって、カボチャの中で燃え盛っているようだった。

 拳が相手の肉の感触を捉える。


「ぐっ!」


 ただし、それは彩朝の頬の感触だった。ジャックはとっさにしゃがんで避け、横にいた彩朝に拳が当たってしまったのだ。


「え……?」


 母親の短い悲鳴が上がった。

 思わず拳を引っ込め、大悟はうろたえる。

 自分は、姉を殴ってしまった。

 確かに自分は褒められた人間ではないが。

 身内に、女性に手を上げるなんてのは最低だ。


「ね、姉ちゃん……」


 自分の拳を見つめ、頭の中の熱が急激に冷めていく。


「姉ちゃん! 大丈夫!?」


「鮎坂大悟」が彩朝に駆け寄る。

 違う。違うんだ。

 大悟の背中を冷たい汗が伝う。よろめく足で後ずさりをし、玄関の近くまで逆戻りした。


「姉ちゃん……俺、本物の鮎坂大悟なんだよ。信じてくれよ」


 知らず、声は震えていた。

 彩朝は殴られた頬を押さえながらこちらを睨む。


「お前がもし本当にあたしの弟だとして。殴られたあたしがそれを信じるメリットがどこにある?」


 大悟の中で、なにかがすとんと落ちた。

 ああ、自分の姉はこういう人物だった。

 大悟が快楽主義者なら、彼女は合理主義者。自分にメリットがあればどんなことでも受け入れるが、そうでなければ話すら聞いてもらえない。


「彩朝、大丈夫!?」


 母親が駆け寄り、彩朝の体を抱きしめる。敵から守らんと、彩朝を大悟から遠ざけて体をかぶせる。

 母に抱きしめられながらも、彩朝の目はしっかりと大悟を見据えていた。


「お前があたしの弟でいい理由はない。出ていけ、不法侵入者」


 それがとどめの一言となった。

 大悟は姉と特別仲がよかったとは思わない。

 だけど、なぜだろう。否定されると、知らない場所に取り残されたかのような寂しさが胸の中を駆け巡る。


「出ていけ! 二度とうちに関わるな」


 父親が怒鳴る。

 同感だ、と大悟はどこか心の遠くで思った。

 ここにはもう、自分の居場所はないのだから。

 踵を返しかけたとき。それまで珍しく沈黙を貫いていた者が口を開いた。


「いいのかよ? ここで帰って」


 オーバーだった。


「ここでジャックの野郎を見逃していいのかって、聞いてんだよ」


 その一言で、大悟の足が踏みとどまる。受け入れがたい現実に背を向けようとしていたのを、思いとどまった。

 そうだ。目的を見失うな。ジャックはここにいる。自分から居場所をぶんどった張本人はここにいる。なぜ本物の大悟が引き返さらなければならないのか。

 母親がわめく。


「早く出て行ってよ! なにがしたいの!?」


 ただ、家に帰りたかっただけだ。

 先ほどとは別の、静かな怒りがカボチャの中に満ちていく。

 今度は勢い余って家族を傷つけないように、静かにジャックへの敵意をとがらせていく。


「そうだな。お前とだけはケリをつけようじゃないか、猿真似ジャック」


「猿真似ってなんのことだい? 俺は鮎坂大悟だよ」


 ジャックがとぼけたとき、大悟の肩のすぐ上に銀色の刃がすっと伸びてきた。


「茶番は終わりだ。小僧に家族を返してやれ」


 ストラが日本刀を大悟の肩越しにジャックへと突きつけていた。彼女の頭と声はすでに武士のものへと変えられている。


「不審者が増えた!」


 突如、団欒の中に侵入してきた凶器に、大悟の父と母は目を丸くする。


「大悟、こっちにきな」


 姉の彩朝だけは、冷静にジャックの手を取って刃から離れていった。弟だと思い込んでいるとはいえ、ジャックをかばう姉の姿を見て大悟の胸が痛む。


「ほう、お主は驚かないのだな」


 武士頭のストラが感心したように声を漏らす。彩朝は答えた。


「あたしが慌てふためいて状況がよくなるんならそうするけど、違うでしょ?」


 姉ちゃんらしい言い分だ、と大悟は心の中でつぶやいた。その手がジャックではなく自分を選んでくれていたら、安心できたのだが。


「ま、残念だけどここまでか」


 ジャックが指を鳴らす。すると、父が、母が、姉が、次々に倒れていった。


「父さん!? 母さん!? 姉ちゃん!?」


 慌てる大悟にジャックは笑いかける。


「意識を奪っただけさ。明日の朝には起きるから安心しなよ」


「そういう問題ではなかろう!」


 武士の頭でストラが怒鳴る。

 今、鮎坂家の中で立っているのは彼女と、オーバーをかぶった大悟と、大悟の姿をしたジャックの三人のみだ。

 ジャックはため息をついた。


「やれやれ、わが家で刃物はしまっておいてくれないかな」


「お前んちじゃない、俺の住む家だ」


 肩をすくめるジャックに食ってかかる大悟。

 ちりちりと焦げ付くような視線と敵意を送っていてもなお、ジャックは憎らしいほど平然と立っている。


「困るんだよ。せっかく家族水入らずで過ごしていたってのに」


 とぼけるジャックに大悟の苛立ちが募る。


「それは俺の一家団欒だ。お前が奪った、俺の時間だ。返してもらうぞ」


 大悟は床を蹴る。フローリングの床が軋み、体が宙を浮かぶ。

 リビングの横の廊下をひとっ跳びして、姉と母の体をも飛び越え、ジャックのところへ一直線に駆ける。


「たっぷりの利子と慰謝料込みでな!」


 体をねじり、拳を振りかぶる。


「待て! 不用意にそいつに近づくのは危険だ!」


 ストラが叫ぶが、もう遅い。

 大悟の拳がジャックの鼻っ面を捉えるその刹那に、風が吹いた。

 ジャックの体の背中から、鳥のものでも虫のものでもない翼が生えていた。爬虫類に羽があったらこんな感じだろうか。翼は羽ばたき、大悟とストラは後ろへ追いやられる。


「ここを気に入っていたのは本当だけど、残念ながら引き払うとしよう。きみたちみたいな危険人物に邪魔されてはたまらないからね」


 暴風の中だというのに、ジャックの声ははっきりと聞き取れた。


「ところで、きみたちは探しものをしているんじゃないかな? ついでに手伝ってあげようか。もういらなくなったからね」


 ジャックは翼をひときわ大きくはためかせる。立っていることすら困難になり、大悟とストラは踏ん張りも効かずに吹き飛ばされた。

 視界がぐるぐると、万華鏡を覗いているみたいに分割されて回転する。

 万華鏡の中では、ジャックが大悟の顔で無数に笑っていた。

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