第一章 そして彼らはくびになる

そして彼らはくびになる phase1

 退屈とはパセリのようなものだ。

 月を見上げながら、鮎坂あゆさか大悟たいごはそれだけをぼんやりと考えていた。

 料理に添えられているパセリ。これと言って美味いでもなく、とくに飾りとしても機能しているとは思えない。しかし、必ずついている。人生において必要ではないが、いつもある。退屈とは、それだ。

 別段、現状に不満を持っているわけでも、娯楽に飢えているわけでもない。家に帰ればそれなりに優しくてうっとおしい両親も姉もいるし、夜が明けて学校に行けばそこそこ充実した学生生活を送ることができる。

 だが。なんとなく退屈で、それがなんとなく我慢ならなくて、自分がつまらない人間だと突きつけられているようでいやなのだ。

 そんな彼が真夜中の住宅街を歩いていたとき、見知らぬ女性に「助けてください!」と言われた際の第一声はこれだ。


「インパクトが弱い!」


 緊急時にいったいなにを要求しているのか。

 ただ、なにかしら困っている女性に遭遇したぐらいでは、今の退屈は晴れはしない。非常事態にも刺激を求めるほどねじくれた少年こそが大悟だ。

 満月の見下ろす夜、コンビニ帰りの住宅街でいきなり女性に助けを求められても、その性分は変わらない。


「イ、インパクトなら充分あると思います……」


 女性はとまどいながらも答える。それを聞いた大悟のスイッチが入った。


「ほう。いったいなにがあったんですか?」


 手のひらを返したように親身になる大悟。

 真っ先にかけるべき言葉はそっちだったのでは。

 女性はあからさまな相手の態度にも不信感を抱かず、すがりついた。


「追われているんです! 変な人に!」


「変な人?」


 そのワードに大悟が目を光らせて食いついたとき。


「待たれい」


 渋い男の声が割って入った。声のした方を向くと、そこには日本刀を片手にトレンチコートとマフラーを身に着けた男がいた。その頭は髷を結っている。このご時世にだ。


「……なるほどねー」


 確かに変な人だ。驚きを飛び越えて思わず感心する大悟に、武士は言う。


「そやつの首を斬らねばならん。去ね」


「それはできないねえ」


 大悟は迷わず変な人からかばうように女性の前に立つ。


「こんなサプライズ、逃げだすにはもったいない」


 こんな状況だというのに、その顔には笑みを浮かべていた。


「邪魔をするな。さぷらいずとはよくわからぬが、その命あっての物種であろうが」


「あいにくパセリは食い飽きたんだ」


 だ、そうだ。


「なにを申しておる」


 武士が眉をひそめたのも一瞬。


「しからば御免!」


 武士は日本刀を持ちかえ、峰の方を構えた。そのまま一閃、横に薙ぐ。


「うわっと」


 大悟の髪の毛が数本、はらりと舞う。峰打ちでも充分な殺傷力を持っていることが窺える。


「さすがにこれは割に合わなかったかな」


 ぼやくも、遅すぎる後悔だった。

 すると突然、武士は目を丸くする。


「いかん! 小僧、用心せよ!」


 思いがけない言葉に大悟の思考が停止する。

 斬りかかってきておいてなにを今さら――


「後ろだ!」


 つられて、大悟は背後を振り返る。真っ白な手が首元を払うように迫っていた。


「いただきまあす」


 首の中をなにかが通り抜ける、気色の悪い感触。

 次の瞬間、大悟の視界は洗濯機に入れられたのではないかと思うほど、目まぐるしく回転する。回る景色の中で見えたのは、下にある、首のない自分の体だった。助けを求めていたはずの女性が、大悟の首を手刀で刎ねていた。

 そして、テレビの電源が切れたように目に入る情報がぶつりと途絶える。


「えっ?」


 すぐさま、もう一度電源が入れられる。

 戻ってきた視界に映ったのは、大悟の首を片手に抱く女性の姿だった。


「間に合わなんだ」


 悔しげに歯ぎしりする武士をよそに、大悟はない頭で考える。

 自分には今、首がない。

 だというのに目は見えている。

 声も聞こえる。

 自分の首は今、どこにある? 目の前の女が持っているのはなんだ?


「う、うあ」


 首を、取られた。


「うあああああああ!」


 どこから出しているのかすら定かではない叫びが、上がる。必死に手を頭にやるが、すかすかと空振るだけだ。本来あるべき手ごたえが、そこにはなかった。


「ありがとねー、坊や!」


 女性は後ろに跳んで大悟たちと距離をとった。


「ならん!」


 武士はあとを追うが、女はあっという間に夜の闇に溶け込んでいく。


「ばあん」


 女は人差し指でピストルを作って、自分のこめかみを撃つ。

 女の首がぐるりと一回転したのち、その頭はさっきまで抱えていたはずの大悟の首となっていた。


「は?」


「この首はいただいたよー」


 首から上だけが大悟と化した元女は、大悟の声でそう言って姿を消す。スカートを履いた体の上に自分の首が生えているというのは、ある意味恐怖だった。

 ぼうっと立ち尽くしている首なしの大悟に、武士が詰め寄る。


「お主が邪魔立てさえしなければ、今宵こそきゃつを仕留められたやもしれぬというのに……!」


 つまり、あれだろうか。

 本当に悪いのはあの首泥棒で、この武士もどきはそれを成敗しようとしていたのか。

 見た目で判断しろというのが土台無理な話だ。

 どっちが変質者なのかと訊ねれば、誰もがこの武者を選ぶだろう。

 正義の味方なら、それらしい恰好をするべきだ。仮面とベルトを着けてギターでも背負っていればいいのだ。

 いや、マフラーなら巻いているか。


「お主の処遇は、すとら殿に任せようぞ」


 言って、武士は自分の頭を両手でつかんで引っこ抜く。きゅぽんと小気味のいい音がした。


「はい?」


 大悟は思わず声を出した。どうやら喋ることもできるようだ。

 そして、その首を虚空に投げると、別の首が同じ方向から帰ってきた。

 サイドテールの、少女の首だ。

 トレンチコートとマフラーを着た体は少女の首をキャッチし、自分の頭へと差し込む。

 できあがった少女の姿には、先ほどの武士に見られた違和感はなかった。

 おそらく、これが本来の首なのだろう。言われずとも大悟は察した。

 彼女は大悟と同じくらいの身長だったが、今は文字通り頭一つ分、大悟の方が背は低い。

 その少女が、つかつかと歩み寄ってくる。


「でや」


 いきなりチョップをかましてきた。首のない大悟に。ちょうど首の断面にあたる部分に。容赦なく。

 幸いなことに、首の切り口は生々しい傷跡ではなかったようなので、痛みはさほど感じなかったのだが、大悟は混乱する。


「なにをする! というかなんなんだあんた!」


「ずいぶんこちらの台詞だ。なぜ邪魔をした」


「面白そうだったからだ!」


 大悟は自信満々に言い切る。少女の表情が固まった。


「なんなのかな、きみは」


「退屈が嫌いな高校生だ」


「学生なら家に帰って勉強していればよかったのに」


「困っている女性を助けるのは普通のことだろう」


 少女は半眼で問う。


「どう考えても、私を見て逃げ出すのが普通の反応だと思うのだが?」


「なんで逃げなきゃならないんだ。首の取り換えができる人に会えるなんて最大のサプライズだ。見逃すなんてもったいない」


「……きみは、私を見て気持ち悪いとは」


「思わない。むしろ面白いと思っている」


「……」


 きっぱりと言う大悟に、少女は目を丸くし、それからやれやれと肩をすくめた。


「だからといって、一時的な楽しみのために、命すら投げ出すなんて信じられん。あのとき逃げていれば、助かっていたかもしれないのに」


「え?」


「首を取られたままだと、いずれきみの首は完全にあいつのものになる。そうなったら、きみの体は消滅してしまうだろう」


 普通は首を失った時点で死んでしまうのだが。

 今回のケースは例外らしい。


「俺はまだ死ねんよ。俺の人生にはまだまだ面白いことが待っているかもしれないんだ」


 少女は考え込む。


「……なら、気は進まないけど面白くしてやろうか」


 踵を返し、先ほど武士の首を放り投げた方へと消えていく。

 しばらくして、ずりっずりっ、となにかを引きずるような音が聞こえてきた。

 なにかが街灯に照らされる。少女の背丈分もある、大きなリュックサックだった。

 少女はリュックの中に腕――のみならず上半身を突っ込み、がさごそと漁る。

 やがて、あるものを取り出した。


「これだ」


 ハロウィンの時期に見かけるような、大きなカボチャだった。目の部分はくり抜かれ、口には牙が並び、頭頂部には蝋燭が一本刺さっている。


「これを応急処置として一時的にきみの頭にする」


「さてはふざけてるな?」


「私は冗談は苦手なのだが?」


 小首をかしげる少女。サイドテールがしゃらりと流れる。


「おいおいおいおい!」


 と、そこへ、大悟のものでも少女のものでもない第三者の声が乱入してきた。


「冗談はこっちだっつーの! そんなぱっとしないやつが俺様の体になるだとお?」


 カボチャが、喋っていた。それもハスキーボイスだ。


「俺様の体は俺様が決めるっての! 俺様のポテンシャルを引き出すためには、もっといかした――」


「せい」


 最後まで聞かず言わせず、少女はカボチャの首を大悟の体に突っ込んだ。パズルのピースのように、カボチャと人間の体がかちりとかみ合う。


「あーーーーー!」


 大悟の声とハスキーボイスが二重奏となる。


「ストラ、お前なにしやがる! 俺様の承諾もなしに勝手にはめやがって!」


 ストラと呼ばれた少女は、カボチャの抗議も無視して大悟にささやく。


「さて、これでとりあえず頭ができた。では、私の気を晴らさせてもらおうかな」


 彼女は腕を振りかぶった。


「よくも、千載一遇のチャンスをふいにしてくれたな」


 ぱあんと、気持ちよくヒットしたビンタの音が、深夜の住宅街に木霊した。

「いってえ!」と、大悟とカボチャの声も響いたのは言うまでもない。

 四月の夜風が、冷ややかに通り抜けた。

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