首借りストラ

二石臼杵

第一・五章

カボチャ頭と首借り少女

「口もないのに煙草を吸うのか?」


 昼間とは打って変わって空気の冷たい四月の夜。煙草の自販機の前に立っていた男の背後から声がした。男は自販機に硬貨を入れようとしていた手を止め、後ろを振り向く。

 自販機の電灯も届かない暗闇の中に声の主はいる。

 そいつは、闇夜でもばかみたいに明るく光るカボチャだった。

 より正確に言えば、オレンジ色のカボチャ頭の人物だ。


「……ハロウィンにはまだ早いだろ」


 男はなんとかそれだけ言い返した。

 カボチャ頭を眺める。

 その目と鼻の部分はくり抜かれ、口のところには剥き出しの鋭い牙が並んでいる。どういうつもりか、頭頂部には蝋燭が一本刺さっていた。

 なんだこいつは。

 取り落とした硬貨の、ちゃりんという音が夜の闇に静かに響く。

 傍らには、漆黒の大型バイクが停められている。男の愛車だ。バイクと煙草が彼の人生の半分を支えている。

 男の全身を包む、これまた真っ黒なライダースーツが夜に溶け込んでいた。


「俺様から見れば、今のお前は金をどぶに捨てているようにしか思えねえなあ」


 カボチャ頭は言った。ハスキーボイスだった。

 加えて、そいつは蝙蝠のようなスーツを着ていた。ますますハロウィンらしさに拍車がかかっている。


「ヘビースモーカーってやつか? そんなんなってまで買おうとするたあ」


 カボチャ頭はなれなれしく話しかけてきた。


「なんだよ、てめえは。俺が煙草を買おうが買うまいが自由だろ」


 ライダースーツの男は不機嫌そうな声音で言い返す。煙草をたしなむ程度には大人だが、あからさまに絡まれて平然としていられるほど我慢強くはなかった。


「だいたいその頭はなんの冗談だよ?」


「だっはっはあ! 冗談? お前がそれを言うのかよう!」


 カボチャ頭は大きく口を開けて笑った。牙が月を反射してぎらりと光る。


「その頭でどうやって煙草を吸うのか、俺様に教えとくれよ!」


「なん……」


 反論しようとして、男は気づく。

 自分の首から上が、そっくりそのままなくなっていることに。

 いったい、いつからなかったのか。

 カボチャ頭に話しかけられたときか。

 いや、違う。

 もっと前から、少なくとも自販機の前に立ったときには、すでになくなっていたのだ。

 けれども、なぜだか周囲の景色も、目の前に立つカボチャもはっきりと見えている。

 目すらないというのに。


「お、俺の、俺の頭……」


 急に足元が不安定になったように、ライダースーツを着た頭部のない男はよろめく。


「気づくのがおせえんだよ、鈍感め」


 カボチャ頭はせせら笑った。


「てめえが……」


 首なし男は肩を震わせる。その声も、怒りに揺らいでいた。


「てめえが取ったのか、俺の首いいい!」


 激情のままに、頭のない男は殴りかかってくる。カボチャ頭はその拳を右の手のひらでなんなく受け止め、つかんだ。ぎりりと腕の軋む音が鳴る。


「俺様じゃねえよ。まあ、一服でもして落ち着きな」


 笑うカボチャの目の穴と口の中から、紫色の炎がぼうと噴き出した。

 炎は夜空を焦がし、闇を紫に照らす。


「火ぃなら存分に貸すからよ」


 この世のものとは思えない炎を間近で見せつけられ、首のない男は熱よりも寒気を感じた。


「ば、化け物……!」


「ああ。お互い様な」


 燃え盛る目が首なし男を捉える。

 視界に入ったものを焼き尽くしかねない、業火の眼差しだった。


「ひっ、触るんじゃねえよ!」


 男はつかまれていた手を振りほどき、傍らに控えさせていたバイクにまたがりエンジンをかける。

 愛車を叩き起こし、彼はバイクで夜道を駆けていく。

 その様は、まさしく「首なしライダー」だった。


「だははははあ! 触るなだってよ! 嫌われ者はつらいなあ、おい!」


 遠ざかっていく首なしライダーを見送りながら、カボチャ頭は誰かに話しかけるように笑う。


「……うるさいな」


 果たして、返事はあった。それはカボチャ頭自身の口から発せられた声だった。今までのハスキーボイスではなく、若い男の声音だ。カボチャ頭は、唐突に自分で自分の頭をごつんと殴る。


「ってえなあ。俺様の頭だぞ」


 ハスキーボイスが抗議する。


「でも俺の体だ」


 少年の声が答えて会話になった。そこにいるのはカボチャ頭の男ただ一人。独り言というよりも、はたから見たら一人二役の腹話術をしているようだ。

 その後、彼はスーツのポケットから取り出した携帯電話を耳のところへ当てる。


「もしもし、首なしはそちらに行きました」


 少年の方の声だ。ライダーに対するものとは打って変わって丁寧な口調だ。


「……え? 俺も来い? いやいや、バイクを追いかけるのはさすがに無茶ではないかと……」


 手振り身振りを交えて、しかし淡々とした声音で見えない相手に抗議していた。喋るたびに目と口から紫の火の粉がちらちらと漏れる。


「減給?」


 その言葉に反応し、すぐさま通話を終え、苛立たしげに携帯電話をポケットにねじ込む。


「ほんっと、ダークな企業だなっ、と!」


 膝を曲げ、脚に力を入れる。

 次に彼がアスファルトの地面を蹴ったとき、爆発に似た音と紫の火花だけが置き去りにされ、カボチャ男の姿はかき消えていた。





 夜の道を、闇にまぎれる漆黒の首なしライダーが駆けていく。

 次から次に流れる道路の白線を眺めながら、彼は逃げていた。

 なにから? 恐怖からだ。あるいは、現実から。

 なぜ、自分は頭を失ったのか。

 疑問と不安が、首なしライダーの中を渦巻く。

 普段は心地よい風も生ぬるく、いつも以上にじっとりと粘り気を帯びてからみつくようだった。

 ふいに、バイクの前方で、ライトをさえぎるなにかが見える。

 人影のようだ。

 近づいてくる首なしライダーに構わず、ずっと立ち尽くしたまま動こうとしない。


「ちいっ!」


 首なしライダーは急ブレーキをかけた。タイヤと路面が摩擦によって甲高い音を立てる。


「危ねえだろうが、こらあ!」


 ライトを浴びたまま平然と突っ立っている人物に、ライダーは叫ぶ。

 真っ向から光を受け止めるその影の正体は、一人の少女だった。

 サイドテールの頭にハンチング帽をかぶっており、七月に着るには早すぎるトレンチコートのポケットに両手を突っ込んでいる。その首には、これまた初夏には似合わない、やたらと長いマフラーが巻きついていた。

 少女の隣には、彼女の背の丈ほどもあるリュックサックが置いてある。


「……なんだてめえ」


 ライダーは訊ねる。目の前の少女がただ者ではないと気づいたのだろう。しかも、今の自分の頭と無関係ではないであろうことも。


「私は、ストラ」


 少女――ストラは口を開いた。


「人呼んで、首借りストラというのだが」


 夜風が二人の間を通り抜けた。真っ赤なマフラーがなびく。


「俺の首はどこだ」


「ここにある」


 ライダーの質問を受け、ストラはリュックを指差した。


「じゃあとっとと返しやがれ!」


 黒いバイクがうなり、モンスターマシンとなって少女に牙をむく。

 ストラの口からため息が漏れた。


「ずいぶん血の気の多い首なしだ。血が昇る頭もないというのに」


 自分を轢きにかかろうと襲いくる鋼鉄の騎馬を見ながら、ストラは傍らのリュックに手を突っ込む。

 中から引っ張り出されたのは、生首だった。

 四十代ほどの男の首だ。現代人にしてはやや彫が深く、がっしりとした顎で、口元には髭が生えている。髪型は、ほどけてはいるが髷を結っていた。落ち武者、という表現がしっくりくるその首は、目を閉ざしている。


七兵衛しちべえさん、借りますね」


 空いた片手でストラは自分のサイドテールをつかみ、上に引っ張る。

 きゅぽん、というコルクの栓抜きに似たまぬけな音とともに、少女の首はあっけなく外れた。


「んなあ!?」


 驚くライダーへ、さらに予想外の追い打ちがかけられる。

 ストラはそれまで頭に載せていた少女の首をリュックの中へ放り投げ、代わりに手にしている武者の首を自分の体に接続したのだ。

 武者の男の首に、少女の体。サイズも性別もちぐはぐな組み合わせだが、首がはまった瞬間、武者の目はかっと見開かれる。


「成敗!」


 目前まできているタイヤを見るやいなや、いつの間にか手にしていた日本刀を構えた。

 迫りくるバイクの前輪を日本刀が迎え討つ。

 タイヤのゴムがリンゴの皮のように剥かれていき、黒い大蛇さながらにうねりながら地に落ちる。ゴムを失って剥きだしになったホイールと刃が衝突し、火花が舞い散った。


「うおお!?」


 バランスを崩した首なしライダーは、転倒しないよう片足を地につけて踏ん張る。

 前輪だけゴムを失ったタイヤが、耳障りな音をまき散らした。


「化けもんが!」


「面妖なのはお互い様であろう」


 先ほどのカボチャ頭と似たようなセリフに、ライダーはうすら寒いものを感じた。


「一緒にすんじゃねえよ!」


 バイクから降り、懐から出した折りたたみナイフを握りしめて首なしライダーは武者少女に突進する。


「ふむ。えかると殿、お借り申す」


 頭だけ武者の少女は、渋い男声でそう言うと、再びリュックに手を入れる。

 引きずり出したのは、闇夜の中で銀色に輝く西洋甲冑の首だった。

 武者の首を引っ張る。

 きゅぽん。またもや栓の抜ける音がする。抜けたのは武者の首だったが。

 そこに、西洋甲冑の首を差し込む。

 取り外された武者の首は、リュックの中へ帰っていった。

 騎士の頭となったストラは手を上げて名乗る。


「わが名はエッカルト・ベルクヴァイン! 誇り高きワリンダ騎士団団長である!」


 朗々とした男の声が夜に響き渡った。


「なんじゃそりゃあ!?」


 首なしライダーが驚くのも無理はない。

 少女だと思っていたものが次から次へと首をすげ替え、首に合わせて声や口調、性格さえも変えているのだから。

 少女の手にしていた日本刀も、いつの間にか幅の広い西洋剣と化している。装備まで変わるようだ。ますますわけがわからない。


「ふん!」


 向かってくるナイフを、甲冑少女は自身の頭で受け止める。

 金属の兜が打ち勝ち、ナイフは根元からぱっきりと折れた。


「な、な、な」


 たたらを踏んで後退するライダー。彼が自分のバイクにまたがろうとしたところで、騎士の少女は西洋剣を突き出した。

 白銀の刃が容赦なくバイクを穿ち、自慢の足を奪う。


「デラックスサンダー号―っ!」


 首なしライダーは叫ぶ。彼のネーミングセンスが夜の空にむなしく反響した。

 アイデンティティーとも呼べるバイクを壊されたことで、ライダーはうなだれる。

 いや、もうライダーではない。ウォークマンだ。首なしウォークマン。


「頭もデラックスサンダー号も失っちまった。へへ、もう俺にはなんにもねえや……」


 がっくりとひざをつき、デラックスサンダー号の残骸にもたれかかる首なしウォークマンに、ストラは歩み寄る。

 その頭は武士でも騎士でもなく、最初のサイドテールの女の子だった。女の子らしく、手には物騒な武器などなにも持っていない。


「首ならここにある、と言ったはずだが?」


 少女――ストラはリュックの中をがさごそと漁り、一つの首を発掘する。

 真っ黒なフルフェイスヘルメットに覆われた、男の首だった。


「お、俺の、俺の首だ……!」


 男は震える声と手で自分の首を受け取る。

 そっと頭に載せると、ぴったりと自然にくっついた。


「お前、いったいなんなんだ……?」


 首のつながったライダーは、おそるおそる目の前の少女を見る。今度は自分の目でしっかりと見えている。


「こういうものだ」


 少女は一枚の名刺をライダーに渡す。名刺には「生首配送会社ネクストラ社長 ストラ・メリーデコレイト」と書かれてあった。


「落し物を届けるのが私の仕事だからな」


 もう失くすな、とストラは告げる。


「そいつはどうも、すまねえな」


 ライダーの全身が、淡い光に包まれる。蛍に囲まれているような、儚い光だ。


「ありがとよ」


 言い残し、光が消えると、そこにライダーの姿はなかった。主のあとを追ったのか、バイクの残骸も消え失せている。

 くっと頭のハンチング帽のつばを下げ、ストラは目元を隠す。

 そこへ、あわただしい足音が近づいてきた。


「すんまっせーん! 間に合いませんでした! でも全力で走ってきました!」


 紫の炎の尾を引いて、カボチャ頭の男がやってきた。バイクにも引けを取らないスピードで夜の道路を駆けてくる。彼の着ている蝙蝠に似たスーツの裾が、ばさばさとはためいていた。

 カボチャ頭はストラの前で急停止し、肩を上下させる。


「もう、首なしはあっちへ送られたのだが?」


 息の荒いカボチャ男を見下ろし、ストラは首をかしげる。傾いた拍子に首が落ちそうで、見ていてあやうっかしい。


「遅れた言い訳はしません。けど、減給だけは何卒」


 少年の声を出し、彼はカボチャの頭を下げる。


「こいつも頑張ってたんだぜ? 夜に走るカボチャ、なんつう新しい都市伝説でも作る勢いでさあ。最近ようやく俺様の炎の熱さにも慣れてきたんだ。な? 大目に見てやってくれよう」


 お次はハスキーボイスでカボチャ頭は頼み込む。

 二種類の声による懇願を聞き、ストラはリュックサックを指差す。運べ、ということらしい。

 カボチャ頭は身の丈ほどもあるリュックをひょいと担いだ。

 その中から四つの黒い影が飛び出し、カボチャ男の周りを舞うように空中を漂う。

 出てきたのは、やはり生首だった。先ほどの武士の首、騎士の鎧首、片目に傷跡のある老人の首、くたびれた中年男の生首と、バラエティー豊かな四人の首が宙に浮かんでいる。


「では、この二人の減給に意見のある者はどうぞ」


 ストラが促すと、武士が口を開いた。


「拙者はすとら殿の裁量に任せる」


「サムライには自主性というものがないのか。我は減給に賛同だ」


 割って入った騎士の兜の発言に、武士は額に青筋を浮かべる。


「忠義心と言ってもらえぬか。主君に仕えるは武士の誇りなり」


「笑止! 犬でもできることよ」


「なにを申すか!」


 ぎゃんぎゃんと犬のようにわめき始めた武士と騎士の首を放っておき、ストラは残りの首に視線を寄越す。


「次」


 ストラはため息交じりに意見を求める。


「俺はいつ給料をもらったかのお~」


「おじいさん、あんた昨日ストラさんからもらったばかりでやしょう」


 口を半開きにしてふらふらと夜をさ迷う老人の首を、中年男の首が追いかけたしなめる。カボチャ男どころではなさそうだった。

 ほとんどまともな意見をもらえず、好き勝手に動き回る首たちを眺めたあと。うむ、と空気を切り替えるように一人でうなずき、少女は男と首どもに背を向けて歩きだす。それから、薄い桃色の唇を動かした。


「ひとまずひと月分、給料から寿命を引いておくということで」


「まじっすか」


 カボチャ男はお辞儀をした状態で、頭だけ上げたまま固まった。前方にいる少女の背中に視線をすがらせる。


「ちくしょう、血も涙もねえのかよお!」


 ハスキーボイスが抗議する。

 ストラは振り向き、うっすらと笑みをたたえて一言。


「首ならある。いくらでも」

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