5球目 野球は”教育”だ!
「”モリモリ”さんって、すっごい『力持ち』なんですよね?」
「へ!?」
真中かなめが、嬉しそうに言った。西郷は彼女を見つめたまま、動けなかった。小柄で、身長は西郷の胸の辺りまでしかない。陽の光を浴びて、かなめの金髪がキラキラと光った。
「毎日『腕相撲』で鍛えてるって。あの、ブログに」
「あ、あぁ……」
西郷の喉から掠れた音が漏れた。まるで時間が止まったかのようだった。彼は頭が真っ白になり、ひたすら息を飲んでいた。
「うわぁ……ホントに! すっごい筋肉……あの、ちょっと触ってみてもいいですか!?」
「え!?」
「なんて、失礼ですよね! すみませんっ」
「い、いや! あの」
かなめは顔を赤らめ、西郷の掌を強く握りしめた。それで西郷の心臓の音は、普段より二倍速くらいになった。
「想像してたより、ずっと背高い……。顔も、カッブそっくり」
「カッブ?」
「あたしの飼ってる猫の名前です。タイ・カッブ」
「あぁ……タイ・カッブ……」
タイ・カッブは、史上唯一の全打撃タイトル制覇、打率4割を達成した伝説的メジャーリーガーである。自費で地元に病院を建設したり、『球聖』と呼ばれる一方、『殺人スライディング』や審判や観客とも乱闘を繰り返すなど、『最も偉大かつ最も嫌われた選手』として知られる。そこでかなめがハッとした。
「あ……でも西郷さん、猫嫌いなんでしたっけ? すみませんっ! 確かプロフィールに……」
ブログとかプロフィールと言うのは、未来が作った例のホームページのことだろう。恐らく
「いやぁ! そんなこと」
「後あたし、フクロウと蛇とコウモリと、タランチュラも飼ってます」
魔女か。
……なんてことは、もちろん言えない。西郷は笑って頷いた。
「かわいいよね、タランチュラ」
「あたし、感動しちゃったんです……」
気がつくとかなめは、うっとりとした目で西郷を見つめていた。西郷の視線は、彼女の瞳に吸い寄せられた。
「ホラ、こないだブログに書いてたじゃないですか。自分の持ち味は『
「ん? うん……」
「例えば『力』に『心』を足せば『精神力』になる、とか。『力』に『知識』が加わればそれは『知力』になるとか。”誰かに寄り添って上げることで、どんな『力』にもなれる”……って。すごいな、この人とっても素敵なこと考える人なんだなって!」
「んぁ……あぁ、あぁ」
西郷はモニャモニャとしか言えなかった。それは全部、彼ではなく未来が考えたことである。
「それに毎日トレーニングも欠かさず……すごいですっ!」
「あぁ……」
「腹筋・背筋5000回に、腕立て伏せ3時間、近所の公園でトライアスロン5往復!」
「い、いやそれはいくら何でも盛り過ぎ……!」
「週末は草野球の他に、ボランティアにも参加してるんですよねっ。中学の時海外のチームに招かれて……今でも世界中の野球仲間たちと、定期的にチャリティーも開催してるって」
「えぇと……」
「
「あの……」
「”モリモリ”さん、本当は全国区の強豪校からスカウトされてたんですよね? だけど野球普及のために、あえて
「真中さん」
西郷が改まったので、かなめは口を閉じ、彼を見上げた。西郷は思いっきり息を吸い込んで、胸を張った。
「それは違います。俺が
かなめは思わず吹き出した。無理もない。仁馬山高校には、まだ正式に野球部すら発足していなかったのである。
□□□
「オイ!」
試合が終わるなり、西郷は未来の方に突っかかって行った。
「何?」
未来はまだベンチに座っていた。相変わらず涼しげな表情で、自身のスコアブックを眺めている。結局試合は32−28と言う、およそ野球とは思えないスコアで負けた。西郷が憤った。
「”モリモリ”とか、勝手に妙なキャラ付けすんなって! 俺、変な汗掻いちまったよ。なんか英語ペラッペラの、体力無尽蔵の完璧超人みたいに勘違いされちまったぞオイ」
「それが何か?」
「どうすんだよ、俺ギターなんかやったことないのに! あの子、軽音楽部でベースやってるとかで……今度セッションしましょう、なんて誘われたんだぞ!」
「あの子?」
西郷は少し顔を赤らめて、向こうのベンチで帰り支度するかなめを振り返った。金髪少女の姿を確認し、未来が鼻で笑った。
「良かったじゃない。まぁ……頑張って」
「あのなあ……!」
「それより、部員が集まったわよ」
未来が淡々と告げた。相変わらず、野球のことしか考えてないような口振りである。西郷は押し黙った。
「上野くんと、下園くんが仮入部。それから北方くんと河南くんも、掛け持ちなら良いって」
「それじゃ……」
そこでようやく未来が顔を上げ、静かにほほ笑んだ。
「ええ。後は校長先生から、承認してもらうだけよ」
□□□
「ダメだ」
それから数日後。西郷と未来の二人は、人数分の署名と申請書を持って校長室を訪れた。だが二人を待っていたのは、予想外の言葉だった。
「野球部は、承認できない」
「え!? どうして……!?」
「ダメなんですか?」
校長は、『野球部』の文字を見るなり、二の句を継がせず拒絶してしまったのである。
これには西郷も慌てた。
「人数も揃ってるし……条件は満たしているじゃないですか!? どうしてダメなんですか?」
「理由を聞かせてください」
二人は呆然と立ち尽くし、しばらく校長の言葉を待った。重たい沈黙が続いた後、校長は机の上に肘をついたまま、ジロリと二人を睨めつけた。
「君たちねえ……」
「…………」
「ウチはまだ、新設校だよ? ようやく三年生ができたばっかりだ。早い、早すぎるよ」
「でも、『サッカー部』や『バスケ部』はあるじゃないですか!? なんで野球だけ……」
「野球だから、だよ」
「……!?」
白髪混じりの校長が、語気を強めた。
「甲子園を見てみろ。他のスポーツと比べても、注目度が大きすぎる。それに高校野球だけ、何かと『教育』と結びつけられるだろう? 私は君たちを心配してるんだよ。不祥事でも起こした日にゃ、君たちの立場だって……それに、野球部の生徒だけじゃない。今後の仁馬山高校の存続に関わりかねない」
「…………」
「今が仁馬山にとって、大切な時期だ。君たちがどう考えているかは知らないが、『高校野球は教育の一環』なんだよ。これは非常にデリケートな問題で、今は下手な手出しをすべきではない。だからせめて後数年……落ち着くまで待ってくれないか」
「そんな……!」
西郷は青ざめた。
冗談じゃない。
野球が教育だとか競技だとか、そんな”定義”は彼には今どうでも良かった。なんだか、不公平だ。不祥事を起こして問題になるのは、別に野球に限らないではないか。自分にはこの三年間が勝負だと言うのに、後数年も待っていては、みすみすチャンスを棒に振ることになってしまう。
「草野球でも、良いだろう?」
校長が小さくため息を漏らした。
「別に甲子園に拘らなくたって、軟式だってある。野球をやる方法は一つじゃない。こう言っちゃ何だが、いきなり硬式野球は、贅沢だよ。設備投資だってバカにならない……」
西郷は絶句した。そう言うことじゃ、ない。
このままココにいては、自分の望んだ野球ができない……。
やっぱり、転校するべきだろうか。
そんな諦めが西郷の頭を過ぎった時、隣にいた未来が静かに口を開いた。
「……失礼ですが、校長先生」
「なんだね?」
「何も硬式に拘らなくても、草野球がある。『パンがなければケーキを食べればいい』と、生徒にそう勧めるのが貴方の仰る『教育』ですか?」
「……なんだと?」
未来は校長を真っ直ぐ見据えて言った。
「さっきから、貴方が心配しているのは『教育』や『生徒』のことではなく……本当は、外部からの『評判』や『体裁』の方なんじゃないですか?」
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