4球目 野球は”草”だ!

「試合をするわよ」

「へぁっ!?」


 放課後。

 突然未来にそう声をかけられ、西郷は危うく飲んでいた微炭酸マッチを吹き出しそうになった。


「し……試合?」

「ええ」

「ンなこと言ったって……」


 慌てて口元を拭い、西郷は目を剥いた。溢れた数滴の黄色い粒が、机の上で小さく弾けた。



 そろそろ四月も下旬にさしかかろうとしている。オリエンテーションや体験入部期間が終わり、新入生たちも目当ての部活に入部届を出し終えた頃……西郷たちはまだ、部活動の設立条件である五人を見つけられずにいた。


 元々新設校であり、部活動目当てに入ってくる生徒も少ない。ましてや設備や環境という面では、他の運動部や文化部に優っている部分はほとんどなかった。子供の頃から野球が好きで、密かに野球部に入ってみたかった……なんて生徒を探そうにも、そもそもそんな人間は、大半が野球部のある高校に入学しているはずである。


 そんな具合だったので、試合どころか、このままでは野球部立ち上げすら難しかった。西郷は少なからず焦りを感じ始めていた。だからこそ、突然の未来の一言は理解不能だったのだ。彼はぽかんと口を開けた。


「どうやって?」

「地元の草野球オフ会に参加するの」

「草野球オフ会ぃ!?」


 西郷があまりに素っ頓狂な声を上げたので、教室に残っていた生徒たちの数名が二人の方を振り返った。慌てて西郷は声を落とした。


「……なんだよその草野球オフ会って?」

「知らないの? 色々掲示板ウェブサイトで募集してるのよ。知らない人同士で集まって、公園やグラウンド借りて草野球するの。ちょうどお父さんの知り合いが草野球チーム組んでるから、週末に参加させてもらおうと思って」

「草野球……」


 西郷は眉をひそめた。

 未来の父親の知り合いというのは、中学の時にスカウトのフリをしていたあのオッさん達だろうか。ネットで見ず知らずの人と会うのは正直怖かったが、全くの知らない人と言う訳でもなさそうだった。


「でもよ……大丈夫なのか? それって……」

「平気よ。野球部員が草野球に参加しちゃダメなんて規定はないし。見て」

 未来はスマホを西郷の目の前に差し出した。光る画面には【〜イレギュラー・バウンダーズ〜 週末草野球オフ会に参加しませんか?】の文字が踊っていた。


「なんだこりゃ?」

「野球部のウェブサイトを作ったのよ」

 艶やかな色の画面に、西郷が目を細めた。


「この『イレギュラー・バウンダーズ』ってのは?」

「それはチーム名」

 変な名前だな……と思ったが、言わないでおいた。

「ウチの在校生向けに募集をかけてたの。今週末、草野球しませんか? って。もちろん参加条件は無し。そうしたら、今日までに十六名参加希望が来たわ」

「十六!? すげぇな、それなら……」

「慌てないで。そのうち男子が十二名、女子が四名。サッカー部とか、他の部活に入っている生徒は十名よ。新入生で、まだどこの部活にも入ってない生徒は……二名ね」

「二名か……」


 西郷は唸った。

 何とかその二名を勧誘できれば……もちろんまだまだ人数は圧倒的に足りないが、それでも現状よりは一歩前進……いや二歩前進だろう。それに不本意だが、あの北方と河南トラブルメーカーズを加えれば、目標の五人にも到達する。


「まずはやっぱり、みんな初心者なんだから楽しんでもらわなきゃ。最初からあんまりキツイ練習ばかりだとね。それに他の部活生だって、野球を知ってもらうきっかけになるし。誰がどこのポジションに向いてそうとか、後々”レンタル”する時の参考になるわ」

「なるほど……」


 新入生の勧誘と、在校生の適性ポジション確認を『草野球』で同時にやろうという訳だ。ナンダカンダで色々考えてくれているのだなぁと、西郷は未来をちょっぴり見直し、頼もしげに思った。未来はそんな彼の心情を知ってか知らずか、相変わらず淡々としていた。


「じゃあ試合は明日、麓の公園でやることになってるから」

「明日? 急だなオイ」

「”モリモリ”はまず選手代表として挨拶に……」

「”モリモリ”??」


 突然出て来た聞きなれない単語に、西郷が固まった。


「”モリモリ”って?」

「”モリモリ”は、貴方のことよ」

「……はぁ??」

「書いてあるでしょ。ほら、ここのサイトに」

 未来は表情一つ変えず、画面サイトを覗き込んでスクロールした。そこには、確かに


■ イレギュラー・バウンダーズ代表:モリモリ ■


 と書かれてあった。さらにその下には、『ドォ〜モォッ!! モリモリでぇ〜すッ!!☆』などと巫山戯た文面の挨拶と、両手を天に掲げた何ともひょうきんなポーズの、謎画像が貼ってあった。


 西郷が鼻で笑った。


「どうしてこれが俺になるんだよ?」

「貴方はこのウェブサイトを管理する、野球少年”モリモリ”なのよ。そういう設定なの」

「何だよそれ? 意味が分かんねえ」

「だからこれは、ウェブ上での貴方の”ハンドルネーム”。ネットでは”仮名ハンドルネーム”で活動してる人もたくさんいるんだから。良い? これはとても大事なことよ」


 未来は至極真面目な顔で言った。


「みんな学校とか会社での立場を忘れて、楽しんでいる人だっているんだから。逆に妙な詮索をして、プライバシーを傷付けるようなことがあったら大変よ。当日はみんなのことは仮名ハンドルネームで呼んで。そして貴方は明日、”モリモリ”になりきって試合に臨まなきゃならない」

「はぁ!? ヤダよ! 何? って」

「みんなは普段の貴方を知らないの。貴方を”モリモリ”だと思ってる。だから貴方はいつも通り、両手を天に掲げて、この文面通り挨拶しなきゃならないのよ。じゃないと不審がられるわ」

「いや”いつも通り”って、いつもこんなこと言ってねーし!」

「やって。ね、お願い。部員集めのためだから……」

「ヤダよ!! ぜってーヤだかんな! 俺そんなことまでして試合したくねーよ! ふざけやがって、何が”モリモリ”だよ! 人に変なキャラ付けすんな、こんなん罰ゲームじゃねえか、俺は絶対やらないからな……」


□□□


「ドーモォッ!! モリモリでぇ〜すッ!!☆」

「ブフォァッ!!」


 西郷が両手を天に掲げ、思いっきり大声を響かせると、たちまち相手チームから失笑が漏れた。西郷は一瞬面食らって、両手を挙げたまま片足で固まった。雨上がりのグラウンドは、しばらく笑い声で包まれた。


「ほ……本当にやりやがった……!!」

 地面に倒れこんだ、五十代くらいのオッさんが腹を抱えて笑っていた。西郷は未来の方を振り返った。普段はクールビューティで通している未来も、この時ばかりは顔を真っ赤にして必死に笑いを堪えていた。


「ごめんなさい、西郷くん……」

「何だよこれ、一体何が……!?」

 何が何だか分からない、と言った表情の西郷を見て、未来がとうとう吹き出した。

「みんなが仮名ハンドルネームって言うのは、嘘なの」

「は……?」

「もちろんそう言う人もいるけど……でもまさか、本当に信じるとは思ってなくて。しかも変顔までして。私、そこまでやれって言ってない……!」

「貴様ァ……!!」


 ようやく事態に気づいた西郷が、被っていたアフロのかつらを足元に叩きつけた。急いで逃げ帰ろうとする西郷を必死に全員で引き止めて、何とか試合が始まった。


 結局当日の参加者は、十六名中十四名だった。しかも何故か、そのうち二名は北方と河南トラブルメーカーズだった。どうやら未来が事前に根回ししていたらしい。他にはバレー部、剣道部、女子テニス部の面々……と、みんなほぼほぼ野球初心者だったので、一回ごとにポジションを変えることにした。ただし北方には、投手をやらせる訳には行かない。


「ライトー! 行ったぞー!」

「は、はいっ!」


 西郷はセカンドの守備につき、高々と弧を描く白球の行方を追った。打球が上がったライトの守備についているのは、今年一年生で、まだ部活が決まっていないという上野くん。つまり新入部員候補だった。今までスポーツの経験がない上野くんは飛んでくる飛球フライに目測を誤り、見事に万歳をする形でボールを取り損ねた。まぁ最初はそんなもんだろう。それを見た相手チームがドッと盛り上がる。一塁コーチャーがぐるぐると腕を回し、思いがけず大当たりを打った女子生徒が、嬉しそうに二塁まで走ってきた。西郷は、上野くんの万歳ポーズを見て、先ほどの”モリモリ”の件を思い出して一人鬱になった。 


 それにしてもみんな楽しそうだ。


 ベースカバーに入りながら、西郷はそう思った。

 グローブもバットもお世辞にも良い品とは言えず、ユニフォームもバラバラ、何ならジャージの奴だっている。そもそも打った後、どっち方向に走れば良いか分からないオッさんすらいるのだ。それなのに、みんな笑顔で溢れていた。中学時代は、厳しい練習で有名だった野球部に入っていた西郷にとって、野球で”遊ぶ”と言うのは久しく忘れていた感覚だった。


 ただそれでも……と西郷は思う。それでも自分は勝ちたい、と。

 楽しみや遊び感覚も続ける上では大事だが、それ以上に、一生に一度、たった三年間の高校生活。どうせ甲子園を目指すなら、トコトン勝利にこだわった野球をやってみたい。並み居る強豪を、この手で倒してみたい。やはり漢たるもの、目指すのは優勝。そのためには……


「きゃっ!?」

「……!」

 突然の悲鳴と、西郷の足元に衝撃が走って、彼は我に返った。ライトからは上野くんが矢のような送球をして、西郷のグローブをパーン! と小気味好く鳴らした。西郷は少し驚いた。見かけに寄らず、地肩はあるようだ。


「いてて……!」

 それから西郷は足元を覗き込んだ。悲鳴の主は、さっき走り込んできた打者だった。どうやら泥濘ぬかるんだ地面に足を取られて、二塁ベース手前でコケてしまったようだ。西郷は慌てて手を伸ばした。


「大丈夫?」

「すみません、ありがとうございますっ……あ!」

 その少女は、西郷の顔を見てぱあっと顔を明るくした。


「な、何……?」

「貴方、”モリモリ”さんですよね?」

「へ……!?」

 西郷が戸惑っていると、少女が彼の手を握り返した。


「あたし、真中かなめって言います!」

「は、はぁ」

「あの、いつも”モリモリさん”のホームページ見てて……」


 小柄な、金髪の可愛らしい少女だった。少女が熱を帯びた目で西郷を覗き込んだ。

「あ、あたしすっごい、”モリモリ”さんの大ファンなんです! いつも明るくて元気で、今日草野球に参加したのも”モリモリ”さんと会うためで……! だからその……え、えへへ……」


 真中かなめと名乗った少女は、顔をほんのりと赤らめ、少し照れたように笑った。

 

 その一瞬、西郷の頭からさっきまでの甲子園への熱い想いは吹っ飛び、彼は”モリモリ”として生きていくことを決心した。

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