ー第二章ー撮影開始!

「……くわぁ」

 覚醒した意識が無意識にあくびを吐き出させた。

 俺は寝ぼけ眼をこすりながらぐっと体を伸ばす。

 体がバキバキと音を鳴らし、妙な気だるさが体を襲った。

 寝たのに全然疲れが取れていない。

「……そうか。ベッド、ミサに占拠されたんだよな」

 結局ベッドにもたれかかるように座って眠ってしまったようだ。

 ふとベッドを見るが、そこにミサの姿はなかった。

「ミサ?」

 俺は立ち上がりリビングへ向かう。

 扉を開けた瞬間、俺を出迎えてくれたのは、ソーセージが焼けるいい匂いだった。

「あら、おはよう、彰。あ、キッチン、借りてるわよ」

「あ、あぁ……」

 キッチンで料理を作っていたミサに驚いた。が、何よりも朝起きて誰かが料理を作ってくれている現実に、胸が焼けるような恋しさを覚えた。

 一人暮らしを始めてからは何をするにも自分だけ。他人がいる光景は久しぶりで思わず家族を思い出してしまったのだ。

「ねぇ、食パンはないのかしら? どこを探しても見当たらないの」

「そりゃそうだ。俺は朝、ご飯派だからな。パンはあんまり腹持ち良くなくてさ」

「おいしいのに」

「実家じゃずっとパンだったから、飽きたってのもあるな」

 いざ1人暮らしを始めると、どうしてか家族といた時と違うことをしたいと思えてしまったせいだ。

「じゃあおにぎりにするわ。テレビでも見て待っていてちょうだい」

「そこまでしてくれなくてもいいのに……」

「昨日迷惑かけたお詫びよ。あんまり人に借りを作りたくない主義なの」

 そうか、と俺は返してテレビの前のソファに座った。

 疲れが残る身体が柔らかなベッドに沈み心地よい。

『昨夜23時ごろ、H県K市で21歳の女性が通り魔に刺され死亡しました。犯人はいまだ見つかっておらず、周辺に住む方々は注意し……』

「朝から気が滅入るな……しかもこの町だし」

 テレビのニュースに俺はため息をこぼす。被害者には申し訳ないと思うが、朝からこんな気が滅入るものを見せてほしくない。

「ミサも気をつけろよ」

「そういう彰もね」

 言いながらミサは両手にお皿を持ち、やってきた。

 お皿の上にはホカホカと湯気を立てるソーセージとスクランブルエッグ、おにぎりが乗せられていた。

「おまたせ」

「ん、ありがとう」

 久々に食べる手料理に心が温まる。焼いたり握っただけだというのに美味しく感じるのは、やはり人の温もりのおかげか。

「うまいな。ミサって料理もできるのか」

「自分ではあんまりできるとは思ったことないのだけれど。これからは家庭的アイドルもジャンルに加えることにするわ」

 テレビ的には料理下手な方が美味しくないか、という突っ込みは噛み砕いた米粒たちとともに飲み込んだ。

「そういやミサ、お前二日酔いとか大丈夫なのか?」

「えぇ。確かに昨日は自分でも飲みすぎたと思ってるわ……けど不思議といくら飲んでも二日酔いだけは味わったことがないの」

「へぇ。じゃあ今はもう大丈夫だし、普通に帰れるか」

「それは無理ね」

「無理?」

「えぇ。こんな服じゃ無理ね。貸してもらって悪いんだけど、さすがにジャージで帰るのはね……」

「かといって昨日着てた服は乾いてないぞ? ユニクロもまだ開いてないし」

「ちょうどいい機会だし、撮影しない? ほら、主人公の部屋のシーンもあるし」

 俺は少し考えて頷いた。

「決まりね。それじゃ早く食べて、ささっと終わらせちゃいましょう」

 その場のノリだったが、ようやく俺の映画撮影が始まることとなった。


「とりあえずカメラは俺の手持ちでいくとして、録音はインナーマイクを通してやるし……照明はまぁつどつど調整する感じで」

 俺は押し入れの中から撮影用の機器を一式引っ張り出す。

 埃は被っていないものの、長く使われずに放置されていたので新品同様の光沢だ。

「カメラって手持ちでも大丈夫なの? 三脚みたいなのは使わないわけ?」

「今回のは使わない。人数の都合もあるし、全編俺の主観映像って演出で通すよ」

「『ハードコア』みたいね」

「ハードコア?」

「知らないの? 海外のアクション映画よ。FPSってジャンルのゲームあるでしょ? あんな感じで全編一人称で撮影された映画よ」

「へぇ」

 俺が知らない作品を知るのは楽しい。

 ミサにもう少し話を促す。

「ストーリーはシンプルでちょっとほころびがあるけれど、あの作品の魅力は一人称でのアクションシーンのかっこよさにあるわ。それに結構ゴア表現も多くてスカッとする映画ね」

「そうなのか……俺、知らなかったよ」

「ふふ、映画好きの彰から一本取れたわ。なかなか気持ちいいものね」

「まぁそれはアクション重視だろ? こっちは人間ドラマ重視だから」

 この作品の肝は俺の視点と合わさったカメラワークにある。

 俺の感情の機微などをカメラを通して観客に届ける。それが俺の役目。

 って何を張り合っているのだろうか。

「ミサは台本は大丈夫か? 覚えた?」

「えぇ。記憶力が高いことも自慢よ。この記憶力を活かしてインテリアイドルにでもなろうかしら」

「……属性増えすぎだろ」

 アイドルの話はいいとして、記憶力がいいことは頼もしい。

「とりあえず頭から撮るか」

「頭ってことは、主人公が殺人鬼のヒロインと出会うシーンね」

「あぁ」

 冒頭のシーン。主人公の家に殺人鬼のヒロインがやってきて、自室に逃げ込み命乞いをするところから始まる。

 俺の部屋に移動して撮影準備をする。

「ねぇ、殺人鬼って朝に来るものなの?」

「……そういうことにしておいてくれ。残念ながらカメラの質がまぁまぁだから暗いところの撮影も向かないし」

「そうね……逃げて来たっていうのはどうかしら? 服装もジャージで殺した後って感じだし」

「おっけい」

 事前の打ち合わせを終えて、ようやく撮影本番にうつる。

「それじゃ撮影開始だ……アクション!」

 言ってみたかった渾身のセリフ。

 その言葉とともに俺の映画監督への一歩が踏み出された。

『……あ、あんたは?』

 俺の記念すべき初めてのセリフを発しながら、後ろへ下がる。

『私? 私は……人殺し』

 まばゆい朝日に照らされた、彼女の闇のある冷たい表情がカメラに納まる。

 それがあまりにも絵になりすぎて、そして彼女のナイフのように鋭い感情を込めたセリフも相まって、俺は背筋が震えた。

 控えめに言っても、彼女ははまり役だ。

『私は、あなたを殺す。そう、何も知らない、あなたのことを……』

 彼女の手に収められた血のり付きナイフがギラリ、と輝く。

 ずっと彼女が持っていたかのようにしっくりとくるそれが、俺に向けられた。

 俺は手が震えるのを感じ、次のセリフが喉から出てこなくなる。

『あ……あ……』

 「あんたなんかに殺されてたまるか、俺は映画監督になる夢も叶えてねぇのに」、そのセリフが出てこない。

 出てくるのは吃音気味の言葉のみ。

『言葉も出ないというのはこのことかしら……でも、何も言わずに死ぬのは心残りでしょう? 最後にあなたの心残りを聞かせてくれるかしら?』

(アドリブ!? ミサの奴、役に入り込んでるな……)

 彼女の演技力とアドリブに合わせるように俺は言葉を絞り出した。

『映画だ……映画を撮るまで、俺は死ねない!』

『へぇ……映画を撮りたいの。それは残念ね。天国があるなら、そこで撮りなさい』

 彼女が一歩近づく。

 殺される。

 撮影を忘れて俺は一歩後ずさる。

『映画が、撮りたいんだ……俺がこの世に生きた証を、残したいんだ』

『いいわ……ぞくぞくする……死ぬ前の人間のあがき! 生きてるって感じがするわ!』

 俺はまた一歩下がる。

 だが背中を壁にぶつけ、へたりこんでしまう。

『あ、あんたを、撮りたいと言っても、殺すか?』

『私を?』

 ミサの首がまるで操り人形のようにかくん、と傾げられる。

 ぞくり、とする演技だ。

『あんたこそ、俺の映画にふさわしい……あんたを主役にして、撮りたいんだ』

『私が……主役……』

 ミサは一瞬顔を伏せ、そして大声で笑った。

 俺を嘲るように、それでいて、さぞ愉快だとでもいう風に。

『殺人鬼の私が主役! あはは! なんてこと!』

 ミサは一通り笑い終えると、俺に冷たい視線を向けてきた。

 あまりの冷ややかさにカメラを落としてしまいそうになる。

『あなた、正気?』

『……正気かどうかといわれれば、狂ってるのかもしれない。けど、あんたを主役にしたいってのは、本当の気持ちだ』

『殺されないためのウソ、と疑うこともできるけれど……いいわ。見逃してあげる』

 彼女は包丁を気だるげに放り投げた。

 宙に浮いた包丁は、重力に従って俺の目の前にからん、と音を立てて落ちてくる。

『ただし、撮影が終わればあなたを殺すわ。それは決定事項よ。それと、あなたが通報したり逃げたりしないか監視するために、一緒に住むから』

 ミサが俺の部屋から出ていくと、俺の体を支配していた緊張が一気にどこかへ飛んでいく。

 弛緩した筋肉から一気に疲労が湧き出てくる。

 緊張する、ということはこんなに疲れるものなのかと思いつつ、俺は「カット」と叫んだ。

「どうだったかしら? うまく撮影できてる?」

「あぁ。上出来だ。すげぇよ、まさかアドリブでつなぐなんて」

「あなたが言葉に詰まってたから、どうにかしてあげようと思っただけよ」

 にっこりと笑ったミサには、先ほどまでの狂気的な笑みは見当たらない。

 ステージ上のミサに、普通のミサ、酔ったミサに加えて演技をしているミサも俺の中でごちゃごちゃと混ざりあうこととなった。


 何度か撮影を繰り返しているうちに、あっという間に時間が過ぎるもので、時刻はすでに13時を回っていた。

「もうこんな時間ね」

「そろそろ服、乾いてるころだな」

「そうね……最後に、ちょっと厚かましいかもしれないのだけれど、お風呂、借りてもいいかしら?」

「昨日結局入らずに寝ちまったもんな。使っていいぜ」

「ありがとう」

 彼女が風呂の用意をしている横で、俺はソファに座り一息ついた。

 こんなに充実した時間を過ごすのは、いったいいつぶりだろうか。

 映画を撮ることが、いや、ミサがいることが俺に充足を与えてくれる。

 彼女がいるだけで、俺は人並みになれる気がしている。

「それじゃあお風呂、借りるから」

「はいよ~」

 ソファに沈みそうな意識を預けつつ、俺は気のない返事をした。

「……俺の風呂に、女の子がいる……これって、もしかしてヤバイ状況?」

 貸すと約束した時には気が付かなかったよこしまな思いが、モクモクと雲のように膨れ上がり、やがて下心の雨を降らせた。

「今、少し先には……ミサの、裸が……」

 俺はゴクリ、と生唾を飲んだ。

 襲い掛かってきていた眠気もギンギンに吹き飛ぶほどの刺激。

 無音な部屋に響くシャワーの音がやけに扇情的に感じる。

 俺はいったい、どうしてしまったというのだ。

「……特攻を決めるのが、男ってもんだろう?」

 膨れ上がった下心は俺に謎の決心を固めさせた。

 気分は隠れながら敵を倒す『ダイ・ハード』のジョン・マクレーンさながらだ。

 俺は一歩、また一歩、足音を立てぬようにこっそり風呂場に近づいた。

 だがそこで「ばうばう!」と庭に繋いでいたアインシュタインが叫んだ。

 その瞬間、俺の中の理性が急速に息を吹き返す。

(俺はいったい何をしていたんだ……! さすがに風呂場に特攻はまずいだろう!?)

 インターフォンが鳴った頃には、俺の理性は完全に主導権を握っていた。

 俺は余所行きの声でインターフォンにこたえる。

「はい?」

『あーきらくん。あーそびーましょ』

 が、インターフォンに映った真琴に、はぁ、とため息をこぼした。

 だがそれも一瞬。また筋肉が固まる。

 今度は緊張よりも、焦りによってだ。

 なぜ真琴がここに、というよりも、今ミサがいる、しかも風呂に入っている最中に、という焦りが大きい。

『あーきらくん。あーそびーましょ』

 とにかく追い返さなければと俺は急いで玄関へ。

「彰君。ボクだよ、ボクがトモダチだよ」

「?」

「あ~……ハットリくんのお面持ってくればよかったかな?」

「……『20世紀少年』か?」

「正解!」

「よし、正解したから帰ってくれ」

「ちょ、ちょっと!?」

 玄関先でニコニコとしている真琴を追いやろうとするが、彼女はなぜか動かない。

 ものすごい力で地に足踏ん張っているのだ。

「あ、待ってよ彰君! 映画! 映画撮ろうよ!」

「今は忙しいからあとでだ」

「え~!? そりゃないよ! ボク、先輩たちから彰君の住所聞いて来たんだよ?」

「は? 先輩から?」

「そう。入部届けに書いてあったからね」

 そういえば書いたな、なんて思いながらも彼女を押し出そうと必死に力を振るう。

 だがやはり彼女は動かない。まるで根が張っているかと思ってしまう。

「ねぇ彰君! 映画!」

「わかったから後でだ!」

 だがこの最悪な瞬間に、さらに最悪なことが起こってしまう。

「彰。ボディーソープの替えがないんだけど?」

 まさかこのタイミングで風呂場のミサから声がかかるとは。

 俺の背に冷や汗が伝う。

「あれ? 誰かいるの?」

「……ね、姉ちゃん……そう! 姉ちゃん来てるんだよ!」

 俺には実家に姉がいるし、あながち嘘ではない。

「彰? 聞こえてる? ボディーソープ!」

「わ、わかったよ! と、言うわけでだな。姉ちゃんが久々に来てくれてるんだ。今日のところは勘弁してくれないか?」

「そう、お姉さんが来てるなら……でも待てよ。なんでお姉さん、この時間にお風呂入ってるわけ?」

 こいつ、抜けている顔しているが結構鋭い。

 俺の背の冷や汗が滝になる。

「姉ちゃん、結構遠くに住んでてさ……こっちに着いたのも朝で」

「なるほど……でも、彰君はなんでそんなに慌ててるわけ?」

「え!?」

「な~んてね。彰君の慌ててる顔面白くてつい、ね」

 そう言って真琴は帰ってしまう。

 まるで嵐のようにやって来て、去っていった。

「あ! ボクの家、実はここから3分ぐらいのとこにあるから暇になったら来てよ! 映画撮ろうよ!」

「お、おう」

 ようやく去っていった彼女に、俺はまたため息を吐いた。

「疲れた……」

「彰? ボディーソープ早く!」

「わ、わかったよ!」

 彼女の裸を見ないようにどうにかボディーソープを渡したのはまた別の話だ。


 さて、時刻は14時を回った頃。ミサは家に帰り、手持無沙汰になったので真琴の家に行くことに。

 茹だる道路を踏みしめながらの道は3分といえど遠く感じる。

「……そういえば、誰かの家に行くのって久々だな。何か買っていく方がいいのか?」

 こちとらまともな交友関係は送ってこなかったわけで、誰かの家に訪ねる勝手がわからない。

 とりあえずお菓子とジュースでも持っていこうと行きつけのコンビニへ入る。

「しゃいませ~」

 妙に間延びした気だるそうな声。

 見るとレジに立つのは俺と同じくらいの年の男だ。

 俺がコンビニに行くといつもいる男。名前は覚えていないが、暇なのだろうか。

 お菓子を物色している間も、男は大あくびをし暇そうだ。

 買う物をレジに持って行っても気だるげで、面倒くさそうにバーコードを通している。

 だがその瞳だけは、俺の方を向きどこか嬉々としていた。まるで同族を見るかのように。

 あいにくだが俺はこんなやつとは違う、ということを視線で返した。

「……あんただって、こっち側だろう?」

「何?」

「830円」

 よく聞き取れず聞き返すと、こいつは、早く金を出せ、と言わんばかりに俺を見ていた。

 どうせろくでもないことだろうと聞き流し、金を払いさっさとコンビニを後にした。

 で、そこから1分もたたずに真琴の家に到着した。

 2階建ての案外立派なたたずまいの家で少したじろいだ。

 俺は一呼吸おいてインターフォンを鳴らす。

『彰君? どうしたの?』

「いや、姉ちゃんが出かけたから暇になってさ」

 なんて嘘を吐く自分に少し嫌気がさした。これは保身だ、自分を守るため、と言い聞かせて真琴に映画を撮りに来た旨を伝えた。

 少しして家の扉が開き、真琴が満面の笑みで出迎えてくれた。

「どうぞ、いらっしゃい! ちょうどボクも一人で暇してたところだし」

「なら遠慮なく……」

 彼女に手土産を渡し、家に上がる。

 外観に負けず、家の中も結構品がある。骨とう品や素人目でも高いとわかる家具が多い。

 だがそれを見せびらかすようにではなく、しっかりと部屋になじむように置いているところに好感を持てる。

まぁ要するに落ち着いていて品がある家、というところだ。

「それじゃ彰君が買ってきてくれたお菓子でおやつタイムにしようか」

「おいおい、撮影に来たんだぜ? しかもおやつにはまだ早い」

 壁にかけられた時計を見て答える。時間は俺が家を出てからまだ10分しか進んでいない。

「あはは、それもそうだね。ごめんね。久しぶりだから、誰かが家に来るのって」

「俺も人の家に行くのは久しぶりだよ」

 なんて言いあいながらリビングへ通された。

 中央に鎮座するテーブルに向かった真琴は、どっかりと椅子に腰を下ろした。

 俺は少しためらいながらも、向かいの席に腰を下ろす。

 固すぎず柔らかすぎず、言い座り心地の椅子だ。たぶん高い。

「さて、撮影はどこから始めるの? やっぱり始めから?」

「あぁ、そうだな。ただこのシーンを撮るには俺のカメラじゃ暗すぎて撮れないかもしれない。だから」

 シチュエーションを変更しよう、そう言おうとしたが真琴の意味深な笑い声に遮られてしまう。

「ふっふっふっ……これならどうかな?」

 真琴はテーブル近くにあった大きな黒いケースを取り出した。

 そしてそれを自慢げに開けてみせる。

 なんとそこには、最新型のカメラが鎮座しているではないか。軽量で高画質、しかも暗視などの機能も充実しているタイプだ。

「なっ!? ど、どうしてこんなものが!?」

 動揺して思わずどもってしまった。

 だがそれほどの興奮が、このカメラ一台で生まれてきたのだ。

「鮫谷先輩からもらった」

「……まじ?」

「まじまじ。あの人、私の家よりお金持ちだからいっぱいカメラ持ってるんだって」

「だからってくれるってことはないだろう……」

「なんでも親が買ってきた物なんだけど、ほら、先輩ってサメ映画好きじゃない? サメ映画をこんな高いカメラで撮れるか! ってさ」

「……まじか」

 俺は開いた口がふさがらなかった。

 確かにサメ映画は低予算故カメラもあまりいいものが使われていない気がするが、それとこれとは話が別な気がした。

 しかし使っていないのなら宝の持ち腐れ。ありがたくいただくことに。

「ただ先輩たちも映画に出してくれ、だってさ。鮫谷先輩はサメに食べられて死ぬ役になりたいって」

「……鹿羽根先輩はゾンビに食われて死ぬ役か?」

「ううん。面白黒人枠」

「世界観壊れるって……つかあの人、黒人でもねぇし」

 あの人たちの出演は検討しておくとして、カメラに目を落とした。

「それじゃさっそく……」

 ゴクリ、と唾をのみカメラを手に取る。

 まるで俺の手に納まるように作られたのではないかと錯覚するほどのフィット感。しかもカメラ特有のどっしりとした重さを感じない。

 試しに録画をしてみたが、映像も滑らかできれいだ。

 これなら文句なしのクオリティの撮影が可能になる。

「気に入ってくれたようで何よりだよ。ボクと先輩に感謝しなよ?」

「あぁ、ありがとな、真琴」

「……彰君が素直に感謝してくれると思ってなかったから、なんだか照れるな……そ、それじゃさっそく撮影しようか!」

 なんて言う真琴の顔には、少し赤が差している風に見えた。


 真琴の部屋で機材を整え、お互いで台本を確認し撮影の最終準備が終わった。

「ヒロインは真琴に合わせて少し変えたから、演じやすいと思うぞ」

「うん、台本を見てそれは感じてる。本気でやってみる」

「一回目なんだ。あんまり気張りすぎるなよ」

「一回目だからこそ気を張らないと!」

 やる気満々の真琴。凛と輝く瞳からもそれが見て取れる。

「さて、それじゃあ撮影開始だ……3……2……1……アクション!」

 慣れつつあるキメゼリフと同時に、カメラを回す。

『あ、あんたは……?』

 暗室でもくっきりとカメラに真琴の顔が映った。その顔には血糊とともに満面の笑みが張り付いている。

『ボク? ボクはね、人殺し』

 にっこりとした笑みを張り付けながら、楽しそうにそう言う真琴に、俺はミサ同様背筋が震えるのを感じた。

『ひ、人殺し……?』

『そう。ボクこそ、巷で噂の殺人鬼! 君も知ってるよね? まさか自分が標的になるなんて、思わなかったでしょ? ねぇ?』

 まるで子供が嬉しそうに話すかのように言う真琴。

 頭のねじがぶっ飛んでいるキャラに没頭している彼女もまた、俺の作品のヒロインにふさわしいと思えた。

『た、頼む……殺さないでくれ! 俺にはまだ、やり残したことがあるんだ!』

 だから俺も彼女に合わせて必死に演技をする。

 演技をしながら、死ぬ気でカメラを回す。

 彼女の今この瞬間を、永遠に残すために。

『ふ~ん……やり残したこと……ボクが君を殺すことと、そのやり残したことって、どっちが大事? ちなみにボクが人を殺すのは、生きがいって言ってもいいかな。息をするのと同じ』

『俺は、映画を撮りたい……映画を撮って、生きた証を残したいんだ!』

『映画! そうか、映画! ボクはね、映画が大好きなんだ! 特にスプラッターはね! みんな理不尽に死んでいくあの面白さ! ボクは昔からそんな理不尽を与え続ける主人公たちに憧れてるんだ!』

 愛らしい笑顔と、子供っぽい話し口調、狂気に染まった瞳。そのどれもが俺を引き込んで離さない。

 もはや俺は、彼女の世界に魅了されていた。

『だからね、ボクを映画の主役にしてくれるなら、殺すのを少し遅らせてあげるよ』

『殺さない、とは言わないんだな……』

『そう! 君を殺すのは確定だからね! ボクは決めたことは絶対にやり遂げないと我慢できないんだ』

 俺の首元に、彼女の手に握られたナイフが突きつけられた。

 きらりとした輝きが俺の視界をちらちらと動く。

『だから、君が逃げたらすぐに殺すからね』

 ナイフが遠ざかる。それと同時に、彼女も俺に興味を無くしたかのように部屋から出ていった。

 そして、カメラを止めた。

 緊張と彼女に感じたゾクゾクとした何かが一向に冷めない。

 いまだに彼女の作り上げた世界にいるようで、俺はくらくらとした感じを覚えている。

「どう? ボクの演技。うまく撮れてた?」

 ひょっこりと扉から顔を出した真琴に俺は笑顔で返した。

「うまく撮れたどころじゃねぇよ。最高だ。100点だよ」

「やったね!」

 この調子で撮影を続ければきっといい作品に仕上がる。

 俺は確かな手ごたえを感じていた。


 そこから撮影を続け、気づけば日は暮れていた。

 互いの腹の虫が鳴り、それが撮影終了の合図となった。

「お腹空いたね」

「あぁ……おやつタイムも忘れてやってたからな」

「ご飯、食べてく?」

「いや、そこまでお世話になるのは……」

「お母さんたち、今日遅いから。だから一人で寂しいんだよね」

 なら、と俺は彼女のご飯を頂くことに。

「ご飯できるまで映画でも見て待っててよ。棚にDVDあるから」

 映画を進められたなら見るしかない。

 早速棚を物色することに。

「どれにするかな……」

 棚を見るが黒か赤のパッケージしか並んでいない。

 俺の経験則でいうなら、黒か赤のパッケージはホラーやスプラッター系が多い。

「ゾンビものも黒っぽいの多いし、あればいいんだけど……」

 タイトルを目で辿っていくがそれっぽいものは見当たらない。

 『シックス・センス』や『クリープ・ショー』なんて名作もちらほらあるが、大半が見たことのないタイトルだ。

 が、あるタイトルが俺の目に留まった。

「……これって」

 手が自然とそれに伸びる。

 が、指先が震え、喉が妙に乾く。背筋に冷たい汗も流れ始める。

 けれども手は自分の意思を無視して動く。

「……」

 これを手に取れば戻れない気がする。だが俺はどうしてかそれを取りたくてたまらない。

「あ! 彰君! そこホラーの棚!」

「!」

 背後からかかった真琴の声で俺は我に返った。

 汗でシャツが張り付き、息も荒くなっていて気分が悪い。

 だが何とか意識を取り戻すことはできている。

「普通の棚はこの後ろ」

 棚をスライドすると背後からまた映画がぎっしりと詰まった棚が。

 今度はカラフルな色取りのパッケージが見えた。

 ほとんどが邦画だが、中にはカンフー映画なんかもあった。

「カンフー映画も好きなのか?」

「まぁね。けど今日はカンフーって気分じゃないな。彰君には邦画を見てもらいたい。ボクのおすすめはね」

「実写版はなしだ」

「えぇ~!?」

「今日はそんな気分じゃない。なんか夏っぽい映画が見たい」

「夏っぽいえいが……『ソナチネ』なんてどう?」

「たけしのか。名作だけどまだ見たことないな……てかあれって夏っぽいのか?」

「うん! ヤクザの夏休みって感じで面白いよ!」

「……俺の知ってるイメージとは違う」

「まぁ見てみなよ。面白いから」

 とりあえず見ながら彼女のご飯を待った。

 あまりの衝撃に、俺は彼女がご飯を作っていることすら忘れて見入ってしまった。


「はい、どうぞ。召し上がれ」

「いただきます」

 テーブルの上には豪華な食事が並んでいる。ごはん、卵スープ、とんかつ、魚のフライ、千切りキャベツ、その他もろもろ。

 どれもこれも手の込んだ料理で美味しそうだ。

 俺はさっそくトンカツを箸でつまみ、口に放り込んだ。

 衣はサクサク、中はジューシー、大変美味。

「うまい!」

 思わずそう口から漏れるくらい。

「よかった。じゃんじゃん食べてね」

 本日二度目の他人の愛情がこもった料理に、俺は明日からいつもの質素な食事に戻れるのか不安になる。

 だがそんな不安を掻き消すかのように、箸は自然と料理をつまみ、俺の口に次々と放り込んでいく。

 あぁ、幸せだ。美味しいものを食べている時と映画を見ている時こそが至上の幸福。

 そう思える。

「ねぇ。彰君ってさ、南小学校?」

 食事も半ばを過ぎた頃、唐突に真琴が尋ねてきた。

 口に残ったご飯をスープで流し込み、俺は「うん」と答える。

「やっぱりそうなんだ! ボクも南小学校なんだ」

「へぇ。そうだったんだ。覚えてないけどな」

「ひどいなぁ……ボクは彰君のこと覚えてるのに。って言ってもこの前小学校の卒業アルバム見てたら思い出したんだけどね」

「まじ……?」

「ま、ボクは5年生の時転校しちゃったからアルバムに載ってないし、だから覚えてないかもね。卒アルはお世話になった先生に送ってもらったの。いちおうこっちに帰ってきたのも大学に入ってから」

 俺は必死に記憶を辿るがはるか遠い時を思い出すのは難しい。

 ましてや俺は小学校の頃から人づきあいが偏っていたせいで、回りにいた連中以外は覚えていない。

「彰君って昔から映画の話ばっかりしてたよね」

「まぁ、確かにな」

「小学校のころ映画って言ったら『ハリー・ポッター』とかジブリ映画とかそういう有名な奴ばっかりでしょ? けど彰君はボクの知らないタイトルばっかり話しててすごいなぁって思ったんだ」

 まぁ確かに小学生には似合わない作品を見ていたのは確かだと思う。

「で、それが印象に残ってたんだ。だから彰君の名前を聞いた時、ピンと来たんだ」

「俺にやけにくっついてきたのはそのせいか……」

「彰君がボクの好きな星野源に似てたってこともあるけどね」

 また星野源か。俺はため息を吐く。

 俺ってあんな人畜無害なヘタレっぽい顔してるのか……?

「そう言えば彰君。勇吾君はどうしてるの? 元気してる?」

「……」

 懐かしい名が出たと同時に、俺の心臓がぎゅっと絞られる感覚に襲われる。

 息が苦しく、あいつのことを思い出すだけで頭が痛む。

「あれ? もしかして勇吾君とケンカでもしたの? あんなに仲良かったのに?」

「……だよ」

「え?」

「死んだよ、あいつは……小学6年の時に事故で」

「……ほんと?」

 嘘を吐いてどうするんだ。俺は視線でそれをわからせる。

「そっか……ごめんね、ボク、全然知らなくて」

 勇吾、上村勇吾うえむらゆうご。俺のかつての友達で、最後の友達。あいつとは小学生ながら映画の趣味が合い、仲良くなってずっとつるんでいた。

「ほんと、ごめん……」

 珍しくしおれる真琴に、「大丈夫」と声をかけた。

 だが彼女はその後もどこか遠慮しがちに俺との距離をとるのだった。

 結局、食事が終わっても彼女の笑顔が見れることはなく、俺は静かに家路についた。


「勇吾が、死んだ」

 俺はその日、夢を見た。

 幼い頃の記憶。親友が死んだ日の夢だ。

 その日は確か雨が降っていた。

夢の中だというのに、俺の肌はその冷たさを確かに感じ取っていた。

「なんで死んだんだよ……俺は、謝ってないのに……」

 俺は勇吾が死ぬ日、彼とケンカをしてしまった。

 他愛ないことだった。映画のナンバリングでどれが面白いか。

 俺たちは互いに譲ることができず、ケンカしたまま別れる。

 その帰り道、勇吾が事故に遭い死んでしまったのだ。

 俺はやるせなさを覚えると同時に、恐怖を覚えた。

 人を失う恐怖を。

 俺は葬儀の間、ずっと震えていた。夢の中だというのにずっと。

 目が覚めた時、体中汗びっしょりでとても不快だったことを覚えている。

 その日のお昼、俺の家にやってきた真琴はまた笑顔を取り戻していた。


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