感謝

 ありがとう、幸せを僕に教えてくれて。

 僕は椅子に拘束された状態で目を覚ました。何一つ身につけていない。見慣れない部屋、置かれてる状況。理解するのに少し時間がかかった。イノウエさんの家で寝てしまって、それからの記憶が一切ない。なぜ、こんなことになっているのだろうか。落ち着いて辺りを見回すとそこにはイノウエさんがいた。何も話さずこちらをじっと見つめていた。


 予想外の結末を迎える。そんなことばかな物の語り部ですら発せられる、単純な展開。全てを理解した。そんな気がした。そうであって欲しかった。それ以上はないと信じていたかった。イノウエさんは少しずつ僕の方へと近づいた。僕の腕を持ち上げると傷口を眺め、また優しくあたたかい抱擁をした。直後、僕の長い髪を乱暴に引っ張ると彼は接吻をした。長い時間そうしていた。お互いの肺の空気が全て入れ替わるほど長い時間、お互いの唾液が中和され一つになるほど長い時間。口が少し離れるたびに吐息が溢れでた。唾液が糸をひき二人の間を繋いだ。彼が少し離れ僕は荒く息をしていた。だが休むほどの間はなく彼の取り出した鋭利な刃先は僕の腕を裂いた。どくどくと溢れ出す僕の血液は汗と混ざり合い少しずつ体をつたい足元へと流れゆく。彼は僕の血を手一杯に塗り広げて僕に見せてきた。綺麗だった。思わず今朝見た紅葉を思い出した。真っ赤に染まった葉がゆらゆらと揺れているように感じた。次は頬に激痛が走る。彼は血のついた手で何度も僕を殴った。僕の顔は自身の血で真っ赤に染まった。痛い。でも、涙は出なかった。イノウエさんは僕を見つめるとまた抱きしめた。一切何も話さず、抱きしめた。あたたかかった。僕は涙した。


 それからもイノウエさんは僕の腕を切りつけた。いつも自分でそうしているよりも、もっと鋭利な刃物でもっと深く切りつけられた。痛かった。腕が真っ赤に染まると次は太腿を切りつけた。僕の四肢は真っ赤に染まった。ふわふわとした不思議な、まるで夢を見ているかのような、そんな気分だった。イノウエさんは僕に不快かと問う。不快ではない。そう答えた。不快ではなかった。イノウエさんならきっと何かを変えてくれる、どのような結末でも、これが僕の終わり方でも。非日常、抜け出せた、日々から。イノウエさんは僕の拘束を解いた。そして近くの床に僕を放り出すと彼も服を脱ぎ始めた。イノウエさんは僕に覆いかぶさった。また、涙が出た。それだけはやめて欲しかった。信じていた。一瞬でも僕に安らぎをくれた人だった。最後は綺麗に終わりたかった。抵抗しようにも声は上手く出ず四肢も上手く動かせなかった。僕はただ泣き続けるしかなかった。あの日のように、ただ色欲のために搾取され、抵抗することもできず、涙が止まらなかった。苦しかった、僕の身は裂けた。だが、それ以上に心が痛かった。胸が苦しかった。こんな気持ちははじめてだった。僕の人生は他者の色欲を満たすためだけのものだった。イノウエさん、ありがとう。なんとか振り絞ったその言葉、それ以上は上手く話せなかった。イノウエさんは僕の中に色欲を沢山吐き出すと、僕の処理を始めた。首に縄がかけられた。手で、締めて欲しかったなぁ。最後にもう一度だけあのあたたかさを感じたかったなぁ。さようなら世界。


 さようなら、僕の日々。

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色欲 @wanichi

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