第29話 はじまりの予感



 カールは、傍観することしかできなかった。


 無残に蹴散らされる同胞を。


 本陣にいて、恐怖に凍りつく帝国軍の重鎮達を。


 そして自身は、ハルトを守るという役目があるものの、指をくわえて見ていることしかできないという己の不甲斐なさを。


 遡れば、リジットからの帰路でも、自国の民が無残に惨殺される凶行を止めることができなかった。


 日頃、重鎮達の前で見せている実直な軍人の顔は装っているだけで、自分の本質はハルトに見せるような、どちらかといえば軽い調子の方だ。


 だが、軍人として自国や民を守ることに対しては、人一倍強い思い入れを持っていた。


 それでいて、誰一人守れなかった。


 ヒドラに至っては、もはや人間の力ではどう足掻いても勝てるはずがないと絶望すらしていた。


 だというのに、目の前ですべてが覆った。


 ハルトが覆した。


 何らかの方法で各部隊を直接指揮したのだろう。わかるのはそれだけだ。


 あのヒドラという化け物が何故地面に倒れているのか、まるで理解が及んでいなかった。


 言葉を交わしていても、身近で接していても、彼が何者なのか本当の意味ではまるでわからない。


 ここに来てはじめて、カールはハルトを恐ろしいと思った。


 人の形をした、別の何かのようにすら、感じられる。


 戦争で流れた多くの血が、蹂躙されることしかできない人々の無念の叫びが呼び寄せた、人を超越した存在なのだろうか。


 まるで祈りや想いといった不確かなモノが形になったかのような……。


 それは「神」なのか、それとも「悪魔」なのか。


 信仰心は持ち合わせていないカールであっても、目の前で起こった奇跡のごとき出来事には、体が打ち震えるのを感じずにはいられなかった。


 畏れからか、それとも奇跡を見た感動からかはわからないが。


 どちらにしても、この勝利は未来永劫語り継がれることになる。


 何もわからない無知な自分であっても、今、歴史の節目を目撃したこと、そして身代わりの影武者ではなく、本物の英雄を目にしていることだけは確かだと理解していた。


               ◆◆◆


 旧リグラルト王国、王都リジットでの暗殺騒ぎから一ヶ月と少し。


 歴史上類を見ない規模で攻め込まれた帝国ではあったが、国の中枢に大きな被害を被ることなくこの国難を切り抜けた。


 ヒドラが敗北し、その上、帝国軍がまだ充分な余力を残していると知った同盟軍は呆気ないほどあっさりと壊走に転じたのだ。


 同盟軍の兵の反応は大きく三つに分かれ、一目散に逃げ出す者達――これは旧リグラルト王国出身ではなく、大陸の外から派遣されてきた同盟国出身の兵が多かった。


 おそらく侵攻が終わった今、命を賭けてまで戦う義理などないと言ったところだろうか。


 恥も外聞も、規律もなく、同盟軍に参加した兵達は一斉にリグラルト方面へと逃げ去っていく。


 ここでもっとも恐れていたのは道中にある村や街での略奪行為だ。


 遥人はそれを防ぐため、余力がある部隊に命じて追い立てるように追跡させる。


 敗残の兵達は飲まず食わずで必死に逃げ去っていき、心配していた略奪や盗賊に身をやつすような輩はほとんど現れなかったようだった。


 徹底抗戦の構えを見せた集団も、いるにはいた。


 決して多くはなかったが、これは今後の教訓となってもらうために、全力をもって叩き潰し全滅させた。


 そしてさらに少ない人数だったが、徹底抗戦の集団が一瞬で全滅したのを見た者達は呆気なく投降して捕虜となった。


 武官の中には見せしめに処刑しようと主張する血の気の多い主張もあったが、遥人はあえて投降を認めた。


 刃向かわなければ死ぬことはないと、そこで線引きを作っておいた方が今後、何かあったときに敵が無駄な抵抗をしないだろうからだ。


 居城の執務室に戻った遥人が残務整理に追われていると、カールはしきりに感心してうんうん、と頷いている。


 そして執務室には現在、もう一人、珍客が押しかけていた。


「ふん、兄の真似をしてこの戦争を終わらせるつもりなのかしら?」


 帰還してから数日が経つというのにアリーセは遥人の執務室に入り浸っている。


 戦闘時、恐がらせては可哀想だからと、侍女に命じて自室に押し込めていたのをかなり恨んでいるらしい。


 あるいは「心配したんだから!」とか言ってもらえると可愛いのだが、なまじ頭がいいので、文官の報告書を読んでアレが甘い、これが足りないなどと、色々ダメ出しをされてしまう(しかもかなり的確)のが情けないところだった。


「いえいえ、ハルト殿はそうして折り合いをつけるところを設定することで、世界征服を考えておいでなのですよ」


 戦後処理の報告と書類の決裁のために執務室にやって来ていたテオバルトがとんでもないことを言い放った。


「できるわけがありません」


 アリーセは辛辣に否定する。


「いえ、私も将軍と同意見ですよ。ハルト殿の采配はすごかった! 軍に身を置く者はすべてハルト殿の采配を褒め称えておりますよ!」


 確かに本陣で、それぞれ能力も実績もあるのだろう重鎮達が口々に遥人を褒め称えてくれていた。


 もっとも、全員が何故か「さすがはオーガ!」と必ずと言っていいほどそのワードを絡めてくるのにはまったく慣れないのだが。


 とはいえ、この世界で受けるその「オーガ」という評価は、前世で生きていたときよりもずっと優しい。


「やはり! これは国全体に勅を発して知らしめるべきですな! 非才の身ながら、全身全霊をもってハルト殿に尽くす所存にございます!」


 テオバルトは興奮のあまり、鼻息を荒くして頷いている。


「ほほ、この老骨も、ハルト殿を支えていくのが楽しみですな」


 いつの間にか会話に参加していたオストヴァルトもまた、疑問も持たずに遥人に賛成してくれた。


「兄の名前を穢すことだけは許しませんからね!」


 余計なコトをするな、とか、影武者のくせに大人しくしていろ、とか言われるかと思っていたアリーセもこの調子である。


「今回の戦闘、活躍したダークエルフ族に褒美は出るんでしょうね!」


「陛下! お疲れではありませんか? もしよろしければ私がゆっくりしっぽり、閨でその疲れを癒やして差し上げましょうか?」


 などと言いながらガブリエーレやゲオルギーネ姉妹まで乱入してくる。


 ちなみに、この二人には種族の代表として、他の重鎮より一段上の権限を与えている。


 遥人が入室させないように指示を出している場合は別だが、平時はこうして気楽に執務室まで押しかけてくるのだ。


「兄は、あなたみたいな乳房が大きいだけの女性は相手にしません!」


 対して、アリーセはゲオルギーネに対し明確なエネミー認定してしまっているようだ。ただ、これが亜人種に対する差別意識ではなかったらしく、


「よく言ったわ王女様! その点は私も完全に同意!」


 同じく薄い胸仲間なのかガブリエーレと意気投合してしまったのだ。


 こうして、同盟軍による侵攻作戦は幕を閉じたのであった。


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