第25話 新たな乱入者



 トバイアスは「悪夢だ!」と頭を抱えていた。


 同盟軍の戦力にはまだ余裕があった。


 当然である。この遠征に参加させている数がそもそも帝国軍全体が保有している戦力とは比較にならないほど多いからだ。


 だが最前線では、同盟軍は帝国軍によって一方的に蹂躙され続けていた。


 武器なのか防具なのか、それとも悪質な魔法でも使っているのか、視線の先では当初予定していたのとはまったく逆の意味で一方的な戦闘が続いている。


「そ、総司令。我々はどうすれば……」


 そんなことは自分の方が聞きたいと怒鳴り返しそうになったが、どうにか自制した。


 だが、次々と削られていく同盟軍の戦力は、この一〇年という年月を費やしてトバイアスがかき集めてきたものだ。


 一度は自分の地位を奪われ、屈辱で泥をすするような気持ちになりながらも様々な国に働きかけ復讐するための準備を整えてきた。


 もし同盟軍が瓦解してしまったら、今度こそ身の破滅だ。


 同盟はあくまで帝国の跳梁を座視できないとして集まった勢力でしかない。風向きが変われば容易く掌を返すだろう。


 何より今、解放軍の盟主であるオーレリア王女がこの場にいないことがマズい。


 平和論者である王女は今回の和平会談についても肯定的だった。


 しかしそれでは予め同盟を呼びかけていた複数の国と足並みが揃わなくなる。


 だからこそ、帝国は和平会議を蹴ったと嘘をつき、オーレリア王女を別の戦場へと遠ざけていたのだ。


 つまり今回の戦闘はトバイアスの独断専行なのである。


 最悪の場合、同盟各国は寄ってたかってトバイアスに全責任を押しつけ、その身柄を差し出して帝国との講和を図る材料にされてしまうかもしれない。


(そうなったら私は、私は………っ!)


 さらし首になるぐらいならまだいい方で、公開処刑や、なぶり殺しにされることすらありえる。


(それだけは嫌だ! なぶり殺しも嫌だが、負け犬として惨めったらしく死んでいくのはもっと嫌だっ!)


 何かないかとあたりに視線を走らせて自分が生き残る術を漁る。


「そうだ! まだ私にはアレがある! おい、アレだ、アレを戦場に放てっ!」


 トバイアスは本陣の後方を指さして叫んだ。周囲にいた武官が、トバイアスの言葉の意味するところを察して顔色を変える。


「放つ? そ、総司令! あれは鎖でつないだまま見せつけて、威嚇目的に使う予定だったのでは!?」


「そうです! 一度解き放てば再び捕まえるためにどれほどの被害が出るか――」


「うるさい! いいから私の命令に従えばいいんだ鈍間ノロマめっ!」


 慌てて真意を問いただす武官に、トバイアスは苛立ちを隠すことも忘れ怒鳴り散らした。


「心配せずとも、ヤツは血の臭いに引かれて戦場の中央に突進して行くに違いない!」


「しかし本陣は大丈夫かもしれませんが、前線にもまだ味方の兵が残って……」


「そんなもの、このまま放って置いてもどうせ帝国軍に殺されるだけだ! だったら同じではないか!」


 それでも躊躇う気配を見せる武官に、トバイアスはとうとう腰に提げた剣を抜き放つ。


「いいからとっとと動け! それができなければ、は、反逆罪で打ち首にしてやるっ!」


 真剣を突きつけられるとさすがに武官も黙り、ようやくトバイアスの命令を実行に移す。


 しばらくすると、何かを引きずるような重々しい音と共に頑丈な巨大な金属の箱が運ばれてくるのだった。


 箱と言ってもちょっとした家屋ほどもある巨大なもので、下には車輪がついているためどうにか馬で牽引できるという代物である。


 あまりにも馬鹿馬鹿しい光景で、こんなものを動かそうという考えるなどどうかしているとしか思えないと感じるだろう。


 平時であれば。


「よし! それだそれっ! それを前線に近づけて解放しろ! これで我が軍の勝利は確実なものとなるのだっ! わはははははっ!」


 満足したトバイアスは剣を鞘に納め、行け行け、と手を叩いて何頭もの馬に牽かれて進む金属の箱を見送った。


               ◆◆◆


 テオバルトは目の前の戦況に満足していた。


 圧倒的な数をもって攻め込んでくる同盟軍に対して、限りある戦力を極限まで磨き上げて立ち向かう。


「うむ、これぞ戦略の真髄!」


「せ、戦略、ですか……?」


 傍にいた副官が苦々しい表情でそう呟く。


 実際に、苦い味の記憶を思い出しているのかもしれない。


 あまりに強烈な刺激の記憶は、体に刻み込まれ時折勝手に蘇ってくると聞いたからだ。


 部隊を指揮して前線に出る可能性がある人間は、幹部であっても《ソーマ》によって強化されていた。


 当然、テオバルトもあの「味」を体験していた。


 そして《ソーマ》の味にはテオバルトものたうち回るほどの衝撃を受けていた。


 しかしテオバルトはその苦痛を、むしろ喜んで受け入れている。


 各々、考え方は違うのでみだりに口外することはないが、テオバルトはハルト・クラッセンという人物について認めていた。


 単なる影武者ではなく、彼こそがこの大陸を平定し、平和をもたらすにたる英雄だと思っていたのだ。


(いや、あの方の力なら、大陸だけなどとケチ臭いことは言わん。むしろ全世界を平定する、世界王となるべき方やもしれん)


 そう思うと、この苦痛は偉大なる主に求められている証である。


 この苦痛があったからこそ役に立てると考えると、苦痛であるというのに胴震いがするほどの喜びを感じてしまうのだった。


(ああ、陛下! このテオバルト、陛下のお役に立てる喜びに勝るものはありませぬ!)


「将軍、なんでそんな恍惚とした顔をしてんですか!?」


 横から茶々を入れられ、テオバルトはいい気分を中断させられる。


 多少不満は覚えたが、戦場で夢想に耽るわけにもいかないと思い直し、テオバルトは同盟軍の方に目をやった。


 戦況は、圧倒的に帝国軍優位。


 ただし数の差は依然として大きいので、安心はできない。攻撃は通じないが、それでも疲労まで無視できるようになったわけではない。


 こちらが疲れで身動きが取れなくなってしまえばさすがにまずい。


 兵は死ななくても、動けなくなってしまえば同盟軍を素通りさせてしまう。そうなると、帝都を蹂躙され、皇帝を殺害されてしまうかもしれないのだ。


(断じて許さん!)


 ハルトから伝え聞いた、国境付近での同盟軍の蛮行に、テオバルトの怒りは燃え上がっていた。


 ただ、不思議なことに、不利を挽回するためしゃにむに攻めかかってくるかと思っていた同盟軍の動きが不思議なほど静かになっている。


 むしろ同盟軍自身、命令系統が混乱しているかのように見受けられた。


「なんじゃ? なにか……」


 自軍兵のほとんどが異変には気づかず勤勉に戦い続けてくれているため、テオバルトは安心して周囲の気配を探る。


 すると同盟軍の本陣の方から、巨大な鋼鉄製らしい箱が何頭もの馬に牽かれて運ばれてくる様子が見えてきた。


 訝しんでいたが、ふと首筋に手を伸ばすと、そこは我知らず冷や汗をかいている。


(なんじゃ? ワシは、あの箱の中に威圧されているということなのか……?)


 自問自答する。


 その結論は、すぐさまもたらされた。


 バキン、と音を立てて鋼鉄の箱の四方の壁の封が解かれ、壁はそれぞれの方向に地響きを立てて倒れ、土煙をまき上げた。


「ぬ……? 何かが、いる?」


 箱の中には黒々とした何かがあった。距離があるため正体はわからない。


 同盟軍の攻撃なのは明らかだが、距離を詰めて潰すか、それとも遠ざかるべきか難しいところである。


 どうすべきか思案していると、敵兵の一人が斧を持って黒々とした何かの塊に近づき、手にしたそれを振り下ろす。


 直接その塊を狙ったわけではなく、そこからつながっている鎖を断ち切ったようだった。


 同時に悲鳴を上げてそこから走り去ろうとするが、それまでじっとしていた塊から何かがにゅっと伸びて敵兵を頭からひと飲みにした。


「な――!?」


 黒い塊に光る点が生じる。


 それは、よく見れば「眼」だった。同時にそれが動き出す。


 塊に見えたのはそれが身を縮めて丸まっていたからのようだ。


 兵を丸飲みにしたそれは、ヘビの頭に似た物体だった。


 ただ、巨大だ。


 ヘビなどとは比べものにならないほど圧倒的に巨大だった。


「な、なんだアレはっ!?」


 土煙が晴れると、兵達の誰かが発した、悲鳴に似た声が戦場に響く。


 言葉にせずとも、それはこの前線にいる帝国兵すべての気持ちだっただろう。


 黒い塊からさらに同じヘビの頭が九本伸び、丸めていた体を起こしていく。


「将軍! あ、あれは、あれは何なんですか!?」


 テオバルトは、部下の問いにすぐには答えることができなかった。

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