第23話 戦場の悪夢
同盟軍の一部隊を指揮するコリンは目の前で起こっている出来事がまるで信じられなかった。
二五年生きてきた中で培った、全ての常識が否定されるような異様な光景である。
同盟軍は圧倒的に少数の帝国軍に向かって突進をした。
だが帝国の騎兵は、申し分なく勢いが乗ったコリン達の突進を軽々と受け止めてしまったのだ。
「嘘だろっ!」
誰かの悲鳴に似た声が響き渡った。
突進が止められても諦めず、手にした槍や剣、斧を振り下ろす者もいた。しかしそれらは何の効果も発揮できずに終わるのである。
防がれたわけではない。
避けられたわけでもない。
帝国軍の騎兵は防ぎもせず、避けもせず、その身であらゆる攻撃を浴びても平然としているのだ。
幻聴なのかなんなのか、生身の肌に攻撃を受けながら「キン」と金属を叩いたような音が聞こえた気すらした。
「嘘だ! そんなの嘘だっ!」
恥も外聞もなく叫ぶ声がどこかから聞こえてくる。
数刻前、蛮族など恐るるに足りないと笑い飛ばしていたのは誰だったのか。
亜人を引っ捕らえて奴隷として売り払うと言っていたのは誰だったのか。
「あんなの、人間じゃない!」
人間じゃないと、昨日まではまるで別の意味で使っていた言葉が、コリンの口から飛び出した。
「だっておかしいじゃないか! 礼儀も知らず、乏しい卑しい民族が! 薄汚い亜人などと一緒に生きている恥知らずなんだぞ!」
ここに来るまでの道中、街や村で王国民に紛れて暮らしていた帝国民を狩り出し皆殺しにしてきた。
ここでの戦いもアレの延長だと信じていたのに、どこで騙されたのだと憤る。
そんな理不尽な怒りをぶちまけるコリンの目の前で、密集していた同盟軍の第一軍のただ中を、帝国の三〇〇程度の騎兵が縦横無尽に走り回る。
まるで物のついでのように振りまわす剣や槍が、次々と同盟軍の兵士を屠っていく。
あまりに呆気ないためなのか、帝国兵達もどこか「こんなに脆いのか?」と戸惑っているようだった。
膨大な数がいるだけに、第一軍が総崩れになることはないが、何が起こっているのか誰も理解できずにほとんどの兵士達は考えることを放棄しているようだった。
同盟軍の動きが止まりつつある中で、帝国軍から一人の騎兵が進み出る。
「やぁやぁ、我こそは帝国軍騎兵部隊を預かる将軍、テオバルト・アンガーマンであ~るっ!」
敵の将軍であるらしい男が名乗りを上げる。
普通、将軍などという高位の軍人は後方に控えて指揮を執るのが一般的だ。
何せ、それだけの要人を仕留めてしまえば、こちらにとってはそれだけで士気が跳ね上がり、相手にとっては部隊の運用が大混乱に陥ってしまう可能性があるからだ。
「なんであんなところに将軍が?」
もうわけがわからなかった。
何が常識で何が非常識なのか、それらを判断する能力も麻痺していたのだ。
「これだけの数の差があるにも関わらず、まるでこちらに痛手を負わせられない同盟軍。いやぁ、実に情けないのう!」
思考放棄していた同盟軍の兵達に、じりっと怒りの感情が広がるのを感じた。
敵に攻撃が通じないなどというデタラメな現象が起こるはずがない。
これには何かのまやかしがあるに違いないのだ。
ならば、どんな犠牲を払ってもまやかしのタネを解き明かし、再び攻勢に転じればいい。
これだけの数がいるのだから、多少の犠牲は痛くも痒くもない――それは周りの兵士達に共通した思いであったらしく、にわかに第一軍全体に気力が戻ってくる。
テオバルトと名乗った将軍は、自分が虎の尾を踏んだとは思いもしないのか、今度は同盟軍ではなく自軍に向けて声を張り上げはじめた。
「我が帝国の勇士達よ! よく奮戦しておる! 皇帝陛下もきっとお喜びに違いない! だがまだ戦ははじまったばかり! これで後れを取るようなら、陛下はお前達に『飲ませ足りなかったのか』とお思いになるに違いない!」
飲ませる、とは何のことかわからなかった。
「酒でも振る舞ったのか? 呑気な……」
そう思うが、しかしテオバルトの言葉を聞いた帝国兵達の様子が明らかに一変した。
酒を振る舞われ鼓舞されたなら、いい思い出だろう。
なのに前方でテオバルトの声に耳を傾けていた帝国兵は、誰もがこれ以上ないほど追い詰められた顔になっていったのだ。
「これだけの数の敵は恐ろしい! だが敵のことが恐ろしくなったら、皇帝陛下のご尊顔を思い出すのじゃ!」
(膠着状態になったのをいいことに、好き放題言いやがって……って、なんだ? 帝国兵共の様子が……)
津波が起こる前触れに海が静まりかえると言われているが、帝国兵達の様子はまるでそれのようだった。
異常な現象に意気消沈していた同盟軍だったが、その同盟軍よりも勢いで勝っていたはずの帝国軍の方が、ピタリと黙り込んだのだ。
――直後、
「い、嫌だ~~~~~~~っ!」
悲鳴じみた声が帝国兵の一人から飛び出した。
一人だけではなく、
「嫌だ!」
「嫌だ嫌だ嫌だ!」
「い~や~~~~っ!」
「ひ~~~~ぃ!?」
「思い出させないでっ!」
「もうあんなものを飲むぐらいならここで死んだ方がマシだっ!」
阿鼻叫喚の地獄絵図という表現がよく似合うような、悲惨な悲鳴が帝国軍全体から沸き立ったのだ。
テオバルトは相も変わらず平然と話を続ける。
「お~う、そうか~。ならば皇帝陛下に、我々はもう、充分強くなった、ということを証明して見せなければならぬなぁ?」
何かをすっとぼけたような声。
だがこれに対して、帝国兵達は全身から振り絞ったかのようなすさまじい声を張り上げ応える。
「我らは最強っ!」
「然りっ!」
「我らに敵う者はなしっ!」
「然りっ!」
「我らにこれ以上の《ソーマ》は必要なしっ!」
「然りっ! 然りっっ!」
とても三〇〇の騎兵とは思えない絶叫が響き渡った。
「な、なんだ? なんなんだ!?」
何もかもが理解できない。
再び浮き足立つ同盟軍に対し、テオバルトはゆっくりと振り返ると満面の笑みを浮かべて頷いた。
「同盟軍の諸君、静聴を感謝する。だが残念ながらお別れじゃ。者共! 食い破れっ!」
テオバルトが檄を飛ばすと同時にそれまでどちらかというと漫然と対応していた帝国軍の騎兵達が、いきなり血相を変えて走り出す。
「殺せ、殺せっ、殺せっ!」
帝国兵が泡を飛ばして叫ぶ。
先程までのどこか戸惑った様子が嘘のように全員が殺気を迸らせていた。相手が弱かろうが脆かろうが、一滴の遠慮もせずにひたすら敵を狩る。
目の前にいる同盟軍の騎兵は、抵抗しようとする者、逃げ出そうとする者、関係なくたった三〇〇騎の騎兵に飲み込まれていった。
同盟軍は結成されたばかりの俄所帯である。
だがそれは全体的な話であり、部隊規模で見れば慣れ親しんだ者ばかりで隊列を組む、それぞれの国で鍛え抜かれた精鋭揃いだった。
それが、まるで紙で出来た人形のように、ひたすら蹂躙されていく。
血しぶきと土煙が一直線でコリンの元に向かってくる。
「こ、こんな戦争、参加するんじゃなかった――」
後悔の言葉を吐いた直後、コリンの意識は怒濤の波に飲み込まれ消え失せた。
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