第四章 やりすぎの最終決戦
第22話 開戦
「さあ、諸君! 戦争開始だよ!」
同盟軍の総指揮を執ることになった、旧リグラルト王国宰相トバイアス・ガターリッジは、軽い興奮と共にそう宣言した。
帝国領に攻め入った同盟軍は、帝都ザムニスからほど近い場所に陣を築き拠点としていた。
そこには各国から派遣された、五万人の兵士達が集結している。しかも、この場に集まっているのが戦力の全てではないのだ。
この他にも先んじて作戦行動に移っている部隊や斥候に出ている部隊、後方支援や補給のために動いている部隊などで最終的には倍ほどに膨れあがっているだろう。
大陸史上、一つの戦争でこれほどの戦力が投じられたことはなかったはずである。
たとえばチェス。
白か黒、どちらでもいいが、一方が盤上に五倍の駒を乗せて戦っているようなものだ。
(くくく。我が方は、圧倒的だ)
トバイアスはリグラルト王国滅亡と共に国を出て、逃亡生活に身をやつした。
不幸中の幸いとでも言うべきか、ガターリッジ家は積極的に外の血を受け入れる家風だったために国外にも縁戚があり、そこに身を寄せ再起の機会を図っていた。
国内に留まり続けた王女とは違い、トバイアスの視線は国外――それも大陸の外に向いていたため、帝国と利害関係がある国々から協力を募るのは当然の流れだった。
彼を突き動かしていたのは怒りである。
四〇歳にして一国の宰相という、これ以上望むべくもないほどの成功を収めていたはずの自分。
それを、さして親しくもない、田舎貴族の顔色を窺いながら隠れ住むような惨めな生活に貶めたザントゼーレ帝国を決して許さない。
この一〇年は執念だけで生きてきたと言っても過言ではないだろう。
そして念願が叶う今日という日を迎えた今、自制心には自信があったトバイアスですら興奮を抑えきれなくなっていた。
この場に集まった各国の騎士や兵士、魔道士達も同じであるらしく、眼前に広がっている軍勢からも鳴動するような興奮が伝わってくる。
リグラルト王国崩壊から今日まで、小競り合いは絶えなかったが、それでもこれほどの数で戦った経験など誰も持っていない。
一〇〇騎の騎士であればいくら方策を練っても勝てないものが、一〇〇〇騎になれば勝てるようになり、一万にもなればただ単純に突進しただけで事足りる。
数という、敵の全てを飲み込む濁流が威力を発揮する瞬間を、誰もが見たがっているのだ。
「勇者諸君! 準備は整っているか!?」
トバイアスが朗々とした声で問いかけると、周辺を揺るがす怒号のような歓声が跳ね返ってくる。その勢いに満足し、トバイアスは右手を高々と差し上げた。
「――第一軍、出撃!」
号令が下ると同時に、事前に綿密な打ち合わせをしていた通り、集結している場から一部が動き出した。
一部と言っても、それだけでザントゼーレ帝国の全軍の半分程度にもなるだろう大軍だ。今回の構想では、三つの軍に分けてザムニスを強襲する。
本来なら「行け」と号令をかけるだけで事足りる戦力である。
しかし戦場が相手の領地奥深くであることを考慮する慎重さも忘れていなかった。
というのも、リグラルト王国とザントゼーレ帝国は隣り合っているにもかかわらず何代にもわたって緊張関係が続いており、地理的な情報は乏しかった。
特に帝都周辺については、どんな地形なのかすらわかっていない有様だったのである。
一気に攻め込んでも負けることはないと思っていた。
しかし思わぬ反撃を食らう可能性はある。
同盟軍の戦力は言ってみれば借り物であるため、他国出身者の被害が大きくなると不要な借りを作ってしまうことになる。戦後を考えそれは避けたかったのだ。
この問題も、一〇年の時が解決してくれた。
リグラルト王国が崩壊してから一〇年。
帝国は旧王国領を自らの領地として併呑していた。そうなると自然な流れとして人の行き来が起こる。
帝国領から王国領へ移り住んだ者もいれば、その逆もある。
特に商売を営んだり、物資を運ぶことで生計を立てている者などは、王国領から帝国へ立ち入る機会も増えていた。
一気に帝国領になだれ込みたいところだったが、途中の村や街で一々足を止め、帝国出身の民間人を狩り出していたことにもちゃんと理由があった。
トバイアスと同様、帝国を恨んでいる兵士に怨念返しの機会を与えて戦意を高めるというのもそうだが、それと同じぐらい大切だったのは、帝国領内の地政学的な情報を手に入れることだ。
帝国出身者のほとんどは惨たらしく惨殺し、あえて生き残らせた者から情報を引き出す。口を割らなければ拷問でも何でもやらせる。遠慮をする理由はないからだ。
同時に、王国民からも情報を募る。
こちらは乱暴な手段は禁じておいたが、帝国出身の住人を突き出させることで踏み絵の意味を持たせておいた。
つまり、「お前達はもう帝国を裏切ったんだ」という事実を突きつけるのだ。
元々王国民であった者は、裏返る――というか、元の所属に戻ったという意味では表返ることに根本的な抵抗はないはずだ。
もし帝国を庇うなら、それはそれとして対処すればいい。
そうした手段で今や帝国領内の詳細な地図が手元にあった。
もたらされた情報によれば、帝都ザムニスは周囲を切り立った岩山に囲まれており、これを天然の城壁として守りを固めていた。
加えて、点在する穀倉地帯や鉱山といった要所にも常にかなりの戦力が駐在しており、帝都に敵が攻め入った場合には挟撃して外敵を排除するという仕組みになっていたらしい。
なかなか考えられた防備だ。
しかしそれは、相手がろくに帝国の地理的な情報を得ておらず、がむしゃらに帝都を狙って攻め上がる相手にのみ有効に機能する守りである。
今は、同盟軍には数の力も、地理的な知識も揃っている。
だからこそ、トバイアスが戦場として選んだのは帝都を囲む山岳地帯の手前に広がる広大な平野部だった。
◆◆◆
見渡す限りに広がる平野部。
もたらされた情報によると、ユーダリル平野と呼ばれているらしい。帝都との進路上に存在する最も大きな平原であった。
同盟軍の唯一の泣き所である、軍を展開するために広大な土地が必要になる点から見ても好ましい場所である。
このユーダリル平野は帝国内における交通の要衝にもなっているらしい。
ここを通らなければ他に分散配置している戦力が帝都の救援に向かうことも、食料などの物資を運び入れることもできない。
つまり、ここさえ抑えておけば、帝国軍は自ら出てくるしかなくなるのだ。
「完璧な布陣だよ」
三つの軍と共に移動し、平野を見渡せる位置に本陣を構えたトバイアスは感嘆の吐息を漏らす。
自画自賛と言われようとも、惚れ惚れするような布陣だ。
「総司令殿、敵軍が姿を見せました!」
伝令が報告をもたらしたところで、トバイアスも遠眼鏡を使って平野の端に広がる森林地帯から帝国軍が滲み出し、陣を整えはじめている様子を確認した。
「このまま突撃してやってもいいのだが……」
無条件降伏するつもりはないのだろうから、このまま潰した方が楽なのだが、とそう考える一方で、
「まぁ、万全の体勢を整えてなお、蹴散らされた方が奴らにとっても屈辱だろうよ」
と薄暗い喜びに顔を歪め、帝国軍の準備が整うまで見守ることにしたのだ。
そうして待つことしばし、ようやく敵の布陣も終了し、戦場に殺気と緊張感が満ちてくる。
誰もが、いつはじまってもおかしくない気配に身構えているからだろう。
「よし、戦闘開始!」
余計な演説は必要ない。
トバイアスは先陣を切る第一軍に向けて大きく手を振った。
「戦闘開始!」
「戦闘開始!」
「戦闘開始!」
周囲に控えていた伝令兵が復唱し、各部隊に伝達するため本陣から走り出す。
トバイアスの直接の指示を見て動き出した第一軍は、騎馬中心に構成された速度重視の軍である。
走り出すと、一塊として動いていた軍は、各部隊長単位に分散して行動を開始する。
出身が違う分、単純で基本的な作戦だけを共有し、その後は分散して動かすというのが当初からの予定だったのだ。
実に、この第一軍だけで、展開した帝国軍の数とほぼ同じだった。
事前の報告からすれば、帝都防衛のための全戦力が投入されたと見て間違いないだろう。
数的には第一軍だけで同等。
そこに第二軍、第三軍が加わって圧倒し、余勢を駆って一気に帝都を落とす予定だ。
「くくく、酒でも飲んで見物していたい気分になるな」
一歩遅れ、帝国も動き出した。
相手もまずは騎兵を動かしたようだが、その数は部隊三つで三〇〇騎程度。
積極的に前に出て噛み合うのは騎兵だけだから仕方ないとはいえ、戦力を小出しにするようでは本当にあっさりと終わってしまうかもしれない。
「やれやれ、どんな奇策を弄してくるかと思いきや……」
圧倒的に優位な立場にいるため、多少の失望を感じるほどだった。
一〇年という屈辱を拭い去るためには、相手にももっと足掻いて欲しいのだ。
足掻いて、無駄な策を弄し、その上ですべてが無駄に終わるほど圧倒的な力で踏みつぶすことでトバイアスはようやく溜飲を下げることができる。
「まあいい。これが終わったら、帝国の重鎮共を嬲り物にして徹底的に遊んでやる」
そうして、消化不良で戦闘が終わる場面を見ようと身を乗り出したトバイアスは叫んだ。
「な、なんだとぉぉぉっ!?」
騎兵の破壊力は、武器や防具、兵自身と騎乗している馬体までも含めた重さが速度とかけ合わされて発揮される。
特に集団の騎兵は、一直線に駆け抜ける間に会敵した相手の陣形をズタズタに切り裂きながらすれ違う。
これに対抗するには重装歩兵などで密集陣形を取って間を通さないか、同じ兵種で間をすり抜けながらの削り合いに持ち込むかのどちらかだ。
重装歩兵といえど何倍もの騎兵を跳ね返すことはできないため、同じ騎兵で迎え撃つという選択は理解できる。
理解はできるが、その場合はさらに単純な数の勝負になって、一瞬で帝国側の騎兵は壊滅する――はずだった。
だが、猛然と突き進む同盟軍の騎兵部隊と、数で遥かに劣る帝国軍の騎兵部隊とがぶつかった瞬間、同盟側の騎兵が凄まじい勢いで吹き飛ばされたのである。
まるで見えない壁にぶつかったかのように、同盟側の騎兵はことごとく弾き飛ばされ宙を舞う。
誇張ではなく、馬もろとも草原に投げ出された騎兵達は、少なくない数がそれだけで行動不能に陥っていた。
しかも対する帝国の騎兵には何の異変も起こっておらず、何倍もの数になる同盟軍の騎兵をものともせずに、着実に前進を続けている。
冗談のような光景だった。
「な、なんだあの騎兵は!? 何が起こっているというのだ!?」
同盟軍の騎兵が完全に勢いを失い、そして比べものにならないほど少数の帝国軍騎兵がその中心を、巨大な川の流れを両断するかのように進んでいく。
「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁっ!?」
あたりに悲鳴が響き渡った。
それは、一方的に蹂躙されるべき帝国兵のものではなく、圧倒的に有利なはずの同盟軍の騎兵のものだったのである。
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