第21話 悪役の約束



 ゲームで使っていたバグが、この世界でも使えてしまう。


 遥人自身、まだ実感が湧かない状態なので目の前のカールはなおさら混乱している様子だった。


 事細かに説明している時間もないのでお茶を濁していると、テオバルトと、今回の戦争に際して臨時徴用という形で帝国軍の軍籍を用意させたガブリエーレが姿を見せる。


「陛下、言われた通りに乾き死にする寸前まで兵を訓練しましたが、あれでよいので?」


 テオバルトには、手が空いている兵士全員を駆り出して猛特訓を加えさせていた。


 地獄のしごきに耐えてくれた兵士諸君には大変申し訳ないのだが、実は訓練その物にはまるで意味はない。


 多少はあるのかもしれないが、遥人の計画上、誤差の範囲でしかない。


 大切なのは、どれほど不味くとも、液体であれば何リットルでも底なしに飲み干せるほど、喉の渇きを覚える状態になってもらうことだった。


 遥人は本当に《ソーマ》のバグ技が使えるかどうか事前に確認していた。


 その際に一応効能を確認するために味見をしたのだが、これが死ぬほどマズかったのだ。


 同盟軍と戦うためにも、兵士達にはこの死ぬほどマズい《ソーマ》を積極的に飲み干してもらわなければならない。


 実際に死ぬことに比べれば、死ぬほど酷いしごきを受けて、死ぬほどマズい《ソーマ》をがぶ飲みするぐらい大したことはないはずである。


(大したことはない、よね……?)


 ちょっとばかり心許ないのだが、加えてガブリエーレである。


「私の方は、やっぱり時間が乏しかったから、色よい返事をもらえたところは少なかったんだけれど……」


「いや、今のところはそれで充分だ。これからも引き続き頼むよ」


「ふふ、任せなさいよ。私のこの溢れんばかりの美貌と知性の輝きを以てすれば、亜人種の一つや二つ、コロッと騙してやれるわ!」


(騙しちゃいかんだろ、騙しちゃ……)


 そこは自己欺瞞でも何でも、せめて説得と言って欲しいところである。


 ガブリエーレには、ダークエルフだけではなく、亜人種全体で帝国に協力してくれるように打診してもらっていた。


 遥人としては、亜人達の地位向上は本気で考えている。


 だから、同じ国に住まう仲間として助け合いたいという打診なのだが、亜人達はまだ信用していないのだろう。


 利用されるだけ利用されて、裏切られるのを警戒しているらしい。


 これは今後の課題として覚えておくこととする。


 ガブリエーレの報告だと、今回はダークエルフ族に加え、彼女らと同じ森の住人で友好的なノーム族が参戦してくれるとのことだった。


 前世で触れた物語などではノームは妖精として描かれることが多かった。


 ただ、『フェーゲフォイア・クロニーケン』は他にもゴブリンやコボルトなど、本来は異形として描かれていた種族が、人間寄りの外見や習性に調整されて登場する。


 亜人種としてのネタが少ないので、他のゲームなどでは異形の存在として描かれるようなキャラクターも人間に寄せているのだ。


 ノームは、あまり好戦的なキャラではなく、ゲームでも商人や職人として登場してきた種族なので、今回も直接的な戦力としては計算しない方がいい。


 ただ、彼らに後方支援を任せることができれば、相対的に前線に出せる頭数が増えるということでもあるので、ありがたいことに変わりはなかった。


 可能な限り前線に出せる戦力をかき集めたところに、カールが増殖させてくれた《ソーマ》を投入する。


 ゲームをプレイしていた際には、こんなバグを使って《ソーマ》じゃぶじゃぶで強化し倒したユニットと戦わせるなど、もはや敵の方が可哀想になる、と言われたほどの極悪・最凶バグ技である。


 だからこそ、これならばいけるかもしれない、というのが遥人の目算だった。


(いや、むしろやり過ぎてしまうかもしれないな……)


 くくく、ともう、悪役そのままといっていい笑いがこみ上げてくるのを自覚する。


 案外「悪の皇帝」の役回りに染まってきたのではないかという気がしないでもなかった。


(遠慮はいらない)


 そう、本来帝国は「悪役」だ。


 だったら徹底的にやらせてもらってもいいはずなのだ。


(そもそも、向こうが問答無用で汚い勝負をしかけてきたんだから、遠慮してやる必要なんてない)


 それでも、一つだけ遥人は全軍に徹底させようと思っていた。


「民間人には手を出さない。あと、リジットからの帰還時に見たものは絶対に漏らさないように」


 実際に見たのはスキルを使った遥人だけだが、状況を説明するためにカールやアリーセ、ガブリエーレやゲオルギーネには話してしまったので、改めて口止めをする。


 もし旧リグラルト王国民が帝国出身の移住者を密告していたなどという話が広まってしまえば、凄惨な報復が生じてしまう。


 それだけは防ごうと思っていた。


               ◆◆◆


 皇帝の執務室にこもったまま、気がつけば深夜と言える時間帯になっていた。


「ん~。とりあえずこんなところか」


 遥人は凝り固まった体を伸ばしながら椅子から立ち上がる。


 基本的には手元に届けられた書類を確認して、裁可する、あるいは指示を出すといったデスクワークであるため遥人はオストヴァルト達が驚くほど忍耐強くそれらをこなしていった。


 前世でブラック企業に勤めていたおかげ、というのは悲しすぎるが、まあそんなところである。


 戦の準備はほぼ終了した。


 帝国軍は配置につき、明日いよいよ全軍が動き出すことになるだろう。


「さて、俺もそろそろ休むかな……」


 執務室は城の奥まった場所にあるために平素から静かだが、深夜ともなるとさらに城全体が静まり返っているように思えた。


 もちろん警備のための衛兵や、夜番のメイドなどは働いているのだが、全体的にはこの広大な城全体が息を潜めているように感じられたのだ。


 執務中は感じなかったが、広々としているだけに、どこか薄ら寒いものを覚え足早に自室に引き返そうとする。


 ――ギィ。


 と、執務室の扉がタイミングよく開かれ思わず飛び退きそうになってしまった遥人だが、


「ああ、なんだアリーセか……」


 現れた少女の顔を見て息をつく。


「な、なんだとはなんですか!?」


 遥人の言葉は予想外だったのか、アリーセは憤慨して頬を膨らませる。


「いや、だってノックもせずに入ってくるから、誰かと思うじゃないか」


 若干腰が引けていたことは知られないために思わずそういうと、アリーセは確かに、と自分にも非があることを珍しく認めた。


「こんな時間まで、仕事をしているのかと思って……」


「ん? ひょっとして、心配してくれたのか?」


「そ、そんなこと、あるわけないじゃない!」


 残念ながら、遥人の言葉をアリーセは真っ赤になって否定する。


(半分冗談なんだから、そこまで必死に否定しなくてもいいと思うんだけどなぁ……)


 声に出すとまた怒られそうなので、胸の中だけでぼやいておく。


「じゃあ、こんな遅くに何でこんな場所に?」


 アリーセの部屋がある場所は階も違うので、たとえばお手洗いの帰りに通りかかるような場所ではない。


 不思議に思って尋ねると、アリーセは途端に「あ、うぅ」と言葉に詰まっていた。


「も、文句があってきました!」


「文句?」


「そ、そうよ! あの……そう! ダークエルフの姉妹のことです!」


 わざわざ文句を言いにきたのに、どうして思い出したかのように「そう!」と切り出すのかがわからなかったが、とりあえず黙っておく。


「エーレとギーネがどうかした? もしかして喧嘩したとか?」


 そういう報告は受けていなかったが、アリーセもそこまで社交的には見えないので、もしかするとと思ったのだ。


 しかし幸いアリーセは首を横に振る。


「そうではなくて、ダークエルフ達が帝国軍の中に割って入ってきていることについてです!」


「ああ、その話か……」


 この時点で、帝国軍には伝統的に人間の兵士しか登用されていない。


 帝国は亜人に対する偏見は少ないが、それでもアリーセの目からすれば異様な光景に映ったのかもしれない。


「あのガブリエーレという弓使いは自分の部下を率いて弓兵部隊を掌握してしまったし……」


 最初は、やはり帝国正規兵というプライドがあって両部隊の合流はスムーズにはいかなかったそうだ。


 しかし、遥人達が目にした通り、鍛え抜かれたダークエルフの弓兵部隊は能力でも練度でも帝国軍の弓兵を凌駕していた。


 加えて、あの通りさっぱりとした性格をしているエーレは物怖じもしなかったため、瞬く間に帝国軍の弓兵部隊の尊敬を勝ち取ってしまったのである。


 若くして族長を継いだ、というのも伊達ではないのかもしれない。


「あと、あの乳――いえ、ゲオルギーネという女が何をしたか、聞いていますか!?」


「え? ギーネ? 別に問題を起こしたとは聞いていなかったけれど……」


 ギーネの方は、エーレよりももっと難しい立場に置かれていたはずだ。


 というのも、ダークエルフで回復魔法の使い手は数が少ないらしい。


 エーレのように部隊を率いて合流したわけではなく、ギーネ単身で帝国軍の神官兵団に合流した。


 普通に考えれ肩身が狭い思いをしていると想像するところなのだが、合流してひと月あまりで、驚いたことにギーネは神官兵団を掌握し切ってしまっていた。


 実は、遥人もどんな手法を使ったのか、知らなかったのである。


「あの女性、警戒している神官達の中に入っていっても平然として、あのやたらと母性的な雰囲気で瞬く間に神官達を骨抜きにしてしまったのです!」


 あぁ、それなら考えられる、と遥人は妙に納得させられてしまった。


「帝国の伝統も聞いているけれど、でも、まずは同盟軍をどうにかしないといけないし、だから悪いけれど少しの間は我慢していてもらえないかな?」


 遥人が言うと、アリーセは口の中で「そういうことじゃなくて……」とこぼす。なにか的外れなことを言ってしまったかと心配したのだが、


「あ、あと! それと、あの邪教の巫女! あの人は逆に、ろくに挨拶もせずに立ち去ってしまいましたよ! 本当に、なんて礼儀を弁えていない人なんでしょう!」


 聞き返す隙もなく、アリーセはまるで違う話題に方向転換する。


 確かにあの晩餐の場で「戻りますね」と宣言しただけで、いつのまにか姿を消していたので礼儀知らずと言えばそう言える。


 確かにクリームヒルトも何を考えているかイマイチわからない。


 だが、アリーセが苛立つのとは違い、遥人は彼女の根本を「アホの人」だと思っているので細かい行動原理を理解しようとしても損をするだけだと半ば諦めているのでストレスはなかった。


 というより、あの色仕掛け(と、アリーセからの叱責)から解放されただけでかなり安心しているので文句はない。


 それよりも、クリームヒルトが教団本部に戻っていったのは、遥人達が偽りの和平会談に出かけるかどうかという時期だったのでかなり前だ。


 さすがに今更感がある。どの苦情も、こんな時間に執務室まで押しかけてくる用向きとも思えなかった。


「で、本当の用事は?」


 見せかけとはいえ、さすがにこれだけ兄妹役を続けていれば少しぐらいはわかることもある。


 アリーセは、自分が繰り返した言葉が空回りしていると悟って、少しだけ考え込んだ後、ひと言だけを口にした。


「め、命令です。生きて、生きて帰ってきなさい!」


 それだけを言うと、遥人が返事をする暇すら与えず、弾かれたように走り出して執務室を飛び出してしまった。


「了解ですよ、王女様」


 遥人は追いかけることもなく、微笑を浮かべて見送っただけだった。


 そして、決戦の日はやってくる。

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