第20話 カール、中間管理職の悲哀を味わう



 帝都ザムニスに帰還した後、カールにはあらゆる方面に渡る膨大な雑務が押し寄せた。


 本来であれば皇帝である遥人に張りついていなければならない近衛兵長という立場ではあったが、同盟軍が侵略を開始したことで思った以上に城内は混乱している。


 動ける者は、年老いて一度退官した騎士に至るまで総動員されていたのだ。


 カールは、部下や関係各所を束ね、ハルトの指示で前線付近の街や村に住んでいる市民を疎開させるように計らっていた。


 あの惨劇を見たハルトなら当然の指示であるが、この混乱している時期に皇帝の周辺が手薄になるのは好ましいとは思えなかった。


 他にも、補給の手配や戦力再配置の伝達など、慣れない仕事が山のようにのしかかってきた。



 ――偽りの和平会談から、もう一ヶ月が過ぎ去っている。



 同盟軍の刃はまだ帝都ザムニスには届いていない。


 国に残っていたテオバルト将軍が素早く軍を展開し、防衛線を引いてくれたおかげである。


 それでもじりじりと前線は押し下げられ、帝都ザムニスの目の前に迫りつつあった。


 物見からは、同盟軍の軍勢は一〇万に登るという報告が届いている。


 帝国が「反乱軍」を相手にするつもりで整えていた以上、比べものにならないほどの戦力に膨れあがった「同盟軍」は、もはや数だけで帝国を押しつぶせるほどの力である。


 だから、常識で考えればもう帝国に勝利の目はない。


 カールの立場では間違ってもそんなことは言えないが、それが現実だった。


「そんな状況だというのに……」


 カールは今、馬車に揺られ、帝都からは遠く離れた僻地へと向かっていた。


 帝国領内ではあるが、戦場とはまるで反対の方向にある森林地帯である。


 澄んだ水を湛える小さな泉があって、地元の人間からは精霊が住むとか言われている静かな場所だ。


 だが、この緊急事態に、近衛兵長である自分がどうしてこんな鄙びた場所に差し向けられるのか、そしてハルトから出された指示も、まるで意味がわからないものだった。


 たとえば、最前線に貴重な物資を運ぶというのであればまだわかる。


 馬車に乗せているのは葡萄酒を熟成させるのに使うような大きな樽である。


 だがその中身は、酒ではなく、水。


 これから泉に向かうというのに普通の水。それも、城内の井戸で汲んだ正真正銘、ただの真水である。


 ハルトの指示は、一〇台の馬車を使って、それぞれ荷台に水を入れただけの大樽を満載して、泉まで行く。


 行って、一周一〇分ほどの小さな泉を三周して、そのまま戻ってくるというものだ。


 せっかく運んだというのに、荷は降ろさない。


 受け渡さない。


 一切、手をつけない。


 中身を見てもいけないという厳命付きである。


(俺は、何をやっているのだ、この非常時に……)


 自分に指示を出す皇帝が、中身が異世界からやって来た、戦に関してはずぶの素人だとわかっているカールならば文句の一つも言いたくなるのは当然だった。


 模擬戦やリジットからの逃亡で見せた、戦場を見抜く恐ろしいほどの洞察力をただの偶然で片づけているわけではない。


 ハルトは、単なるお飾りではなく、カールでは思いも及ばぬほどの凄まじい力を有し、何らかの意図を持って亡き皇帝がこの世界に呼び寄せた人材である。


 それは疑っていない。


 疑ってはいないのだが、口を開くと「わけがわからん!」と絶叫してしまいそうになる。


 仕方ないのでカールは、己の自制心をすべて導入して、余計なことを考えないように命令に没頭して働き続けていた。


 見れば、同行している他の兵士達は、一様に自分がなにをやっているのか理解できないまま行動している、モヤモヤした表情をしていた。


 おそらく自分も同じような表情になっているのではないかと、部隊長としての自覚で辛うじて表情を取り繕う。


 リジットから帰還する際に、ハルトは同盟軍の凶行に対して怒りを露わにし、それを叩きのめすと宣言した。


 常識的な軍人なら少しでもいい条件で和議を結ぶことを考えるだろうが、それだと「叩きのめす」という発言に相応しくない。


 その上で、この謎の指示である。


「やっぱり、さっぱりわからん!」


 とうとう声に出して叫んで頭をかきむしる。


 隣の兵士が「無理もない」という同情的な視線を寄越す。


 本来、上級士官として皇帝の指示に疑いを持っていると思われかねないような言動は厳禁だが、今は見なかったことにしてくれている部下に甘えることにした。


               ◆◆◆


 ザムニスに帰還した遥人には、多くの仕事が待ち構えていた。


 そのほとんどが机に座って書類に署名をするだけの単調な役割だが、同時に国内外の状況を耳に入れることも求められていた。


 本来、こうした国家元首の仕事など専門外もいいところなのだが、そこはディートリッヒの身につけた知識を参考にしながら多少手際は悪いなりにこなしていた。


 そして今の遥人は、唯々諾々と、求められるまま流されるだけの過ごし方はしていない。


 皇帝としての仕事をこなす一方で、遥人の考えに基づくいくつかの指示を下していた。


 それらは順調に進み、同盟軍に反撃に出る準備が着々と整いつつあったのだ。


 ただ、帝国はすべての戦力をかき集めても五万人に届くかどうかというところ。


 しかもこの戦力は各地に散らばっているので、一つの戦場に集結させることも難しい。


 対する同盟軍の戦力は、複数の国が参加しているために絶望的な数に膨れあがっていた。


 報告では、いよいよこの帝都に近づきつつあるとのことだ。


 帝国軍の全力を集めるだけの時間もなければ、そもそも帝都だけを守って他を無防備にすることもできない。


 最終的に一〇万対、せいぜいが二万強という戦力で戦わなければならなくなる公算が高い。


 将兵から末端の兵卒に至るまで全員が四倍近い戦果を挙げなければ敗北してしまうのだ。


 おまけに、五倍近い戦果を挙げたとしても、それで力尽きていれば戦争が終わったときにはザントゼーレ帝国軍は壊滅しているということになる。


 同盟軍には参加していないが、この状況を見守り虎視眈々とつけいる隙を狙っている勢力もあるだろう。


 ならば帝国軍は、そのまま引き続き他国への牽制ができるぐらいの戦力を残した上で戦争を終結させなければならないのだ。


 普通に考えれば正気の沙汰ではない。


 考えれば。


「陛下! 陛下っ! 陛下~~~~~ぁぁぁっ!」


 いつもは何事にも涼しい顔を崩さないカールが、血相を変えて皇帝の執務室に飛び込んできた。


 どうにか「陛下」と呼ぶだけの自制心は保ってくれていたことには安堵する。


 そして、カールが何故そこまで殺気立って突撃してきたか、その理由もちゃんと理解しているので遥人自身は少しも慌てることはなかった。


「カールか。うむ、御苦労であった」


 などと芝居がかった言葉で出迎え、乱暴な入室を咎めることもしない。


 遥人に書類を持ってきていた文官は、あまりのカールの取り乱し様に抱えていた書類を取り落としてしまっていた。


「はぁはぁはぁ。へ、へ、陛下! あれは、アレはどういうことなのでありますか!?」


 興奮のあまり、カールの目が血走っている。見る者によっては彼が謀反を起こしたと誤解されかねない迫力だ。


 よくここまでの間に取り押さえられなかったなと妙な関心をしながら、さすがに少しばかり申し訳ない気持ちになっていた。


「其方の取り乱し方を見ると、どうやら成功したようだな」


「せ、成功? 成功ということは、やっぱりあんなことになると知っていたのですか!?」


 入室するや否や、遥人の執務机に手を突き身を乗り出すようにして詰め寄ってくる。


 このままだと率直な話し合いもできないので、遥人は青くなって事の成り行きを見守っていた文官に下がるように指示してやった。


 近衛兵長と皇帝の口論(誤解だが)など、下手をすれば息をするのも忘れて失神してしまうかもしれないと心配したからだ。


「まぁまぁ、落ち着いてよ」


 余計な人間がいなくなると遥人の口調が砕けたものになる。それはカールも同じだった。


「これが落ち着いていられるか! ハルト殿、何が起こったのだ! 城を出るときには確かにただの水でしかなかったはずなのだ!」


 興奮冷めやらぬカールに、遥人は近くの水差しからコップに水を汲んで差し出した。


 ゲームであった『フェーゲフォイア・クロニーケン』には飲料水や糧食の概念があった。


 それほど神経質に管理しなくとも大丈夫な緩い設定ではあったが、「水」というアイテムも存在する。


「この水だ、この、ただの水が、なんであんな物に変わるんです!」


 理解不能が極まって、もはや悲鳴じみた声で原因を聞いてくる。


 さすがにこれ以上焦らすのは可哀想なので、遥人は大人しく解説してやることにした。


「ただの水が、《ソーマ》に変わったって言うんだろ?」


 遥人が差し出した水をひと息で飲み干したカールは、コクコクコクと、無言のまま盛んに頷いている。


 SRPGは基本的には敵と戦いレベルを上げて味方を強化していく流れをたどる。


 その上で、レベルアップでの上昇とは別に、使用することでパラメータを直接増加させる通称「ドーピングアイテム」と呼ばれるものが設定されている。


 これによって、お気に入りのキャラクターを贔屓して強くしたり、SRPGが苦手なプレイヤーが後半の難しいマップをクリアできるように取りはからうシステムだ。


 普通は、マップクリアや宝箱で時折手に入る程度、あるいは目ざといプレイヤーが普段は隠されている秘密の店を見つけたりすると、そこで三個とか五個とか、数量限定で販売されていたりもする。


『フェーゲフォイア・クロニーケン』でのドーピングアイテムの名前が《ソーマ》なのだ。


 一つで全能力が上昇するわけではなく、力や速さや魔力といった各パラメータごとに、それに対応した《ソーマ》が存在する。


 一回のプレイではソーマが一〇個ずつ手に入るか入らないかという、ものすごく希少なアイテムである。


 適量であれば難易度調整に最適でも、使いすぎればたちまちゲームバランスが崩壊してしまうからこそ、数が絞られているのだ。


 ――で、『フェーゲフォイア・クロニーケン』では、基本的には何でもいいのだが、安価で手に入るアイテムを各キャラのアイテム所有枠限界まで保有した上で、


 ある場所に赴き、


 ある行動を取ると、


 アイテムがまったく別物に変化した上に「無限増殖する」という「バグ」が存在していた。


 つまり、それである。


 カールハインツには飲めば各種のパラメーターが上昇する超レアアイテムである《ソーマ》各種を無限増殖してもらっていたのだ。


 どうやら自分がなにをさせられているかわからず悶々としていたようだが、同盟軍打倒のためのとんでもなく重要な役回りを任せていたわけである。


(カール、現実は時として嘘よりも嘘っぽいんだよ)


 まだ納得できない様子だが――まぁ、「バグだ」などという説明ができるわけもなく、説明したとしても理解できるはずもない。


 多少可哀想な気がしないでもないが、遥人は目の前で混乱の極みにあるカールの様子には気づかないフリをして、現実を丸呑みしてもらうのだった。


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