第18話 溢れゆく悪意
和平会談は、皮肉にも主体と客体を入れ替えつつ、やはり暗殺の舞台となった。
その場は切り抜けたものの、会場を飛び出した途端、トバイアス側は本性を露わにした。
リジットの街にはいつの間にか同盟軍の兵達が溢れかえっており、街中では帝国に対して本格的な侵攻を開始したとの宣言が高らかになされていたのだ。
遥人は《プレイヤの加護》で街中の敵を避けつつアリーセとの合流を果たし自分達の馬車に乗り込みはしたが、その時点で既に敵の包囲網は完成してしまっていた。
どうにかリジットの街を脱出する頃には、遥人とアリーセ、カールに加え、護衛の兵士が二人しか残っていない状態にまで追い詰められていたのである。
それ以後も、逃避行は想像を絶する過酷な道のりとなった。
もっとも避けなければならない戦闘には、幸いにして遭遇していなかった。
遥人が常に《プレイヤの加護》を発動させ、周囲を見張っていたからである。
どういう基準で切り替わっているかはわからないが、逃げている間も「戦場」として扱われているらしく、上空からの俯瞰視点は発動した。
おかげで敵の部隊との遭遇は避けられたのだが、一つだけ避けられないものがあった。
「くっ!」
馬車に揺られながら俯瞰視点で周囲を警戒していた遥人は、目を押さえて蹲る。
「ハルト殿っ!?」
カールが心配して声をかけてくるが、スキルを使用することでダメージを受けたわけではない。
これほど便利な能力であるにも関わらず《プレイヤの加護》には何のデメリットもなかった。
ゲームを遊ぶためのUIでしかなく、プレイヤーが何らかの代償を払う必要がなかったためだろう。
デメリットはなかったが、目を覆いたくなるようなものをスキルの力によって見てしまったのである。
それは近隣にある、集落だった。
同盟軍は、会談で暗殺を企てるのと同時に進軍を開始していた。
リジットの街を脱出した直後から遥人は、俯瞰視点で分散して行動を開始する同盟軍の動きも見ていた。
分散していたのは複数のルートを使って帝国領へと進行するためだろう。
元は別の国だったために、旧王国領から帝国領へと向かう大きな街道は少ないのだ。
最初にそれを見たのはリジットからほど近い、本来の帝国領に入るにはまだしばらくかかる場所にある集落だった。
行きの道中で見た通り、旧王国の町や村には多くの帝国民が移住していた。
同盟軍の兵達は、そうした移住者をあぶり出し広場に整列させると、抵抗できない相手でも容赦なく惨殺しはじめたのだ。
大人の男だけではなく、女子供や年寄りにいたるまでもが殺されていく。
見守る住人達の顔は様々だ。
罪悪感に顔をしかめる者はもちろん、元から移住者を快く思っていなかったのだろう者もさすがに目の前で人が殺されるとなると平静ではいられない。
ただ、それが人間の順応力だとでもいうのか、徐々に、徐々に、人々の顔や言動が「帝国人なら何をされても仕方ない」という色を帯びていく。
敵対することが当然であるかのような空気が醸成されていく様子は、とてもではないが正視に耐えなかった。
そうした惨劇が、いくつもの村や街で繰り広げられている。
一人でも二人でも助けたかった。
遥人は〈ダンケルハイトの鎧〉に守られており普通の方法では傷を負わない。だから無理矢理突っ込んでいきたかった。
しかし同盟軍は遥人達より先行しており、大半は無残な痕跡を見ることしかできない。
たまに命がつながっている場面を見つけられたとしても、遥人が見ているのは上空からの視点――距離は遠く、見つけた瞬間から全力で駆けつけたとしても既に手遅れなのだ。
見知らぬ人の亡骸を置き去りにして進む。
――あるいは、貧しい村だからろくにもてなせないと言いながらも、秘蔵のワインを出してくれた村長や、
沢の水でよく冷えた果実を持ってきてくれた小さな女の子も、
リジットへの道中で小休止した際に出会った人達の亡骸もまた、弔うことすらできずに突き進むことしかできなかった。
「何が起こっているのです?」
スキルについては誰にも詳細を伝えていないが、これまでの流れや会話から、アリーセは遥人が何らかの方法でかなり広範囲を索敵していることぐらいは察しているらしい。
「アリーセは、知らない方が、いい」
うなだれながら辛うじてそれだけ答える。
今も、遠く離れた村を同盟軍の兵士達が占拠して凶行に及ぼうとしていた。
遥人達は目立たないように森の中の曲がりくねった道を進んでいたので、このまま駆けつけようとしても半日はかかるだろう。
それでも、どうにか手立てはないかと必死で頭を巡らせる。
集中力も限界に達していたため、スキルが解除されてしまう。構うことなく、遥人は誰か一人でも助ける方法はないか、考え続けた。
だがその一瞬の隙で、
「敵兵だっ!」
これまで細いロープの上を歩くように敵を回避してきた逃避行があっさりと破綻したのである。
「しまった!? くそ、俺が目を離したから――」
遥人が顔を上げる。
「いや、いまだにどうやっていたのかはわかりませんが、ハルト殿がいなければここまでだって逃げてこられなかった。頼り切りになっていたことの方がおかしいんですよ!」
言いながらカールは愛用の剣の柄に手をかける。
遥人もそれに倣って立ち上がった。
「アリーセは絶対に馬車から出るな!」
気丈な彼女もさすがに青い顔をしていたが、それでも頷き返すのを確認する。
そして遥人はカールと同時に馬車から飛び出した。
カールと御者台に座っている二人と力を合わせれば、どうにかここを切り抜けることもできるはず。
――そう思って飛び出した遥人の目に、御者台に乗っていた二人の兵士は首に深々と矢を突き立てられ、背もたれに縫い付けられた姿が飛び込んできた。
おそらく、敵襲を告げた直後にやられてしまったのだろう。
慌てて周囲に視線を走らせる。
ここまで接近されてしまえば俯瞰視点を使うのはかえって危険だからだ。
敵は、相手が遥人とカールの二人しか残っていないと悟ると、左右に広がる林の中から悠然と姿を現した。
これまでに見た騎士や兵士はきっちりとした軍服に身を包んでいた。
複数の国が参加している同盟軍なので様々な装備が見られるが、いずれもそれとわかる服装や鎧や武器を携えていた。
だが現れた男達は違う。
音を立てるような金属製の防具は一切身につけず、薄汚れてまだらになった粗末な服に落ち葉やツタを巻きつけている。
むろんそれらはわざとそうしているのだろう。
現代的な表現をするならば迷彩服代わりといったところか。ご丁寧にも、黒い布で作った覆面で素顔も見えなくしている。
黒い染料を塗りたくった大振りのナイフを音もなく抜き放つ彼らは、ゲーム時代に存在した兵種からすればレンジャーかアサシンのどちらかだと思われる。
どちらも、移動コストが高くなる森の中を自由に歩き回れ、弓やナイフといった威力は低くとも状態異常などを引き起こす武器を装備する兵種だ。
同数の歩兵と正面から戦えば負けるが、場所や立ち回りが噛み合えば倍の数の敵でも圧倒する、そんなクセのある兵種である。
「お前達も同盟軍の兵士か!?」
カールが誰何するが、敵兵はこれに応じようとせず、
「皇帝は捕らえろ。あとは殺せ」
「亜人などという、薄汚い種族と共に栄える国など、あってはならんのだ!」
口々に敵意を吐き出してそれに応えた。
「亜人? エルフやドワーフ達がどうしたっていうんだ!?」
遥人が思わず問いただすと、リーダーらしき男が覆面の下で笑った。
「純粋な人間だけでいいんだ! 俺達が作った街や国に寄生して生きることしかできない奴らなど、滅ぼすのが正義だ! それを、一緒に暮らすなどと、おぞましいお前ら帝国にも滅びてもらう! よくもあんな異形の者共と暮らせるもんだ」
純血主義というやつだろう。
確かにリグラルト王国は亜人がほとんど暮らしていない。しかし作中ではここまで極端な差別主義者は登場していなかったはずだ。
「それは、オーレリア王女も同じ考えだというのか?」
無視するかとも思ったが、男は鼻で笑う。
「王女の周りは、オツムが花畑で出来たような人間ばかりだからな。だが確実に、同盟軍には俺達と同じ考えの人間が参加している!」
自らの正統性を強調するためなのか、他にも、の部分に力を入れて男は宣言した。
「なんでだよ……」
誰にも聞こえないような小さな呟きが、遥人の口からこぼれた。
解放軍は正義ではなかったのか。
遥人は何十回もこの戦争を戦った。
それこそ端から端まで親しんで、骨の髄まで惚れ込んでいた世界だったのに、それを踏みにじられた気持ちだった。
ワケがわからないまま異世界に転生してしまい、このままでは死んでしまうとあって、必死で生き延びる方法を考えた。
自分が大好きな世界だと思ったから、がんばれたのだ。
解放軍の情報は全て握っているようなもので、その気になればゲームとは逆に解放軍を蹴散らすことぐらいできそうだったが、それでもどうにか少しでも平穏な手段で解決できないかと考えて和平会談にかけていた。
むしろ、解放軍を倒してしまわないための提案でもあり、平和を、正しいことを望んでいたのである。
その結末が、これだ。
差し伸べた手は、はたかれるどころではなく、それを隙とつけ込んで襲いかかってきた。
遥人は無事だとしても、兵達が、何より罪もない一般の帝国民達が数え切れないほど死んでしまった。
急に皇帝になれと言われたり、暗黒皇帝になって悪逆非道の限りを尽くせと請われたり、オーガに似ているから何でもできると無茶振りされたり、わけがわからなさすぎて翻弄されっぱなしだった。
そんな中、リジットに向かう途中で出会った子どもの無邪気な笑顔は本心からのものだと感じたし、他にも打算なく遥人を歓迎してくれる人達がたくさんいた。
戸惑いながらも、この世界での生活を、遥人はいつの間にか楽しいと感じていたのだ。
「なんで、主義が違うってだけで、戦う力のない人達を笑いながら殺せるんだよ?」
遥人の問いに、目の前の敵兵達は戸惑ったように、互いの顔を見合わせる。
「亜人と一緒に生きている帝国が目障り? 自分達は圧倒的な力を得て帝国を倒せるようになった? だからなんだ? だから何をやっても、抵抗する力もない人達を虐殺しても正しいって思っているのかよ!?」
遥人は脳天に火花が散るような激情で言葉を叩きつける。
それでも相手の気持ちには届かなかったらしく、馬鹿にしたように失笑していた。
「そうかよ……。だったら、だったら逆に! 圧倒的な力を持った誰かに叩き潰されても文句なんて言わせないからなっ!」
何としてでもここを切り抜けてやると、遥人は固く決意した。
フレーバーテキストを読んで他人の内心を盗み見るような真似に罪悪感を覚えたり、追い詰められるまで俯瞰視点を使わなかったり、借り物の力を使うような遠慮があった。
それでも自分の力なのだ。
最初から遠慮せずに全力で使っていれば、こんな事態に陥ることはなかったのかもしれない。
だがそれでもまだ巻き返すことは可能だ。
遥人には何十周もゲームをクリアした経験と、どちらか一方の陣営にだけいては知り得ないような知識と、そして《プレイヤの加護》も自分のモノとして使う決意がある。
「ここからは、そっちの流儀でやってやるよ! 徹底的にな!」
遥人は自分の意思でこの世界に関わる決意をようやく固めた。
そして、
「一斉射撃! 撃ぇっ!」
頭上から声と共に無数の矢が敵に向かって降り注ぐ。
「ぎゃあああっ!」
雨あられと降り注ぐ矢に貫かれ、遥人を包囲していた敵兵が一瞬で蹴散らされる。
悲鳴と血しぶきであたりが満たされると同時に、木の上に、あるいは森の奥から次々と何者かの気配が現れ近づいてくるのを感じた。
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