第17話 戦火、熾る



 戦争を止め、ザントゼーレ帝国崩壊を防ぐ。


 言葉にするととてつもなく難易度が高いミッションに見えるが、遥人の持つ解放軍の情報と、ディートリッヒが身につけたこの世界での振る舞い方があれば大丈夫。


 ――そう確信して挑んだ和平会談は、開幕と同時に波乱の様相を見せた。


「これが、我々解放軍側が貴国に求める講和の条件である」


 双方が席に着くや否や、挨拶もそこそこに切り出されたのがそんな言葉だった。


 出席者は、帝国側は遥人と護衛隊をまとめるカール、それと実務面の交渉をするための文官が四人の計六名だ。


 他に六名の護衛がいるが、彼らは会談に参加することはなく壁際に立っているのでカウントしない。


 アリーセは、公式には何の役職にも就いていないので護衛の兵と共に宿に残ってもらっている。


 対する解放軍側も人数は同じだ。しかし、顔ぶれがおかしい。


 少なくとも遥人がプレイしていたゲームでの顔ぶれと全員違うのだ。


 特に遥人の対面の席に座っている人物――つまりは会談で解放軍側の主となる人物だが、それはオーレリア王女ではなかった。


 五〇歳ぐらいに見える壮年の男性だ。


 細身で知性的だが、やや神経質そうな雰囲気が鼻につく。


 特に口元に蓄えた鯰髭を盛んに弄びながらニヤニヤと笑っている顔の印象は最悪である。


 人相だけで人をどうこういうのはよくないと身に染みてわかっている遥人だったが、視線に込められている、粘っこい陰湿な光は本人の資質によるものだろう。


 オーレリア王女はというと、事前に取り決めた列席者の名簿には名前があったのに姿を見せていない。


 そのことについて、解放軍側からは何の説明もなかった。


 その上、先程の唐突な発言である。


「なん、だこれは――!?」


 同席していた文官が、本来許可なく口を開くことは許されないにもかかわらず、思わずといった様子で声を上げてしまっていた。


 原因は、彼が手にした一枚の書類にあった。


 ここに講和の条件とやらが書き連ねてあったのだが、内容は以下のものだった。



・帝国民は一切の権利を主張しないこと。

・奴隷として扱われることに対して異論を唱えないこと。

・特に、亜人種については家畜と同等として扱うこと。

・国内の資源について、無条件で提供すること。

・戦争の原因がすべて帝国にあったと認めること。

・戦争で生じた被害についてすべてを賠償すること。

・自治権は有するが、リグラルト王国の命令に反しない範囲に限ると同意すること。



 ディートリッヒの知識に頼るまでもなく、これは平等な和平のための条件などではない。


 帝国が、全面的に解放軍に降伏し、名目だけの自治権を遺して全てを再興したリグラルト王国に吸い上げられるという内容の条件だ。


「これは、どういうことだろうか?」


 遥人は抑えた声で彼らの真意を問いただす。


「いえいえ、お忙しい皇帝陛下の手間を省いて差し上げようという親切心ですよ」


 鯰髭を蓄えた男は自慢らしいそれを弄びながら、優越感に満ちた視線で悠然とこちらを見ていた。


「見解の相違だな。このような一方的な要求では、とても丸呑みすることなどできぬ。戦争を長続きさせたいとでも言うのか?」


 あまりに下手に出すぎては一方的な条件を押しつけられてしまうため、遥人は声に不機嫌さを乗せて異論を唱えた。


 対して、男はいかにも芝居がかった仕草で「ん~」と額に手を当てる。


「困りました。これでも最大の譲歩をしているつもりなのですが……」


「譲歩?」


 信じられないという表情でカールが声を漏らす。


 遥人の感想も同じである。


 これを呑めば、ザントゼーレ帝国民は未来永劫、奴隷として扱われることになる。


「譲歩しているようには見えんな。どのあたりが譲歩なのか、説明してみるがいい」


「ご所望とあらば。……貴国――ザントゼーレ帝国が大陸地図から消滅するような事態は避けられる、という素晴らしい譲歩を我が方はして差し上げたのですよ」


 男は自分の言葉に酔ってすらいるように見えた。


 まるで安っぽい俳優か何かだ。


「何しろ我が国は、前国王が暗殺されたという事実がございます。数年とはいえ国土を蹂躙されたという恨みもありましょう。そこを考えれば貴国を完全に滅ぼしてしまえという声も少なくない。過激な意見を持つ派閥を抑えるのは、それはそれで大変なのですよ」


 いかにも恩着せがましい物言いだが、遥人は冷静に応じる。


「我が父と、貴国の先代国王との経緯では、表に出ていない事情も存在する。そのあたり、貴殿ほどの立場にあれば理解していよう? 確かに多少は盛り返されたようだが、まだ我が帝国軍の力は健在。ならばいたずらに戦争を長引かせれば双方に甚大な被害が出る。それを避けるための会談のはずだが? そもそも、そちらの盟主であるオーレリア王女は何故この場におられぬのだ?」


 既に、有名人に会いたいなどという浮かれた願望は消えている。


 この異常さを説明するためにはオーレリアの存在が必要不可欠だと思えたのだ。


 しかし、男は遥人の意見を笑い飛ばす。


「ふふん、そちらこそ、思い違いをされているようで」


「思い違い、とは?」


「もはや、暗殺事件の真相など、どちらでもいいのですよ。もっと単純にお考え下さい。貴国は、下種な亜人の混じる薄汚い国。そもそも手を取り合う必要などないのですよ。軍事力で圧倒できるなら」


 圧倒できないからこんなことになっているのだろう。


 しかし、そんな遥人の疑問には、侯爵の隣に座っていた商人風の男が答えた。


「もう、帝国の軍事力に恐れをなす必要はなくなったのだよ」


 確かに、解放軍の力――中でもオーレリア王女の手腕を甘く見過ぎ、帝国は幾人かの有能な将兵を失った。


 一方で解放軍は多くの協力者を得て勢力を伸ばしている。


 しかし総合力ではまだ、まともに戦えば圧倒的に帝国側の方が有利な状況だ。


 遥人が危機感を覚えているのは、ゲーム通りにこの世界の歴史が動くと、いくつかの奇跡と帝国自身の慢心が原因で敗北する、という「未来」を知っているからだ。


 この世界に生きている、一個人の視点には、帝国はまだまだとてつもなく強大な敵として映っていなければおかしい。


「お疑いですか?」


 揺るぎない自信を持つ商人風の男の言葉を不審に感じた遥人は、ここで初めて、《プレイヤの加護》を使ってこの場にいる人間のステータスを覗き見た。


「……お前は、セイクリッド聖国の人間!?」


 それは、リグラルト王国とはまた別の国の名前だった。


 遥人は驚いて思わず声を漏らしてしまうが、聞かされた相手はそれ以上の驚きを持って、思わず椅子を蹴って立ち上がってしまった。


「な、何故それをっ!」


 遥人は別の顔ぶれのステータスも覗き見る。


「そっちはキャナダイン、こっちは――」


 次々と国の名前を口に出し、その度に解放軍側の出席者の表情が凍りつく。


 ザントゼーレ帝国は、帝国と名乗るからには各地に多くの領地を持つ。


 遥人が口走ったのは、各地で帝国と利害が対立している国々の名前である。


 そしてそれらの国名を、遥人はディートリッヒの知識ではなく『フェーゲフォイア・クロニーケン』内のイベントで聞いたことがあった。


 ゲームの序盤、まだ規模の小さい解放軍に援助の手が差し伸べられる。


 だがそれは厄介な条件付きの代物で、王国復興が成った暁には感謝の印として多額の金銭を払わなければならないというものだった。


 その上、帝国の処遇についても注文がつけられており、帝国は完全に解体し、資源の無条件提供、一般国民は無条件で奴隷として差し出すこと――というとんでもない要求だったのだ。


 金銭はともかく、帝国に関する非道な条件に納得できない主人公が毅然とはね除ける。正義のために戦い抜く気持ちを再確認する、というイベントだった。


 このイベントで特徴的なのは、途中で選択肢が出現し、援助を受け入れることもできるようになっている点だ。


 ただ、援助を受け入れるとゲームオーバーになるのだが……。


「要求を、蹴らなかった、のか……」


 この世界では、どの時点からかはわからないが、プレイヤーの意図が介在しないまま歴史が流れているはずだ。


 遥人というプレイヤーが帝国側に存在することで、オーレリアの思考パターンがゲーム時代とは大きく変化しているというのだろうか。


「お、お前、どこまで――!?」


 間者に情報を抜かれているとでも思ったのか、鯰髭の男は驚愕を通り越して薄気味悪そうな顔で遥人を見る。


 ステータスを盗み見たが、彼は旧リグラルト王国の宰相だったトバイアス・ガターリッジという名前の男であるらしい。


 根本的な誤解をしていた。


 この戦争は既に、リグラルト王国の残党が起こした解放戦争ではない。


 時を追うごとに巨大になる帝国の影響力を恐れた周辺各国が手を結び、その力を削りとろうとするパワーゲームに変質していたのだ。


 完全に遥人の失策だった。


 他人のプライバシーを盗み見るようで気が咎めたため、ステータスを確認することを避けていた。


 だが、そんなごく一般的な罪悪感に流されるなど、今からすれば考えが甘すぎたということだ。


「いずれにしても、我ら解放軍改め、同盟軍は帝国に対して充分勝利できる戦力を保有しているのだ! その上、帝国軍の士気がこれでガタ落ちになるんだからな!」


 部屋の扉を蹴り飛ばし、完全武装の兵士達がなだれ込んでくる。


「陛下っ!」


 カールが遥人を庇って立ち塞がった。


 他の文官も遥人の前に出てその身を盾とする。


「ここで皇帝を殺せば、一気に戦争は終わる!」


 そのための、和平会談だったのだ。


「こんな卑怯な真似、オーレリア王女も知っているのか!?」


 遥人の声を、トバイアスは笑い飛ばした。


「王女殿下はご存じない。しかし、戦争を終わらせてから申し開きをすればいいだけのこと! これで私は、王国を立て直した英雄として歴史に名を刻むことができるのだっ!」


 濁った目で理想を語る。


「そんなこと――」


 言葉を遮り、カールが遥人を手薄な出口に押しやる。


「ハルト殿は姫様を連れて脱出するんだ!」


 いつも余裕の態度を崩さないカールが、これまでにないほど真剣な顔で囁きかける。


「しかし――」


 全員で脱出するのは明らかに不可能だ。そんな遥人の気持ちを見抜いたのか、カールは残酷な提案をする。


「部下六名と文官四名が敵に突っ込み活路を開く! ハルト殿は俺と一緒に脱出を! やつらはまだ油断している。今なら、姫様と二人ならまだ突破できるはずだ! 姫様の護衛に回した部下にも異変があればお二人を優先するように厳命してある!」


 そんな話し合いが行われていたなど夢にも思わなかった。


 抵抗した護衛と文官は無事ではすむまい。


 彼らは命がけで皇帝を逃がそうというのだ。


 しかし遥人は彼らが忠義を捧げているディートリッヒではなく、影武者に過ぎない。


 彼らを騙して自分だけが逃げる、そのことに罪悪感を抱かないはずがなかった。


「あなたが死んだらすべてが終わるんだぞっ!」


「逃がすなっ! 亜人と共存するような蛮族共は、この世界から抹殺してやれ!」


 こうして騙し討ちをするような卑怯者に罵られ、遥人は「どっちが野蛮人だ!」と怒鳴り返したい衝動に駆られた。


 しかし言葉での説得を諦めたカールが強引に遥人を押しやり、同時に護衛の六人と文官の四人が敵に跳びかかった。


 迎え撃つ解放軍改め、同盟軍の兵士は無防備な彼らを遠慮なく斬りつける。


 いくつもの傷を負い、血しぶきを上げ苦痛に顔を歪めながらも自らの体の重みでもって敵兵達を押しのけ、遥人が逃げるための道を広げていった。


「動け! 彼らを無駄死にさせる気かっ!」


 本気の怒声を浴びせられ、遥人の体は反射的に走り出していた。


「皇帝を殺せ!」


 手薄だと言っても、ここは敵の手の内も同然。敵兵は少ないながらも先回りしている。


 手にしているのは本物の槍や剣。


 向けられるのは本物の殺気。


 本物の、殺し合いの空気に足が縮み上がりそうになる。そんな遥人を狙って敵兵の剣や槍が振るわれた。


(殺される――)


 そう身を固くしたのも束の間、繰り出された数々の凶器は一つも遥人の体を傷つけるには至らなかった。


 大半をカールが剣でたたき落としてくれた上に、かいくぐったいくつかの攻撃は、遥人が身につけた〈ダンケルハイトの鎧〉が阻んでくれたからだ。


 オーレリア王女が手にするはずの、伝説の剣でなければ傷つけることができない鉄壁の守りを誇る魔法の鎧が、その力の一端を発揮したのである。


「ば、化け物っ!?」


 不可視の壁に攻撃が阻まれた感触に、今度は兵達が恐れおののいて足を止める。


「そこをどけぇぇぇぇぇぇっ!」


 その隙を逃さず、両腕で敵を押しのけるようにして遥人達は会談場を飛び出した。

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