第三章 許されざる者

第16話 遥人、正座にて反省させらる



 戦争を激化させないため、何より自分が悪のラスボスとして死なないため、和平会談を成功させようと立ち上がった倉瀬遥人は――何故か、絨毯の上で正座をさせられていた。


「軽率な振る舞いには、罰が必要ですっ!」


 胸の前で腕組みをし恐い顔で遥人を見下ろしてくるのは、アリーセである。


 ここは旧リグラルト王国の首都、リジット。


 帝国領内ではなく、遥人達は既に旧王都入りしていた。


 気品を重んじるリグラルト王国の首都に相応しく、隅々にまで気を配って作られた清潔感溢れる街で、全体的に明るい白を基調とする建物が多い。


 街は円形に広がっており、区画の一つ一つが花弁に見えるところから「白薔薇」と呼ばれることもあるそうだ。


 そしてこのリジットこそが、和平会談が行われる街なのである。


 一度は帝国が接収したリジットだが、他のいくつかの領地と同じく、先日解放軍によって取り戻されていた。


 リジットで和平会談が開かれることになった理由は、ここにある。


 帝国領内に少数で出向くのは解放軍側が難色を示し、とはいえ大軍を帝国領内に招き入れることもできない。


 そこで、帝国軍は退去ずみだが、先日まで帝国が占領していたおかげでまだ解放軍も隅々までは掌握できていない。


 奇しくも中立地帯と化してしまっているこの街が和平会談の場に選ばれたのだ。


「あの、ちょ~っと聞きたいのだけれど……」


 恐る恐る問いかけた遥人を、アリーセは無言でギロリと睨み返した。


 この場にいるのは遥人とアリーセ、そして警護役として常に身近に控えているカールのみ。


 もちろん会談にはそれなりの人数が派遣されているが、他の兵士や文官は別の部屋でくつろいでいるはずだ。


 リジット入りをした一行は、和平会談に備えて要人が宿泊するために建てられた豪華な宿屋に到着していた。


 正座だが、床に敷かれた絨毯の毛足が長いので、まったく苦にはならなかった。


 もちろん、正直に告げて「石でも抱かせましょうか?」とか言われても困るのでその点には触れない方針である。


「えっと、今更だけれど、どうしてアリーセまでここにいるの?」


 城で〈魔聖剣ダイスレイヴ〉と〈ダンケルハイトの鎧〉という、国宝と言うべき貴重な武具を託された。


 普通なら、同行はできないからせめてこの武具が遥人を守ってくれるように願いを込めて手渡した、と思うだろう。


 しかし出発の日、どう心変わりをしたのか、アリーセはムスッとしたまま当然のように一行に加わっており、その時点でかなり不機嫌そうだったのでどう接したらいいかわからないまま今に至っている。


 おまけにさらにややこしいのだが、今行われている「お説教」と、彼女が出発するときからずっと不機嫌なままなのは理由が別であるらしい。


 というのも、お説教の理由は遥人達がザムニスを出発した後――つまりリジットに至る道中の出来事にあったからだ。


「なに? 私が一緒にいたら不満でもあるのかしら? それとも、口うるさい小姑がいない方が気楽に羽目を外せたのに、などと思っているわけでしょうか?」


 もちろん邪魔に思ったわけではない。


 和平のための会談とはいえ、暴走して襲いかかってくる輩がいるかもしれない。


 あるいは単に盗賊の類に遭遇するかもしれないから城の方が安全だと思っただけだ。


 要は、どうしてついてくる気になったのか、加えて、どうしてずっと怒っているのか知りたいだけなのだが、とても聞ける雰囲気ではない。


 前世でも姉や妹がいなかったこともあって、こういう年頃の女の子とどう接していいかまるでわからない。


 本当に女の子は難しいと頭を抱えているのである。


「まったく、あなたという人は! 和平のために真面目に邁進するのかと思いきや、道中の村々でデレデレとして! 皇帝の威厳を台無しにするつもりなのかしら!?」


「いや、別にデレデレしていたわけでは……」


 なぁ、と、壁際に立っていたカールに水を向けるが、慌てて視線を逸らして逃げた。


 お前は俺の護衛役だろ、という文句が喉元まで出かかったのだが、辛うじてこらえる。


 何があったのかというと、帝都ザムニスを出てからここまで七日ほどをかけて移動してきた。


 途中、野宿をするわけにもいかないため点在する村や街で宿泊したのだが、遥人は意外というべきか大変な歓待を受けたのだ。


 幻術をかけられて、いつもの鬼顔だったにもかかわらず、である。


 混乱を避けるため、和平会談の件や皇帝がどこを通るのかは極秘扱いである。


 遥人達を迎え入れてくれたのは、帝国と縁のある街や村の長や、取引がある商人などで、彼らには密かに動向を伝えていたのだが、そのもてなしが非常に熱心だったのだ。


 特に若い女性。


 都会であるザムニスで見かけた女達ほど洗練されてはいないが、素朴な魅力を持った美女や美少女達が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのである。


 誰がどう手を回したのかはわからないが、どうやら「皇帝に気に入られたら、連れ帰って側室にしてもらえる」的な話が伝わっていたらしい。


 それで女達のやる気に火がついたわけだ。もちろん村長や商人もやる気満々である。


 カールに尋ねると「おそらく本当の目的を誤魔化すためでしょう」などと言っていたが、遥人のハーレム設立計画として、オストヴァルトあたりが暗躍している気がした。


 中でも、この宿を切り盛りする女主人は情熱的だった。


 女主人と言ってもまだ若く、二〇代の半ばにしか見えない。早くに親を亡くして家業を引き継いだのだそうだ。


 遥人が到着してから他の仕事は従業員に任せ、自身はつきっきりであれこれと遥人の世話を焼きまくる。


 おまけに、ことあるごとに遥人のことを凜々しいだの、頼りがいがあるだのと褒めちぎり、頬を赤らめながら艶然と微笑んでくるのだ。


 で、とうとうアリーセの、七日間をかけて溜まりに溜まった怒りが大爆発しているという次第である。


 つまり完全な流れ弾だった。


 恐い顔だと敬遠されないのはありがたいが、実際は「皇帝」の威光がモノを言っているだけだろうから、本人としては正直に言って複雑な心境だ。


 もちろん、そういう色仕掛けのような歓待ばかりではない。


 中には純粋に遥人達をもてなしてくれた人達もいた。


 意外にも、そうした純粋な歓迎はリジットに近づくごとに増えていった気がする。


 旧王国の首都であったリジットは当然ながら旧王国領の奥地に存在している。


 つまり遥人達は七日間の旅程の内、少なくない距離を元は帝国ではなかった土地を進んできたことになるわけである。


 元々リグラルト王国だったということは住民からしてみれば自分達の土地を占領した敵国の皇帝だ。


 普通に考えるとこの歓待には違和感を覚えるはずで、遥人も不思議に思ってカールに聞いてみたのだ。


 旧王国領を接収した後、帝国に恭順できない王国民は着の身着のまま別の土地へと逃げ去っていった。


 それで空いた家屋や不足する労働力を埋めるために、帝国は積極的に自国民を旧王国領へと移住させていたらしい。


 つまり帝国に縁がある人間が遥人を遇する役を任されていたのだが、そうした人達は故郷を離れた懐かしさがあるためか、非常に親切に、熱心に遥人を遇してくれた。


 小さな男の子が緊張した面持ちでお茶を差し出してくれたり、生まれは帝国だったと涙ながらに遥人の来訪を歓迎してくれた老人もいた。


 側室アピールはそれなりにあったが、心がほっこりすることもあって、それだけで遥人はここまできてよかったと感じたほどだった。


「上の空で何を考えているのかしら、イヤらしい! あと口答えは許しません。不服しかないのだけれど、あなたの言動で帝国の品位が判断されてしまうのですからね」


 アリーセの印象には女性からのアプローチにデレデレしていた遥人しか残っていないようだ。


 そんなにだらしない顔をしていたのだろうかと反省をしていると、遥人達のやりとりを見ていたカールが微笑を浮かべながら口を開いた。


「しかし、そうしていると、普通のご兄妹のようですね」


 カールに妹がいるのかどうかは知らないが、彼にとって妹は兄を正座させて説教させるのが正しいスタイルなのかと突っ込みたいところである。


「私の兄は、女性に言い寄られてだらしなく取り乱すような人ではありません」


「じゃあ、本当のディートリッヒならどうしてたって言うのさ?」


「もちろん、たとえ女性から言い寄られても、毅然と断り、かといって不要に傷つけないように紳士としての振る舞いも忘れないでしょう」


 最初に出会った印象からすればとても信じられない。


 生きている間は猫を被っていたのか、それとも同じ「ディートリッヒ」という名前の別人だったのだろうか。


 いずれにしても、あの変人は妹からは信じられない高評価を受けているようだ。


 俺だって帝国が滅びないように頑張っているのになぁ、と少々寂しい気持ちになってくる。


「しかし、それにしてはハルト殿のためこの長旅に同行されるとは、なかなかできることではありませんよ」


「なっ――!?」


 カールの言葉にアリーセが絶句する。


「わ、私は、国のためを思っただけで――」


「いやいや、ハルト殿のためにこの特注の馬車を用意させた姫の思いやりの深さに、小官は感動しているのですよ」


「な、な、な――っ!!」


 先ほどまでに倍する範囲で、アリーセの顔は真っ赤に染まり上がっていく。


「特注?」


 遥人がカールに問うと、彼は「ええ、そうなんですよ」と大仰に頷いた。


 知っている。この顔、彼はかなり面白がっているようだ。


「ハルト殿が長旅に慣れていないということで、特別上等の馬車に、さらに職人に命じてクッションの綿を増やして快適に過ごせるようにと手配を――」


「だ、だ、だ、黙りなさい、黙りなさい、黙りなさいっ!」


 クセ一つない艶やかな金髪が逆立つのではないかという程の剣幕で、アリーセはカールに詰め寄った。


 確かに乗り心地は大変よかった。


 もちろん前世の乗り物と比べてはいけないが、あれが誰かからの心遣いと言われると納得できるものがある。


 その「誰か」がアリーセだったのはものすごく意外だったのだが。


「――皇帝様、大きな声が聞こえましたが、いかがなさいましたか?」


 ドアの外から声をかけてきたのは、遥人に対して積極的すぎるこの宿の女主人だった。いつの間にか話し声が大きくなりすぎていたようだ。


 アリーセの方を見ると、彼女は忌々しそうに小さく頷く。


 まだまだ言いたいことは山盛りだが、さすがに皇帝に正座をさせておくわけにはいかないと納得してくれたのだろう。遥人は立ち上がりながら入室を許可する。


「皇帝様、それに王女殿下も、どうかなさったのですか?」


 現れたのは、どこかホッとする雰囲気を持った女性だった。接客業で人前に出るからか身なりは清潔感があり好感が持てる。


 ちなみに服装はファンタジーでよく見る胴回りを絞る服であるため、自然と胸回りが強調される形のものだった。


 しかも顔立ちの素朴さとは違い、女主人はかなりのグラマラスなスタイルの持ち主で、男の習性としてそこに目が引き寄せられてしまうのである(そしてアリーセに睨まれる)。


「べ、別に何もない。妹が珍しい長旅に興奮してしまっただけだ。それより何か用が?」


 彼女の積極さが困りものなのである。


 見た通り、クリームヒルトのような色っぽい服ではないが、質素な衣服の上からでもわかる大きな胸をこれでもかと押しつけてきたり、ギュッと寄せて谷間を強調して見せつけてきたりするのだ。


「はい、長旅でお疲れでしょうから、よく眠れるようにハーブティをお持ちしたんです」


 そう言うと、一度部屋の外に出て、ワゴンを押して入ってくる。そこには彼女の言葉通り、お茶の道具が一式用意されていて、部屋に入った途端ハーブのいい匂いが広がった。


「ありがたくいただくとしよう」


「いえ、皇帝様のお役に立てればこれ以上幸せなことはありません。あの、もし今夜夜伽の相手がおられないのでしたら――」


 視界には入っていないが、アリーセの怒りが上昇した気配を感じた。そこへ、


「姉さん! いい加減にしなさい、はしたないっ!」


 そう言いながら飛び込んできたのは女主人によく似た少女である。姉さんと言っていることからわかるように女主人の妹だ。


 年齢は十代後半だろうか。こちらは活発な印象で、まだまだ子どもの雰囲気が抜けきらない少女だった。


「あん、もうエーレったら!」


「ほら、迷惑になるでしょ。お邪魔しました!」


 挨拶もほどほどに(それすら皇帝の前に出ることを考えたら処罰ものだが)、エーレと呼ばれた妹は姉を引きずるようにして部屋を出ていった。


 礼儀正しくはないが、女主人の積極的すぎるアプローチに困る度に彼女が現れて姉を連れ去ってくれるので、遥人の中での好感度は天井知らずで上昇中であった。


「……嵐のような、姉妹でしたね」


 カールは苦笑して肩をすくめていた。


「また女の人に言い寄られてデレデレして! それで皇帝としての威厳が守れますかっ! よくもまあ、初対面の女性に対してあんな破廉恥な!」


 また女主人がやってくると困ると思ったのか、やや声のボリュームを抑えながらも、そこに込められる怒気はいささかも衰えさせずにアリーセは叱責を再開する。


「べ、別にデレデレなんてしてないぞ? というか、初対面のはずなんだけれど、どこかで会ったような気もするんだよな」


「それは……、不思議なことですね」


 カールも首を捻る。


「そうなんだ。俺はこっちに来たばかりなんだしな……」


 彼女の雰囲気にどこか覚えがある気がした。


 特殊な状況にあるため、神経が昂って既視感を覚えているだけかもしれないとも思うのだが。


 いずれにしても、前世ではまったく女性に縁がなかったので、少し嬉しくなるぐらいは勘弁してもらいたい。


 遥人なりに皇帝としての威厳を損なわないよう気を遣って、あの猛アタックを前にしても実際に手を出したりはしていないのである。


 それだけでも褒めて欲しいぐらいだった。


 まだまだ文句は言い足りない様子だが、それでも明日に差し障りがあるとまずいのはわかっているのかアリーセは大人しく引き下がった。


「とにかく、明日、自分の役目を果たしてください!」


「まぁ、精一杯頑張るよ」


「精一杯ではダメです! 自分で言い出したことなのですから、ちゃんと無事に和平会議を成功させなさい!」


 彼女なりに心配してくれているのだろう。嬉しく思ったのが表情に出たのか、


「兄の体を無事に帰還させなさいという意味ですからね! くれぐれもあなたの心配をしているとか、妙な誤解はしないでくださいね!」


 慌てて言い繕う。


「はいはい、わかってますよ」


 言われなくても自分の役目の大切さはわかっている。全ては明日、この戦争を左右する和平会談に臨むためである。


(……でも、会談が終われば、ちょっとぐらい観光しても許されるんじゃないか?)


 もちろん、一緒に見て回るのはオーレリア王女だ。


 遥人は皇帝という役回りなのだから、言ってみればVIPだ。


 今回の会談を呼びかけた解放軍側の盟主として、賓客をもてなす可能性はあるように思えた。


(いやまさかなぁ。でももしかすると………。いやいやいや)


 などと、まだ会いもしていないというのに、見目麗しいオーレリア王女とリジットの街を回る脳内シミュレーションを試みたりする。


 ところが、


「気持ちが悪いので、その百面相は止めてもらえますか?」


 アリーセの冷たい声を浴びせられて反省するのだった。

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