第二章 帝都を歩く

第9話 夕焼けに浮かぶ



 陽は西に傾き、ありとあらゆるものが茜色に染め上げられていた。


 帝都ザムニス。


 皇帝であるディートリッヒの居城と、その周囲に大きな街が広がる、ザントゼーレ帝国の首都である。


 当初、模擬戦が終わればその足で城に戻る予定だった。


 それが街に立ち寄ったのは、テオバルトとの模擬戦に圧勝したことで思ったよりも早く視察が終わったため、カールの提案で街中を見て回ることになったのである。


 これも視察には違いないはずだが、遥人は先程までの視察とは比べものにならないほど気楽な気分で臨んでいた。


 街の入り口で鎧を脱ぎ身軽な格好になっている上に、同行者はカールとクリームヒルトだけ。


 完全なお忍びスタイルなので、皇帝として振る舞わなければならない重圧がなかったからだ。


 念には念を入れて、フード付きの外套を用意してもらい顔も隠す。視界は遮られるはずだというのに遥人の気分は驚くほど開放感に溢れていた。


(ふぅ、肩こった。けど、ここからは観光気分だな!)


 様々な用事で行き交う人々。


 夕暮れ時ということもあって、家路を急ぐ人、仕事のあとに食事や飲酒を楽しむために移動する人、様々な人が濁流のように行き交っていた。


 通行人を相手とした露店があちらこちらで店を開き、呼び込みの声もかしましい。


 ただ、その街並みや建築様式は、ゲームでザムニスに攻め込んだマップで見た通りだったので、妙な安心感を覚えてもいた。


(あぁ、あの時計塔! ゲームでも背景に出てた!)


 街のどこにいても見えるだろう時計塔は印象的な建物だ。本来純白の壁面は夕陽を浴びて燃えるような緋色に染まっている。


「ハルト様、先ほどまでの模擬戦でのご活躍、わたくし感動いたしました!」


 よほど楽しかったのだろう。暗黒教団の巫女というには無邪気すぎる仕草でクリームヒルトは感想を告げる。


 その上、興奮するとボディタッチが増える性格なのか、やたらと遥人の腕に自分の腕を絡め、豊かな肉体を押し付けてくるのだからたまらない。


 何かの思惑や計算が透けて見えていれば対処のしようもあるのだが、クリームヒルトの場合はどうやら素でやっているらしいので余計に困るのだ。


 助けを求めるようにカールを見るが、彼は苦笑しているだけでオストヴァルトのように邪魔をしてくれる様子はなかった。


 暗黒教団への勧誘なら別なのだろうが、この程度ならば目くじらを立てるほどではないということなのだろうか。


「いや、しかし俺も、ハルト殿があそこまで神がかった手腕を発揮されるとは思っても見ませんでしたよ」


 止めるどころかカールもクリームヒルトに同調する。お忍びなので、二人とも兵達の前よりも「ハルト」として遥人に喋りやすそうにしていた。


「神がかるって、大袈裟な」


「いえ、決して大袈裟ということはありません。その証拠に、あの場にいた他の武官や文官も、全員がハルト殿の指揮に圧倒されていましたからね。しかし、どこであれほどの戦術を身につけられたのですか? ハルト殿の暮らしていた場所というのはあのような戦術を身につける士官学校でもあるのでしょうか?」


 興味津々という様子のカールには申し訳ないのだが、単に好きなゲームで遊んでいただけである。


「とにかく、我が国がハルト殿を必要としていることだけは覚えていて下さい」


 やりこみ具合は多少人よりも深いかもしれないが、真面目に訓練をして培った技術というわけではないので真正面から評価されると少々後ろめたい。


「これでしたら、反乱軍も簡単に壊滅させてしまえますわね!」


 立場的には異なっているはずなのだが、クリームヒルトもこの点では同意見らしく、カールの意見に頷きながらそう言う。


「反乱軍を壊滅、か……」


 ディートリッヒの身代わりとなった以上、いつかはその問題に直面するとはわかっていたが、難しい問題である。


「反乱軍どころではありません! ハルト様さえその気になれば、世界征服ぐらい簡単に実現できてしまえますわ!」


 さすがにそれは過大評価も甚だしいだろ、と呆れる遥人の目の前で、クリームヒルトの言葉はさらに熱を帯びていく。


「いいえ、ハルト様には反乱軍などあっさりと壊滅させ、そのまま皇帝としての威光を他の国々に知らしめていただかなくては!」


 それができると、カケラ程も疑っていない様子である。


「ち、ちなみに、クリームヒルトが考える皇帝の理想像ってどんななの?」


 遥人が水を向けると、


「難しいことではありません。要は、欲望に正直に行動していただければいいのです」


 と即答する。


「反乱軍は血祭りにあげ、そのまま帝国に楯突く愚かな国も討ち滅ぼしましょう! 恭順を示せば良し、そうでない愚者は一生強制労働させて帝国の糧にすればよいのです! 帝国とトラグフェルを信じる者だけが幸せになれる世界、それこそハルト様が目指されるべき世界ですわ!」


 さすがは邪教。


 物騒オブ物騒である。


 しかも見た目は文句なしの美女であるクリームヒルトが満面の笑みを浮かべて宣言するので恐ろしさ倍増だった。


「あとは、世界中から美女を集めて、ハルト様のための後宮を作りましょう!」


 後宮とはつまりハーレムのことである。


 主以外の男は足を踏み入れることすら許されないピンクな空間!


 ただ考えてみれば、ファンタジー世界の君主であれば充分にあり得る話ではあった。


「ハルト様がお望みなら、もちろんわたくしもその一員になってご奉仕いたしますわ」


 先ほどまでの無邪気な笑みを一転させ、蠱惑的な表情を浮かべるクリームヒルトは、さらに遥人にその体を押し付けてくる。


(だから! 胸の感触が、腕に当たるんだって……!)


 彼女いない歴イコール年齢の青年には強すぎる刺激にクラクラしそうになっていた。


 とはいえ、ハーレムはともかく……、そう、ハーレムはともかく、他の血祭りとか強制労働とかについては安易に頷くことはできない。


 そもそも、帝国側の思惑はどうなのだとカールを見る。


 一方的にクリームヒルトにばかり喋らせているのはまずいのではと思ったのだが、カールは困ったように苦笑を浮かべていただけだった。


「大筋で、巫女殿が仰ったようなことを我々も提案しようと考えていたのですよ」


 遥人の困惑を感じ取ったのか、言い訳がましくそう告げる。


「もちろん、対立する国々全部に喧嘩をふっかけるわけにはいきませんし、信じない人間を捕まえて死ぬまで強制労働させるというのも現実的ではないです」


「だよなぁ」


「ダメですわ! ハルト様には血と騒乱を尊ぶ、暗黒皇帝になっていただかなければなりません!」


「いや、しかし、カール達の考えとはずれているみたいだぞ?」


「いいえ、ハルト様さえ籠絡できれば、あとの有象無象を丸め込むぐらい簡単ですわ!」


 ものすごくいい笑顔でそう断言するのだが、遥人とカールは顔を見合わせていた。


「それ、丸め込む相手カールに聞かれて大丈夫なのか?」


 遥人が冷静に問い返すと、クリームヒルトは「はっ」となって狼狽出す。


「き、きっと大丈夫! ハルト様がいれば大丈夫なのです!」


 と、自分でも信じていないのがありありとわかる顔でそう言い切った。


(うむ、この子、アホの子だ……)


 普通なら、無邪気を装って油断させる狙いかと疑うところだが、やはり単に天然なだけらしい。今も、失言に気づいて「あうあう」と涙を浮かべている。


「あ、ただ、後宮については、こちら側もかなり本気でお勧めする予定ではあります」


 とカールがつけ足した言葉に、思わず吹き出しそうになった。


「でも、俺は影武者で……って、そうか、体は本物だから、さっさと子供を作らせれば正当な血筋がつながる。俺は晴れてお払い箱ってことか?」


 遥人が使っている体はディートリッヒのものである。


 つまり遥人が子供を作ったとしても、ディートリッヒの血筋を引いていることに間違いはないのだ。


「ま、そういうことではあります。とはいえ、ハルト殿をお払い箱にするつもりはないですよ。ディートリッヒ様もこの国の全てをハルト殿に委ねるように言葉を遺しておいででしたので」


「いや、でも、国の全てを委ねるって、そんな簡単に信じていいのか?」


 意図的にではなくても、遥人は素人なのだから失敗して国を滅茶苦茶にしてしまう可能性もある。あまり無条件に信用されると、むしろ不安に感じてしまう。


 対してカールは、


「いえ、そこまでオーガにそっくりの顔立ちをしているハルト殿ですから、心配の必要は皆無です」


(出たよ、謎のオーガ信仰……)


 遥人はさすがに「これでいいのか?」と自問自答する。


「あ、ちなみに後宮云々は姫様には内密に願います」


 そう言いながら、カールは目の前の露店で売っていた肉串を購入して遥人に差し出した。小腹も空いていたので「よし、買収に応じてやろう」と言いながらそれを受け取る。


 とはいえ買収されなくても、聞かせたあとが怖くて、とてもアリーセに「俺専用の後宮を用意してもらえるんだって!」などと聞かせられるはずがないのだが。


「ははは、ありがたいです」


 カールはクリームヒルトの分も購入して手渡す。それを見た遥人は手渡された肉串に大胆にかぶりついた。


 脂の乗った肉に甘辛いタレとスパイスがよく利いた料理で、しっかりとした食事というより小腹が空いたときに摘まむ、この世界ファストフードといったところだろうか。


「うん、うまい」


 こうして、しばらくは三人して肉串を堪能しながら歩き続けることとなったのである。

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