第8話 彼を讃えよ



「やれやれ、終わったか」


 遥人は皇帝の威厳が損なわれないようにこっそりと溜息をついた。


 テオバルトからしてみればチートのようなものだから心苦しいが、こればかりは諦めてもらうしかない。


「さ、さすがでございます、陛下っ!」


 模擬戦終了の報告が届き、周囲にいた者達は熱烈な憧れを瞳に浮かべて口々に遥人を褒め称える。


「うむ、賞賛の言葉はありがたく受け取ろう」


 本来の倉瀬遥人はこのような言葉遣いを身につけてはいない。


 ただ意識すれば、どういった振る舞いが適切かわかるので、それに従って行動している感覚だ。


 おそらく、遥人が乗り移っている体の持ち主――ディートリッヒが身につけている知識や習慣については、部分的に遥人も利用することができるらしい。


(うん、便利だなぁ)


 便利と言えば、《プレイヤの加護》は便利極まりないスキルだった。


 単にゲームのシステム面を再現しているだけなのだが、これが戦場で使ってみると反則的に強力な機能だったのだ。


 まず、上空から戦場全体を見ることができる。


 本来、実戦であれば敵がどれだけの数、どんな兵種を揃えているのかわからない。それが居ながらにして敵の配置、数、兵種やレベルなど全ての情報が筒抜けになるのだ。


 模擬戦がはじまる直前にテオバルトの布陣を見て、中央で騎馬兵の突進を試みようとしているのだと察した。


 そこで防御力が高い重装歩兵を配置するのは、遥人からすれば当然の采配である。


 北に斧兵の伏兵がいることも丸見え。


 斧だから剣で迎撃するのも当たり前。


 南の旧道が手薄なので、そこに大量戦力を投入する。


 普通であったら物陰から襲われる心配があるだろうが、上空から戦場全体を見渡せる遥人には伏兵はまったく利かない。


 旧道の出口に重装歩兵が待ち構えているのも、もちろん知っていた。だからこそ、魔法を使う魔道騎兵を先頭にして突っ込ませたのである。


 遥人自身は何も特別なことはしていない。


 ちょっとゲームの定石を囓っていれば、誰でもやりそうなことをやっただけだった。


(ま、ただのゲーマーを戦争で勝てるようにするんだから、そりゃゲームシステムって常識で考えたらとんでもない性能なんだろうな)


 ふむふむと、スキルについて考えている間も兵達は賞賛の言葉は続いていた。


「陛下さえおられたなら、我がザントゼーレは不滅だ!」


「おぉ、その通りだ!」


「然り!」


 口々に、希望に満ちた声が上がる。


 遥人としては、ごく当たり前の攻略法を実行しただけなので、これほど賞賛されると少々くすぐったい。


 いずれにしても、当初の、建前上の目的だった戦意高揚の役割は充分に果たせたと考えていいだろう。


「さすがは陛下!」


 武官や文官達の熱狂は一向に止む様子がなかった。


(褒められるの、悪くないな)


 実のところ、ここまで手放しで絶賛されたのは、生まれて初めてのことだった。


「模擬戦とはいえ、これほどの圧勝を目にできるとは! きっと今日の一戦は兵達の間で語りぐさになるに違いありません」


(そうかそうか。良き良き)


「その世にも恐ろしい、オーガと瓜二つのご尊顔は伊達ではありませんな!」


(ん……?)


「正直、ご尊顔だけで敵が怯むと思いますが、その上、戦の手腕まで天才的だとは!」


「何を言うお前達! 陛下のお顔を拝謁したのは初めてだったが、ひと目でただ者でないことなど分かりきっておるではないか!」


「確かにその通り!」


(なんていうか……。オーガに似ているとか、恐い顔とか、顔だけで敵が怯むとか、ものすごい言われようだ……)


 しかし、不思議なことに前世で自分の外見について言及されているときほど嫌ではなかった。


 恐い恐いと言っている武官や文官の言葉や態度、表情から遥人に対する嫌悪感が感じ取れないからだろう。


 前世では、強いことや恐いことは、秩序を乱す無法者に直結する。だからこそ、見ている者は平和を破壊する害悪として嫌悪した。


 だがこの世界では、必ずしもそうではないということらしい。


(だからって、遠慮なく「恐い恐い」言わないで欲しいんですけど……!)


 顔を覆い隠す兜の中で、遥人は誰に遠慮することなく深々とため息をつくのだった。


               ◆◆◆


 本来は皇帝のために用意された、戦場全体を見渡せる位置に設けられた陣にカールは待機していた。


 今回の模擬戦は、近日中に起こる戦場を予想した予行演習ではなく、兵士達の練度を高めるため定期的に行われているものだった。


 その上で皇帝や将軍が乗り出してくるとなるともはや半分はある種のお祭りのような雰囲気になっている。


 模擬戦に口出ししないと約束して強引にハルトに同行することもできたが、お遊びであるが故に、そこに水を差すことは憚られた。


 兵達を失望させるからではなく、味方兵に囲まれている状況で過剰な警戒するのは、何か警戒しなければならない秘密があるのでは、と勘ぐられてしまうと困るからだ。


 だから惨敗するのは覚悟の上で、そのあと兵達の士気が落ちるのをどう防ぐか頭を悩ませながら見守っていたのだが……。


「な、なんだ、あの用兵は……」


 カールは思わずうめき、慌てて自分の口元を手で覆った。


 テオバルトは、言動こそ極端であるものの、指揮官としては素晴らしく有能な将軍だった。


 出自は、貴族ではあったが名家というわけではない。彼は自分の力だけで無名の貴族から将軍にまで登り詰めた人物なのである。


 特に手を抜いた印象はない。ここから見ていた布陣も、この草原においては理に適ったものだった。


 そのテオバルトを、文字通り鎧袖一触で叩きのめしたのだ。


 同じように横で観戦していたクリームヒルトは「まぁ、すごい!」などと無邪気にはしゃいでいたが、軍事について知識があるカールにとっては己の価値観を揺るがすほどの一戦だった。


 ハルトの用兵について、まるで理解が及ばないのである。


(ハルト殿は、軍略の専門家だったのか!?)


 敬愛するディートリッヒが残り少ない命を賭してこの世に呼び寄せた「影武者」。その意味でカールは何としてでもハルトを守り支えるつもりでいたが、ひょっとすると自分は大きな勘違いをしていたのではないかという考えがよぎる。


(まさか、単なる影武者ではなく、この戦争を根底から変えるほどの力を持っているからこそ召喚したというのか……?)


 今はもうこの世界にはいないディートリッヒの思惑は図りかねたが、自分の役割に立ち返りカールはその場から走り出した。


               ◆◆◆


 伝令兵から手頃な馬を借り、カールは東軍の本陣まで急ぐ。


 既に模擬戦も終わり、勝利に沸く東軍本陣には東軍も西軍もなく兵達が押し寄せハルトの手腕を口々に褒め称えていた。


「すごい騒ぎだな」


 単なる定期的な訓練だったものが、皇帝が出張り、しかも類を見ないほどの手腕を発揮したことで兵達が浮き足立っているのだ。


 オーガに似た顔立ちを初代皇帝と関連づけることで国民、特に兵達の戦意を高揚させようとしていたが、それどころではないようだ。


「このテオバルト、感服いたしましたぞ!」


 カールが人波をかき分けハルトの元へと急いでいると、ひときわ大きな体のテオバルトがひときわ大きな声でハルトを褒め称えていた。


(将軍なりの、人心掌握作戦だった――というのは考えづらいか。ハルト殿があれほどの手腕を発揮できなければ皇帝としての面目は丸つぶれだった。正体を知りながら模擬戦に担ぎ出したのは、ハルト殿の立場を危うくする狙いだったに違いないのだろうが……)


 このような場でハルトを害するとも思えないが、それでも万が一を考えカールは急いで歓声の中心に進む。


 テオバルトの近くまでやってくると、普段は強面の将軍が満面の笑みを浮かべているのが見えた。


 ハルトを失脚させるか、少なくとも足を引っ張ろうとしておきながら失敗し、その挽回のために愛想笑いをしているというふうには見えなかった。


「まさか殿があそこまで用兵上手とは思いも寄りませんでしたぞ!」


「わ~~、わ~~、わ~~っ!」


 いきなりなんてことを口走るのだと、カールは進路を変えてテオバルトの元に駆け寄ると肩を掴んで激しく揺すった。


「な、何を言い出すんです、将軍っ!」


 周囲を見る。


 幸い、あたりの兵達は誰も彼もが口々にハルトを褒め称える声を上げており、テオバルトが何を言ったのか気づく者はいないようだった。


「おぉ、近衛兵長殿! 貴殿も駆けつけられましたか。ハルト殿は大したものですな!」


「ですから! その名前は真実を知らぬ者の前で明かしてはまずいでしょう!」


 日頃は何事にも飄々と振る舞い、つかみ所がないなどと言われることもあるカールだが、さすがに慌てる。


「確かに貴殿の言い分は理解できる。しかし、あの方にこそワシの忠義を捧げるに相応しいとは思わぬか?」


「忠義を捧げるって……? つまり将軍は、帝国の皇帝にではなく、正体を知った上であくまでハルト殿にこそ忠誠を誓うと?」


「無論である! 以後、ハルト殿を害する者がいたならば、このテオバルトが身命を賭して立ち向かう所存である!」


 今のハルトはディートリッヒと一心同体と言っていい状態なのだから問題はない。


 ただ、中身がまったくの別人となってしまっているのに、生粋の武人であるテオバルトにここまで言わせるというのは驚き以外のなにものでもない。


 腹芸ができる男には見えないので、これは本心だろう。


「貴殿もワシと共にハルト殿を助けるのだぞ!」


「俺は最初からそのつもりですよ! 将軍こそ、模擬戦の前は邪魔する気満々だったんじゃないんですか? あと、気持ちはわかりますがハルト殿の名は禁句です。守れないようでしたらオストヴァルト殿に頼んで貴殿を左遷させます」


「なんと! それは困る! 遠ざけられてしまえばハル――ぐぬぅ、陛下のお役に立てない。まったく、ケチケチしおって。この手腕を見せられたら、ちょっと名前が違うぐらい誰も気にせんだろうに」


「気にしますよ! 大変ですよ! 大問題です!」


 カールがしつこいぐらいに繰り返すと、ようやくテオバルトは納得したようだった。


 いずれにしてもこれで、ハルトはこれ以上ないほど頼もしい味方を得ることができたということになる。


 ハルトにとってこの先の大きな助けになるだろうと、カールは自分のことのように喜ばしく感じていた。



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