第7話 疾風怒濤
西軍に到着したテオバルトは、麾下となる一五〇〇人を前にやる気を漲らせていた。
将軍という立場上、影武者の存在は知らされていたが微塵も納得していない。テオバルトが考える、ザントゼーレ帝国の皇帝とは、力の象徴だからだ。
恐怖政治を望むわけではない。
それでも「力」は、刃向かえば手痛い目に遭うという事実につながり、逆に恭順すれば外敵から守ってくれるという信頼につながる。
その「力」を以て国を安定させるのが、ザントゼーレ帝国における皇帝だと考えていた。
確かに顔立ちは恐ろしい。
あそこまでオーガに似ている以上、見るからにただ者ではなく、ひとかたならぬ才能を秘めているだろう。
しかしハルト・クラッセンからは一軍の将としての気迫というものを感じなかった。
見せかけだけの皇帝を座に据えたところで、できるのは形だけの体制維持がやっと。それではとても反乱軍に勝てるとは思えなかった。
「ならば、この模擬戦で徹底的に打ち負かし、化けの皮を剥いでやる!」
暴力的な喜びに笑みを浮かべたところで模擬戦開始の合図が放たれる。
「よし、貴様ら、ワシの手足となってキリキリ働くがいい!」
事前に、各部隊長にはテオバルトの策を説明してあった。
戦場は草原。
ただし周囲には森林が存在し、伏兵を仕掛けることも充分可能な環境となっていた。
「まずは騎兵! 九〇〇をもって中央から東軍に突撃っ!」
テオバルトの号令と共に、騎兵の集団が土煙を上げて出発した。保有戦力の半分以上を投入したので正面からの打撃力も強力だが、何より素速いことがいい。
狙いは、主力を一気に突撃させることで、相手を浮き足立たせることだ。
移動が速いため、一瞬でこちらの戦力を推し量ることが難しい。もし必要より少ない戦力で対応しようとすれば一気に突破される。だからこそ多くの場合、「念のため」過剰に戦力を割いてしまいがちだ。
今回の模擬戦では東西の戦力比は互角。
余分な戦力を使わせれば他で余裕が出てくるということになる。そういうわずかな余裕を積み重ねることで最終的に数の有利を確保して敵本陣を落とすつもりだった。
(初手で戦力を見誤って正面突破される、などという終わり方はしてくれるでないぞ?)
「報告っ!」
さっそく、戦況報告が届いた。
「うむ、正面の騎馬隊はどうなった?」
「はっ! 騎馬隊、押しとどめられております!」
「なるほど」
どうやら最低限の対応は取ったらしい。テオバルトはふふんと笑って報告の続きを聞く。
「して、相手はどの程度の戦力で我が方の突撃を防いだのだ?」
「はっ、そ、それが……」
若い伝令兵が言葉を濁す。
「なんだ? 報告は速やかにするべきであろう!」
「は、はっ、申し訳ありません!」
テオバルトが一括すると、伝令兵は姿勢を正して意を決したように口を開いた。
「そ、それが、東軍の数は五〇〇、だそうです」
「ご、五〇〇っ!? 我が軍が九〇〇も費やした突撃に対して、たったの五〇〇!?」
その報告には二重の意味で驚愕した。
まず九〇〇という数で押し寄せる敵に、たった五〇〇の戦力しか割かなかったこと。
もう一つは、単に見積もりが甘かっただけなら騎兵の突撃に突破されて終わるはず。それが実際に突撃を受け止めているというのなら、たった五〇〇人の兵がなんらかの戦果を挙げたということなのだ。
「東軍は、何か特殊な策を打ってきたのか?」
「い、いえ、奇策を弄したわけではないようですが、東軍の兵種はすべて重装歩兵であったため我が軍の騎兵に対して優位に働いたようなのです」
「重装歩兵だと……?」
文字通り全身を分厚い装甲を誇る鎧で覆い、それ以上に頑丈な盾を有して守りを固める、防御に秀でた兵種である。
反面、動きは遅く、戦場における移動速度では圧倒的に他の兵種から見劣りする。
主に拠点防衛や、敵の侵攻速度を遅らせる役割を担う。
騎兵は戦場を縦横無尽に駆け抜けながら攻撃を行う突進力を売りとしている兵種だが、強固な防御力を誇る重装歩兵を相手にすると、相手の陣形が崩せず脚が止まってしまう。
そうなると騎兵の強みは一気に消え失せてしまうのだ。
ハルト・クラッセンの狙いはわからない。
ただ一つ確かなのは、テオバルトが騎兵を先行させたのを見てから動かしたのでは、移動速度が遅い重装歩兵が前に出られるはずがない――つまり、重装歩兵は最初からそこに配置されていたということだ。
戦の常識からしても、拠点防衛という局面でもないというのに、重装歩兵を前に出すなどという戦略は定石から程遠い。
何故なら、兵種によって進行速度が違う以上、足が遅い兵種の背後に足が速い兵種を置けばどこかで追い抜く必要が生じる。
一人や二人ならともかく、数百人規模で追い抜きをしようとすればそこで生じた混乱で陣形がグチャグチャになってしまう。
「な、何を考えているのだっ! 戦の素人か!」
叫んでおいて、相手が素人なのは最初から明白だったと思い直す。
「た、ただの偶然というヤツか。運のいい男め。……ならば他の戦場で挽回するのみ」
こちらの騎兵も、その場で二度目、三度目の突進を試みているとのことだ。
数ではこちらが勝っているのだから、時間をかければ突破することも可能だろう。
(ならば、他の伏兵で本陣を直接叩けばそれで済むはずだ!)
そう考え、テオバルトは予定を早め、森林地帯に伏せていた伏兵に行動開始させるための伝令を動かした。
「いつものことながら、この策の変更というやつは焦れるものだな」
作戦は、開戦前に戦場の地図を元にして組み立て各部隊長に徹底する。しかし戦闘がはじまると、全てが事前の予定通りに進むことなどほぼない。
しかし末端の兵士や隊長レベルでは、戦場の全体を把握して予定外の出来事に対応することなど不可能だ。
何かが起こればその情報は本陣に集められ、問題が生じるようであれば指揮官が伝令の早馬を走らせて各部隊に細かな指示を行うことになる。
だが、情報が集まってくる時間、最初に立てた作戦の修正案を練る時間、そしてそれを末端に伝える時間が必要になるため、テオバルトはこの瞬間が嫌いだった。
「あえて初動は見事だったと言っておこう! しかしここから! 戦の難しさを味わうのはここからなのだ! ワシが得意とする伏兵の斬れ味を味わっていただくとしよう!」
負け惜しみに近い強がりを言うテオバルトに、部下達は「陛下を相手にそこまで本気にならなくても」という苦笑を浮かべていた。
まわりからは座興に近い模擬戦に熱くなりすぎているように見えるだろうが、テオバルトにとっては国家を左右する決戦なのだ。
「報告っ!」
他の戦況を伝える伝令兵がやってくる。
「おぉ、今度こそ吉報であろうな!」
あるいは、伏兵が当たりすぎて本陣を落としたという報告である可能性すらあると、テオバルトは想像していた。
「戦場北部に広がる森林地帯に展開していた伏兵、全滅いたしましたっ!」
「な、なんだとぉっ!」
今度はテオバルトのみならず、本陣に詰めていた者全員にざわめきが走る。
「まさか、いや、たまたま向こうの騎兵と出くわしでもしたのか?」
テオバルトの疑問に対し、伝令兵は表情を曇らせた。
「そ、それが、我が軍の伏兵二〇〇に対し、東軍は一〇〇で応戦し撃退した模様!」
「ま、また数で勝っているのにか!?」
もはや悲鳴に近かった。
「は! 我が軍が斧兵を中心にしていたのに対し、敵軍は剣兵のみで構成されていたためだと思われます」
斧に対して剣は有利。戦に出る者なら誰でも知っている常識だが、それは結果論だ。
事前に戦場がどう動くかわからない状況で、たった一〇〇人の剣兵のみを配置するなど、信じられない采配だった。
そもそも、中央で既に数的有利をもぎ取っているのだから、他の場所ではもっと潤沢に戦力を投入できるはずなのだ。
「急報、急報っ!」
混乱の極致に達していたテオバルトの元へ、別の伝令兵が飛び込んでくる。
「こ、今度は何だというのだっ!」
「南側の、旧道から攻め上がる敵影を発見!」
「旧道だとっ!?」
大昔に使われた街道の名残だ。
その存在は知っていたが、そこを使うという選択はしなかった。何故なら旧道であるため狭く、多くの兵を同時に展開できないからだ。
下手をすれば、思うように動けない狭い道で待ち伏せに遭って全滅の憂き目に遭う可能性もある。
しかし無防備にもしていない。テオバルトはここに重装歩兵二〇〇を配置してあった。
「兵種は!? 数はっ!? おい! 早く教えろっ!」
「はっ! それが、へ、兵種は騎兵。数は……。数は、およそ九〇〇です」
「な、なんだとおぉぉぉっ!」
テオバルトが広々とした草原全体を使って展開した戦力を、東軍は狭い旧道にすべてつぎ込んだことになる。
「そんな、そんな用兵があってたまるかっ!」
中央で起こったように、重装歩兵が五〇〇もいれば騎兵の突撃にも耐えられるだろうが、わずか二〇〇では難しい。
「おまけに、騎兵の先頭は魔道騎兵で占められているとのことです!」
これも、普通に考えればあり得ない采配だ。
魔道騎兵とは文字通り魔法を使う騎兵のことである。魔法防御力が弱い重装歩兵の天敵のような兵種だ。
反面、距離を詰められてしまうと攻撃を防ぐ手段がないためあっさり倒されてしまう。通常、魔道騎兵は後方に配置し必要に応じて隊列を入れ替えるものだ。
もちろん、狭い旧道で定石通り魔道騎士を後衛に置いていれば、味方同士がひしめき合って隊列を入れ替えることなど不可能だっただろう。
しかしテオバルトがもし足の早い騎兵を配置していたなら、魔道騎士は一瞬で全滅してしまっていたはず。
予め「重装歩兵しか存在しない」という保証でもなければ、魔道騎兵に先頭を走らせるなどあり得ないのだ。
「こ、こんな、こんな――!」
「た、大変です! 旧道の出口に控えていた重装歩兵二〇〇、全滅!」
「緊急事態です! 北部の森林地帯で我が方の伏兵を全滅させた敵歩兵、そのまま本陣に向かって直進中!」
「中央、騎兵はまだ重装歩兵の守りを突破できません!」
急報、緊急、危険、悪い報せばかりで本陣が破裂しそうになっていた。
そしてあっさりと、あとから振り返れば帝国史上記録的な短時間で、西軍は東軍に敗退したのである。
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