第4話 草原に響く声



 とりあえず一度だけ協力して欲しい――わからないことだらけのままだが、見ているだけでいいという気安さも手伝って、遥人は請われた視察に向かった。


 目的地は、城を出てほど近い場所に位置する草原である。


 お気楽なピクニックだと思っていたわけではないのだが……。


「おおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


「ディートリッヒ陛下ぁぁぁ、万歳ぃぃぃっ!」


「わあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


「ザントゼーレ帝国にぃぃぃ、栄っ光っあれぇぇぇっ!」


「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 簡易的に組み立てられた演台に押し上げられていた遥人は、足下から突き上げてくる、凄まじいばかりの歓声が晒されていた。


 その数、三〇〇〇人――なのだそうだ。


 一斉に注目され、遥人は青ざめるやら白くなるやら、脂汗を流すやら、頭を抱えたくなるのを必死で我慢するやら、平たく言えば不審人物になっていた。


(これ、顔が見られない状態でよかったよな、まじで)


 今の遥人は、ゲーム内のディートリッヒ同様、全身を覆い隠してくれる重厚な鎧をまとっていた。顔面はフルフェイスのマスクと一体となった兜によって覆い隠されている。


 ゲームでは、正体不明の敵という迫力を演出するための表現だったはずだが、今の遥人にとっては変顔隠しである。


 皇帝の武具と言えば、ゲームでは主人公側では手に入れられない皇帝専用の武具というものも存在している。


 今、身につけているものは、単に豪華な全身鎧だが、頼めばその伝説の武具も装備させてもらえるのではないだろうかとゲーマー魂が疼いたのはここだけの話である。


 などと、現実逃避を図ってみたところで、三〇〇〇人の熱狂は止まない。


 集まっているのは一般市民ではない。目の前にいるのは、誰も彼もが鍛え抜かれた肉体を誇るザントゼーレ帝国軍の精鋭達だった。


 オストヴァルトに頼まれた、見ていればいいだけの視察とは、練兵の様子を確認することだったのだ。


 遥人は自分の百面相を覆い隠していた兜に手をかける。これもオストヴァルトにどうにかと懇願されていたことだった。


(一瞬だけ、一瞬だけだぞ!)


 兜を外し、素顔を晒す。


 どうにか、さらに努力をして真顔を形作る。おそらく緊張で引きつっていただろう。ただでさえ恐ろしい顔が、さらに迫力増量になったに違いない。


 元々、豪傑であることを尊ばれてきたザントゼーレ帝国皇帝であるにも関わらず、線が細い美男子として生まれてきたディートリッヒの素顔を隠していたため、今では皇帝の素顔を拝謁するのは最高の栄誉とされているらしい。


 反乱軍との戦いも激しくなってくる中、士気を高めるため、ほんの一瞬だけでいいので現場で素顔を見せるように懇願されたのだ。


 考える時間がもらえると思って安易に視察を引き受けたことと併せて、本気で後悔していた。


 遥人としては、自分の顔がオーガに似ていると言われるのも不本意だが、そんな空想の存在に似ている顔を無理矢理用意しても意味があるとはとても思えなかった。


 次の瞬間、詰めかけた三〇〇〇人兵達が一気に静まりかえる。


(やっぱりだよ)


 皇帝の素顔を見ることがとてつもない栄誉だとしても、前世では街中で居並ぶ人々が左右に別れて道を開ける凶相である。


 そんなものをありがたがるはずが……、


「どわあああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


「なんだとおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


「おわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 ほら見ろ、と遥人はオストヴァルトを恨みたくなった。


 これで皇帝の威厳もなにも吹っ飛んだかもしれない。


 兵達が「こんな奴に従っていられるか」と暴動を起こすのではないだろうか。


 そんなことになれば反乱軍との決戦を待たずして、この国が滅びる。正直に言えば、「やらかした」絶望感で失神してぶっ倒れそうになっていた。


 もうダメだ。


 もう終わった。


 そう確信していた遥人の耳に届いたのは、想像とはまったく違う声だった。


「まさに伝説のままのお姿だ!」


「オーガ皇帝が復活されたぞ!」


「おお、あれこそはザントゼーレの理想を体現したお姿だ!」


「何と恐ろしいお顔だろう!」


 オーガだ、オーガだ、オーガだ、とどこからか起こった声が渦となって草原を埋め尽くす。


 恐い顔、オーガのようだと評される声には嫌悪感は籠もっていない。


 前世であれだけ忌避されていたのが嘘のような、大・絶・賛である。


「嘘だろ……」


 呆然としていると、


「城でもお話ししましたが……」


 護衛として控えていたカールハインツがこっそりと耳打ちしてくれた。


「我が国では、初代皇帝は神格化され、多くの人々が信奉しています。ですから、その方と瓜二つのハルト殿は我々からすれば絶対的な英雄と同じというわけです」


「俺が、英雄?」


 もちろん単なる印象だけの話しだが、この顔に生まれてきて、ここまで褒め称えられたのは初めてだった。


「きっと女性にもモテモテですよ!」


 振り返ると、カールハインツがイタズラ小僧のような人懐っこい笑顔を浮かべていた。城の応接室にいたときとは比べものにならないほど砕けた印象である。


 ただ、こちらがゲーム内で見ていた「カールハインツ」だ。強さと、敵対していても空気が許せば冗談を言うような、そんな人間臭さを持った魅力的な青年であった。


「ほんとかよ。というか、そっちこそ猫を被ってたんだな?」


「実はオストヴァルト殿はともかく、他の重臣達は口うるさくって、どうしてもああした鉄面皮になる必要があるんですよ。いや、堅苦しくって嫌いなんですけどね。親しい人間は私のことをカールと呼ぶので、ハルト殿もよければどうぞ。長ったらしいでしょ?」


「自分で自分の名前を長いとか言うなよ。いや、でも、短い方がありがたいのは本当だから遠慮なくそうさせてもらうよ、カール」


「ええ、どうぞ」


 敬語は不要と言われていても、やはり同年代のカールハインツの方が喋りやすい。遥人の言葉遣いも城より一段砕けたものになっていた。


 三〇〇〇人分の、心酔する視線。


 落ち着かないのは変わらないが、こちらの状況を理解してくれているカールがいるおかげか少しは心強くもあった。


「とにかく、これで俺の役割は終わりだよな?」


 遥人が問うと、カールは苦笑して小さく頷いた。


「ご苦労様です。あとは、兵達が訓練する姿を少し見ていただければ充分でしょう。むろん、椅子もご用意しておりますので」


 正直助かる、と遥人はさっさと兜を被り直しながら頷いた。


 緊張でさっきから脚に力が入りすぎていて、もうちょっとしたら膝がガクガクしてしまうだろう。そんなことになればみっともないことこの上ない。


「あらぁ、男同士で内緒話なんて、わたくしも仲間に入れていただきたいものですわ」


 そう言いながら身を寄せてくるのはクリームヒルトである。


 驚いたことに、てっきり城に残るものと思っていた彼女は堂々と視察までついてきてしまったのだ。


 明らかに怪しい出で立ちのクリームヒルトに警戒したのか、皇帝の公務に付き従う他の武官や文官は遠巻きにしており、会話を聞かれる心配は少ない。


「いや、内緒話というわけじゃないけどな」


「では、わたくしとも楽しくお話ししてくださいまし」


「といっても、話題に困るな……」


「であれば、暗黒神と暗黒教団がいかに素晴らしいかについてお聞かせしましょうか!」


 表情を見ると一〇〇%善意といった様子だったが、さすがに遠慮したい。


 その気持ちを汲んだのか、カールが「そろそろはじまるようですので、また後日に」と遮ってくれた。


 カールの言葉通り、遥人達の目の前では兵達がそれぞれ訓練を開始するため移動しはじめていた。事前に聞いていた訓練とは、実戦を想定した模擬戦。


 それも三〇〇〇人を一五〇〇対一五〇〇に分けて行う、馬鹿げたほど本格的な模擬戦だったのである。


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