第47話

 背後で水が流れる音がする。噴水の水は、いつまで巡回しているのだろう、と真昼は考えた。自分が、次に月夜に会うときまで、同じ水が流れているのか、それとも、あるタイミングで入れ替わるのか……。


「ねえ、月夜。一つ、約束してほしいことがあるんだけど」


 月夜が黙っていると、真昼が唐突に言った。


「うん。何?」


「僕が、君の傍にいない間、君に日記を書いてほしいんだ」


「傍にいない間、ということは、暫くしたら、帰ってくるの?」


「そう、三年で帰ってくる」


 月夜は、その情報は知らなかった。三年といえば、二人とも大学生になっている(大学生、になっているかは分からないが、年齢的にはそうだ)。


「どうして、日記を書いてほしいの? 誰の日記を書くの? 日記は、どうやって書くの?」


「一度に、いくつも質問しないでよ」


「では、どうして、日記を書いてほしいの?」


「なんとなく、面白そうだな、と思ったから」


「誰の日記を書くの?」


「それは、もちろん、君が君の日記を書くんだよ。僕は、君の日記が読みたいんだ。なんだか、帰ってきたときにそういう楽しみがあると思うと、救われるような気がするじゃないか。一度に沢山の本を買ってきて、部屋の隅に積み上げておくのと同じだよ。これを読み終わっても、まだ次の分がある、という安心感があるというか、そんな感じ」


「君は、読む本は、読まないんじゃないの?」


「そう……。でも、たまに読む」


「日記は、どうやって書くの?」


「それは、僕は知らない。君のやり方で、書いてくれれば、それでいいよ」


「どのくらいの、量を、書いたら、君は、嬉しい?」


「うーん、あまり多くても大変だから……。……一日に、ノートの片面一ページ、くらいでいいかな」


「片面一ページ、というのは、意味が分からない」


「それも、言葉の綾だから、気にしなくていいよ。リズムを作るために言っただけだから」


「綾、とは?」


「君さ、綾取りってやったことある?」


「小さい頃に、少し」


「今もできる?」


「今は、毛糸を持っていないから、できない」


「そうじゃないよ」真昼は楽しそうに笑う。「今も、君にその能力があるか、と訊いているんだ」


「たぶん、ある」


「じゃあ、僕が毛糸を渡せば、できる?」


「できる」


「凄いなあ……。僕は、せいぜい、箒を作れるくらいだから、色々作れる人は、格好いいよね」


「私は、箒は作れないけど、デッキブラシ、なら、作れる」


「その方が、意味が分からないと思うけど」


「綾取りができる人は、格好いいの?」


「どんなことでも、自分にできないことをできる人は、格好よく見えるものだよ」


「そっか」


「だから、君も、格好いい」


「それは、ますます、意味が分からない」


「そう……。君は、可愛いというよりは、格好いい、の方が近いと思うな。そもそも、格好いいの中に、可愛いが入っている、と僕は思うんだけど、君はどう思う?」


「今は、何も、思わない」


「あそう。では、考えてみてよ」


「何を?」


「可愛いと、格好いいの、違いについて」


「違いは、大きくはない。どちらも、心揺さぶられる、と表現すれば、同じ」


「たしかに、その通りだね」


「君は、日記を書いたことがあるの?」


「いや、ないね。小学生のときに、毎日宿題で出されていたんだけど、僕は、さぼって、一度も書かなかった。今考えると、ちょっと酷かったかもね」


「今も、あまり変わらないと思う」


「うん、まあ、たしかに」真昼は真剣な表情で頷く。「でも、それが、今では僕のチャームポイントになっているわけだから、過去の自分に感謝しないといけない」


「チャームポイント、とは?」


「その人の、最も魅力的な特徴、という意味じゃないかな、たぶん」


「たぶん、というのは、十分の八くらい?」


「うーん、僕の場合、もう少し値は小さい」


「十分の、六、くらい?」


「まあ、そんなところだね。君は?」


「何?」


「君の中で、たぶん、という言葉は、どれくらいの割合を表わしているの?」


「たぶん、十分の九、くらい」


「くらい、というのは?」


「十分の七」


「じゃあ、今の君の台詞は、十分の九、十分の九、十分の七、ということになるね。途中の空白には、どんな記号を入れるの?」


「プラス、マイナス」


「なるほど。そうすると、十分の十一、かな」


「うん」


「あまり、綺麗な数字じゃないな」


「綺麗、というのは、君の中では、どういう意味?」


「直感的に、綺麗だ、と感じたものが、綺麗」


「そっか」


「君は、綺麗だよ」


「そう?」


「うん……。どうしてそう感じるのかは、分からないけど……」


「私は、君は、あまり、綺麗じゃないと思う」


「そうだろうね」


「でも、綺麗だ、とも思う」


「どっち?」


「少なくとも、普通」


「それは、少なくなくても、普通じゃないと、困るよ」


「困るの?」


「いや、特別困らないけど」


「私は、君がいなくなったら、困る」


 真昼は話すのをやめて、月夜の顔を覗き込んだ。何か、月夜が、意図的に話をそういう方向に向けようとしているのではないか、という気がしたからだ。しかも、わざと分かりやすい方法で、シリアスな空気を作ろうとしている気がする。


 月夜は下を向いたまま動かない。

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