第45話
暫くすると、真昼は眠ってしまった。今日だけで何時間眠るつもりなのだろう、と月夜は考える。
彼女は全然睡眠をとらない。食事もしないから、これ以上ないくらい燃費が良い。普通の人間の三倍くらい良いかもしれない。睡眠時間が三分の一で済むのなら、その分得をすることになる。これは、もちろん、活動している時間の方が価値がある、と考えた場合の話だ。休養に人生の最大の価値を見出す人間もいる。あるいは、特に眠りたくはないのに、ついつい寝すぎてしまう、と人もいるらしい。どちらにせよ、月夜は起きて活動しているときに人生の最大の価値を見出す人間だったから、彼女のその体質は、自分にとって非常に都合が良かった。
真昼は心地良さそうに目を閉じている。魘されることもない。楽しい夢を見ているかもしれない。もし、起きて活動している時間より、眠っている時間の方が長い人間がいたら、その人にとっては、現実とは、起きているときに認識する世界ではなく、夢の中で展開される世界ではないか、と月夜は考える。それはそれで、なかなかロマンチックだ。素直に憧れてしまう。人間は、憧れを抱く生き物だが、憧れは、妄想を現実の中に取り入れること、とも言い換えられる。つまり、現実というものは、最初から存在しない。個人が脳で考えたものがすべて現実になる。認識と、思考では、大した違いはない、という意味だ。
それでも、月夜は、真昼が傍にいないときに、彼が傍にいると錯覚することは、できなかった。
どうしてだろう?
妄想と現実は等値ではないのか?
分からない……。
月夜は彼の額に触れる。冷却シートを剥がして、直接彼の肌に触った。温かい。温かいと、生きている、ということが分かる。それでは、生きているとは、どういうことだろう? 温かいだけであれば、発熱するコンピューターも同じだ。思考して、自分なりの結論を出す、という点でも、人間とコンピューターは変わらない。けれど、コンピューターは生きてはいない、と感じる。
本当は、自分以外の人間は、生きていないのではないか、と感じることが月夜にはよくある。自分に心があるのは分かるが、他人に心があるかは分からない。それは、人間相手だけではなく、コンピューターの場合も同じだ。人間の他者も、コンピューターも、自分からの距離は変わらない。本当に分かるのは、やはり、自分は生きていて、自分に心がある、ということだけでしかない。こんなふうに、人は、永遠に孤独に生きていくしかない。真昼が傍にいても、孤独は常に存在する、と月夜は感じる。しかし、感じるだけで、孤独が何かは分からない。
彼が引っ越して、自分との距離が大きくなったら、自分はどう感じるだろうか、と彼女は考える。
考える必要はなかった。
そのときになれば分かることだ。
今はそのときではないから、悲しむ必要はない。
月夜も黙って目を閉じる。
目を閉じれば、世界は消える。
現実はなくなる。
すべて虚構だと分かるようになる。
それでも、次に目を開いたときには、そんなことはすべて忘れて、またいつも通りの日常に戻るのだろう。
それは、それで、良かった。
たとえ、良くなくても、そうする以外にはない。
だから……。
真昼に自分の手を強く握られて、月夜はそっと瞼を持ち上げる。
彼が笑っていた。
「どうしたの?」真昼は尋ねる。
「どう、というのは、どういう意味?」
「泣いてるよ」
月夜は驚いて、もう片方の手で自分の頬に触れる。
生暖かい塩水が掌に付着した。
それは、生きている証かもしれない。
けれど……。
やはり、目を閉じていたから、自分が泣いていることにすら気づかなかった。
他者にそれを指摘されて、初めて理解した。
それでも……。
「泣きたいなら、泣いてもいいよ」真昼は笑った。「その分、僕が君のために笑ってあげよう」
「その、必要は、ないよ」
「どうして?」
月夜は答えない。
その代わりに、彼女は涙を零しながら笑った。
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