第37話

 月夜が先ほど乗ってきたのとは別の路線に切り替えて、二人は再び電車に乗った。席は沢山空いているから、自由に選んで座れる。しかし、どこに座っても大して変わりはないので、二人は、適当に、座席の中央に腰かけた。こういう座り方をする人間は珍しい。普通、電車の座席の場合、端の方から座っていく。最初に端が埋まり、次に、それらから一つ飛ばして、奇数個目の席が埋まる。それを繰り返し、混雑してくると、ついに隣同士の席に座る人が出てくる。月夜と真昼は知り合いだから、初めから隣り合って座った。反対に、そうしなければ、人間の距離感として大分おかしい。二人の場合、これでもまだ遠いくらいだった。


 月夜は、真昼に、今日の目的について尋ねるのは控えた。その内彼の方から話してくるだろう、と予想したからだ。彼は自由人だから、自分が決めたタイミングで物事を進めるのを好む。月夜が彼の行動に干渉することはないが、ときどき、タイミングを見誤って、真昼の機嫌を損ねることがあった。機嫌を損ねるといっても、彼は露骨に不満を零すような人間ではないから、その変化を読み取るのは難しい。経験がものを言う、といって良い。どちらかというと、真昼は不機嫌でも笑顔だ。というよりも、彼は常に笑顔だから、より一層彼の感情を推し量るのは難しくなる。しかし、それは月夜もお互い様だったから、彼女にとって一方的に不利な状況ではなかった。


「今日の朝、起きたら、いつの間にか宿題が終わっていたんだ」対面にある窓の向こうを見ながら、真昼が言った。辺りに人はいないから、他人に会話が聞かれる心配はない。「どうしてか分からないけど、与えられた課題が、すべて終わっていた。きっと、自分でも知らない内に、問題を解いていたんだろうね。いつだろう……。寝る前にそんなことはしないし、だからといって、家に帰ってすぐ勉強する、ということもないから、それこそ、本当に、眠っている間に布団から這い上がって、無意識の内に解いたのかもしれない。そうでなければ、幽体離脱した、とかね」


 真昼は楽しそうだ。楽しそうだから、月夜も楽しくなった。


「君が眠っている間に、私が、君の部屋に忍び込んで、解いたかもしれない」


「それ、本当?」真昼は笑う。「そうだったらいいなあ……。でも、窓は鍵をかけておいたから、ちょっとありえないよ。魔法を使ったというなら、話は別だけど……」


「ごめんなさい。よく考えないで、話した」


「謝らなくていいよ」


「でも、その宿題は、今日提出するものだったんじゃないの?」


「うん、そうなんだ。だから、はっきりいって、終わらせた意味がない。提出期限を破ってしまったら、もう、価値はないんだ。ああいうのは、時間を守って終わらせないと、駄目だよね。ときどき、一週間前の宿題を出している人がいるけど、そんなことするくらいなら、僕なら、たぶん、二度とやらないだろうな。……君なら、どうする?」


「どう、というのは、何を訊いているの?」


「もし、一週間前に提出すべき宿題を、やっていないことに気づいたら、やって出すか、それとも出さないか、ということ」


「出す」


「へえ……。それは、どうして?」


「出した、という事実が、残るから」


「でも、遅れた、という事実が、それより先に存在するよ」


「そっか」


「うん、そうだ」


「それなら、出さない、かもしれない」


「出すかもしれないし、出さないかもしれないから、断定的な答えじゃないと、駄目だよ」


「じゃあ、出さない」


「本当に?」


「うん」


「どうして?」


「遅れた、という事実が、先にある、という君の意見を聞いて、なるほど、と、思ったから」


「思ったの?」


「思ったよ」


「思う、というのは、意識的か、それとも、無意識か、どっちだと思う?」


「どっちだと思う、という質問の、思うは、意識的か、無意識か、どっちだと、思う?」


 真昼は月夜を見る。


「それ、おかしなことになるよ」


「うん。仕方がない、と思う」


「その、思うというのは……」


「うん」


「いや」


「何?」


「なんでもないよ」


「分かった」

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