第34話

 月夜は、今自分が言ったことは本当か、と少しだけ自分を疑った。本心から話していたのか、それとも、真昼に合わせて適当に言葉を連ねていただけなのか、それが自分でも分からない。おそらく、分かりたくない、という意思が先にあるからだろう。しかし、それにしても、境界が非常に曖昧で、彼に対して申し訳ないことをしたかもしれない、といった念が急速に彼女の胸に押し寄せてきた。


 基本的に、月夜は論理的な思考をする傾向があるから、そのような疑いが生じることはない。しかし、今、実際に、自分で自分を疑ったということは、彼女の中に何か引っかかるものがある、ということだ。それが何なのか探ろうとしても、まったく分かる気がしなくて、月夜は急に怖くなった。恐怖という感情は、解決方法が示されていても、無条件に発動する性質を持つ。だから、その出現を抑制することは難しい。したがって、恐怖を感じたら、とりあえず、その感情が示す通りに、不安要因が何であるかを確かめる必要がある。けれど、その不安要因が何であるか分からないと、余計に不安になる、といったサイクルに突入する場合も多々ある。これが、自分が何に恐怖しているのか分からない、といった種類の恐怖で、この種の恐怖を解消するのは困難を極める。今回の場合も、月夜は、自分が何に不安を感じているのか分からなくて、ただ震えることしかできなかった。


 その震えが治まるのに、一分ほどかかった。


 その間、真昼は一言も言葉を発さなかった。


「もう、終わり?」やっと落ち着いて、月夜は真昼に尋ねる。


〈え? ああ、うん……〉真昼の声を聞いて、月夜の安心は確実なものになった。〈なんか、随分とわけの分からないことを言ったと思うけど、それでも、君のコメントをもらえて、よかったよ〉


「君がよかった、と、思うのなら、私も、よかった、と思う」


〈そのスタンス、なかなか素晴らしいね〉


「そうかな」


〈うん……。少なくとも、僕にはそんなことはできないよ。君は、もう少し、自分に自信を持った方がいいんじゃないかな〉


「自信は、どうやったら得られるの?」


〈それは、難しい質問だなあ……。普通は、どうやったら自信を得られるか、なんて、考えないからね。僕にも分からない。でも、たとえば、同じことを何度も繰り返して、一定の結果が出るようになれば、それなりに、自信を持つこともできるんじゃないかな、とは思うよ〉


「君は、自分の言動に自信がある?」


〈いや、ない〉


「そうなの?」


〈そうだよ〉


「それは、意外かもしれない、と思った」


〈意外? どうして?〉


「うーん、どうしてだろう……」


〈僕には自信なんてないよ。それに、自信を持ちたい、とも思わない。自信がないように見える方が、ほかの人に援助してもらえる可能性が高くなるから、生物としてはプラスの方向に傾く、と僕は考える。自信がないように見えることで、マイナスになる部分もあるけど、それを上回るプラスを得られる、ということだね〉


「よく、分からなかった」


〈分かる必要はないんだよ、月夜〉


「最後に、私の名前を付け足すのは、どうして?」


〈君の名前を呼びたかったからだよ〉


「呼びたかったの?」


〈言葉を発することで、活性化するものもある、ということ〉真昼は説明する。〈僕にとっては、君の名前はある種のキーなんだ。そのキーを使うと、どういうわけか、自然と、僕の中に活力のようなものが漲ってくる。不思議だよね。そして、実際に君に会うと、もう、ありとあらゆることがどうでもよくなって、ただ、君の姿を瞳の中に収めたい、と思うようになる。君を目にした途端に、ああ、もう、死んでしまってもいいかもしれないな、と思えてしまうんだ〉


「そんなこと、思わないでほしい」


〈どうして?〉


「私には、君が言うほど、魅力はないよ」


〈それを決めるのは僕だ〉


「うん……。でも、あまり、嬉しくはない、かな」


〈そう?〉


「うん」


〈そうか。分かった。じゃあ、今後から、あまりそういうことは言わないようにするよ〉


「気を遣う必要はないよ」


〈別に、気を遣っているわけではない。そうした方が、僕のもとに返ってくる利益が大きくなる、と判断しただけだよ〉


「そっか」


〈うん、そうだ〉


「もう、眠る?」


〈そうしようかな〉


「明日は、十時に、駅、でいいんだっけ?」


〈そうそう。よく覚えていたね。やる気満々じゃないか、助かるよ〉


「やる気満々、ではないよ」


〈うん、分かってる〉真昼は別れの挨拶をした。〈じゃあね、月夜。いい夢を見られるように、祈っているよ〉


 糸が断裂するような音がして、電話が切れた。

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