第32話

 今は冬だから、夜に外に出ているとかなり寒い。けれど、月夜はこういった雰囲気が好きだった。彼女の家の周囲には、小規模ながらも山があって、ときどき、鳥の鳴き声が聞こえてくる。空は満天の星空で、今日は月は見えなかった。だから、月夜ではない。山の向こう側には都市があるから、なんとなく、気配だけは、そちらの方から伝わってくる。それでも、この一帯は限りなく静かで、月夜はこの土地を愛していた。


〈電話で話すのは、なかなか、楽しいね〉携帯の向こうで真昼が言った。〈僕は、やっぱり、話す、という行為が好きだよ。単なる情報交換だけど、なんていうのか、どうしても、それ以上の価値を感じてしまうんだ。語調によるリズムを感じる、というか、聞いているだけで心地よくなる、というかさ……。君は、どう?〉


「どう、というのは、何が、どう、なの?」


〈僕の話を聞いてなかったの?〉


「聞いていたよ」


〈じゃあ、分かるはずだ〉


「えっと、どんなふうに、答えればいいかな?」


〈答えたいように答えるんだ〉


「会話は、無駄が多いから、好きか、嫌いか、と訊かれれば、嫌い」


〈へえ、そうなの? それは、意外だなあ……。僕と話しているときは、いつも、楽しそうに見えるけど〉


「君との場合は、例外」


〈あ、そうなんだ〉


「うん、そう」


〈そっちだと、星が綺麗だろうね。いいなあ。僕も、そこに住みたいよ〉


「今日は、ご両親は、いるの?」


〈いないよ。最近ずっと帰ってきていない。きっと、息子よりも大切なものがあるんだろうね。あ、これは、もちろんジョークだけど〉


「今、働いてくれている分が、君に還元されるから、やっぱり、君が大切だ、といえると思う」


〈まあ、たしかにそうだね。うん、それは分かっているよ。僕は、幸せだよ〉


「よかった」


〈ところで、ちょっと相談したいことがあるんだけど、いいかな?〉


「何?」


〈明日、一緒に学校を休んでくれないかな、と思って〉


 月夜は、真昼が言おうとしている内容を推察した。明日は水曜日で、平日だからいつも通り学校がある。それを休むということは、つまり、無断欠席する、ということだ(内容が重複しているが、特に気にする必要はない)。本来なら、欠席するならそれなりの理由が必要になる。それは、たとえば、風邪を引いたとか、親戚が亡くなったとか、そういう理由でなくてはならない。おそらく、真昼には、そういった重大な理由があるのではない。一緒に休んでくれ、と言っているのだから、大方、月夜とともに出かけようとしている、くらいの内容だろう。


「それは、容認したくても、できない」


〈とても重要なことなんだ〉


「えっと……、内容を、教えてくれない?」


〈ごめん。それは、今は教えられないんだ〉


「どうして?」


〈理由はあるけど、今は言えない。そのときになったら、教えるから、よろしく、ということでいいかな〉


 月夜は黙って考える。


 彼女は、基本的に真昼から頼まれたことには協力する。今までも、極力そうするようにしてきた。けれど、積極的にルールを破ろう、としたことは本当に少ない。たしかに、彼女は、本当ならいてはいけない時間帯に、学校に残って遊んでいるのだから、それは大きな規則違反ではある。しかし、その規則違反が発覚する可能性は極めて低い。なぜなら、今のところ、彼女の姿が補足される手段も、彼女という人間性から、そのような行為を暴かれるルートも、存在していないからだ。だから、そういった安全面を考慮して、見つからない程度でルールを破っているにすぎない。それが、真昼とともに学校を休むとなると、少し話は違ってくる。この違いは、おそらく彼女以外の人間には理解できないだろう。そういった、彼女特有のルールに則って、月夜は行動しているのだ。


「理由を、聞かせてほしい」


 数秒の間考えた結果、月夜は先ほどと同じことを繰り返した。


〈月夜、君が、学校でのことを心配しているなら、その必要はないよ〉真昼が話す声が聞こえる。〈学校にいる生徒は、誰も、僕たちのことなんて見ていない。休んでも、ふーん、で済む話だよ。それは、きっと教師も同じだ。僕たちに興味はない。大丈夫だ。だから、僕と一緒に、行動をともにしてくれないかな?〉


 手の中にあるマグカップは、すでに暖かくなくなっていた。その中に注がれたコーヒーも、今は渋味が増して、人間をリラックスさせる効果を有していないに違いない。月夜は、それを一口飲んだ。想像した通り、それはとてつもなく苦くて、苦しかった。


「分かった」月夜は言った。「君に、従う」


 電話の向こうで、真昼が微笑むのが分かる。


〈よかった。そう言ってくれるって、信じていたよ〉


「うん……」


〈じゃあ、明日の午前十時に、いつもの駅に集合、ということで〉


「遠出をするの?」


〈遠出はしないけど、近場の人間に見られたくないから、そこそこ距離の離れた場所に向かう、と考えてもらえればいいよ〉


「分かった」


〈じゃあ、そういうことで〉


「そういうことって、どういうこと?」


〈それは、君が自由に決めていいんだ、月夜〉


 沈黙。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る